« 境線付替え | トップページ | 佐久間レールパークへ(1) »

2013年2月11日

新幹線0系おなごり乗車

INDEX
 0.はじめに
 1.「こだま639号」 新大阪入線
 2.「こだま639号」 新大阪→東広島
 3.「こだま638号」 東広島→岡山 最後のお別れ


0.はじめに

 ○○系などという鉄道車輌の形式名が、これほど(マニアでもない)人の口にのぼり、ニュースで散々流れたことがあったろうか。最近でこそN700系なんていう新幹線の電車が少しずつ語られてはいるが、それでも多くの人々は、じゃあ従来の700系とN700系の違いは? と訊かれても、答えられないに違いない。まして在来線ともなると、自分が毎朝乗っている電車の形式名も知らない人の方が多い。「サンダーバード」とか「シティライナー」とか車輌に愛称でもつけば覚えられるが。

 しかし、昨年後半の数カ月で、日本人の半数以上が、「0(ゼロ)系」の何たるかを教育されたのではないだろうか。東海道山陽新幹線の沿線以外ではさほどの関心はなかったろうが、日本の人口の半数以上はその沿線の都府県にいる。 

 東海道新幹線が開業した昭和39年以来、実に二十三年間にもわたって増備され続けたオリジナルの車輌形式が、それに相応しい名の0系なのである。新幹線の車輌の耐用年数は、十二~十四年程度が一般である。従って、昭和五十年台以降、最終増備の昭和61年までは、古い0系を廃車して新製した0系に置き換える、という「同種交換」が行われたのである。いかに経営規模の大きい国鉄とはいえ、「同種交換」の例はそう多くない。0系が長く造られ続け、かつ高速運転ゆえ耐用年数が短かったために起きた現象である。0系自体が完成度の高い車輌でもあったのだろう。
 もちろん、二十三年もの間に技術が進歩しないわけはないので、初期の車に比べて最終期の車は幾分性能がよくなっているし、客室設備も改良されている。そうは言っても、基本的な諸元と外観は変わらなかったのである。

 その結果、新幹線といえばこの形式、というイメージが強くなった。わたしはこの前、授業で学生に0系が引退するという話題で雑談をし、これが0系だ、と言って画像を見せたが、
「ああ、一番ノーマルな新幹線」
 という反応が返ってきた。この学生らが生まれた年には既に0系の製造は終了していたし、近年は数からいうととても「ノーマル」とは言えないのだが、そういう印象なのである。デザインそのものが親しみやすいということもあろう。
 よく、作詞家の山口洋子氏が新幹線に似ている、と言われるが、高いが丸い鼻の持ち主だからで、この場合の新幹線というのは、もちろん0系のことである。0系に似てる、ということなら美女の部類に入るだろう。100系となると、細目に尖った鼻で、どちらかというと「男前」の顔だから、これに似てる、と女性に言っていい気がするかどうか微妙である。300系・500系あたりは、人の顔の感じ自体が薄れて、似ている女性を探すのが難しくなる。700系になるともはや、似ている、などと女性に言えば、間違いなく張り倒される。
 そもそも、登場時から二十年近く、「0系」という形式名など付いてはいなかった。新幹線にはこれしかないのだから、「新幹線の電車」とでも呼んでおけばこと足りたのである。東北新幹線用の新形式(200系)が登場した時、区別する必要から、改めて0系とでも呼ぶことにしよう、となったのである(といっても、200系は東日本を走るので50ヘルツ用に替わり、ラインカラーも緑に替わりはしたが、基本的なスペックや外観は0系と類似している)。後付けの形式名なのにこれほど浸透するのは、画期的なことである。

 昨年12月でその0系が営業運転を終了したのは読者諸賢もご存じのことと思うが、12月に行われたのはさよなら特別運転の臨時列車である。わたしはこういうさよなら運転や復活運転の類はあまり好きではない。最期に晴れがましい舞台を、というファンの願いと当局の配慮は分かるのだが、やはりどこか不自然だ。普段着で実用に供されている姿こそが美しく逞しいと思う。
 今回のさよなら運転も、近年は「こだま」専用になっていた0系の栄光の軌跡を尊重して、「ひかり」として運転されたが、時刻表をよく見ると、最高速度で後輩形式にとても太刀打ちできない0系は、「ひかり」として通過運転しても、「のぞみ」は言うに及ばず、同ランクの「ひかり」にまで、次々追い抜かれる。定期列車の邪魔にならぬようにダイヤを挿入するとこうなるのは分かるが、却って0系にとっては屈辱ではなかろうか(もっとも、途中駅で、自らに取って代わった500系「こだま」を追い抜く、という演出はなされたそうである)。

 そういうことで、わたしは通常の「こだま」定期列車で営業されているうちにおなごり乗車しておこう、と思って、先月乗りに行ったので、それをレポートしよう。しかし、既に「普段着」ではなかったかもしれない。


1.「こだま639号」 新大阪入線

 11月上旬の休日、新大阪7時59分発の「こだま639号」博多行に乗るため、わたしは七時三十五分頃に20番線に上がった。既に家族連れやマニアでごった返している。列車は7時47分着の「こだま620号」の折返しとなるので、まだ入線していない。向かいの21番線にも、カメラなど構えた人が多く並んでいる。
 わたしも入線の様子などをケータイに収めたいと思うが、ホームの安全柵には大勢の人がずらりと、大阪の立ち呑み屋のように体を斜めにして右手を伸ばし、コップの代わりにケータイやカメラを差し出している。わたしはやっと隙間を見つけてケータイを構えた。
 自動放送が列車の入線を告げると、ホームに昂揚感が漲る。
「柵から外に出ないでください。写真撮影は黄色い線の内側からお願いします」
 ホームの女性駅員さんがワイヤレスマイクで放送する。かすかに0系の二つの目玉が見えてくる。事情を知らない乗客らは、一体何事ならん、ととまどっている。このへんの混沌が、定期列車であることの面白さである。
 0系の車体がはっきり視認できるまでになる。
「列車が入ってまいります。柵から外に出ないでください! 写真撮影は…」
 もう何度目かの放送である。 ホームを走る人もいる。子供たちの歓声もあちこちで上がる。電車がホームにさしかかった。
「さーくーからー出ないでーくだーさぃっ!」
 駅員さんの口調は生徒を叱る先生のようになってきた。こんなに人が集まると、警備にも手がかかるし、大変だろうが、JR西日本自身も0系のホームページなど作って煽っているのだから、まあしかたなかろう。6輌編成の0系電車は、危険を避けるように、またカメラにサービスするように、こころもちゆっくりと入って来た(写真右)81190771

 やっぱり懐かしい。新幹線は0系が当たり前だった時代から乗りつづけているのだし、ここ暫くは0系には乗っていなかった。 
 通常山陽区間を運転する6輌「こだま」の指定席は4号車1輌なのだが、11月は増客を見越して、0系使用の「こだま」のみ5号車も指定席にしている。「5号車指定席」という札を見る機会も珍しい。幸いわたしの席もその5号車である。こういう号車表示や行先表示なども、新しい形式ではLEDになっているから、今となっては貴重になった。ついこの間まで当たり前だったこのアナログな表示法が(写真左。車室扉上の「5号車指定席」の札と、側面方向幕。豪奢表示などはシールだが、車椅子マークが剥げかけているのがわびしい)81190719 81191054 81190784
 指定席は八割方埋まった。自由席の方が空いている、という普段の「こだま」とは逆の様相である。坐っているのは子どもを含む家族連れが多いから、席を確保しないと不安だったのだろう。わたしの席は、左側窓際のA席で、幸い隣は空いている。
 下手な時間に0系を入れたら収拾がつかなくなると思ったのか、新大阪に来る0系「こだま」は早朝深夜に集中している。新幹線の新大阪はJR東海の管理駅だから、事故でも起こして迷惑をかけてはいけない、というJR西日本の遠慮もあろう。その中にあって、この「こだま639号」は、比較的撮りやすく乗りやすい時間帯の列車なのである。中旬から最終日にかけて、この列車の指定席は平日も含め連日満席になっている。

 0系に因んだ期間限定の駅弁が沿線各駅で販売されている、と聞いたので、弁当売場を覗いてみたが、時間が早すぎてまだ入っていなかった。

 これは、各駅弁業者が趣向を凝らした企画だが、何といっても最もインパクトがあるのが、神戸の淡路屋が発売した「夢の超特急弁当」だろう。
 0系を模した陶器製の器に蛸・椎茸・錦糸玉子・焼穴子・ローストビーフなどをトッピングしたちらしずしである。子供向けのようで量も少ないが、後日買ってみると、なかなか美味しかった(写真右。食べた後組み立てて遊べる外箱、0系型の容器、弁当の中身)811161952 811161931 811161821

 さて、いよいよ発車時刻が迫ってきた。


2.「こだま639号」新大阪→東広島

 発車ベルが鳴り、静かに列車は動き始めた。ホームではまたアナウンスがかまびすしいが、それはもはや彼岸のことである。

♪ミーミファソードーラーソファソーミーファーミレミーードラドシレド

 電子音のチャイムが鳴って、放送が始まる。このチャイムにまた、心をくすぐる仕掛けがある。

 0系の全盛期に使っていたチャイムを復活させているのである。しかし、放送ではこの列車が0系であることなどには一切触れず、淡々と停車駅と到着時刻を案内している。
 六甲トンネルに入っても車内は落ち着かない。通路を歩いて見て回ったり撮って回ったりする人が多くて、席が定まらない。車掌さんも検札のしようがなく、諦め顔で通路を行き来している。上り電車と擦れ違う度に、「あっ、○○系!」と子供の声があがる。先端が尖った特異なスタイルで子供に人気がある500系の時は、まさに車内が騒然となる。
 新神戸に着くと、早くも降りる家族連れがある。ちょっと乗ってみたかっただけなのだろう。代わって乗ってきたビジネス客は、5号車が自由席と思っていたらしく、首を傾げて他の車輌に移っていく。
 西明石では、「のぞみ」「ひかり」に続けて抜かれるため、9分停車となる。多くの人がホームに出て、撮影などしている。
 次の姫路でも10分、その次の相生では13分も停車して上位列車に抜かれる。その度に、乗客はホームに降りて撮影したり買物したり散歩して体を伸ばしたり煙草を吸ったりしている。サービスエリアで休憩しながら進む高速バスのようである。相生までで関西の生活圏は終わりであり、「ちょっと乗り」の家族連れはほとんどここまでに降りた。車内がようやく落ちついた代わり、吉井川の堤には夥しい数のカメラマンが三脚を並べてこの列車を狙っている。
 岡山到着前には「ド・ミ・ソ・ド」のこれまた懐かしい四点チャイムが鳴り、接続列車が案内された。

 岡山では、「のぞみ」などから乗り換えて来て途中駅まで向かう人などが増え、だんだん普段着の「こだま」になってきた。列車本数も若干減るので、駅ごとに抜かれる、ということもなくなった。福山と新尾道では抜かれるが、もう飽きたのか、ホームが賑わう、ということもない。
 10時44分、東広島に着く。丁度反対側の上りホームに100系の「こだま」が停まっている(写真右)81191044

 100系もまた、16輌編成での「ひかり」運用から退き、4輌または6輌で山陽区間の「こだま」に甘んじている。二階建てのグリーン車や食堂車、カフェテリアや個室など、さまざまな設備をもった華やかな車種として一時は新幹線の花形だったが、そういうバラエティーに富んだ特殊な車は既に廃車され、ごく一般的な座席車のみが生き残り、細々と運用に就いている。
 後輩形式の100系、さらにその後継の300系にも既に廃車が出ているのに、古参の0系が今年まで現役であったことがむしろ驚きだが、これにも理由がある。JR西日本の財政事情で新車投入のペースが東海より遅い、ということもあるが、それよりも、0系が全車「電動車」、すなわちモーター付の車輌であることが大きかった。
 電車といっても、全ての車輌にモーターが着いているのではなく、「付随車」と呼ばれる、「電動車」に引っ張られたり押されたりして走るだけの車輌も編成の中に入っているのが普通だ。一般に、一台のモーターで、二~三輌分程度の動力を賄えるからである。
 しかし、0系設計当時の技術では、全車輌にモーターを積んで大出力にしないと、200km/h運転は無理であった。それで全電動車という編成になったわけだが、これは、必要に応じて何輌の編成でも組める、という余得がある。東海道区間に比べて輸送量の段落ちが激しい山陽区間だけを運行する列車は、16輌のフル編成ではもったいないので、短編成化する必要があった。0系なら4輌でも6輌でも12輌でも、自在に編成を組めたのである。そういえば、わたしが中学校の修学旅行の帰りに乗った団体臨時列車は、0系のグリーン車や食堂車を外した8輌編成であった。そんなこともできるのである。
 その後、モーターの性能向上や車体の軽量化がなされ、100系以降の形式では、全電動車ではなくなった。それで床下が空いたために、その部分の車高をも活かして二階建て車輌なども実現したわけである。形式が新しくなるにつれて、電動車の比率は小さくなり、モーター以外の機器を付随車の床下に移して何輌かで一組のユニットとし、重量を分散化・平均化している。だがその結果、自由な輌数の編成が組めなくなっていく。100系を短編成化する際にはかなり大がかりに手を加える必要があったし、今回引退した0系6輌編成の跡を襲って山陽区間の「こだま」運用に入った500系は、8輌編成である。輸送力過剰であるが、500系はこれ以上短くできないのだそうだ。そういう小回りの利き方が、0系を僅かながらも生き長らえさせた。
 あるいは、数年前にあった、新幹線のトンネル内壁からコンクリートが剥落して走行中の電車に突き刺さった事故で、その電車が0系であったために死傷者が出なくて済んだ、と指摘された。重厚な二重屋根がコンクリート片を受け止めたのである。100系以降の軽量車だったとしたら、コンクリート片は屋根を突き破って客席を直撃しただろうとされる。
 0系にも案外、旧式ゆえの取り柄があったのである。

 さて、わたしはこの東広島で降りる。「こだま639号」は、この次の広島の少し先で、上りの0系使用列車「こだま638号」と擦れ違う。それを待ち受けようと思う。広島まで行ってもいいのだが、それだと二十分しか時間がないので、慌ただしいし、万一ダイヤの乱れがあった場合、旅程や切符がややこしくなる。それで、今まで降りたことのない東広島に降りてみるのも一興とばかり、ここで引き返すことにし、指定席を予約したのだ。


3.「こだま638号」東広島→岡山~ 最後のお別れ 

 東広島付近の新幹線は、半高架とでも言うべきだろうか、地面よりやや高い所を通るようになっている。一般に新幹線の駅は、高架下にコンコースが広がっている、というパターンが多いのだが、東広島は、下りホームがごく短い階段で改札口に直結している、珍しい構造である。改札は下り側にしかなく、上りホームには地下道で線路をくぐって行くことになる。ホームが長いことを除けば、大都市近郊の私鉄駅によくあるようなつくりだ。駅舎もこぢんまりしていて、在来線にもっていったとしても、中規模の駅にしかならないだろう。
 駅前広場は一応あるが、乗り入れてくるバスの本数は少なく、タクシーも数台が暇を持て余している。一時間たらずの待ち時間に、周辺をひととおり歩いてみたが、パチンコ屋のほかには、住宅の一階を改造したような小規模な美容院やらお好み焼屋やらがあるばかりで、典型的な郊外の新興住宅地である。とても新幹線駅の至近とは思えない。
 駅弁も売っていないので、わたしは昼用の弁当を駅前にあるセブンイレブンで買った。この店があることさえ不思議なくらい、ひっそりした駅であった。

 殺風景な上りホームに、「こだま638号」岡山行が入ってきた。8119125281191293
 今度は所定の4号車が指定されている。指定席は団体客が入っているが、特に0系を狙ったツアーではなさそうで、福山で降りていった。さきほど「こだま639号」で見かけたマニアの顔もちらほら見える。広島で折返して乗ってきたのだろう。
 弁当を広げて食べはじめたが、この後に乗った700系の「ひかり」と比べても、安定感があり、いい乗り心地であるように感じている。もとより判官贔屓もあるのだが。ともかく、もう二度と味わうことのできない0系の「走行感」を、体に覚えさせながら、旅を愉しむ。

 終着の岡山に着いた。編成は車庫に引き上げるが、暫くはホームに停車している。流石に大駅で、編成の両端にはまたも多くの人が群がって写真を撮っている。Oky0kei
 わたしも編成の端から端まで歩いていろいろケータイの画像に収めた。わたしが最後に乗った0系車輌である4号車の車体番号も記録した。やっぱり艶やかに丸みを帯びたボンネット部分がよい。この三次元の丸みは、現代の技術をもってしても機械で出すことはできず、最新型車輌のそれも、未だ熟練した職人の手作業によって作られているそうだ。それが白く綺麗に磨かれていて、皮を剥いたゆで卵のようだ(写真左)。
 ヘッドライトを裏返して大きなテールランプにした、その赤色の光は、脇役に追いやられて久しいのに突然脚光を浴びたことにとまどい、電車が頬を紅く染めて恥じらっているようにも見える。


(2008年11月乗車) 

|

« 境線付替え | トップページ | 佐久間レールパークへ(1) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。