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原鉄道模型に感じた虚しさ

 前評判というかPRが十分だったせいもあり、また横浜駅からすぐというロケーションもあり、原鉄道模型博物館は、同館自身も予想しなかったほど入館者数が伸びているようである。
 わたしも、上京したついでに観てくることにした。

 休日に行ったので、入口には列を制御するロープが張られ、入場制限がなされていた。なかなか人気である。二十分ほどの待ち時間の後、入場する。

 展示には圧倒される。一人の趣味人がなした仕事としては異常なほどに、模型が並んでいる。欧州の列車が主だが、全体の数が夥しいから、主でない日本の各列車も、網羅と言っていいほど作られている。神戸市電もあったので、見入ってしまった。それを含め、全国の私鉄の名車もひと通り揃っているのだ。
 圧巻である巨大レイアウトも、いくら見ていても飽きない。架線集電という実際の鉄道に近い方式や、車輌スケールの大きさからくるリアルな走行音など、ちょっと他では感じられないような模型のリアリティーがある。

 しかし、これら展示物は十分に観る価値があったものの、わたしはそれらを観賞し、また原氏の人生を辿る解説を読みながら、だんだん虚しい気持ちになってきた。原氏や同館に責任があることではない。ただわたしの僻みである。

 それは、どこまでも「ええとこのぼんぼん」でなければできない趣味を見せつけられているような気がしたからである。
 宮脇俊三さんに対してそんな思いを抱いたこともある。国会議員の家に生まれ、坊ちゃん学校から東大に進学した宮脇さんは、庶民とは言い難いし、ちょっと手の届かないようなもどかしさがある。それがまた宮脇さんのカリスマ性でありスター性なのだが。それでも、戦争に翻弄されて生活が乱されていく様に、ペーソスはあった。
 ひきかえ、原氏は宮脇さんさえ太刀打ちできないような、桁外れのぼんぼんぶりなのである。 宮脇さんが戦時中勤労奉仕のさなかに第一種急行(元の特別急行「富士」)に乗って関門トンネルの「乗りつぶし」に出かけたエピソードに驚くのは早かった。
 原氏は「一番切符」(新開業区間の発行番号0001が印字された、つまり最初に発行された切符)の蒐集にこだわり、小学生の頃から窓口に早朝から、また夜を徹して並び、カメラ片手に長距離の旅行に出かけている。鉄道技術そのものを学問上の専門ともして、学生時代から朝鮮半島に乗り鉄しに行ったりしている。当時朝鮮半島が日本領だったとはいえ、普通の学生がそうそう出かけられる所ではないだろう。
 そんな華々しい経歴のなかで、これだけの量と質の模型を製作する時間がどこにあったのか、と不思議で、その生活に余裕を感じてしまう。金銭的な余裕というより、雑事に関わらなくてもいい立場に、自然に身を置くことができる境遇だったのだろう。
 それでいて、原氏が隠遁した生涯を送ってきたわけでもない。きちんと技術者としても一流の業績をあげているのである。そういう社会的営為をまっとうしながら、これだけの物を生み出す時間がどこにあったのか、不思議だ。

 そういうところになると、追いつこうにも追いつけないわけで、わたしも人生の折返点を過ぎたせいか、「終わり」を望んだときに、虚しさが湧きあがるのである。
 もう一度観に行きたいような、行きたくないような、妙な心持ちで同館を後にした。来るときには気づかなかったが、横浜駅東口の地下街に、同館の垂れ幕のようなものが多数下がっている。
 
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(平成24年8月訪問)

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