« 再度登山バス迂回運行 | トップページ | 新東名経由の昼行高速バス »

別府ゆけむり号~ フェリーに乗る路線バス 

 以前は、定期の路線バスが客もろともフェリーに航送されて海を渡る、という例が結構あった。瀬戸内海を渡るのが多かったが、そのほかにも伊勢湾や有明海を横断する路線があったそうだ。しかし、現在残っている定期路線は、広島と大分とを結ぶ「別府ゆけむり号」くらいしかみあたらない。
 減ってきた理由は、バス路線やフェリー航路そのものの需要不振、高速道路ことに架橋の進展で航送が不要になった、などいろいろあるのだろう。島国にしては例が少ないように思うが、陸路を行くよりもフェリーに乗る方が時間が短縮され、しかも一定の需要が見込まれる二地点間、というのは今どきそれほどないのである。行き来の需要があっても、よほどまとまった流動でなければ、両岸で客自身に乗り換えさせた方が運行側は楽であるし、バスの車輌も効率的に運用できる。

 ともかく、最後に残った路線がどういうものであるのか、乗ってみることにした。

 大分駅近辺のバス乗り場は、あちこち分散していて、分かりにくい。大分駅のロータリー内にあるのは近郊路線の乗り場であり、長距離の高速バスなどは、少し離れた路上停留所に発着する。わたしのチケットには「トキハ・フォーラス前」という乗車地が記されているが、その所在も定かでない。
 一日一往復しかない広島便の乗り場を見つけるのはなかなか難しく、駅前の大通りを眺めてトキハというのがデパートの名であることだけは分かる。そのトキハの一階にバス案内所があったので、そこで訊ねてみた。すると、若くて声の大きい女性係員は、わざわざカウンターから外へ出て来ると、わたしを前の歩道まで誘導し、指をさして道路向こう側の乗り場を案内してくれた。
 大分駅の改札でも構内の食堂でも、女性係員に同様の接し方をされていて、九州の女性の気さくで活動的なところをまとめて見せられた感じである。

 
 教えられた乗り場へ行ってみると、郊外の団地へ通じるバス路線が発着するブースであった。このブースの手前には、「高速バス降車場」と大書された看板も立っており、本当にここから乗れるのか、と不安になる。しかし、ごちゃごちゃ貼られた各種時刻表の中に、「広島行」の文字をやっと見つけた。
 そこで待っていると、何台かの高速バス九州内路線の降車を順番待ちした後、広交観光と書かれたバスが着車した。「別府ゆけむり号」は広交観光と大分交通が隔日で担当する。二日ごとの路線に専用車輌を用意していられないのか、愛称などはマグネットシートで貼り付けてあり、運転台の料金箱にカバーがかけてある。コンビニで買ったチケットを運転手さんにチェックしてもらい、指定された右側最前列に坐る。 

116181176

 ここまでに大分市内数カ所の停留所で乗車を扱っているが、乗っていたのは二人だけで、このトキハ・フォーラス前でも六人しか乗らない。
 発車したバスは、すぐに大分市街を出て、海沿いの広大な幹線道路を行く。国道10号であるが、片側三車線の広さが延々続いている。
 別府と大分を結ぶ主要道路で渋滞が激しかったが、山が海に迫っていて拡幅もままならなかったので、並行していた軌道線である大分交通別大(べつだい)線(別大電車)を昭和四十七年に廃止して、その軌道敷を利用して拡幅したという。しかし、海側を見ると、護岸や埋立の跡が見られる。本当に電車を廃止しないと拡幅できなかったのか、と思う。
 別大電車は、両都市や高崎山(たかさきやま)などの観光地を結んで走る路面電車であり、客が少ないわけではなかったと想像される。その時代に、電車を近代化・高速化することにより、客がクルマから移行して渋滞が緩和される、という発想がなかったのはいたしかたないにしても、どうも厄介払いの口実にされたのではないか、と疑わしい。長崎のような生き残りの途もあったのではないか。

 別府市内でも乗降を扱う。北浜(きたはま)に停まったが乗車はなく、交通ターミナルでまとまった乗車となった。それでも、埋まった座席は半分程度だ。
 別府湾岸に沿い、北へ、続いて東へ向きを変えていく。東向きに曲がりきった所が、城下がれいで知られる日出(ひじ)である。ここにも停まるが乗車はない。ここからはまた北向きに転じ、山越えにかかる。日豊本線と縺れ合う。

 宇佐(うさ)で停車した後は、わたしにとって未踏の地である国東(くにさき)半島に歩を進める。北岸に沿って北東に向かう。しばらく行くと、かなり開けた街が現れる。鉄道でばかり行き来していて知らないままでいたが、日豊本線から外れた所に、こんな明るく子供たちの姿が目につく街があるのだなあ、と思う。ここは豊後高田(ぶんごたかた)で、あちこちに「昭和の町」という看板が掲げてある。バス道からは窺えないが、昭和三十年台を旨とした街並みを整備して観光客を呼び込んでいるようだ。
 その豊後高田の新町(しんまち)停留所で、バスに向かって手を挙げる老婦人がいる。ここから乗車する予約が入っていなかったようで、運転手さんは慌てた様子で急停車させた。老婦人は、
「徳山(とくやま)に行きたいんだけど、乗っていい?」
 と叫ぶ。週末なのに、大荷物を持って路上停留所から飛び込み乗車とは、なかなかに大胆である。豊後高田には予約窓口がないのかもしれない。このあたりから大阪や東京へ行くには、時間さえ合えば、このバスで徳山に出て新幹線に乗るのが最短経路だ。運転手さんが予備席らしい後方の座席を指示する。
 豊後高田の市街を出ると、海岸に沿う。国東半島は、山の尾根が四方に張り出してそのまま海に没しているため、リアス式海岸をなしている。だから、国道213号は海面より高い所を曲折しながら上下する。宇佐八幡の近傍だからか、沿道には次々と神社が見え過ぎていく。
 前をかなり緩慢な走り方をしている軽乗用車が塞いでいるので、バスはスピードを出せない。左側のサイドミラーには、バスの後ろにクルマの列ができているのが見える。お年寄りの運転かと思って垣間見ると、どうも小さな子どもを乗せた若いお母さんである。

 大きくカーブして竹田津(たけたづ)地区に入る。竹田津と聞くと専門柄、小学校の国語教科書などに乗っていた「きたきつねの子ども」などのエッセイで知られる竹田津実(たけたづみのる)氏を思い出す。このあたりのご出身と聞く。
 国道を外れて北へ折れるといよいよ、小さな竹田津港である。

 竹田津港には十三時四十五分頃、ほぼ定刻の到着だ。雑貨屋を兼ねたような待合所の前に、停留所ポールが立つ。ここが大分県側最後の乗車地である。しかし乗車はなく、バスはそのままバックしてトラックと並んで大型車の待合スペースに入ってドアを開けた。まだフェリーは入港していない。
 フェリーの出航は14時20分、乗船は十四時五分頃の見込みなので、それまで休憩となる。ほとんどの客が外に出た。 

116181373116181493116181362

 やがて徳山からの「フェリーくにさき」が着き、クルマが続々、というほどの台数でもないが、下りてきた。そのなかに、大分バスの「別府ゆけむり号」大分行もいる。一日一往復なのに、二台が途中で行き違う贅沢な運用である。フェリーのダイヤに合わせるとそうなるのだろう。あちらは竹田津港での降車がある。港で降りる場合でも、フェリーからはバスに乗って出てこないといけないことになっている。
 折返し整備が手早く行われているらしい。小さなターミナルビルが船の姿を隠している。
116181499 116181489

 岸壁から係員が走ってきて、慣れた様子で待機場のトラック一台ずつに合図を送っては、乗船口に誘導していく。港に先に来た順に乗せるらしいが、整理券などを発行している様子はなく、係員はちゃんと覚えているらしい。その程度の台数である。むろん、満車状態になったとしても、この路線バスは優先で所定便に乗れるのだろうが、そんなことは年に何回もなさそうである。バスが渋滞で遅れることもあり得るだろうが、余裕時間がかなりあるので、乗り遅れることもまあないだろう。
 隣のトラックは、ハンドルの上に乗せられた運転手の足だけが見える。係員がドアを叩いて起こし、すぐに動き出す。いよいよこちらのバスも、フェリーに乗り込む。薄暗い車輌甲板から、狭い階段で客室に上がる。

116181495116181486 116181694

 客室には長椅子が並ぶスペースと、棧敷席とがある。桟敷は家族連れやトラックドライバーが好んで占めるようである。バスの客はだいたい長椅子に腰掛ける。パブリックスペースとしては、ゲームコーナーを兼ねた粗末なラウンジがある。テーブルがいくつか並んでいるので、わたしはそこで持ち込んだサンドイッチなどを食べた。売店はかつて営業していた痕跡はあるが、シャッターが中途半端に閉まっているのが侘びしい。
 二時間ほどの船旅だが、静かな瀬戸内海だから、もの足らないほど揺れない。みんなとろとろしている。
 徳山までは北北東に一直線だが、もし宇佐あたりから徳山まで道路でゆくとすると、この航路を底辺とした鋭角三角形の二辺を辿らねばならない。三角形の頂点は関門橋(かんもんきょう)であり、そこを通らねば本州と九州とを行き来できないからだ。距離にして四倍ほどにもなるだろう。これでは、さすがにフェリーに便乗した方が早いわけで、冒頭に記したような稀有な条件を満たす区間となり得た。
 鉄道でも事情は同じであり、本州から大分・宮崎方面へは、行って戻るような大迂回になってしまう。瀬戸内海航路が発達したわけだ。現在は当然航空機が主流である。
 荒天などでフェリーが休航となるときは、「別府ゆけむり号」も陸路を迂回して運行されるとのことだ。その場合はダイヤも一時間以上の延着となる。
 広島と大分との間には、かつて直航のフェリーなどもあった。が、需要の鈍化により廃止され、フェリー区間が最短となるこのスオーナダフェリーだけが残っている。ここも経営は決して楽ではないようであり、定期バスの利用はありがたいことであろう。

 こんもりと盛り上がったような島がいくつか過ぎると、徳山入港のアナウンスが流れる。「おクルマの方は車輌甲板へ」などという言葉はなかったが、皆慣れた様子で階段を下りていく。わたしだけがもたもたしていたので、わたしが乗り込んですぐ、バスのドアが閉まった。バスのエンジンは止まっているが、甲板の床面を通して船の振動がバスの座席に伝わってくる。それは意外なほどバスのエンジンと似通った揺れ方であった。油臭い匂いが漂ってきて、周囲のトラックたちが身震いし、このバスのエンジンもかかった。
 乗ったときとは反対側の出口から徳山港に上陸した。ここでもターミナルビルの傍らにポールが立っている。
116181683

 山陽本線のアンダーパスを潜って、駅付近の路地に停まり、何人かを降ろす。地元の防長(ぼうちょう)交通バスが幅をきかせる駅前広場には入れないのだろうか。この「別府ゆけむり号」の徳山乗降の場合、乗車券の発売は防長交通が扱っているはずである。が、街中で擦れ違う防長交通バスとの間で挙手の礼などはない。
 市街を北上して、道幅の広い国道2号に出た。この道は、歩道とも車道ともしっかり分離された自転車レーンがずっと続いており、安心かつスムーズに誰もが通行できるようになっている、すばらしい大通りだった。
 山陽自動車道に入って広島に向かう。インターを下りると、新交通システムのアストラムが上空を走る広い幹線道路を南下する。途中でアストラムの中筋(なかすじ)駅に停まる。路上停留所かと思っていたが、小さいながら駅前のバスターミナルがある。市街中心からインターへの順路なので、各方面と結ぶ高速バスが頻りに発着している。アストラムの終点である本通(ほんどおり)駅も、広島バスセンターと似たような場所にあるので、どちらかというとJR可部(かべ)線の古市橋(ふるいちばし)駅あたりに寄った方が、広島駅やマツダスタジアムへ行く客には便利だと思うが、それでは廻り道になるためか、寄らない。

 市内が渋滞していたので、少々遅れて広島バスセンターに着いた。六時間近い行程だが、間に気を変えることのできる船旅が挟まっているので、さほど長くは感じない。

(平成23年6月乗車)

|

« 再度登山バス迂回運行 | トップページ | 新東名経由の昼行高速バス »