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2014年4月 1日

今、東北を乗る

 7月最後の週末、東北方面に出かけた。まだ多数の鉄道路線に不通区間があり、避難生活を送っている方々もあるのだが、やはり訪れて、何らかの消費活動をしたいと思った。それが復興に役立つかどうかは分からないが。

 まず、東京からは以前の記事「会津から帰るために」の時のルートを逆に辿り、浅草から東武・野岩(やがん)・会津(あいづ)鉄道経由で、まず福島県の会津若松(あいづわかまつ)に入った。

 地震の影響を主に受けたのは、福島県でも浜通りと呼ばれる地域だが、会津は浜通りとは逆の内陸である。被災地から会津に避難する人もいるくらいなので、このあたりに地震の痕跡は見いだせない。ただ、福島県という一体感はあるのだろう、頑張って復興しよう、という意気込みを表す標語やポスターは、あちこちに見ることができる。
 会津若松まで乗ってきた会津鉄道の車輌「AIZUマウントエクスプレス」の赤い車体にも、大きなステッカーが貼られていた。この列車は、快速ながら車内販売もあって、楽しく飽きない。あたりまえのことではあるが、会津の列車に特別悲壮感はない。
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 芦(あし)ノ牧(まき)温泉駅には、この頃流行りの動物駅長である、猫の「ばす」が勤務しているとのことである。駅を発車する時、向かい側ホームに面した駅舎に視線をやると、待合室の床に鎮座する彼女のシルエットをみとめた。
 南会津は、全国からみると、大きな観光資源もなく、地味な印象があるためだろう、こういう話題作りもしながら、PRに余念がない。車内でも、ビニールの手提げに入ったパンフレット類が配られた。

 
 会津若松からは、JR磐越西線の快速「あいづライナー」で郡山(こおりやま)に向かう。「あいづライナー」は、国鉄時代の標準的特急車輌で運転されていて、塗色もその頃のものが採用されている。車内、特に座席は改善されているが、まずは佳き時代の特急電車をしのばせる。
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 その座席で、会津若松で買ったレトロ調の駅弁を食べる。薄めの味付けで量も控えめ、なかなか渋い弁当で、美味しかったが、注意して扱わないと、行李の藁屑がおかずに降りかかりそうになるので、ちょっと神経を使う。
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 郡山から東北本線の普通電車に乗換え、福島へ。このあたりも中通りなので、まだ露骨な地震の痕は目につかない。福島から出る第三セクターの阿武隈急行の電車が見える。2輌連結のそれぞれの車輌に、「がんぱろう福島」「がんばろう宮城」のステッカーがある。両県にまたがる路線なのである。
 福島で乗継いだ仙台行の普通電車で宮城県への峠を越える。海岸に近づくこのあたりから、屋根の壊れた家が見られるようになった。ブルーシートに石を載せて屋根を押さえたりして応急処置がなされている。あんなのでは雨漏りもするだろうなあ、と心配になる。
 常磐線と合流する岩沼(いわぬま)では、何本か先の乗換列車まで案内があったが、全て亘理(わたり)行である。亘理までの区間運転がずいぶん増えたのだな、と一瞬呑気なことを考えたわたしは、自分で自分につっこまざるを得なかった。亘理から先は津波被害で不通のままなのだ。さらにその先の鹿島(かしま)から向こうは、いわゆる30キロ圏内に入ってしまうので、被害状況の調査すらできないのだという。

 
 仙台で一泊した翌朝、あおば通(どおり)から仙石(せんせき)線に乗って、松島(まつしま)方面に向かった。
 仙石線は仙台と石巻(いしのまき)を結ぶことからその名で呼ばれているが、海沿いを行く線だけに、いまだ不通区間がある。地震直後には、野蒜(のびる)付近で連絡のとれなくなった列車がある、と報じられた。津波の影響を直截に受けたのである。
 あおば通の地下駅は、ごく平穏な感じであるが、もちろん石巻への直通はなく、最遠でも高城町(たかぎまち)までしか行かない。高城町は、松島の少し北に位置する駅である。
 高城町行までは少し時間があるので、先発する多賀城(たがじょう)行に乗ってみる。あおば通の方が市街中心部に近いのに、次の仙台からの乗車が圧倒的に多い。まだ午前中だからかもしれない。しばらくは地下線を行き、苦竹(にがたけ)から地上に出る。出た所は新しく住宅地として栄えつつあるらしい地域で、新しいマンションなどが多い。次の小鶴新田(こつるしんでん)で折返す電車もある。
 こぎれいなマンション群は、おそらく阪神淡路以降に建てられたものであろう、ある程度耐震構造ができているのだと思われる。多少のひびなどは補修された痕があったりするが、致命的なまでの被害はないようである。しかし、マンションの谷間に見える古い瓦葺きの家々は、やはりブルーシートを被っている所が多い。
 阪神淡路の時、地震の数カ月後まで、ブルーシートが街並みの大半を占めていたのを思い出す。この世の中にブルーシートがこれほどたくさんあったのか、と思ったほどだ。ああいうシートがなぜ青色でないといけないのか、他の色はないのか、よく知らないが、家々が同じ色に染まっていることが、肩寄せ合って同じ惨禍を享受しているようにも見え、また不気味にも見えた。

 多賀城でホームに降りてみる。ここは高架化の工事中で、この下り線は地平のホームだが、上り線だけ高架になっている。多賀城止りの電車はどこまで回送されるのだろうか。下りホームからは、陸橋を昇り、一旦下りホームを歩いてから改札に出るようになっている。
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 改札の脇には、炊き出しのポスターなどが貼ってある。美味しそうだが、わたしのために行われる炊き出しではない。電車は何事もなく運行されているが、町は炊き出しが求められる状態にある、ということを思い知らねばならない。
 多賀城は、太平洋フェリーの仙台港に近いので、それの乗下船、さらには一時上陸で、何度も訪れている。それだけに周囲の変わりようは胸に感じるものが大きい。

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 後続の高城町行快速に乗る。仙石線の電車は、東京の山手線などで使われていた通勤型電車を改造したものである。純粋な通勤型が地方には馴染まないのか、トイレを付けたりクロスシートに変換できるようにしたり、といろいろ手を加えている。前面デザインは大幅に変えられたので、新車のようでもある。
 塩釜(しおがま)の市街を抜けると、海に沿うようになる。左手には堂々たる複線の東北本線が近づいてきて並ぶ。こちらが海側を行くが、陸前浜田(りくぜんはまだ)を過ぎると、一旦東北本線より山側に入り、また交叉して浜に出たりする。

 同じJR同士、それも同じ仙台駅を通ってきた二本の路線が、このように絡み合いながら並走するのは不自然だが、これは、この仙石線が地元の私鉄を戦時買収して国鉄線としたものであること、そして東北本線が元々勾配の多かった山地の路線だったのを、輸送力増強のために海岸廻りに付け替えたこと、この二つの事情によっている。仙石線は元が私鉄だけに、駅間距離も短いし、運転本数も多かった。JR化以後は東北本線もかなり増発されてきたし駅も新設されたので、その差は縮まったが、依然両線のムードには隔たりがある。電気方式も、東北本線は後発の交流、仙石線は古くからの直流、と異なっている。
 高城町まで行こうかと思っていたが、ふと思い立って松島海岸で降りてみる。高城町から先の不通区間は、代替バスが運行されているのだが、それは高城町ではなく松島海岸が始発で、車内放送でもその旨アナウンスが繰り返されている。高城町には大型バスが待機できるスペースがないのだろう。松島海岸なら観光地の駅なので、駅前広場がある。
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仙石線は、高城町から矢本(やもと)までが不通区間で、矢本から先、石巻までは、電化区間でありながら暫定的にディーゼルカーで運転されているという。石巻側は仙石線以外の接続路線はみな非電化なので、その方が車輌の融通がしやすいのだろう。
 不通区間は、路盤ごと津波に流された箇所もあり、そういう所は復旧といっても新たに線路を敷くのと同じことになる。それに、今後も起きる津波の可能性を考えると、従来の位置で線路を復旧するのが得策かどうか、検討を要する区間もある。そういうことも運転再開が遅れている要因であろう。

 わたしは、徒歩で海岸に出た。

 まだ松島を歩いたことはなかったのである。海風を感じながら、賑やかな景勝地を行く気分はよい。二十分ほど歩き続け、ちょうど人通りも店もなくなって、観光地らしさが全く失せたあたりで、仙石線のガードをくぐる。仙石線は、松島海岸駅を出た後、また東北本線とぴったり寄り添って少し山側を通って来ている。寄り添う区間には、一応両線を結ぶ渡り線が設けられているが、営業には使われていない。使いたくても、交流と直流だから、簡単には直通運転できない。
 ちょうどここで両線が別れる。右へ行けば仙石線の高城町、左へ行けば東北本線の松島駅である。わたしは左へ歩く。

 
 松島駅に着いてみると、東北本線のダイヤが乱れていた。未明にかなり大きな余震があったため、線路点検などをしていた影響である。改札口の電光掲示では、列車の遅れ時分とともに、高城町からの仙石線の利用を呼びかける案内もスクロールしている。妥当な案内だが、この駅にはこういう文案が用意されているのだな、と思う。
 一時間以上遅れた一(いち)ノ関(せき)からの仙台行電車は、相当な混雑だったので見送り、次の松島始発に乗ることにする。仙石線と重なる区間だけを走る松島始発の仙台行など、国鉄時代にはあり得なかったが、ずいぶん小回りが利くようになったものだ。

 この電車はJR化直後に投入された車輌で、いわば国鉄からJRへの過渡的な存在である。車内はセミクロスシートなのだが、クロスシートの配置が、四人掛けボックスを二人掛けが挟んだ、あまり他に例のないものになっている。扉の脇はロングシートだし、これであらゆるニーズを満たせる、と設計者はにんまりしたのかもしれない。そんなもの転換クロスシートにすれば全て解決するのだが、東日本の国鉄・JRでは料金不要列車に転換クロスシートを入れることに頑ななまでの抵抗を持っていた時期があり、そうした偏屈の名残のような車輌である。
 現在でも西日本や九州などに比べると、東日本の転換クロスシート車輌の占める率はかなり低い。この東北本線でも、その後の新型車輌は、ロングシートか四人掛けボックスかになっている。
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 松島をがら空きで出発する。途中、左側にさっき通った陸前浜田駅が至近に見える。次の塩釜でかなり乗り、座席の半分が埋まった。国府(こくふ)多賀城という、そんな駅いつできたんかいな、と思う駅では、立ち客が出た。調べてみると、もう開設されて十年近くにもなる。仙石線任せだった多賀城市の輸送を、分担しているようだ。
 そのように駅を増やしているのなら、陸前浜田にも東北本線のホームを設けて相互に乗り換えられるようにすれば、多少なりとも両線の利便性が高まるのではないか。そういうことをすると、運賃が変わる駅間が出てJRが減収になるのかもしれないが、それを補うだけの集客につながらないか、と思う。九州では同様のケースで、香椎(かしい)線と篠栗(ささぐり)線がただ立体交叉していただけの地点に長者原(ちょうじゃばる)という駅を新設してサービスしているから、できない話ではないだろう。

 
 仙台からは、仙台空港鉄道に直通する電車に乗る。
 仙台空港で自衛隊の戦闘機が次々と津波に押し流されるニュース映像を記憶している読者も多いと思う。海の近くに位置する空港は、当然のごとく壊滅的な被害を受け、機能が停止した。その後臨時便のみが運行されるようになっていたが、このほど全定期便が運航を再開したのである。
 主要なアクセス手段である仙台空港鉄道も不通となっていたが、仙台空港の一つ手前の美田園(みたぞの)までが復旧した。美田園と仙台空港の間には、滑走路をくぐる地下トンネルがあり、これが津波で水没したため、復旧に長くかかっているのである。仙台から出るこの電車も美田園行で、その先は代替バスが運転されているらしい。とりあえず美田園まで行くことにする。
 
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 わたしは「青春18きっぷ」で乗りあるいているのだが、この美田園行は途中の名取(なとり)までがJR、その先が仙台空港鉄道の路線となる。だから、名取から先の運賃を別に払わなければならない。のだが、どこでどのように払えばいいかが分からない。仙台駅の改札で訊いても、確たる答がない。事前に仙台空港鉄道の彩図も見てみたが、こういうケースのことは何も書いていない。普段なら、降りるときにスイカか何かで精算すればいいのだが、現在はどうなっているのか。払うべきものはもちろん払うけれど、損もしたくない。
 とにかく乗るしかないようだった。車内で車掌の巡回もないまま、名取を過ぎた。イオンに隣接する杜(もり)せきのしたで乗客の大半が降り、終点の美田園で改札に向かったのは、四十人ほどである。
 改札口は、下車客とバス乗継ぎ客がロープで仕分けられている。改札の女性係員に切符を見せると、ここで美田園までの運賃を払い、バス乗場で改めてバス乗車券を買ってほしい、と不可解なことを言う。美田園で打ち切られたら割高になってしまう。鉄道と同じ運賃、同じ乗車券で乗れるのが代替バスではないのか。わたしは、
「名取から空港まで通しで切符を買えないんですか」
 と訊いたが、係員は、
「申し訳ないですが、そのようになっています」
 としか言わない。しぶしぶ名取から美田園までの運賃を払う。わたしの次に並んだ客も、不満を漏らしている。駅前広場で待っているバスの前に机が出ていて、バス乗車券を売っている。190円だというので、また小銭入れを出す。わたしの指で小銭をやりとりするのは大変骨が折れるのだが、お互いに面倒なことである。
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 もっとも、帰宅してから調べたら、支払った額の合計は、名取から空港までの通し運賃と同額であった。美田園~空港間のみの移動だと210円になるようだ。
 少し納得しかけたが、やはりおかしい。美田園の改札口とバスの切符売場は二十メートルと離れておらず、どちらも仙台空港鉄道、同じ会社が運賃を収受しているのである。二つの窓口を統合することは難しくないはずで、乗客のためにはそうするのが筋である。

 
 しかし、この代替バスの車窓は、運賃収受の問題など超越した気持ちにならざるを得ないものであった。
 住宅や工場があったと思われる地区を、バスはそろそろと進んだ。橋桁などがずれているようで、そういう場所を通るたび、大きく車体がバウンドした。舗装がひき剥がされた所も通る。案内標識には、「閖上(ゆりあげ)」「荒浜(あらはま)」など、ニュースで聞き覚えのある地名が表示されている。
 車内は子ども連れなどもいて、美田園を出る時は至極賑やかであった。が、バスが空港に近づくにつれ、バスのエンジン音、そして事態を感じ取るにはあまりに幼い数人の声しか聞こえなくなった。
 津波の辛酸さがさながらそこにあった。テレビが映しているのが全てではない、と如実に分かる。見たこともない風景、風景でさえないのかもしれないが、もちろん、それを窓からケータイで写真に収めようなどとは誰もしなかった。
 わたしも、あれをここで詳密かつ冷徹に描写する勇気も能力も、持ち合わせない。何らかの言葉に置き換えられる景ではなかった。
 阪神淡路大震災の後ようやく復旧した長田区のJR電車内で、窓外のあまりの光景に皆がおし黙っていたのを思い出す。が、高架鉄道とバスとでは、地面との距離も違う。迫り来る何かが胸を圧す力は、あの時よりもはるかに大きかった。だから皆がただ見つめるしかないのだ。

 鉄骨が剥き出しになり断末魔の呻きを空に投げ上げているかに見えながらも、どうにか実用に耐えている格納庫や倉庫を横目に、ターミナルビルの前に着いた。
 ターミナルビルも、まだ3階部分は閉鎖されたままである。1階のエントランスには、全国から寄せられた励ましのメッセージが、千羽鶴やひまわりの造花に囲まれて、展示してある。
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 2階の店舗は営業しているが、通常より縮小されている。このビルで、地震後何日も過ごさざるを得なかった人々がいるのか、と思った。2階からは、仙台空港鉄道の駅も同じ高さに見える。駅に停まったまま身動きがとれない電車が2編成、ただ佇んでいる。
 
 ターミナルビルから飛行機まで運んでくれたバスは、大阪市バスの中古で、塗装もドア開閉音も椅子のモケットも、元のままであった。妙に懐かしい。
 小松行の飛行機は、離陸後平常と異なる飛び方をした。すぐに内陸には向かわず、海岸線を右に遠く見下ろしながら海上を南下している様子である。福島原発を避けているのだろう。その姿が見えるかと思ったが、飛行機はすぐに雲の上に出てしまい、下界のことなんて知らない、とばかり、機首を西に転じた。

(平成23年7月乗車)

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