南越線開業100周年特別展

 南越(なんえつ)線とは、かつて福井鉄道が運行していた、社武生(しゃたけふ)~戸(と)ノ口(くち)間の路線である。社武生は、国鉄武生駅に隣接していた。昭和56年に全線が廃止となったが、北陸の私鉄ローカル線としては、比較的遅くまで残った部類である。
 わたしは乗ったことはないが、写真でみると、メイン路線である福武(ふくぶ)線に比べて、小ぶりで素朴な車輌が行き来していたようだ。

 その南越線が、今年で開業100周年にあたる、ということで特別展が開催されたので、観に行ってきた。

 会場になったのは、JR武生駅の近くにある、越前市武生公会堂記念館である。公会堂として使われていた建物を、展示館に模様替えしたらしい。この建物自体が、文化財的価値がありそうな、風格を湛えたものである。
 その玄関に、160形電車を再現した実物大模型が展示され、来館者を迎えている。この「運転席」に坐って記念撮影もできるようになっていた。

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 主な展示は2階にある。階段を上がって廊下を進むが、この廊下の内装や照明にも、戦前の洋風建築によくある落ち着きが宿っている。
 展示室に入る手前の廊下にも、いろいろな資料が貼り出されている。

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 展示室内は撮影禁止だったので、その詳細をお見せすることはできないが、思ったより充実した内容であった。

 わたしが時間をかけて観たのは、戦前の武生駅時刻表である。南越鉄道(当時)の時刻はもとより、国鉄北陸本線の時刻もある。
 ある程度接続が考慮されているが、待ち時間は長い。そして、北陸本線の列車に接続しない南越鉄道列車も多い。つまり、南越鉄道の方が本数が多かったのである。幹線鉄道とローカル鉄道との関係からすると、近年の感覚とは逆である。
 国鉄の武生駅に停車する列車は、上下とも十本に満たない。深夜帯に停まるものもあるから、ほとんど日常生活に用いる交通機関としては機能していなかったのだろう。そして、上り列車の行先が、神戸・明石(あかし)・姫路(ひめじ)などとなっているのも、現代からは考えられないようなことである。敦賀始発の新快速がその方面に直通するようになっているのは、歴史の再現と言えなくもないが。

 切符や制服、駅名標、その他のグッズなど、こういう展示には欠かせないものが揃っているが、驚かされるのは、そのほとんどが個人蔵のものであることだ。それらを、廃止から三十年以上経つ現在まで、大切に保管している人がいたこと、それらの所在が把握されていること、そしてそれをこの展示のために快く貸し出してくれていること、いずれをとっても、地域の鉄道に対する愛着を感じずにはいられない。
 福井鉄道の車輌で廃車になったものも、個人宅に引き取られて静態保存されているケースが多い。家に土地があるからでもあろうが、やはり鉄道への温かい情が伝わってくる。

 また、模型のジオラマが二つも展示されている。
 一つは、武生駅付近を模したもので、国鉄・JRの長い編成の車輌も走っている。一応、南越線が現役だった頃を想定したレイアウトだが、そこを、南越線の貨物列車、ディーゼル特急「白鳥」、そして特急「サンダーバード」が、時空を超えて一緒に走っている。
 もう一つ別室にあるジオラマは、見学者が操作できるようになっていて、富山のLRT車輌が動いている。こういう仕掛けには金もかかっているはずだ。この展示室には、福井鉄道の現役車輌全てのタイプがNゲージ模型となって展示されていて、主に子供のご機嫌をとる部屋になっている。この特別展が、決して懐旧趣味で開かれたのではないことを窺わせる。

 南越線の線路敷が、どの程度残っているのかは知らないが、やはり北陸新幹線のことを考えると、何とか新幹線の南越駅(仮称)まで復活できないのか、と思う。
 南越駅は現在の北陸線と離れた場所に設置されることになっているが、旧南越線に近い場所になるはずだ。だからこそ連絡線としての復活を望むのだが、これを福武線とも直通運転すれば、鯖江からも便利になる。
 しかし、実際の南越駅への連絡は、従来の例から考えれば、武生・鯖江両駅から申し訳程度に路線バスが運行されるのみになると予想される。一応新幹線と接続させるのだろうが、早朝深夜の新幹線便に接続するバスは設けられないだろう。このバスを、越前・鯖江両市のコミュニティバスと連携させ、直通運転すれば便利なのだが、そんなこともしないだろう。
 それどころか、連絡バスすら設けない可能性もある。何にしろ、高速バスの停留所がある武生・鯖江両インターへも、路線バスもコミュニティバスも運行しておらず、自家用車やタクシーで行くのが当たり前とされているのだ。結局、第三セクター化される在来線列車で福井か敦賀に出るのが早道、ということになりかねない。

 将来を憂慮しつつ、1階の常設展示も覗いてみる。武生は越前国府が置かれていた地であり、史跡が多い。それに関する展示がいろいろとあって、特別展に比べれば地味だが、それなりに見応えがある。
 これまで、武生にこういう施設があることを迂闊にも知らなかった。

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(平成26年8月観覧)

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可部線廃線跡かつ新線予定地

 広島県のJR可部(かべ)線は、広島の次の横川(よこがわ)という駅から分岐して可部まで14.0キロを運行している短い支線である。可部は広島市内ではあるが、郊外の副都心としてまとまった街をなしている。
 かつての可部線は、この先にも伸びていた。蛇行する太田川を忠実に三段峡(さんだんきょう)まで遡っていたのである。しかし、可部から先は閑散路線であったために廃止が取り沙汰されるようになり、平成15年に廃止された。廃止区間は46.2キロにも及んでいた。

 しかし、廃止区間のうち付け根のだいたい一駅分は、可部市街の中であり、人口密度も低くはない。それで、いろんな曲折はあったが、復活することが決まった。一旦廃止されたJRの路線が復活するというのは、初めてのケースである。
 興味深いので、現地がどんな具合なのか、見に行ってみた。

 まず、広島から可部線の電車に乗って、終点可部に着いた。JR西日本は味気なくも、車輌の塗装を一色で済ませてしまおう、という方針をとっている。その方が経費節減になるというのは分かるが、世知辛い。車輌は鉄道の顔ではないか。
 それはともかく、広島付近の電車は黄色に塗られるようになった。

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 可部駅のホームの付け根に改札があるが、線路は行き止まりではなく、奥へ伸びている。これが、かつて先まで路線が伸びていた名残である。だから、駅舎から駅前広場には踏切を渡らないと出られない。が、この踏切には営業列車は通らない。
 

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 廃止区間に向かう線路が存置されているのは、廃止当初から件の区間の復活話がくすぶっていたからでもある。
 路線が長かった頃の可部線は、この可部までだけが電化されていて広島の郊外電車だったが、ここから先は非電化でディーゼルカーがとことこと走る純然たるローカル線であった。
 それでも、前述のように、可部の次の河戸(こうど)駅付近までは家が建て込んでいて利用が見込めるため、河戸までを電化して残してほしい、という運動は、部分廃止のずいぶん前から続いていた。廃止されてしまったら、夢が絶たれたと考えるのが普通のところ、運動は続けられた。
 結局、広島市が線路や駅を整備し、JRが運行を担当するかたちで、平成27年度に復活することがほぼ決まったのであった。

 さて、わたしがこの河戸まで行こうとしてまずとまどったのは、河戸という停留所を通るバス、つまり廃止区間の代替となるバスが、一日数本しかなかったことである。鉄道を復活しようとしているにしては、需要が少ないようにも思う。
 可部からのバスに僅か五分ほど乗って、降り立ってみると、河戸は狭い丁字路の片側にのみポールが立つわびしい停留所であった。
 

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 車線が分かれていないバス道の南側を並行して線路が走っていた。踏切跡に行ってみると、河戸駅のホーム跡がそのまま残されている。駅の両側に踏切はあり、線路をまたいだ行き来も盛んだったようだ。

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 実際に再延伸されるのは、この旧河戸駅までではなく、もう少し先の亀山団地付近までで、そこに新たに駅を造るのだという。なるほど、バスが行った方角を見ると、マンションなどが建ち並ぶのが見える。
 そしてその新駅と可部駅との中間に、もう一つ駅を設置する計画だという。となると、復活してもこの旧河戸駅ホームが使われるわけではないようだ。

 ここから、バス道を歩いて可部駅の方に戻っていく。
 道沿いの店の駐車場がそのまま線路跡に続いているような箇所もある。
 

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 国道54号のガードをくぐる箇所では、線路跡を跨いで通ることもできる。自然発生的な踏切として地元の人の通路になっている。
 

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 とまあ、こうやってぶらぶら歩くうち、十五分もかからずに可部駅付近に出た。

 想像していたよりかなりあっけない。果たしてこの程度の距離を、わざわざ復活させる必要があるのか、という疑問は禁じ得ないが、地元が費用を引き受け、JRが承諾している以上、余所者のわたしがとやかく言うことではない。何であっても、線路が増えることは喜ばしい。
 なお、「復活」といっても、書類手続上は、路線が一旦廃止されて影も形もなくなった所に、改めて「新線」を建設するというかたちになる。だから、廃止前のこの区間にわたしは乗ったことがあるのだが、それとは関係なく、開業すれば改めて乗りに来ないと、完乗タイトルが維持できないことになる。
 二年後の再訪を愉しみにしたい。

(平成25年8月訪問)

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JR20周年の「青春18きっぷ」

 さて、ずっと前の記事でご紹介したが、この春の「青春18きっぷ」は、JR発足20周年記念の特別版であった。安いし今回だけの券面表示になるので、補充券タイプとマルス(みどりの窓口などのコンピュータ発券機)発券タイプと二組買うことにした。

 まずこっちが補充券タイプ(写真左)。福井の隣の森田駅で買ったものである070225_204827 。北陸本線の委託駅ではこのタイプを売っているのだが、このタイプは既に東日本では発売されていないようで、「赤券」などと呼ばれて稀少価値が出てきているため、マニアの中には、これを買うためだけにわざわざ北陸まで出かけたり郵送で求めたりする人も少なくない。それが今回は特別版であるから、多くの駅で通用期間開始前にはやばやと売り切れになった駅がけっこうある。最初に印刷したのを各駅に割り当てて、売ってしまえばそれで終わりだからである。070304_195812
 裏面を見ると、20周年とは関係ないのだが、今回限りの注意書きが添えられていて、これも記録としては貴重である(写真右)。これも前に記事でご紹介したが、快速「ムーンライトながら」が全車指定席になることが書いてある。JR全線に乗れて、どこで使われるか分からない切符なのに、特定の列車に関する注意書きがあるのは異例のことだが、それだけ「ムーンライトながら」と「青春18きっぷ」とは不可分の関係にある、ということである。

 対して、マルス発券のタイプは070304_200305 070304_200010 ポピュラーである。機械から打ち出す時に印字するから、このタイプには売り切れはなく、期間内ならいくらでも買える。このタイプは説明書きが裏面ではなく別紙で付いてくる。文面は同じである(写真左)

 この二組、わたしはそれぞれ一日分ずつ使い残してしまったが、それでも十分元をとっている。
 ただ、今回は安くなったからであろうか、どこへ行っても電車が込んでいたことに閉口した。旅行に出た先で込んでいるのならまだしも、日常生活で利用する電車が時ならぬラッシュになるのは、どうもいけない。
 北陸の場合は特に、昨年新快速が敦賀まで延長されて、「青春18きっぷ」の旅がしやすくなった。関西でも敦賀敦賀と宣伝する。だもんだから、北陸にも「青春18きっぷ」で行けることに、関西のおばちゃん連が気づいてしまったのである。
 意図してかどうかは知らないが、敦賀に朝一番(9時50分)に着く新快速からはうまく金沢行の普通電車に接続するのである。この電車は大人気で、土日などこの地の通勤ラッシュ以上のすし詰めとなった。上りも同様に金沢発敦賀行の電車は途中駅から坐れない状態が続いていた。先日も京都からの帰りに湖西線快速から乗り継いだ敦賀20時57分の福井行は、僅か二輌編成ということもあるが、通路まで客が立ち並ぶ状態で発車した。これらは当地としてはかなりの異常事態である。わたしも「青春18きっぷ」であちこち行っているので文句は言えないが、どこか割り切れない。

 使い終えた切符の映像は、残念ながら公開しない。行動の足跡がばれてしまうので(笑)。べつにやばいことはしてませんがね。8回のスタンプの駅の内訳だけ書くと、(東)住吉が4回、鯖江が3回、名取が1回となっています。
 

(平成19年5月執筆)

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北陸線敦賀直流化のスケジュール

 JR西日本北陸本線長浜~敦賀間の電気方式の直流への変換が近づいてきて、具体的なスケジュールやイベントが次々発表されている。

 電気方式変換に伴うダイヤ改正、つまり、新快速などが敦賀まで直通するようになるのは、10月21日(土)だ。しかし、変換そのものは9月24日(日)に行うのだと。これはちょっと意外な気がしたのだが、考えてみたら、問題の区間を運行している現有の車輌は全て交直流両用なのだから、変換を先に行っても支障はないわけだ。「車内が一時暗くなります」というあのイベント? が、今までは長浜の北方もしくは近江塩津西方高架線であったものが、北陸トンネル南口に移るだけのことである。それなら、ダイヤ改正前後でそれでなくても現場がばたばたする時を避けて切換を行い、煩雑さを分散するのは得策だ。
 切換の死電区間が敦賀という主要駅の近くに移るのはいいことだな。何らかの事情で死電区間で電車が停まってしまい、動けなくなったとしても、すぐに敦賀から救援列車を出せる。いや、それ以前に、北陸トンネルから敦賀駅にかけては恐らく下り勾配になっているのだろうから、惰力で敦賀駅まで辿り着けそうだ。

 さて、9月23日(祝)深夜から翌日未明にかけ、新たな死電区間の前後となる区間で列車を止めて、切換工事を行うようだ。
 下り最終の「しらさぎ65号」は運休、武生始発の臨時「しらさぎ95号」が運転され、米原から武生までは代行バスが運転される。米原・長浜発の敦賀行普通列車も最後の二本がバス代行となる。上りも、最後の福井方面からの敦賀行二本が今庄止りとなり、敦賀までは代行バスが運転される。
 そこで気になるのはこれら代行バスの経路である。「しらさぎ」の代行バスはやはり北陸自動車道を使うのだろうか。なかなかダイナミックで金のかかる代行バスなのだな。また、下り普通列車の長浜~敦賀間の代行バスは国道8号で何とかなりそうだが、上り普通列車の今庄~敦賀はどうするんだ。これも北陸自動車道に乗るのか? そうだとしたら、湯尾付近まで逆行して今庄インターから入ることになる。あるいは国道476号の木の芽峠トンネル経由で急峻な山越えとなるのか。いずれにしても、南今庄駅は切り捨てられることになってしまうじゃないか。なかなかの謎だ。
 面白いのは、夜行列車。下り「きたぐに」は、大阪発を19時37分まで繰り上げ、金沢で3時間ほども停車して所定時刻に戻す。工事前に現場を通過させるためだが、「きたぐに」の583系はもともと特急型なんだから、本気を出せば「雷鳥」に遜色ない走りができるはずで、大阪~米原で二時間もかかっているのは、余裕を持たせすぎではないのか。停車駅も少ないことだし、新快速か「はるか」の後追いで走れそうなものだ。米原~敦賀でも「しらさぎ63号」に先行するが、これも後追いでもよさそうだ。福井で客車の「日本海3号」に抜かれるのも解せない。もっとしゃきしゃき走れる車輌だと思うが。
 なお、上り「きたぐに」も、武生で一時間半ほど停車して工事が終わるのを待ち、大阪着は8時34分に繰り下がる。上下とも、「きたぐに」は客車時代を偲ばせるようなダイヤになるなあ。「日本海2号」も福井~大阪の時刻を繰り下げる。もっとも、「日本海」は羽越本線の土砂崩れの影響で現在運休中、復旧の見通しが全く立っていない。せっかく設定した臨時ダイヤが無駄にならんことを祈ろう。

 そして23日には、電気方式変換記念のイベント列車として臨時急行「リバイバルくずりゅう」が金沢~米原間に一往復運転される。富山港線LRT化に合わせて国鉄時代の塗装に塗り替えられた455系が、その後もその塗装のままで北陸線普通に運用されているのは、このために置いてあったわけか。それにしても、何かと忙しいだろうに、切換工事の当日に運転せんでも、と思う。
 また、直流化を記念するのなら、「くずりゅう」運転当時とも切換地点が移っている(米原→長浜)北陸線側ではなく、湖西線側の「リバイバル立山」とした方が、趣旨に沿った正確な復活運転になりそうな気がするが。イベント列車を京都や大阪に乗り入れるのは難しいのだろうか。
 いずれにしても、455系の豪快な通過運転が久しぶりに見られそうだ。が、わたしはこの日学会のために神戸に出かけるので、見ることも乗ることもできないのが残念だ。

(平成18年7月執筆)

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福鉄800形デビューらしい

 いつの間にか、というか、今日から、名鉄から福鉄に転入した800形低床車が福井駅前~田原町間の折返し運転でデビューしたようだ。先週末には福鉄の彩図にも車内にも何も書いていなかったと思うのだが、国民文化祭の開催に合わせて急遽決まったのだろうか。

 福鉄の彩図に載っている運転時刻を見ると、トランジットモール実験の時と同じく、800形が概ね30分ヘッド、通常武生新~福井駅前間運転のの電車が20分ヘッドと、パターンが合っていないのが惜しい。しかも、市役所前~福井駅前間のいわゆるヒゲ線が単線化されたため、通常の電車のダイヤと干渉し、時刻変更を強いられている。そうしてでも運転してPRしたいということらしい。もっともトランジットモール実験の時は、通常の電車は福井駅前に入ること自体を止めてしまっていたから、それに比べればまだいいかもしれない。

 今週は学校に張りつかざるを得ないので、まだ見に行けないのだが、 近いうちに行きたいと思う。低床車輛が本格導入されたときはどういうダイヤになるのか、楽しみだ。

(平成17年10月執筆)

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電車・バス兼用レーン

 標題の件については、以前から構想はあり、わたしも公式彩図の方のエッセイなどで提唱していたことなのだが、ようやく具体化に向けて動きが出てきた。

 福井市のメインストリートであるフェニックス通りを走る路線バスについて、福井鉄道軌道敷上を運行させ、定時運転と運転時分の短縮を図る策が福井市から出された。もちろん、法律的・技術的にも可能な策である。ただ、実行するには、解決するべき問題も多い。

 フェニックス通りは、バスレーンを確保するために、無理矢理片側三車線にしている。バスレーンは当然最も歩道よりの車線を充てているが、幅員に余裕がなく、路上駐停車や交叉点で左折するクルマが、路線バスと干渉してしまうため、バスレーンが機能しにくい。また、電車は電車で右折車と干渉して交叉点通過に時間がかかっている。
 そこで、軌道敷を電車バス兼用の専用レーンとして、車線の幅を広くとり、交叉点での右折レーンも設けて、右折車と電車との干渉も防ごうというのである。公共交通を同じレーンにまとめるのは大変理に適ったなやり方であり、いいことである。渋滞時には緊急自動車の走行スペースとしても使える。
 停留所は、交叉点の出口側に電車バス共用の安全地帯を設け、このスペースを入口側で右折車線とする。このことにより、現在幅が狭くて危険な電停の安全地帯(安全地帯が危険というのもマンガのようだが、それが現実だ)も、現在の倍の幅に拡げることができるのだという。こうすれば、停留所で待っていれば電車でもバスでも来た方に乗ればいいわけで、フリークエンシーが飛躍的に向上する。

 名古屋では、基幹バスと称するシステムが実用化されている。バスレーンを道路中央にもってきて、安全地帯を停留所とするものである。これを聞いた時、大方の鉄道マニアは「今になってこんなことするんだったら、なんで市電廃止したんだよ」とつっこんだことと思うが、まさにバスを路面電車的に運行するわけである。この方式だと、駐車車輌や左折車との干渉は防げるはずが、あまりうまくいっていないようである。ラインやカラーだけで車線が区別されているので、一般車の誤進入や違反乗入れが跡を絶たないのである。それではと名古屋では基幹バスを発展させたガイドウェイバスも開業した。これは渋滞区間でバスの走路を完全に道路と分離して高架に上げてしまったものだが、これはクルマとの干渉はなくなるものの、高架や停留所のインフラが大がかりになるし、高架部分は鉄道扱いになるので、法律的にも何かと面倒だ(ガイドウェイバスの運転士はバス・鉄道両方の運転免許を持たないといけなかったりする)。
 福井の計画は、基幹バスの簡易な発展改良形と言えよう。軌道敷であれば、一般車も流石に乗入れを躊躇するだろう。海外の類似例では、レール間を敢えて舗装せず、大型車だけが走れるようにしているのだそうである。インフラの整備も、現有の施設を活かして使うから、ガイドウェイバスに比べればはるかに安上がりだし、あくまで路上なので、バスは法律的にも従来のバス扱いでいける。

 現在、電車とバスとで停留所の位置や名称が不統一なので、恐らくはバスの方に統一することになる。電停が増設されるのは便利である。電停の間隔が現在よりかなり短くなるが、現在の路面電車タイプの低床車輌だと、加減速性能もいいから、問題ないだろう。旧型の高床車輌は急行運用に限定すればよい。
 バスが走る分軌道敷の傷みも激しくなるだろう。フェニックス通りを運行するバスの大半は京福バス(福鉄バスもごく一部あり)なので、軌道敷の保守費用をどこがどのように分担するか、という問題も出てくる。
 バスが軌道敷から左折する事態も発生するので、バス専用信号機を設けたりして交叉点の信号の流れが複雑にしなければならない。両端の田原町や木田四ツ辻では、一般車の誤進入を防ぎ、しかもバスはスムーズに軌道敷に入れるような工夫を講じないといけない。前例のないことなので、公安との調整に手間取りそうだ。
 大名町交叉点で、出口側に停留所をもっていくとなると、市役所前電停を大改造しないといけない。せっかく地下道と直結している南行ホームを放棄することになり、少々もったいない。
 また、クルマの流れがスムーズになると、却って電車バスの利用が減る、というジレンマもある。

 問題は山積しているものの、福井でバスの遅れと言えば、ほとんどがこの福井都心部で発生している。その意味で、やってみる価値はある。できれば、木田四ツ辻~ベル前の専用軌道も舗装して電車バス専用道路にした方がいいと思うほどである。この区間のバス道もラッシュ時の渋滞が深刻だからである。
 もし成功すれば、他都市のLRT導入計画などの後押しにもなるだろう。福井がその先駆けになることを期待したい。

(平成19年7月執筆)

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終わっていく国鉄のサービス

 時代が移るとともに、鉄道のサービスも変わっていく。長く親しまれてきたものが終わるのは淋しいが、よく考えると、自分自身何年も使っていないな、と気づいたりする。
 国鉄型の車輌がどんどん引退していくことが話題になるが、国鉄時代から引き継がれてきたJRグループ共通のサービスが、これまた次々終了しつつある。 
 そういうのをいくつかとりあげてみよう。
 

 

 最初は、プッシュホン予約である。
 こういうものがあったのを知っている人も少なくなったかもしれない。プッシュホン回線の電話から、所定の番号につなぎ、合成音声の指示に従って、電話の数字キーを押すことで入力していくと、指定席の予約や空席照会ができたのである。

 現在はJRに限らずWebで指定券予約するのが普通になっているが、インターネットが普及していなかった頃は、自宅にいてまがりなりにも列車の予約ができる唯一の方法であった。だから、わたしも平成初期(十年くらいまで)は、これを重宝していた。自宅や職場に、申込用の記入シートを自作して大量にコピーしたのを備えていたほどだ。
 駅の窓口での発売は一カ月前の10時からとなっていたが、回線の混雑を避けるためか、プッシュホン予約は11時からとなっていた。だから寝台特急「北斗星」のような当時の超人気列車をこれで押さえるのは難しかったが、日常の出張などの行き来には十分使えた。
 必要事項を全て入力した後、少し間をおいて、
「予約番号を、お知らせします」
 と合成音声のアナウンスが聞こえれば、予約OKである。
「ご希望の列車は、あいにく、満員です」
 となることも多かった。アナウンスまでの数秒間はサスペンスに満ちていた。

 『時刻表』の特急列車欄には、「予約コード」の数字が印刷されていた。駅名や列車名を、それぞれ四桁・五桁の数字で入力するのである。
 しかし、大判の時刻表を常々持ち歩くわけにもいかないので、わたしは、よく使いそうな駅や列車のコードをワープロ打ちで書き出して、システム手帳に入れておいたりした。
 それでも、たまにそのリストにない駅などを入力したいときも出てくる。どのような法則で番号が割り振られていたのか、よくは分からないのだが、ある程度類推できる場合もあった。
 例えば、高岡は5275、富山が5280なので、その間にある小杉は、多分5277か5278だろうな、と一か八か入力してみると、「小杉、ですね」とアナウンスが返ってきて、当たっていたりした。
 あるいは、列車コードを入力するのにミスタッチすると、とんでもない列車名がアナウンスされたりしたこともあった。ずいぶん前に廃止になった列車とか、ごく短期間運転された臨時列車の名前などである。そういうのは逆に楽しみにもなっていた。
 また、「加越」という特急が以前走っていたのだが、この名のコールがいやにテンションが高かったのも覚えている。

 告げられた予約番号を持って、駅の窓口に行き、発券してもらう。二度手間のようだが、少しでも早く席を確保したいときに便利であった。いくつかの席をプッシュ予約しておいて、まとめて買いに行く、ということもあった。
 しかし、だんだんプッシュホン予約の利用が減っていくと、駅での発券にぎくしゃくすることが多くなった。
「プッシュホンで予約した…」
 と言っても、
「はい、お名前は?」
 と訊かれたりする。プッシュホン予約で名前などは登録しない。駅に直接電話しての予約依頼と混同されるのだ。発券の操作に慣れておらず、時間がかかったり、応援を呼んだりしないといけない係員も増えていった。
 そういうことが煩わしくなってきたので、わたしの利用法も、プッシュホンで空席照会だけを利用し、席があることを確かめてから駅に買いに出かける、というように変わっていった。さらにその空席照会がWeb上で簡単にできるようになってからは、ほとんど使わなくなった。「みどりの券売機」が駅に設置されてからは、好みの席を指定できるようになったし、そっちの方が断然便利になったので、システム手帳の一覧表もいつか外してしまった。

 同様の人が多いのだろう。プッシュホン予約は今年の1月末をもって予約受付を終了した。『時刻表』にも、2月号を最後に予約コードが載らなくなった。
 お世話になったサービスではあるが、実際に使わなくなっているし、より優れたサービスが提供されているわけだから、あんまり惜しいとか淋しいとかは、感じない。
 

 
 

 この他、オレンジカードの発売も、この3月で終了である。売らなくなるだけで、使用は今後もできるようだが、SuicaなどのICカードが普及した現在、いちいち券売機で切符に引換えないといけないオレンジカードの利便性はない。
 オレンジカードが登場した当初は5000円券や10000円券といったのがあり、これらにはプレミアムがついてお得だった(5000円券は5300円分、10000円券は10700円分使えた)し、何より小銭を持ち歩かなくていいのがよかったのだが、偽造対策などのために、高額券は廃止された。これではうまみもない。
 オレンジカードは、もはや記念購入が主になっているのではないだろうか。記念切手などと違って、使用してもカード自体は手許に残るので、死蔵されることで利益が上がることも少なかろうし、売るのにかかる経費の方が大きくなったのだろう。
 国鉄・JRのプリペイドカードの嚆矢としての価値はあるが、やはり役割を終えたと言わざるを得ないのだろう。 
 

 
 

 
 とりあえずこの年度替わりになくなるサービスはこの二つか、と思っていたら、「周遊きっぷ」も廃止されてしまった。次はこれが危ないのではないかとは案じていたが。
 「周遊きっぷ」自体はJR化後に創設されたものだが、国鉄時代からの「周遊券」の流れをくんでいる。これも、うまく使えば便利なのだが、ルールが複雑なのと、後発の割引切符に圧されてきたことで、当初よりかなり縮小していた。
 このニュースを受けてブログやSNSで感想を述べているのを読んでみると、前身の「周遊券」との混同がよくみられる。要するに、「周遊きっぷ」になってからほとんど利用していないという人が少なくないのである。それも無理はなく、「周遊券」時代には「ワイド周遊券」「ミニ周遊券」「ニューワイド周遊券」「一般周遊券」と用途に応じていろんな種類があったのが集約され、それぞれの悪いところをより集めたような(JRはいいとこを集めたつもりなのだろうが)きっぷだったので、申込みも煩雑だし、窓口の係員にも、すんなり発券できる人が少なかった。これでは、買うのが億劫になってしまう。
 わたしが買うときも、係員の負担にならぬよう、懇切丁寧にルートを記した紙を持参していたものである。
 そのわたしでさえ、近年は利用することが少なくなっていた。ゾーンの種類が減ってきて使える地方が少なくなったこともあるが、何よりわたしの旅行形態が変わってきた。乗りつぶしを典型とした、地域内をあちこち移動するということをあまりやらなくなり、一つの街にじっくり滞在して観光やホテルライフを楽しむ、というふうになったのである。それなら、周遊きっぷよりも、往復割引きっぷの類の方が便利である。

 
 

 国鉄の名残を残すようなものが次々と消えていくのは、心情的に淋しいというだけでなく、民営化はともかく分割してしまったことの悪い面が現れているようにも思われる。
 全国統一の分かりやすいブランド商品を失っていくことは、国の基幹交通の座を放棄することでもある。そのうち、「みどりの窓口」とか「グリーン車」といったものも、会社ごとに名称や運用が変わるのかもしれない。  

(平成25年4月執筆)

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福鉄新低床電車 試運転から初日

 福井鉄道に、約半世紀ぶりにオリジナルの新車が登場し、3月31日から営業運転を開始した。これが現代的な超低床車なのである。

 従来の福鉄の車輌とは全く違う暖色系、それもオレンジの柔らかい色である。この塗色は、県民の投票によって選ばれたものだ。
 そういう色でもあり、スタイルも独特なので、試運転時から人目を引いていた。

 わたしが初めて間近にこの車輌を見たのは、福井駅前電停付近での試運転中の姿だった。
 駅前ヒゲ線には、昼間ひっきりなしに電車が出入りする。その間を縫っての入線なので、出て行こうとする610形をポイントの手前で待機してから、単線部分に入ってきた。

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 610形のような大型高床車輌が狭い駅前電車通りに入ってくるのも、福鉄独特の光景で面白いのだが、やはり路面軌道には低床車が似合っている。
 

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 車内には技術関係のスタッフらしい人の姿が大勢見えたが、わたしも早く乗ってみたくなった。

 営業開始当日、わたしは地元にはいたものの、所用があって一番電車には乗れなかった。別に一番電車でなくてもいいようなものなのだが、西鯖江駅のすぐ近所での所用だったため、なかなか歯痒かったのである。

 所用を終えてから、神明駅に出向いて、一番列車が折返して帰って来た上り電車を出迎えた。
 

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 見ると乗ってみたくなる。乗り込んで、越前武生まで行ってみた。
 車内は試乗の家族連れやマニアが多く、席は八分どおり埋まっている。福鉄の社員も多数乗り込んで、警戒にあたっている。わたしは広いドアの脇に立って、外を眺めた。

 越前武生に着くと、隣には800形、これは中央扉付近のみフラットになっている、いわば半超低床車なのだが、後進の人気にうかうかしておれない存在である。そして右奥の方にはさらに古い高床車で、まさに半世紀前のオリジナル車輌であった200形が留置されていた。
 

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 200形も決して古くさいスタイルではないのだが、やはり新型車輌と比べると見劣りしてしまう。

 やはり県民に公募して決まった愛称がFUKURAM(フクラム)という。
 正面や側面には新たなロゴマークが刻まれている。この綴りには物議もあるのだが、ともかくも新型車輌、正式にはF1000形というこの車輌のPRに役立てられている。
 

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(平成25年3月観察・乗車/4月執筆)

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臨時快速「清盛マリンビュー2号」と広電の近影

 早春にまた広島に出かけた。二回も乗った呉(くれ)線の臨時快速にまた乗る。車輌は同じなのだが、列車名がちょっと違うからである。
 普段「瀬戸内(せとうち)マリンビュー」の名で運転されている列車が、今年は「清盛(きよもり)マリンビュー」として運転される。もちろん、大河ドラマ『平清盛』に因んだ措置である。平家は都から壇(だん)の浦(うら)まで落ちのびて行ったため、縁の地が瀬戸内海沿いにかなり分散して存在し、多くの地に利をもたらしている。

 今日はダイヤ上は下りだが偶数号数のついた2号に、三原(みはら)から乗ってみる。
 三原駅のコンコースにも、『平清盛』の幟が立っている。

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 三原駅ホームの発車案内は、残念ながら列車名はなく、単に「臨時快速」となっている。ホームには列車名入りの乗車位置がペイントされているが、「瀬戸内マリンビュー」の乗車位置はそのままで、その脇に色鮮やかに新たにペイントされた。来年は「瀬戸内マリンビュー」に戻すのだろうが、ちょっと興ざめだ。

 車輌は同じだが、ダイヤは変わっていて、時間帯が繰り上がっており、行先が清盛ゆかりの宮島口(みやじまぐち)に延長されている。また、以前は広(ひろ)まで各駅に停車して定期列車の肩代わりもしていたのだが、今回は通過運転で、名実共に「快速」となる。

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 列車は発車の数分前に入線する。宮島口からの1号がそのまま折返すのである。
 列車の前面には、ヘッドマークとしゃもじ? が飾られて、いつもとちょっと違う化粧である(写真下の左は三原側、右は宮島口側の前面)。 

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 車内の様子は「瀬戸内マリンビュー」のときと変わらない。残念ながら、車内販売の類はないが、大きな窓から望む瀬戸内海が気持ちいい。

 広島では暫く停車するので、ホームに降りてみた。ここのホームの行先案内は、ちゃんと列車名を表示している。

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 広島から宮島口まではノンストップだが、途中西広島で運転停車して、コンテナ貨物を待避する。
 宮島口終点では、改札口に面した下りホームに着き、乗降が楽である。車輌は広島の車庫に回送で引き上げるのだと思うが、このホームから広島方面に発車できるとは思えないので、一旦この先の駅まで行ってから折返すのかもしれない。

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 さて、わたしは同じ道を引き返すのは面白くないので、広電(ひろでん)宮島口から広島電鉄で広島市内へ帰ることにする。低床連接車「グリーンムーバ」が快適に送り届けてくれた(写真下)

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 その広電の電車も、またじっくり見てみたいと思い、翌日の朝、広島駅前の電車乗場に出向いた。古い車輌まで動員される朝の時間帯が、観察には好都合である。
 ちょうど、向かって左側の折返し用引上線に、連接車の2号線広電宮島口行が入っている。右側の線は、5号線比治山(ひじやま)廻り広島港(こう)行の乗場を兼ねていて、低床連接車が入っている。5号線は通常は単車だが、通勤通学客が詰めかける朝夕は、連接車が入る(写真下)。 

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 次々電車が着いては出て行く。うまく三線に振り分けるもの、と感心する。引上線に入って降車扱いするのが基本だが、満線のときは手前で客を降ろしたりする。5号線は当然必ず右の線に入れなければならないが、この線が空いているときは、他の系統も右の線で降車だけ扱ったりする。他の系統の乗場はわたしの後方にあるのである(写真下は、三線に電車が入っている様子。中央の単車は元西鉄北九州線の600形による6号線江波(えば)行、右の連接車は元西鉄福岡市内線の3000形)

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 朝ラッシュの終わり頃なので、入庫する車もある関係で、イレギュラーな行先の電車も見られる(写真下の左は2号線の広電西広島止り、右は5号線の比治山廻り宇品(うじな)二丁目止り)

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 そうやって眺めていると、連接車が連続してやってきた。驚いたことに、単車分の長さしかない真中の引上線に、強引に連接車を入れたではないか。お尻がポイントを塞いでいるので、この間は右側の5号線の出入りはできない(写真下)。当然すぐに折返し発車したが、かなりフレキシブルな運用をしている。こういう判断は咄嗟にしているのだろうか。というより、こんなこともできる信号システムなのだな、と思う。

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 電車は二~三分ごとに客を乗せて出て行く。公共交通の活気を十分に感じることができた。

(平成24年3月乗車)

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