一部不通の日高線と周辺のバス

 北海道の日高線方面に出かける用事があった。
 JR日高線は、昨年(平成27年)に相次いで発生した土砂崩れにより、鵡川(むかわ)~様似(さまに)間が不通、バス代行となっている。列車が運行されているのは、苫小牧(とまこまい)~様似間全線146.5㎞のうち、苫小牧~鵡川間30.5㎞に過ぎない。
 バス代行が一年半以上も続いているので、列車が走らないことが常態化しつつあると思われ、この代行バスの乗場も、各駅前に寄るのが基本であったのが、トータルの到達時間を短縮するため幹線道路上に移行する傾向にあり、また便数やダイヤも利用実態に合わせて手直しがくり返されている。
 これは、かつて正面衝突事故によって運行停止命令が出てバス代行となった、旧京福(けいふく)電鉄福井支社の各線と状況がよく似ている。地域を挙げて、ローカル鉄道のバス移行の是非を社会実験しているようなものであることも。
 そのあたり、興味を惹かれるので、様子を見てくることにした。行くのは休日なので、普段の状態までは見られないが。

 実は、日高線のほぼ全線に並行して、道南(どうなん)バスによる路線バスも走っている。この点は京福とは異なるが、その存在も気になるところである。併せてその路線バスにも乗ってみたい。

 まず、苫小牧駅前発9時07分の静内(しずない)行道南バスに乗る。高速バスや貸切バスにも使えるような、リクライニングシートの一扉車が来た。北海道の中長距離路線ではよくある。最前列の席は荷物置き場となっている。長距離利用が多いのだろう。
 苫小牧駅前で乗ったのは、わたしを含めて三人、その後市街の停留所で乗った客もあって、十人ほどになった。が、職訓センター通りという停留所で大量に下車があり、結局残ったのは駅前で乗った三人だけである。そんなに職業訓練に行く人が多いのか、と思ったが、実はこの停留所はイオンの前に位置するのである。その割に地味な名前だが。
 三十分近く走って、まだ「沼(ぬま)ノ端(はた)」という地名を冠した停留所が続いている。沼ノ端は、JR室蘭線だと苫小牧の次の駅である。駅間距離の長い北海道とはいえ、これは意外である。
 JR日高線は沼ノ端の手前で南に分岐してしまうため、郊外の住宅・商業地である沼ノ端地区には駅がない。とはいえ、地区の南側を掠めてはいるのだから、駅を設ければ利用がありそうである。内地なら、こんな立地にはすぐ、新駅を、という声が上がりそうだ。

 路線バスは、「浦河(うらかわ)国道」と通称される国道235号を基本的に走り、時々脇道に逸れて集落に立ち寄ったりする。鵡川駅前に着いたのは、10時04分であった。
 苫小牧~鵡川間の所要時間は、JR列車のちょうど倍くらいになるが、その分苫小牧市内できめ細かい停留所があるので、利便性は一長一短であろう。本数は、路線バスが一日四往復、鉄道が八・五往復となっている。

 このまま静内まで乗ってもいいのだが、鵡川で一旦降りた。朝が早かったこともあり、何か食べようと思ったのである。鵡川はシシャモで知られる街である。が、市内の店では、旬を外れているということで、生シシャモの寿司などは食べられなかった。スーパーで適当なものを買って駅に戻り、「むかわ交通ステーション」の看板がかかった駅の待合室で食べる。
 その後、膝の上でノートパソコンなど触っていると、客のおばさんに「駅の方ですか?」と声をかけられた。鵡川は現在のところ終点、かつては急行も停まった駅だが、無人駅になってしまった。

 ここからも、路線バスで進む。静内行は夕方までないが、途中の富川(とみかわ)を通る平取(びらとり)行のバスが12時25分に鵡川駅前を出る。まずそれに乗る。

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(写真は、鵡川駅前に着く平取行道南バス。後方には待機中の酒井運輸のJR代行バスが見える)

 平取は、富川から沙流川(さるがわ)沿いに内陸に入った所にある町だが、昔から町の中心に鉄道が通ったことはなく、道南バスが主要な足だが、本数は少ない。主にクルマの生活なのだろう。
 これに乗って、富川中学校前で降りる。こんな所で降りたのは、スマホのナビアプリに従ったからで、平取から来る静内行に三十分ほどの待ち時間で乗継げるのである。クルマがあまり通らない国道沿いに、途切れ途切れに並ぶ店、電話局の残骸などがあるだけの所だ。再び訪れることはありそうにない。

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(写真は、富川中学校前停留所付近の風景)

 あまりに何もないので、富川の町の中心の方へ歩いて戻る。次の停留所、富川北には、待合小屋があったので、ここで待つことにする。地元の自治会あたりが整備した待合小屋かと思ったが、この後も道南バスの各地停留所で同じ規格の待合小屋を見たから、雪国ならではの設備としてバス会社が用意したものらしい。
 この近辺にもシシャモ料理の看板を出した店が多い。
 13時20分発の静内行が来た。苫小牧からのバスに比べればちょっと見劣りするが、それなりに大きなバスだ。

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(写真は、富川北停留所の待合小屋と、そこに着く平取からの静内行バス)

 乗っていたのは二人、この富川北でわたしともう一人が乗った。門別(もんべつ)の町内で二人降り、二人になって、後は静内まで誰も乗ってこない。
 今日の用務先は新冠(にいかつぷ)だが、宿は静内にとったので、終点まで乗る。静内の中心街、というか、賑わっている地区は、国道沿いの末広町(すえひろちよう)付近で、イオンを初めとする大規模なロードサイドショップが建ち並んで、優駿の町のイメージとは全く異なる、内地でもよくある地方都市郊外の光景である。唯一の相客であった女性客も、末広町で降りてしまい、終点の静内駅前まで行ったのはわたし一人だった。

 駅舎の正面に、路線バスとJR代行バスの停留所ポールが仲よく並んでいる。
 暫く見ていると、ここからさらに東に向かう、様似行代行バスが発車して行った。静内以東の代行バスは、JR北海道バスが担当している。様似に営業所があり、浦河・えりも方面に路線があるからだろう。

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(静内駅前の停留所と、JR北海道バスの様似行代行バス)

 静内は、わたしが様似を起点とする最長片道切符の旅をした時、最初に途中下車した駅で、駅前で唯一空いていた何でも屋さんで、ひじきご飯を主食とする弁当を買って夕食にしたのを覚えているが、それらしい店は見あたらない。

 静内駅近くのホテルにチェックインして、改めて新冠に向かう。新冠は、日高線でいうと、苫小牧方面に一駅戻った街である。
 16時05分に鵡川行の代行バスが発車する。酒井(さかい)運輸という、静内にある会社のバスである。この酒井運輸は、馬を運ぶ背の高いバス、馬匹車(ばひつしや)も所有していて、滞在中何度か走っているのを見かけた。あの車自体が巨大な馬のようにも見え、ユーモラスだ。
 その直後、16時11分に道南バスの苫小牧駅前行が出る。わたしが朝苫小牧から乗ったあの車である。

 代行バスと路線バスが数分の間隔で雁行するのは面白い。どちらも日に数えるほどの便しかないのだが、客の流れに合わせてダイヤを組むと、こうなるのだろう。
 これなら、どちらか一方に統合してもいい気もしてくる。バスになると運賃が高くなるのでは、という懸念があるが、新冠まではどちらに乗っても210円で同じである。富川までも鵡川までも、ほぼ同じ額になっている。道南バスがJRを意識した運賃設定をしているのだろうが、ますます統合する方が効率的では、と思えてくる。
 もっとも、高校生の通学定期は、おそらく割引率が異なってくるだろうが。

 わたしはどっちに乗っても新冠に行けるからいいのだが、用務先へは道南バスの停留所が僅かに近いので、道南パスに乗る。代行バスは乗客ゼロで発車し、道南バスはわたし一人だけが客となった。末広町で五人ほど乗る。
 道南バスは途中、国道から山の方に折れて、中腹にあるリゾート施設である「レ・コードの湯」に立ち寄るので、新冠までは代行バスよりも時間がかかる。
 それぞれの性格と事情で路線やダイヤが設定されているから、やはり統合は難しいだろうか。

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(写真左は酒井運輸のJR代行鵡川行バス。右は道南バスの苫小牧駅前行で、わたしが苫小牧から鵡川まで乗ったバスの折返し)

 新冠の用務先は、レ・コード館である。新冠町は、アナログレコードの収集・保存に町の事業として力を入れており、その展示館がレ・コード館なのである。道の駅も併設されていて、新冠観光の拠点となっている。

 用を済ませた後、新冠駅に行ってみた。
 地方のローカル駅に多い瀟洒な駅舎である。「新冠」と駅名が掲げられているのはホーム側で、駅前広場に面する方には「出会いと憩いのセンター」と記されている。こういう名目をつけて地元自治体などが無人化された駅舎を維持するのは、鵡川とも共通する事情であろうか。

 それにしても、列車の来ない線路やホームというのは、廃線跡とも異なる侘びしさが漂う。

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(写真は、JR新冠駅の駅舎とホーム)

 この日の新冠は、「にいかっぷふるさとまつり」という夏祭りが開催中である。駅前広場と、隣接する農協駐車場には、露店が多数出ていて、賑わっている。
 普段なら駅前広場に代行バスが発着するのだが、祭りの間はバスが入れないので、踏切を隔てた路上に臨時乗場が設けられている。特別ポールが立てられているなどではなく、道南バスの新冠本町停留所に一枚時刻表が貼られているだけで、見過ごしてしまいそうになる。

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(写真は、新冠駅舎に貼られた代行バス乗場案内と、代行バス臨時乗場となった道南バス新冠本町停留所)

 わたしは、夏祭りが終わる頃まで新冠に滞在し、新冠21時23分発の静内行最終代行バスで静内に戻ることにしていた。
 ところが、遺憾ながら上の写真にある時刻表が、二十一時過ぎにバス停に行った時には、既に剥がされていた。確かに祭りの後片付けが始まり、交通規制も解除されようとしているところだが、祭り帰りの人が数人バス停に集まってきている。そしてわたしたちは、「ここでいいんですよね?」と不安げに言葉を交わした。わたしはスマホに収めた上の写真を見せて、「いいはずですけどね」と話したりした。
 誰が剥がしたのかは知らないが、終バスがまだ出ていない、しかも最もその時刻表が必要となるタイミングを前に、なぜ剥がすのかと思う。それだけ代行バス、ひいてはJR日高線の存在感がないということなのだろうか。

 幸い、二十一時十八分頃に、酒井運輸のバスがやって来て、この臨時停留所に停まった。乗場が分からなかったのか、発車間際に駆け込んできた若い女性もいる。既に乗ってきた客も含め、七名の乗車で発車する。
 代行バスは、最も便利そうな末広町にはもちろん停まらず、静内駅に直行した。バスに料金箱はなく、新冠からのJR運賃210円は、静内駅構内にある箱に入れるよう、運転手さんに言われる。

 翌日、静内からの帰りも、代行バスを利用した。
 静内駅で帰りのJR切符を買った。駅に列車は発着しないのに、窓口が営業していてこういう切符が買えるのは、不思議な感じがする。
 列車が来ないホームに出る改札口も開いている、というか閉める扉がない。入場券も発売していて、ホームに踏み出してしまうと入場料金が必要になるから、内側からホームを眺める。やはり手持ち無沙汰なホームはどこか存在感が霞んで見える。

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(写真左は、この時使った切符。右は改札口から見たホーム) 

 静内駅構内には道南バスの案内所を兼ねた売店があり、九時からの営業である。開店を待って昼食にするパンとお土産を急いで買い、駅前のバス停に向かう。
 静内発9時07分発の鵡川行は、樽前(たるまえ)観光のハイデッカー車である。ずいぶんいい車輌を充ててくれている。ドアの前に立っていた運転手さんが、わたしの大きなキャリーバッグを見て、
「苫小牧まで行きますか」
 と嬉しそうに言った。が、トランクにバッグを収納しようとは言わなかった。その必要がないことが分かっていたのだろう。わたしは最前列の席に座り、隣席にバッグを寝かせた。

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(写真は、静内で発車待ちの樽前観光のJR代行バス鵡川行)

 鵡川行は、わたし一人を乗せて発車した。
 路線バスと同様、主に国道を行くが、もちろんJR駅に対応する箇所にしか停まらない。駅前に入るのが基本だが、道路事情などで入れない駅は、道路上に停留所がある。当然、踏切を何度も渡るのだが、列車が来ないと分かっていても、バスはきちんと一時停止する。バスだけでなく、どのクルマもそうしている。
 問題の土砂崩れが発生したのは、主に厚賀(あつが)~大狩部(おおかりべ)間だが、ここは急峻な地形ゆえか、国道は築堤上に新道が設けられ、線路と離れる。代行バスは旧道に入り、大狩部の停留所は、新道の下をくぐるトンネル歩道の入口に設けられていた。トンネルの向こうに駅があるのだろう。
 厚賀のように、停留所によっては、仮設の待合小屋が設置されていたりする。
 厚賀を出て暫く行ったところで、静内行代行バスと擦れ違う。向こうには十人程度の客が乗っているのが見える。

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(写真左はトンネル入口に設けられた大狩部停留所。右は簡易待合室のある厚賀停留所) 

 富川の街にさしかかると、交叉点を隔てて前方のバス停に、大きなキャリーバッグを携えた人が数人待っているので、やっとこのバスに他の客が乗るのか、と思ったが、バスは交叉点をあっさり左折してしまった。富川の駅は、国道の通る中心街からは少し離れた旧市街に位置するので、脇に逸れるのである。
 さっきの客は、札幌行の高速バス「ペガサス」を待つ客だったようだ。昨日の夕方といい、どうも路線バスと代行バスは同じような時間帯にならざるを得ない。
 富川では高校生の女の子が一人乗った。運転手さんとは顔見知りのようで、ずっと二人で雑談している。

 富川から鵡川までは、二駅で三十分もかかるダイヤので、なぜなのかと思っていたが、途中にある汐見(しおみ)駅が、国道から大きく離れた海岸部に位置しており、富川や鵡川から直接通じる広い道がないため、国道を折れ、原野の中の地方道を延々往復して立ち寄るのである。
 汐見駅のそばには、数十戸の家が肩を寄せ合っている。バスも通じていない集落にとっては、駅が生命線であった時代もあったろうが、このバスに乗降はない。
 舗装もされていない狭い道で切返しをくり返して、元来た道を戻る。ここまで直行ルートを外れている場合、その駅のための代行手段を別途設けたりすることもあるのだが、そこまでの需要もないのか、そうなっていない。おかげで、のどかな寄り道を愉しむことができた。

 定刻よりやや早く、鵡川に到着した。
 ここからはやっと列車に乗れることとなる。ポイントの関係で、駅舎から離れた方の下りホームに折返し列車が発着するので、踏切を渡らないといけない。上下線のホームがずれた位置にあるため、けっこうな距離を歩く。これだけ長期の折返しなら、駅舎側に列車を着けるようにできないものだろうか。
 代行バスから乗り継いだのは二人だけだが、鵡川から乗る客が多く、一輌の苫小牧行ディーゼルカーは全てのボックスが埋まった。

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(写真は、鵡川駅に停車する折返し苫小牧行)

 その状態のまま進んだが、苫小牧の一つ手前となる勇払(ゆうふつ)では多数の客が乗り込んできて立つ人もでた。周囲には工場や住宅が多い。沼ノ端の住宅街も空しく望んで通り、すぐに室蘭線に合流するが、それからも長らく直線の線路を走る。
 気持ちよくはあるが、先のイオンのすぐ裏手も通る。ここから苫小牧まで三キロ以上もあるのだから、室蘭線ともども駅を設ければ便利になるだろう。イオンだけでなく、公共施設や学校もこの付近に多いのである。
 しかし、やっぱりクルマ社会なのであろう。そんな話はないようである。 

(平成28年7月乗車)

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下り「トワイライトエクスプレス」夏も大遅延

INDEX
1.はじめに
2.順調な大阪出発
3.雨の湖西ランチタイム
4.至福の越後パブタイム
5.まだ東北の朝食
6.北海道へ


1.はじめに

 寝台券が取りやすいということもあって、「トワイライトエクスプレス」は上り(大阪行)に乗ることが続いていた。この夏は下り(札幌行)に乗ることを志し、なんとかB個室を確保した。
 ブログの記事にしているように、「トワイライトエクスプレス」にせよ「北斗星」にせよ、わたしが寝台列車に乗ると遅れることが多い。今回もその例に洩れなかったが、こういう乗ること自体が目的の列車は、多少遅れても、却って乗りがいがあっていいものである。

 上りの時と同様、遅延した場合の記録というのも意味があると思うので、今回の乗車も記事にしておくことにする。


2.順調な大阪出発

 下り「トワイライトエクスプレス」の大阪発は、11時50分である。午前中から走りはじめる夜行列車というのも、近年はこの列車くらいしかない。
 さらに、昼間はホームに余裕のある大阪駅のこと、かなり早くから入線するのも、いかにも長距離列車という感じの演出で、これを味わうためにも下りに乗る方がいいし、乗るなら始発の大阪から、と思う。

 食堂車や車内販売もあるとはいえ、定刻でも車内で二十時間以上過ごすのだし、大幅に遅れたり立ち往生した場合なども想定すると、非常用食料も含めて、いろいろな物を買い出しておくのがいいだろう。各地が断続的に大雨にみまわれてもいるし、長距離になるほど支障に出くわす率も高くなる。
 わたしは、十時過ぎには大阪駅近辺に着き、百貨店などを回って買い物をした。そして、十一時頃には10番ホームに上がった。
 昼間の9・10番ホームは、JR宝塚(たからづか)線の快速が終着するぐらいで、他に目ぼしい列車の発着はない。だから、ひっそりとして清掃係員などが行き来しているが、カメラや大きなバッグを持った人が数人いる。「トワイライトエクスプレス」の撮影や乗車を待つ人だろう。
 一般に、用心深く乗り物が出る時刻のかなり前に乗り場に来る人が、年配の女性を中心にけっこう多くいるものだが、さすがに一時間近くも早く来る人は少ない。入線時刻を把握している乗り鉄や撮り鉄ばかりである。

 発車案内に列車の名が出て、アナウンスが入った。いよいよ列車が入ってくる。11時11分頃である。多くの視線とカメラが機関車の方に向くが、観光シーズンのピークを過ぎた平日なので、人の密度は粗く、楽に撮ることができる。
 機関車は客車と塗装を合わせてはあるが、武骨な箱型で、他の貨物列車などを牽く機関車と同じスタイルである。このあたりは、上野発の列車とは異なる。客車も、改造・改装はされているが、国鉄時代のものを使っている。

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 それでも、列車固有のエンブレムや、最後尾の展望スィートなどを見ると、特別な列車という感じはする。

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 早速、予約してあった個室に入る。前回の上りの時のように、A個室(ロイヤル)だとよかったのだが、発売開始と同時に照会してもらうよう手配したにもかかわらず、それは取れなかった。それでB個室(シングルツイン)で旅することになった。進行方向左側の部屋である。
 写真では分かりにくいだろうが、部屋はけっこう狭い。写真下左が昼間(座席)の状態で、テーブルを挟んで一人分のソファが向かい合う。夜になれば、テーブルを側壁に折り畳んで、ソファの座面と背凭れをレバー操作で平面にし、そこにシーツを敷いてベッドにするのである。
 上段のベッドは作り付けになっていて、二人で部屋を使うときだけベッドとなる。わたしは一人なので、荷物置きにする。

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 とにかく荷物を部屋に入れて配置を考える。キャリーバッグを寝かせるスペースはないので、立てておいて、その上でスマホを充電しながらテザリングをONにしておく。ノートパソコンはテーブルの上に広げる。コンセントは扉側の壁面に付いているが、スマホとパソコンを同時に使うため、持参したトリプルタップを差し込む。

 ちょっと前だと、走っている列車の中でインターネットに接続するなど、機械音痴には煩わしさに過ぎる設定や機材を伴わないとできなかったし、そこまでしなくても、という思いから、はなからする気にもならなかった。しかし、今は本当に手軽になった。
 電話もネットもできないのを逆手にとって、この列車の個室内で集中して論文原稿を書きあげる、なんて離れ業もやったことがあるが、この節そういうこともできなくなった。わたし自身の気のもちよう如何でできるはずなのだが、意志も弱くなった。
 トンネルなどもあるし、この後も接続は不安定で、何度も繫ぎなおしはしたが、概ね快適にネットができたのである。そして、繫ぎなおすときに「ワイヤレスネットワーク」を表示してみると、スマホのテザリングらしい接続先が常にいくつも表示されたから、周囲の個室でも同様の人が多かったらしい。

 そんなセッティングをしていると、早くも車掌さんが検札に来て、個室カードキーをくれた。これは助かる。発車前に車内やホームをうろつきたいのだが、その際に個室を施錠できるのは安心だ。
 おかげでゆっくり列車全体を見てまわり、ついでに食堂車「ダイナープレヤデス」でシャワーカードを買っておく。札幌終着が9時52分なので、朝風呂は八時からの枠までで終わりだ。その最終枠を予約した。「北斗星」の時にはシャワーの時間と朝食の時間がかち合ってえらいめに遭ったが、この列車の朝食はシフト制だから、あのようなことはないはずだ。が、何にしても余裕をみておく方がよかろう。

 そんなことをいろいろやっていると、すぐに発車時刻が近づいてくる。わたしは個室に戻り、腰を下ろした。
 と、いつの間にか向かいの11番線ホームが、歩くような速さで後ろへ流れはじめているではないか。シャッターを切り終えた人たちがホームからわたしたちに手を振って見送ってくれている。いつ動きだしたのかも分からぬ、機関士さんの見事な引き出し技であった。
 客車を牽く機関車の運用は近年とみに減っているので、機関車運転の技術が継承されなくなるのでは、と危惧するが、今のところ名人芸が健在のようで、嬉しくなる。こういう発車は、電車やディーゼルカーでは味わえないものだ。


2.雨の湖西・北陸ランチタイム

 新大阪にも停車した後、東海道線を京都へ向かう。ところが、千里丘(せんりおか)あたりから速度が落ちはじめ、時速60キロくらいで安定する。が、先を急がぬ身に、これはなかなか心地よい速度であった。揺れも少なくていい。先行列車が遅れているので暫く徐行する旨、放送がある。
 高槻(たかつき)の手前で一旦停まり、すぐ動きだす。どうも京都付近の大雨の影響らしく、前途が心配になる。このあたりで前夜札幌を出発した上り「トワイライトエクスプレス」と離合したはずだが、遅れが出ているためかその案内放送もなく、左側の個室だから気づかないまま京都に近づいた。
 京都でも、ホームが空くのを待って数分停まった後に停車した。

 京都を出ると湖西(こせい)線に進む。この線は琵琶湖岸をゆく全線高架の路線だから、踏切がないのはいいが、比叡(ひえい)颪に曝されてしばしば運転抑止となる。荒れ模様の今日も危ない。
 ところで、わたしは自分の個室を出て、サロンカー「サロン・デュ・ノール」に席を移し、雨に煙る比叡連山を眺めている。まもなく十三時から「ダイナープレヤデス」のランチタイムが始まるからである。同じような人が多数待機している。
 所定の扱いにおいて、昔ながらの食堂車で昼食がとれる列車は、この下り「トワイライトエクスプレス」だけになってしまった。「北斗星」では昼食臨時営業にありつけたけれど、あくまであれは遅延時の特別対応である。だから、是が非でもランチタイムを体験しておきたい。
 開店直後は込み合うだろうから十五時頃にでも行けばいい、と思って、乗車前のホームで虫抑えの菓子パンを一個、腹に入れてある。のだが、実際十三時が近づき隣の食堂車から料理の香りが漏れ来るにつれ、逸る気持ちが体に働きかけ、空腹を強烈に覚えてきた。
 結局、開店後ほどなく「ダイナープレヤデス」の扉を開けた。比叡山側に二人掛け、びわ湖側に四人掛けのテーブルが並ぶが、二人掛けのテーブルはもう埋まっていて、わたしは四人掛けの方に案内され、込み合いましたら相席をお願いするかもしれません、と断りが入った。

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 メニューを眺めて、オムライスを注文した。あまり他の列車ではお目にかからない料理だし、いかにも昼食らしいのがいい。スープ・サラダを付け、飲み物の勧めに応じてコーヒーも追加した。
 料理を待つうち、近江舞子(おうみまいこ)で停まる。時刻表上は通過だが、ここで後続の特急「サンダーバード」を待避するために停車するのであり、ドアは開かない。
 後から入ってきたやはり男性の一人客が、わたしのテーブルの斜め向かいの席に案内されてきた。テーブルはけっこう広いので、相席といってもまともに顔を見合わせるわけではない。それにしても、その客からわたしに何らかの挨拶はあるだろうと思って、軽く視線をそちらに運んで待った。が、遺憾ながら件の男性は、無言のままわたしと目を合わせようとしないで席に着いた。

 わたしは、食堂車は言うに及ばず、列車の座席で先客がいるボックスに坐るときには、必ず挨拶をする。特に二人並んで坐る転換クロスシートの通路側に坐る場合など、赤の他人と通常では考えられないほど体を接近させるのだし、「失礼します」の一言は当然の礼儀だと思うからである。相手が音楽を聴いていたり眠っていたりする場合は、軽く会釈で済ませるが。
 こういう場合に、挨拶が返ってくるかどうか、あるいは、逆の立場で挨拶があるかどうか、これは地方によってその度合が異なる。
 この種の「ふれあい」は、都会ほど稀薄であるとか、でも関西人は人懐こいから自然にやるだろうとか、そういう印象を持たれるかもしれない。しかし、わたしの長年の乗り鉄経験からすると、違う。最も挨拶を交わす割合が大きいのは北海道(札幌付近を除く)、二番めが四国なのだが、それに次いで多いのは意外にも首都圏である。人の密度が高いと潤滑油も多く必要になるのだろうか。そしてこれも意外だが、関西はワーストから二番めの地方となる。思いのほか他人への冷たさを感じるのが関西なのだ。最悪の地方がどこであるかは、武士の情けをもって伏せることとする。
 ともあれ、そうした挨拶はした方がしないよりはお互いずっと気持ちいいと思うのだが、そう考えない人も多いようだ。この男性も関西人かもしれない。しかし、仮にもこういうクルーズトレインなどと称される列車に乗って、食堂車の相席で先客に何の挨拶もしない、というのは、少なくともわたしには理解できない行動様式である。

 軽い不快の念を抑えつつ待っていると、 放送が入った。さっきからいやに長く停まっているな、と思っていたのだが、ここでこの列車を追い抜くはずの「サンダーバード」に抑止がかかって遅れているという。そういえば、雨足がかなり強まって横なぐりになっている。
 そこへオムライスが来た。前回の上り乗車のときもそうだったが、食堂車は列車が走っているときに食べてこそ値打ちがある、と思っているのに、わたしが食堂車で食事しようとすると、列車が停まってしまう傾向がある。

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 オムライスは、大変上手に成形されており、さすがプロだと思うが、薄焼き玉子に全く焼きムラや焦げがないのは、何か食品サンプルのごとく無機的にも見える。もちろん、いただけば大変旨い。
 相席の男性は、ハンバーグステーキを単品で注文したので、料理はわたしより後に来たが、先に食べ終えて席を立った。
 少しほっとして食後のコーヒーを待っていると、新たな相客が案内されてきた。南アジア方面と見うける外国の女性である。どうも、夫婦で食事をしたいが並んで坐れるかどうか、を確かめに来たようだ。ウェイトレスさんにわたしの向かいの並びを勧められ、
「コンニチハ、イイデスカ?」
 と、わたしに笑顔で問いかける。わたしも、どうぞ、と快く頷く。女性は旦那さんを呼びに行った。その間にわたしはコーヒーを飲み終えてしまったが、彼女が帰ってくる前にわたしがいなくなっていたら、逃げて行ったようで気が悪いだろう、と思って待っておく。
 ほどなく、二人連れでやってくる。
「ゴメンナサイ」
「ドウモ」
 とわたしに笑いかけて席に着いた二人に、
「どうぞごゆっくり」
 と声をかけ、わたしは伝票を手にした。何とか本来のコミュニケーションにめぐり会えて満足した。いつか列車も動きだしていた。

 「サロン・デュ・ノール」は、すっかり空いていた。山側(進行右側)にゆったりしたソファ、日本海側の窓際には低い位置にベンチが並ぶ。
 

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 ここで暫し休憩してから、個室に戻る。列車は約十六分の遅れ、と放送が入る。
 この後も風雨の影響で一時停車したり、速度制限がかかったりして、遅延は増大していった。敦賀(つるが)には一時間近い遅れで十四時四十五分頃に着き、やはりすぐ発車となった。
 所定なら、鯖江(さばえ)でも停車して「サンダーバード」を待避するはずだが、ダイヤが乱れているからか、鯖江は通過となった。こういう場合、一応待避線に入って一旦停車する場合が多いのだが、この時は通常の通過列車と同様に、下り本線である1番線をあっさり通過した。福井には五十五分遅れて十五時三十五分頃着。
 金沢手前の手取川(てどりがわ)鉄橋において、風のため断続的な運転見合せが続いており、列車がつかえているため、小松(こまつ)でも長く停まる。金沢も慌ただしく発車し、高岡(たかおか)には一時間四十三分遅れの十七時五十七分に着いた。
 富山の神通川(じんづうがわ)もやはり、なかなか渡れない。高岡の次の越中大門(えっちゅうだいもん)でまた臨時停車、風が弱まる間合いを狙って川を渡る列車の順番待ちである。そろそろと動きだすが、小杉(こすぎ)~呉羽(くれは)間は強風による速度制限がかかっているため、徐行する。富山を発車したのは十八時四十一分、ここで二時間十分遅れとなった。
 北陸を抜けないうちに、「ダイナープレヤデス」では予約ディナーの営業が始まっている。わたしはそれは予約していないので、買い込んであった虫抑えを再び口にする。

 同様の調子で進んだため、直江津(なおえつ)では二時間四十三分遅れの二十時四十分着。面白いように、というと不謹慎ながら、遅れが膨らんでいく。当方は、乗り心地よく愉しい列車に長く乗れるのだから、遅れてくれてもいっこうにかまわないのだが、これほど遅れてくると、別の心配が出てくる。
 それは、途中の五稜郭(ごりょうかく)、函館(はこだて)の一つ手前の駅だが、そこで運転が打切りになるケースがあることだ。もちろんその場合、札幌方面へは、別の列車を手配してくれる。のだが、それはもう、この列車に乗ったまま札幌へ行けるに越したことはない。
 いくら心配しても、わたしにはどうしようもないことなのだが。


4.至福のパブタイム

 二十一時前に、再び「サロン・デュ・ノール」へ赴く。 サロンの片隅のカウンターには、手作りとみえるスタンプがある。陶製のスタンプは、この列車を牽く三種の機関車を象っていて、可愛らしい。記念スタンプの類は滅多に捺さないわたしだが、これには好感をおぼえたので、手帳に捺しておく。

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 こんなことをしながら時間を潰しているのは、間もなく「ダイナープレヤデス」でパブタイムが始まるからである。「サロン・デュ・ノール」は込み合っていて空いた席がない。持参の料理を広げて自主的な酒盛りをするグループもある。わたしは食堂車通路の角の部分で壁に凭れて揺れを堪えつつ待つことにする。

 準備が遅れているのか、二十一時になっても「ダイナープレヤデス」の扉には「Close」の札が掛かったままだった。その扉が開いて車掌さんが出てくる。わたしに、
「もうすぐ始まりますよ!」
 と快活な声をかけてくれ、すぐに札が裏返った。
 サロン側で待っていたなかではわたしが一番乗りで案内されたはずだが、既に席に着いている人もいる。A個室(ロイヤル・スィート)の客だろう。A個室はサロン・食堂を挟んで、Bクラスの車輌とは反対側に連結されていて、何かにつけ優先される。

 初期の「トワイライトエクスプレス」では、パブタイムはまさに寝酒を呑むためのもので、料理は簡単なおつまみしかなかった。しかし、要望に応えてメニューは改善が繰返され、現在はけっこう腹に溜まるものも出すようになり、予約ディナーをとらなかった客を救済している。

 まずは生ビール、そしておつまみに「但馬高原鶏のからあげ」を注文する。鶏のからあげなど、素人でも簡単にできる料理だが、やはりプロのは違う。肉の柔らかさ、火の通り具合、衣の歯応えなど、適度なところが見きわめられている。意外にボリュームもあるし、ビールもすいすいと進む。だからグラスワインを追加する。
 揺れる列車の中で、生ビールやらワインやら温かい料理やらをサーブされてテーブルに並べ、ゆったり味わう。これは乗り鉄の至福の一つだ。
 そして食事替わりのパスタを頼む。「きのことムール貝のスパゲッティ」である。比較的あっさりしていて、腹に落ち着く。

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 食べて呑んでいるうちに、列車は柏崎(かしわざき)を通過した。普通なら、パブタイムは本州側の停車駅を全て済ませてから始まるのだが、まだ乗車が続く。長岡(ながおか)ではついに遅れが三時間を突破、二十二時四分頃の発車となる。
 「サロン・デュ・ノール」で少し雑誌など読んだ後、ほろ酔いで自分の個室に戻り、そろそろ寝る準備をする。この遅れ方、そして遅れの増し具合だと、朝起きて本州なのか北海道なのかが微妙なところで、今度もやはり、目覚めるのが楽しみである。


5.まだ東北の朝食

 歳をとってきたせいか、前夜どんなに夜更かししても、六時前後には目が醒める。こういう列車に乗って、軽い昂奮状態にあるのだから、尚更早い。もうちょっと寝てもいいかな、と思って横になったまま目を瞑るが、揺れもあるし、神経が冴えてきて、とても眠れない。

 そっと窓のカーテンを開いてみると、ちょうど大鰐(おおわに)温泉を通過し、弘南(こうなん)鉄道のガードをくぐるところであった。時刻は五時四十分くらいか。下りに数回乗ったが、朝目覚めてもまだ本州だったのは初めてである。
 六時を過ぎると、個室内のいろんなものを再び昼間態勢にセットする。ただし、腰掛ける椅子は、昨夜と反対向きの方にする。まもなく到着する青森で進行方向が換わるからである。枕とシーツ、それに浴衣はまとめて上段に放り上げ、着席して髭を剃ったりする。
 朝食は、6時45分からの回を予約してある。だいたい五分くらいは早めに呼び出しの放送がかかるので、最低限の身支度はしておかないといけない。

 それにしても、ふつう夜行列車だと朝六時頃には「おはよう放送」が入るものだし、前回の上りでは、大幅遅れを受けて、少し早めに放送があったのだが、今朝のスピーカーは黙りこくったままだ。朝食の最初のシフトは6時からだが、皆遅れずに食堂車へ行ったのだろうか。
 平常ダイヤでは六時には北海道に入っているから、「おはよう放送」は交替したJR北海道の車掌さんの仕事だ。交替の青森にまだ着いていないから、ということか。西日本の車掌さんは、下車と引継の準備に忙しいのかもしれない。

 新青森でも交換のため長く停まった。ゆっくりと行き止まりの青森駅に入っていく。ここで機関車も付け替える。切り離された緑色の電気機関車が、窓の外を基地に向かう。こういう光景は、いつもなら闇の中で行われる一連の作業なので、まずは眼福ではある。
 反対側、1号車スィートの方に交替の機関車が連結されたはずである。進行方向が逆になり、津軽海峡線に歩みを進めた。
 ここでやっと「おはよう放送」が入り、遅れが三時間四十分ほどに嵩んでいることが分かる。さては五稜郭打切りか、と身構えたが、車掌さんは平然と札幌までの到着時刻の案内を始める。この先通勤通学時間帯にかかるので、列車の待ち合わせなどでさらに遅れるかもしれない、ついては定刻での到着時刻を案内する、ということだが、こんなに遅れていては、あまり参考にならない。この先の区間で、通勤ラッシュがそれほど激しいとも思えないが、青函(せいかん)トンネルの前後は単線で、タイトなダイヤになっているはずだから、この列車を割り込ませるのは至難であることも分かる。
 ともかく、五稜郭で打切るつもりなら、この時点でもう決まっているだろうから、このまま札幌まで行けるのだな、と安堵する。

 続いて、食堂車から6時45分シフトの呼出しがかかったので、早速出かける。
「ダイナープレヤデス」に入ってみると、すみませんが相席をお願いします、とウェイトレスさんに言われ、初老の紳士が坐るテーブルの斜め向かいの席を案内された。わたしは、ウェイトレスさんに、はい、と返事して、紳士に、
「失礼します」
 と声をかけ、軽く会釈して坐った。が、全く無視して窓を見ている。わたしの声が聞こえなかったはずはないし、この場面で「失礼します」という言葉が自分に向けられたものでしかあり得ないことも、馬鹿でなければ分かるはずである。朝から困ったことだ。

 それはともかく、朝食メニューはこの春から換わっていて、一種類しかない。列車の朝食としてはかなり斬新な、そしてお洒落なものになっている。朝食は和食でないと、という人は、弁当を持ち込むか何かしないといけないので、注意が必要だ。

 テーブルクロスが白っぽく柄のあるものに替わっているのに気づく。これはすがすがしい。
 まず、スターターの皿とカクテルが供された。
 スターターは、「豆のごま和えサラダ」「茄子・胡瓜・パプリカのマリネ イタリア風甘酢トマトソース」「海老とアボカドのカクテル」とのことである。どれもさっぱりした味で、喉に馴染む。フォカッチャ(パン)が一切れついていて、パンは希望すればお代わりもできる。
 カクテルはフルーツがたっぷり入ったもので、もちろんノンアルコールである。ビネガーで味付けされており、酸味と甘味とがうまくとけあっている。

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 次に出たのは、「『丹波のたまご』の半熟3分ボイルと花の塩」と「生姜とタイムのミニお粥」であった。ここだけ見ると、ちょっと和食風でもある。
 半熟玉子をこんなふうに出されて食べるのは、幼児の時以来なので、おっかなびっくりスプーンを差し込んでみたが、ほんのり温かくてなかなか美味しい。お粥も、出過ぎない薬味が食欲を刺戟する。

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 そしてメインディッシュの「ミート&サラダ&ホットベジタブル」である。
 盛りだくさんなので、いちいちの料理を説明するのは省略するが、カボチャとかポテトサラダとか、ありふれた料理・食材であっても、いちいち味が上品である。 盛り付けも凝っていて、皿の上を探検している気分だ。

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 最後に、デザートとなる「フルーツ&フロマージュブラン」である。メロンとパイナップルの切れに、チーズの冷たいスープがかかっている。これも口の中が一気に爽快になる、なかなかのものである。

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 わたしがこのデザートにとりかかった時に、相席の親爺が席を立った。いい歳して挨拶もできない輩は「親爺」でよろしい。おかげで当方はゆっくりできる。わたしより早く席に着いてはいたが、それにしてもわたし以上の早食い親爺である。
 こういう人に一人ならず二人も遭遇したとなると、わたしの感覚の方がおかしいのだろうか、と不安になる。そういえば、玉子にかける塩やコーヒーの砂糖は、双方の席に用意されていて、互いに譲り合ったりする必要がないようになっている。

 ただ、メニューを説明した表示はテーブルに一つしかないので、一人になったわたしは、気兼ねなくそれをスマホの写真に収める。スマホには無音でシャッターを切ることができるアプリを入れたため、その面でもこういう場所で周囲への遠慮が要らなくなった。

 この他にコーヒーも付く。他の営業時間帯や車内販売とはブレンドが異なるのだそうだ。
 大変お洒落で美味しい朝食をいただけたのだが、この間のドリンクが、最初のカクテルとこのコーヒーしかなかった。カクテルの味はよかったが、水気はそんなに多くない。やはり、ジュース類を選ばせてほしいし、せめてお冷やは出してほしい。不満の点はそこだけである。コーヒーを飲みながら、少し手の空いたウェイトレスさんに、お冷やを所望する。
 高級ホテルでも、朝食はバイキングが主流、さもなくばルームサービス、という状況になっているなか、テーブルでサーブしてもらう朝食自体が貴重だし、それに見合う料理の内容でもある。

 わたしも席を立ち、個室に戻る。列車は蟹田(かにた)を出て、JR北海道の路線に入っている。時刻は七時を回った。
 もうすぐ青函トンネルに入る。車掌さんによるトンネル案内の放送が入る。下り所定ダイヤでは未明に通過してしまうから、上り用の放送原稿を流用しているのだろう。
 わたしは、八時からのシャワーを予約してあるので、またまた「サロン・デュ・ノール」に移動した。こんなに遅れるのなら、もっと遅い時間に浴びてもよかったのだが、八時からが予約できる最後の時間帯なのだ。
 すっきりして個室に帰っても、まだ青函トンネル内を走っている。新幹線工事のため休止となった吉岡(よしおか)海底駅のホームが過ぎていく。ドラえもん広場などというものまで設けられて、避難設備や建設の跡の見学もできた駅だが、駅名票も撤去されて薄暗いばかりなのが侘びしさを募らせる。今後は非常時でもなければここに降りることは叶わない。津軽海峡線自体も、ドラえもんのイラストが大書された賑やかな車輌が行き来していた頃の溌剌さがこのところなくなっているのが、淋しい。
 対向の線路を見ると、既に新幹線用の広軌も敷かれてレールが三本になっている箇所がところどころある。レールがない所でも、それを取り付ける位置に金具が見える。


6.北海道へ

 いよいよ北海道に入った。木古内(きこない)の手前で、建設中の新幹線の路盤と分岐する。ここからはまた単線になり、行き違い待ちが多くなる。やって来るのはコンテナ貨物が多い。並行する道路もない青函間は、物流の大動脈なのだ。これと新幹線と、同じ線路上で輸送を両立させるのは、なかなかの課題である。
 雲に切れ目ができていて、朝日を浴びる函館山が見えてきた。まもなく機関車付け替えの五稜郭である。「北斗星」の時のような後続の特急への乗換え案内はない。

 JR北海道では、特急ディーゼルカーから火が出る事故が相次いでおり、その原因も定かでない。安全を最優先に考え、事故を起こしたのと同じタイプの車輌を運用から外している。結果、特急車輌は不足しており、各線の特急が間引き運転となっている。この後の五稜郭9時34分発特急「北斗5号」札幌行も運休なのである。
 五稜郭打切りや「北斗」への振替えがなされないのは、そういう事情も影響しているのかもしれない。この列車は札幌まで「北斗」に抜かれずに走ることになるようだ。

 また向きが換わって、わたしの個室は左窓になる。
 七飯(ななえ)からは路線が8の字状になるが、一旦合流する大沼(おおぬま)に九時二十分頃に着くと、また行き違い待ちとなる。何が来るかと見ていると、普通列車用のディーゼルカーがたった一輌で、らしからぬスピードで駆け抜けていった。この先の森(もり)に終着した下りの通学列車が、五稜郭の基地に戻って行くものらしい。拍子抜けしたが、一輌でも列車は列車で、やり過ごさないと前に進めないのが単線の宿命である。
 小沼(こぬま)と駒ヶ岳(こまがたけ)がさっきから見えている。この列車はここから内陸側の線を行き、左窓から大沼は見えない。上り列車だと海側の線を走るから、大沼と駒ヶ岳の組み合わせを愉しめるし、駒ヶ岳もいろんな角度から見られる。春の上り「トワイライトエクスプレス」に乗った時には、夕刻の情景に心うたれたのを思い出す。

 森にも長万部(おしゃまんべ)にも停まらずに、室蘭(むろらん)線に入る。十一時を過ぎたので、早昼に予備食料として買い込んでおいたパンを食べる。
 昼食時間帯を挟むことになるが、「北斗星」と違って「ダイナープレヤデス」の昼食営業などはしないようだ。その代わり、せめてもの配慮か、昼前に合わせてマドレーヌの販売があった。上りの大遅延の時のような缶パンの支給や買い物停車はない。停車しようにも、ホームに多数の売店があるような駅は限られているから、しかたないのかもしれない。

 やはり随所で交換待ちをしながら進むので、遅れはいよいよ積み増され、北海道最初の停車駅である洞爺(とうや)には、四時間十七分遅れの到着となる。機関車付替えや機関士交替のための停車はあったが、ドアが開くのは、新潟県の新津(にいつ)以来である。
 洞爺の先の稀府(まれっぷ)を通過したあたりで、十一時五十分になる。つまり、大阪出発からまるまる二十四時間が経過したのである。それでも、わたしについては、疲れたり飽きたりすることはない。
 東室蘭からは、かなり列車のスピードが上がった。直線や複線の区間が多くなったからであるが、後で時刻表を見ると、後ろから特急「スーパー北斗7号」札幌行が追い上げてきていたのが分かった。これから逃げきる必要もあったようだ。
 登別(のぼりべつ)、苫小牧(とまこまい)と少しずつ客を降ろしてはすぐ発車していく。南千歳(ちとせ)では、既に隣のホームに到着していた快速「エアポート133号」旭川(あさひかわ)行の発車を遅らせてこちらが先に出る。快速の後追いになっては、「スーパー北斗」に追いつかれてしまうからだろう。

 終着札幌に到着したのは、三時間五十八分遅れの十三時五十分頃であった。洞爺からは三十分近くも遅れを回復したことになる。所定ダイヤでは東室蘭~苫小牧間でかなり交換待ちがあるからでもあるが、ともかく最後の力走が効いている。

 五稜郭から頑張って列車を牽いてくれたのは、「北斗星」に合わせた塗装のディーゼル機関車二重連である。武骨な凸型だが、ヘッドマークも付けられてそれなりに優美さを湛えている。

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 折返し大阪行上り「トワイライトエクスプレス」の発車は定刻だと14時05分だが、間に合うはずもない。これから車輌基地に回送して清掃と整備を行うのである。後で聞いたところでは、この日の上りは十七時半頃の発車になったそうだ。

 結局大阪からの所要時間は二十六時間ちょうど、ということだ。わたしが「一般営業列車に乗換えも途中下車もしないで乗り続けた時間」としては最長記録となった。
 この記録は簡単には破られないだろうし、破られることがあればそれは深刻な災害か何かということになろうから、破りたいともあまり思わない。もちろん、所定ダイヤで二十六時間を超える運転時間の列車が今後登場するというなら、それは歓迎するが、その可能性も低いだろう。

(平成25年9月乗車)

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「あかつき82号」(震災臨時)の記録

 阪神淡路大震災から二カ月足らずの平成7年3月、西九州を訪れた。この旅行自体は震災とは特に関係なかったのだが、長崎から関西に帰ってくるのには当然鉄道不通の影響を受ける。
 その時わたしが乗ったのは、臨時寝台特急「あかつき82号」であった。今や本体の定期「あかつき」も廃止されて久しく、ましてこういう期間限定の臨時列車の記憶は薄れがちになる。その時のことを書き留めておく。

 現在もはや山陽線を通って九州に発着する夜行列車は全くないので、信じられない人もいるかもしれないが、当時は東京と九州を結ぶ寝台特急が三往復、関西と九州を結ぶ寝台特急が三往復、合計六往復も設定されていたのである。このほかに、東京~下関(しものせき)間の列車も一往復あった。
 しかし、それらは神戸付近の線路が不通となったため、全て運休となっていた。そして、これら列車の利用客に便を提供するため、JRは「あかつき81・82号」(京都~長崎・佐世保(させぼ))と「なは81・82号」(新大阪~熊本)の二往復の臨時寝台特急を運行しはじめた。

 このあたりに、寝台列車の需要のありさまが現れている。時代とともに急速に変化、というより衰退した需要がである。
 これらの列車は、不通区間を避けて、大阪~姫路(ひめじ)間で福知山(ふくちやま)線・播但(ばんたん)線を経由して運転された。福知山線・播但線、それに加古川(かこがわ)線は、昼間にも迂回ルートとして活用されていたが、接続駅での乗換えが必要で、迂回ルートをまたいで両方向へ直通運転していたのは、この二往復の臨時寝台特急だけであった。
 新幹線が姫路以西の折返し運転だったように、不通区間をカットした区間運転、つまり姫路以西でのみ運転するかたちをとったとしても、被災地の状況を考えればそれほど文句は出なかったであろうに、迂回してまで新大阪・京都発着としたところは良心的であった。
 東日本大震災では寝台特急「北斗星」が長期にわたって運休したが、だからといって代替列車が設定されることもなかった。阪神淡路大震災当時の寝台特急が、まだ実用的な輸送力を提供していたということだ。
 が、その反面、七往復が運休しているのに臨時寝台特急が二往復だけ、というのは、震災ゆえに旅行を控える人もいたことは計算に入れる必要があるが、単純にいえば五往復分は無ければ無いで済む列車であったことにもなり、寝台特急の凋落傾向のなかにあったとも言える。山陽新幹線博多開業前の昭和四十年台に震災が起きていたとしたら、とてもこんなものでは済まず、姫路発着とか山陰線経由京都発着とか、多数の臨時夜行が運転されたことだろう。

 おそらく急遽運転計画が立てられた臨時列車だからであろう、寝台券を買ったときも、「みどりの窓口」の人は要領を得ないようであった。時刻表に編成も載っていないし、わたしは定期「あかつき」のように個室があるのならそれに乗りたいと思って、そのように所望したのだが、そもそも連結されているのかいないのかが窓口でも分からない。
 駅員さんは、資料を調べたりどこかに電話したりしたが、いっこうに明らかにならないようで、調べてみてあるようなら確保しておく、とのことで、一旦帰宅した。
 その日の夜自宅に電話があって、結局「あかつき82号」は開放式B寝台だけの編成だと分かったので、とりあえずB寝台下段を確保した、これでよければ引き取りに来てほしい、ということだったので、わたしはそれを買った。

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 3月14日火曜日、わたしは駅内外の店でいろんな物を買い込んで、長崎駅の改札を入った。既に「あかつき82号」京都行が入線していた。B寝台車ばかり僅か四輌という、寝台列車としてはずいぶん淋しい編成である。ホームの売店には客が群がっている。何の設備もない列車に面食らって、慌てて買い物をしているのだろう。
「本日、寝台は満席です。寝台券のない方はご乗車いただけません」
 と放送が入る。観光シーズンでもない平日に満席とは意外だが、六往復を二往復に集約した結果でもあり、短い編成だからでもある。
 寝台は四席で一区画だが、わたしの区画は始発駅の長崎で、既に三席が埋まった。わたしは下段が取れていたが、向かいの上下段に入ったのは、地元長崎の老夫婦であった。その老夫婦と、
「よろしくお願いします」
 と挨拶を交わした。

 17時05分に「あかつき82号」は発車した。平常ダイヤであれば、この時間に特急で出発して博多で新幹線に乗り継げば、その日のうちに新大阪に着くことができる。
 が、その山陽新幹線も姫路以東不通のため、このときは無理であった。姫路~大阪の迂回手段はいろいろあったとはいえ、うまく乗り継げるかどうかに不安が残る。だから、直通のこの列車にも人気があるのだろう。 

 長崎17時05分という発車時刻は、定期の寝台特急「さくら」東京行と同じである。姫路までは「さくら」のダイヤで行くのである。同様に、熊本発の「なは82号」も姫路までは東京行「はやぶさ」のダイヤを踏襲していた。
 ただし、停車駅は追加されている。定期「さくら」の大阪までの停車駅は、諫早(いさはや)・肥前鹿島(ひぜんかしま)・肥前山口(やまぐち)・佐賀・鳥栖(とす)・博多(はかた)・小倉(こくら)・門司(もじ)・下関・宇部(うべ)・小郡(おごおり)・徳山(とくやま)・岩国(いわくに)・姫路となっていたが、「あかつき82号」は防府(ほうふ)・柳井(やない)・岡山にも停車する。これは、同様に運休している寝台特急「富士」(南宮崎~東京)と「あさかぜ」(下関~大阪)の停車駅をカバーするためと思われた。姫路には停車しないが、これは「さくら」の姫路は降車を想定した停車だからだろうか。
 一方で、定期「あかつき」が停車する黒崎(くろさき)・福山(ふくやま)・倉敷(くらしき)は追加されていない。「あかつき」は姫路にも停まるのだが。してみると、どうもこの臨時寝台特急は、愛称名に反して、「あかつき」よりも「さくら」など東京発着列車の代替として設定されているらしい。
 それなら、例えば迂回区間経由で東京~岡山などといった臨時寝台列車の運行もあってよさそうだったとも思うが、いろいろな都合でこうなっていたのだろう。

 まだベッドをセットして眠るには早すぎるが、早春だからすぐに日が暮れてきた。本も持ち込んでいるが、退屈である。
 18時27分に肥前山口に着いた。ここで十八分も停車し、佐世保から来た三輌を前に連結する。これで七輌連結となって、何とか幹線を走る列車らしくなったが、それでも普段の「さくら」「あかつき」に比べると淋しい。迂回区間の播但線はローカル線であり、あまり長い編成が入れないからだろう。また、迂回ルートでも加古川線経由の方が距離が短いのに播但線経由となったのも、加古川線はさらに編成輌数の制約が厳しかったからと思われる。

 停車中に、長崎を後に出た特急「かもめ34号」博多行が追いついて来て、先に発車して行く。あちらはJR九州最新の特急車輌で、ビュッフェも営業している。それなら、ここまで、あるいは博多まで、あっちに乗ってきてもよかったか、と後悔する。この「あかつき82号」は夜行列車なのに食堂車も売店もないのだ。定期「さくら」なら食堂車を連結しており、既に食堂営業はしていなかったが、売店として営業し、弁当などを売っていた。テーブルでそれを食べることもできた。が、それもこの列車には連結していない。
 ここで、向かいの老夫婦も持参の弁当を広げたので、安心してわたしも駅弁を食べる。挨拶までした相席の人をほっといて食事するのは気がひける。

 博多を出て二十時頃になると、老夫婦はカーテンを閉めて寝てしまった。わたしには早い時間だし、もう少し起きていたい。幸いわたしの寝台は右側の前向きである。対向列車や駅の観察には都合がよい。
 車内はけっこう人いきれがしてきた感じもする。空いていた寝台も、博多でほぼ埋まった。ただし、わたしの上段は空いたままである。
 門司と下関でそれぞれ機関車の付替えをし、山陽線に進む。ここでおやすみ放送が入り、本州に入ってからの停車駅では、わたしの周囲に人の動きはない。22時41分に徳山を出たところで、わたしも寝ることにした。

 わたしは眠ったままだったが、岡山を2時21分に発車している。その次は大阪まで停まらないが、迂回ルートを通るので、七時間近くもかかる。寝台特急とはいえ、ずいぶん長時間の無停車である。もっともドアが開かないだけであって、運転停車する駅がいくつもあるはずだ。
 神戸方面への連絡を考えると、姫路・三田(さんだ)・宝塚(たからづか)ぐらいには停まってもいい気がするのだが、なぜか停まらない。

 目が醒めると、列車は昨夜と逆向きに走っている。迂回区間の途中、和田山(わだやま)で進行方向替えがあったのである。わたしの直上もカーテンが閉まっている。広島あたりで乗ってきたのであろうか。
 福知山線は乗り慣れているので大体分かるが、柏原(かいばら)あたりを走っているようである。単線に割り込ませたダイヤで、しかも朝ラッシュなので、駅ごとに交換待ちをして、なかなか進まない。
 おはよう放送が入り、朝食弁当の販売の案内もある。途中の丹波大山(たんばおおやま)という小さな駅に運転停車し、そこで弁当販売のワゴンが乗り込んだ。おそらく篠山口(ささやまぐち)の駅弁業者であろう。そういう車内販売があるのは意外なことで、予想していなかったので、わたしは朝食用のパンを買ってある。それを食べる。

 向かいのおじいさんが、
「この辺はもう被災地なんですかね」
 とわたしに訊く。
「もう少し先が、被害の大きかった地域ですね。宝塚を過ぎたら、ブルーシートをかけた家がたくさんありますよ」
 と教えてさしあげる。わたしが言うまでもなく、宝塚あたりで車掌さんの放送が入った。
「阪神淡路大震災で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。窓からも被災された家屋が見えております。一日も早い復興をお祈り申し上げます。また、本日は迂回運転でご不便をおかけいたしますことをお詫びいたします」
 その放送をきっかけにしたように、降り支度を始める人が多くなる。わたしの上の段からも、三十歳台くらいの男性が降りてきて、わたしたちに挨拶し、窓外に目をやった。男性は大阪へ出張とのことで、通路に斜め下を向いて取り付けられている鏡を見ながら髭を剃ると、ぎゅっとネクタイを締めた。この頃、寝台列車にもまだまだビジネス利用があったのである。
 被災地に敬意を表するわけではないだろうが、列車はかなりゆっくり走っている。もう複線区間に入っているとはいえ、列車本数の多い所だから、普通列車を追い抜けないでいるのだろう。

 9時12分、定期「あかつき」に比べると二時間近く遅れて大阪に着く。車内は一気に空いて、この車輌は十人ほどだけになった。十分停車してから発車する。その間に、住吉(すみよし)始発の新快速堅田(かたた)行が着き、先に出て行く。ここから一駅だけ、定期「なは」のダイヤに乗る。
 9時26分新大阪着。ここで、当時はまだ一時間に一本程度しかなかった新幹線「のぞみ」に乗継ぐと、12時24分に東京に着けた。定期「さくら」の東京着は11時29分だから、まずは代替列車の役を果たしていると言えよう。しかし、それらしく新大阪で降りる客はあまり多くない。

 終着京都には9時57分に着いた。観光を始めるにはちょうどいい時間だが、平日なのでそういう客もまた少ない。

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 結局、わたしがこの臨時寝台特急に乗ったのもこの一回限りとなった。
 この旅行から帰ってすぐ、東海道線が4月1日から全線復旧することが決定し発表された。3月限りで臨時寝台特急も運転を終了し、定期列車が再開するわけである。しかし、JRの指定券は一カ月前から発売するので、既に4月16日分までの寝台券を発売してしまっていた。
 
 このため、既に寝台券を買った人には、定期列車の寝台券への発行替えを行い、16日までの「さくら」「はやぶさ」「なは」「あかつき」は、「あかつき81・82号」「なは81・82号」の停車駅を全てカバーするように臨時停車する措置がとられた(写真は、運転再開とそれに伴う措置を知らせるリーフレット)。下り「なは」は、「なは81号」のダイヤに合わせて発車時刻を遅らせるようにもなっていたのである。

 以上が、震災臨時列車としての「あかつき82号」の乗車とその周辺の記録である。
 「あかつき81・82号」を名乗る列車は、それ以前にも多客期の臨時列車として運転されたことがあるが、ブルートレイン最初期の狭い寝台だったので、特急を名乗るに忍びなくなり、やがて急行「雲仙」に格下げされた。これは、震災の前年ごろまでは運転されていたのだが、その後は運転されなくなった。これをみても、震災の頃がちょうど寝台特急の転換点であったようである。

(平成7年3月乗車)

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福鉄市内線運休時の様子

 福井鉄道福武(ふくぶ)線は、沿線、主に福井市内のイベントに伴って、部分運休となる場合がしばしばある。
 利用客は不便をかこつことになる。公共交通を止めてイベントをやるのはどうかと思うし、何も電車通りを使わなくてもよさそうである。要するに、イベントをやるようなスペースが確保されていない都市計画に問題があるわけだが、それはともかく、趣味的に言うと、面白い現象が出来したりもする。
 そんな様子をちょっと見てみた。

 運休の区間は、その時に応じて、市内(軌道)線全線、市役所前以北と市役所前~福井駅前間の枝線(通称ヒゲ線)、枝線のみ、といろいろである。普通だと見られないような方向幕表示が見られることがある。

 下は、「福井新」の方向幕を出した電車である。

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 福井新(しん)駅は赤十字前に改称されたので、もうこの表示を見ることはできないが、「赤十字前」というコマも車輌にはちゃんと入っている。

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 イベントの他、工事や事故、それに豪雪などによる市内線運休の際に赤十字前(福井新)折返し運転が見られる。市内線全面運休のときは、代行バスなどが運転されることも多い。
 下は、福井マラソンで市内線が全面運休したときの代行タクシー案内である。フェニックス通り自体が通行止になるので、代行バスではなく、裏道を行くジャンボタクシーになるようで、福井駅前も東口発着である。

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 ただし豪雪の場合だけは、バスの方が大変な状態なので、当然代行バスはない。

 一方、部分運休の場合は市役所前折返しが発生する。「市役所前」の表示も、通常ダイヤでは使われないが、ちゃんと入っている。

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 ただし、高床車にはこのコマはないので、フロント窓に紙の札で行先を表示する。

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 運休している最中の、電車が来ない田原町(たわらまち)駅を覗いてみた。
 逆光で読みにくいが、運休を知らせる立札が立っている。しばしば運休があるから、これも普段から用意されているようだ。

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 運休は終日でなく、昼間から夕方の一定の時間であることも多い。その場合、運用の都合で田原町での滞留が行われる。その車輌はホームではなく奥に引き上げられている。
 田原町は一面一線の棒線駅だが、奥に一編成分の線路があるのである。発車順序を替えて折返す際などに使用されている。

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 田原町駅の隣は、古くはバスの車庫があったそうだが、車庫が大土呂に移転し、跡地は払い下げられてコンビニになっていた。駐車場の一隅が、従前どおりバスの回転地・乗降場を兼ねていた。
 このコンビニに回数券販売なども委託されていたのだが、近年になって閉店してしまった。実は通りを挟んだ向かい側に、地元のコンビニがあり、ここは手作り惣菜も売っていて、イートインスペースもあるという、充実した店である。その至近とあっては、いかにチェーンのコンビニといえど、商売は厳しかったのだろうか。
 コンビニはなくなったが、その跡地の跡地でバスが転回することに変わりはない。もっとも、乗場はフェニックス通り上のバス停に移ったようである。

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 さて、市役所前でも、普段と異なる風景が見られることがある。

 市役所前~田原町と駅前枝線の両方が運休になる場合は、全ての便が市役所前折返しとなるので、渡り線を使って着いた電車から順に発車させていけばよい。
 ところが、枝線のみの運休となると、少しく話がややこしくなるのである。
 昼間パターンでは福井駅前経由で越前武生(えちぜんたけふ)~田原町を往復する普通電車ばかりなので、駅前枝線往復を省略して田原町直行とする。これも、市役所前で時間調整停車をするだけなので、さほど問題はない。

 しかし、急行が入る朝夕パターンでは、手がかかることになる。
 通常の朝夕パターンは、急行が福井駅前折返し、下り普通電車は田原町行直行、上り普通電車は田原町発福井駅前経由越前武生行、となるのが基本である。しかも、上り普通電車が市役所前上りホームから枝線に入った直後に、枝線から出てきた上り急行が下りホームでスイッチバックの後、この上りホームに入ってきて、接続をとるようになっている。田原町・仁愛女子高校からの急行利用の便を図っているのだ。
 駅前枝線運休時にこの接続を確保しようとすると、手数がかかるわけである。枝線に入れない急行は当然市役所前折返しなので、下りホームで降車を扱った後、渡り線で上りホームに移る。その後田原町からの上り普通電車が来るが、急行がいるのでホームに入れない。さりとて、普通電車を先にホームに入れてしまうと、この普通電車が通常な駅前枝線を往復する間、時間調整でこのホームに居すわることになるので、急行の乗車扱い・発車ができなくなる。
 それで、どうしても臨時ホームの設置が必要になるのだ。

 ということで、夕方、急行の運転が始まる直前になると、保線係員が出て、上りホームの交叉点を挟んで北側に、臨時ホームを設営する。ホームといっても、路上に大きめのまな板のような物をおいただけだが、ステップから路面に直接降りるのは段差が大きすぎる。前扉の所にだけ台が必要になる。

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 さて、実際の発着の様子を見てみよう。
 急行が市役所前に着き、渡り線で上りホームに入った。

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 続いて田原町からの上り普通電車が来て、臨時ホームに前扉を合わせて停まる。急行に乗継ぐ客が降りてくる。普段は車掌として乗務する係員が待機している。

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 交叉点の真ん中を渡ることになるので、係員が安全を確認しながら乗客を上りホームに誘導する。軌道上を歩くわけである。

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 そして急行が発車した後、普通電車が前進して上りホームに入り、時間調整停車となるのである。
 そうしているうち、下り普通電車が到着したりもする。高床車と低床車が並ぶと親子みたいである。

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 まあこれ、時刻や運用を変更して上り急行を田原町発にするなどすれば臨時ホームは要らない気がするのだが、それも案内が煩雑になってしまう。このような手間をかけて通常に近いダイヤを維持しようとする福鉄は、なかなか律儀である。

(平成24年9月執筆)

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福鉄部分運休時の代行バス

 去年の晩秋、11月30日(日)に福井鉄道の日野川鉄橋811291354(家久~上鯖江間)工事のため神明以南をバス代行する、というニュースがもたらされた。
 これは地元の鉄道線の大イベントだな、と思って、楽しみにしていた。一昨年廃止になったバス福武線の再現が見られるかもしれない。趣味的にはこたえられない。

 前日には既に代行バス用の停留所ポールも立った(写真右は、水落臨時停留所。旧福鉄バス水落停留所跡)。バスの時刻表もここに掲示されている。

 当日、早速様子を見ようと、神明駅に向かうと、どうも様子がおかしい。代行バス用の車輌が屯しているべき駅前広場にその姿はなく、神明駅の南側の踏切が鳴ったりしている。日付は間違ってないよな、とケータイを確認する。今朝のNHKニュースの交通情報でも、一部区間バス代行が伝えられていたのだが。
 これは一体何事であるか。

 駅の中に入ってみると、貼紙があった。今日は悪天候のため、バス代行は中止した、とある。悪天候だと中止する、などという予告は全くなかった。電車と代行バスとではダイヤは異なる。これでは予定が狂う人が出るのではないか。悪天候といっても、雨がぱらついている程度なのだが。
 憮然と帰宅したが、翌日福鉄の彩図に再び告知が出た。バス代行は12月7日(日)に延期する、そして当日が悪天候の場合は14日(日)に再延長する、とのことだ。それほど天候に関係のあることなのだろうか。

81271260 7日も前日に降った雪が残って路面が濡れているが、大丈夫だろうか、と心配しながら再び神明駅に向かう。幸い、今日は実行されているようである。駅舎横のバス待機スペースには代行バス用の車輌が入っている(写真左は、神明駅で待機する代行バスの車輌。1番線で発車待ちの電車も見える)。貸切仕様のバスが使われるのではないか、と予想していたが、意外にも路線車である。
 電車は、三十分毎に神明~田原町間を普通が往復する臨時ダイヤになっているが、下りの代行バスが着いた時には電車がドアを開けて待てるよう、1番線と3番線からの交互発車としていて、折返時間を多くとっている。3番線は直接折返せるが、1番線には福井方面からは進入できないので、2番線に到着、水落で折返し、1番線に入れていた。つまり、二本に一本は神明~水落間を回送運転したわけで、それなら水落まで営業したらいいのに、と思うが、案内が煩雑になるからやらないのであろう。 81271282

 早速代行バスに乗ってみることにする。
 神明駅から出たバスは、旧国道8号、つまり旧バス福武線の通っていた道をまずは南下する(写真右は、神明駅~水落臨時停留所間の旧8号を行く上り武生新行代行バス)。この道を、客を乗せた福鉄バスが走るのは久しぶりである。
 旧水落バス停にある水落臨時停留所を経て、西山公園臨時停留所は、旧鯖江市役所前(現・つつじバス市役所)バス停と旧西山公園(現・つつじバス西山公園)バス停のちょうど中間あたり、西山公園駅からまっすぐ旧8号に出た地点にポールが立っている。
 西鯖江臨時停留所は、旧西鯖江バス停の位置である。南行は西鯖江交叉点南詰、北行は同交叉点北詰のバスベイ(現・つつじバスサバエシティーホテルバス停)に設けられている。

 バスは西鯖江臨時停留所のすぐ先の交叉点を左折した。これも意外だった。旧8号を武生まで行くものと思っていたからである。福鉄の路線バスが走ったことのない道に入っていく。できるだけ線路に沿って運行しようということらしい。
 上鯖江駅の至近に設けられた上鯖江臨時停留所(つつじバスふれあいみんなの館・さばえ停留所近く)に着き、ここで時間調整のため数分停車。
 発車すると、線路をくぐる掘割を抜ける。これがなかったら、線路沿いの運行は難しかったろう。サンドームを左手に見て右折、工事中の日野川鉄橋と並行する白鬼女橋を渡る。鉄橋のたもとには重機が入って作業しており、堤には線路の路盤が置かれている。路盤を入れ換えているのだろう。新しい路盤は、以前足羽川の仮橋(市内線公園口~市役所前間)に使われていたものだと聞いた。
 白鬼女橋から左折した堤防上で、下りの代行バスと擦れ違う。この道は昔からの北陸街道である。そのためこの先、狭く、緩いカーブが続き、両側が建て込んで見通しがきかない。そのため、わたしはこの道にバスを運行するのは無理だと思っており、だからこそ旧8号を経由するのだろうと考えたのである。
 しかし、バスはその屈曲した区間に進んでいく。対向車が来るたびに停止または徐行して道を譲り合う。しかし、バス同士の離合は不可能である。なるほど、上鯖江での時間調整は、この区間でバスが出会わないよう、早発ぎみのバスを定時に戻す意味合いだったのである。

 家久駅近くまで来ると、狭い交叉点を右折、踏切を渡る。このみちは、もはやバスが通れば幅一杯なので、ガードマンが二人立って対向車を止めている。   8127134381271340  

家久の臨時停留所は、駅の南方、越前市民バス家久駅バス停と同じ位置にある。ここでちょっと降りてみた(写真右は、狭い踏切を渡る代行バス、及び、家久臨時停留所南行のポール)
 古びた駅舎には案内の係員が立っていて、電車に乗りに来た客に、バス停の位置と時刻を教えている。

 次のバスで一駅進んで、西武生臨時停留所で降りてみることにする。8127139581271391行き交う代行バスを眺めていると、ほとんどが最新型のノーステップバス(福鉄はノンステップバスと言わず、なぜかこう呼ぶ)を使っているが、一台だけ赤い名鉄カラーの旧式高床車が交じっていた。本来の電車の高床・低床車の比率と合わせたようで、面白い。
 西武生臨時停留所は、武生車庫の前であった(写真左は、西武生臨時停留所南行ポールと入庫している手前の越前市民バス車と奥のつつじバス車、及び、北行ポールとその向こうに並ぶ貸切車群)
 バスを存分に眺めてから、武生新に向かう。

 武生新では、駅西側のバス乗場で乗降ともに扱う。81271322 81271324
 神明行の代行バスはここから一旦南へ向かって発車し、越前市の中心街をループするかたちで、再び西武生方面に向かうのである。
 武生新駅の構内には、高床電車全編成と低床車数編成が手持ち無沙汰に休んでいた。今日の神明以北は、低床車ばかりで運用されているのである(写真右は、ひっそりと電車が休む武生新駅、及び、JR武生駅前を右折して神明に向かう代行バス)

 81271515 その後、神明に戻って、電車に乗り継ぎ、福井市内まで行ってみる。
 臨時ダイヤでは、上り電車だけがヒゲ線に入って福井駅前に発着することになっている。通常ダイヤでは、平日朝に運転される田原町発神明行普通は福井駅前を経由しない。だから、ヒゲ線で神明行を見ることは、珍しい(写真左は、ヒゲ線から出てこようとする上り神明行)

 このような感じで、趣味的には大変楽しい一日を過ごさせてもらった。
 この日の代行バスの経路は、下の地図のとおりである。

 なお、おまけを付け加えておく。
 これは突発的な事故によるものだが、今年の1月22日にも、市内線区間が運休となり、福井新~田原町間でバス代行となった。トレーラーが交叉点を右折する際に架線を切断して、けしからぬことにそのまま走り去ったことによる停電で、電車が止まってしまったのである。91221262 91221391_2
 この時も、路線バス用の車輌が、「電車代行」の方向幕を掲げて活躍したほか、普段は見られない「福井新」の方向幕で走る電車が見られた(写真右は、福井放送会館前臨時停留所付近を行く代行バス、及び、「福井新」の行先で神明に到着した下り普通電車)

 

 

(平成20年12月7日/平成21年1月22日の模様)

 

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北陸線にみる列車遅延処理三題

 北陸線でたてつづけに三度経験した雷鳥系特急を中心とする列車遅延とその処理のありようについて、経験したままを記録するとともに、少しばかり意見を述べた記事である。


 所用で神戸に出かけた。JRを利用したのだが、大雪やそれから派生した事故などのため、ダイヤは終日乱れていた。その隙間を縫うように乗ってきたのだが、いろいろ感じるところがあった。

 鯖江8時21分発米原行普通は、意外にも定刻にやってきた。昨夜も雪が降ったのになかなかしっかりしている。そう思って乗り込んだが、次の武生で早くも遅れが出はじめる。
 通常は武生で特急「しらさぎ54号」米原行の待ち合わせのため約6分停車するはずだが、隣のホームを駆け抜けたのは特急「サンダーバード6号」である。三十分近く遅れているようだ。続けて特急「雷鳥8号」大阪行が入ってきて、ホームにごった返す客を乗せ、出て行く。自由席には立客もある。この「サンダーバード」と「雷鳥」は、本来福井でこの普通を抜いているべき列車だ。そして所定の待ち合わせ列車「しらさぎ54号」がやっと来て、続けてこの普通も発車した。二十分ほどの遅れだ。
 その後山間部にかかると、速度が落ち、敦賀では切離し作業のため停車時間を切り詰めることもできず、三十分ほどの遅れとなって長浜に着く。
「JR琵琶湖線も大幅に乱れております。彦根・京都方面にお乗換えの方も、米原まで行ってお乗換えになることをお勧めします」
とのアナウンスだが、わたしは新快速でないと意味がないし 、トイレやATMに行ったりする都合もあるので、長浜で下車。

 接続する新快速は所定より一本後の10時46分発の姫路行となる。折返しとなる上りが十分ほど遅れたので、三分遅れで長浜を発車。すぐに次の新快速とすれ違い、続けてさっきの米原行が米原から折返し近江今津行となった列車ともすれ違う。やはり三十分ほどの遅れだ。名古屋からの特急「しらさぎ3号」富山行は一時間以上の遅れとなっており、まだ姿を現さない。
 米原に着くと、驚いたことに、向かい側ホームに寝台特急「出雲」出雲市行が停車している。客も乗っているようだ。米原は停車駅ではないが、所定ダイヤなら二時三十分頃の通過となるはずで、約八時間半の遅れということになる。関が原越え区間は夜間ずっと抑止がかかっていたのであろうか。夜が明けてしまえば、このまま運転を続けるより、新幹線と特急の乗継ぎの方が早く山陰方面に着くはずで、普通なら乗客をそちらへ誘導するものだが、新幹線もべた遅れで、そうもいかないのだろう。来年三月改正での廃止が昨日公式発表された列車がこのありさまとは、なにか象徴的だ。珍しいので新快速のドアから「出雲」をカメラに収めたが、20051223111255 ヘッドマークも雪に染まって読み取れない。

 新快速は、米原で数分停車して八分程度の遅れとなり、東海道線を下る。石山で動きかけた電車が停まり、ドアを開け閉めする。
「石山駅で駆け込み乗車をされたお客様にお願いします。駆け込み乗車は大変危険です。他のお客様のご迷惑にもなります。絶対にお止めくださるよう、お願いいたします。石山駅での駆け込み乗車のため、列車はさらに遅れまして、およそ十分遅れで発車いたしました…」
 このところ、JR西日本は駆け込み乗車抑制にこうした厭味放送作戦をとっているようだ。

 湖西線から合流する高架線路に、「雷鳥16号」大阪行らしい電車が停まっているのを横目に山科駅に入る。この先、「雷鳥」と新快速とは同じ線路を走ることになる。
 それにしても、特急を待たせて新快速を先に通すとは、列車の格から行けば逆さまだ。米原でも「出雲」より先に出たわけである。関西における新快速のこうした厚遇は国鉄時代から一貫している。新快速こそが看板列車である、という誇りが大阪鉄道管理局からJR西日本に受け継がれているのだろう。大阪駅の発車時刻をみても、毎時0分といういちばんいい時刻の発車は昔から新快速である。特急や急行を追い抜く新快速も珍しくなかった。現在でも12時00分に上り新快速と寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行が同時発車するが、京都には新快速が先着する。
 その思想が運転整理にも通底しているわけだが、この先、特急からの意趣返しのようなめに遭うことになる。
 京都を発車しても、あまりスピードが上がらない。
「前を走っております特急列車が、速度を落として運転しております。このため、この列車もこれ以上速度を上げることができません。新大阪付近までこの速度が続きます」
とのことで、一旦追い抜いた各駅停車にまた追いつかれたりしながら新大阪には十六分遅れで到着。隣のホームには「サンダーバード14号」らしい列車が入っている。これが「速度を落として運転して」いた特急らしい。床下に付着した雪が巻上がって窓ガラスを割ったりする事故を防ぐために、徐行していたのだろう。

 十六分遅れると、ホームには次の新快速に乗るつもりで来た人も待っている。乗降に時間がかかっては駅間で飛ばして回復する、の繰返しで、遅れ時間はなかなか縮まらないまま、十三時五分頃明石に着き、下車。

 帰りは、神戸市内で所用をこなしながら大阪駅に向かう。快速電車・各駅停車も少しずつ遅れている。
 券売機で19時27分発特急「サンダーバード45号」富山行の武生までの特急券を買って十九時十五分頃ホームに上がると、発車案内には17時42分発「サンダーバード39号」魚津行が出ている。これがまだ発車していないようだ。自由席の乗車口にはそれぞれ電車二輌分くらいの列ができている。
「「サンダーバード39号」は、折返しとなります列車が二時間近く遅れましたため、発車が遅れております。現在、車庫で車内整備を行っております。間もなく車庫を出る予定です。発車は十九時二十七分頃になります」
 つまり、45号のダイヤで運転しようということらしい。しかし、あくまで39号なのだから、45号の特急券では自由席にしか乗れない。自由席に今からでは坐れない。わたしは乗車を諦め、次の列車を待つことにする。
 「サンダーバード39号」は、自由席はデッキにはみ出す立客が出る盛況、指定席はガラ空きできっかり十九時二十七分に発車した。見通しがよくなったホームを歩き、わたしは「雷鳥」の自由席乗車位置に並んだ。45号の発車がいつのことか分からないので、次の所定18時12分発「雷鳥41号」金沢行の自由席に乗ることにしたのである。
 案内放送では、41号はやはり車庫で整備中で、発車は二十時八分になる、とのことである。20時08分は「雷鳥47号」金沢行の発車時刻である。わたしは憮然とする。

 このように特急が大幅に遅れた場合、後の列車の所定発車時刻に合わせて運転するのは、JRがよく使う手である。運転する側としてはこれがやりやすいのだ。予め引いてあるスジ(ダイヤ)に乗せて運転すれば、途中の追越し・交換・接続なども変更する必要がなく、手間が省けるからだ。
 しかし、客の立場としては、一刻も早く目的地に着きたいわけである。準備ができ次第一分でも早く出発させるのがサービスではなかろうか。それに、後の列車の所定時刻よりも早く着くことは絶対にないわけでもある。回復運転をしても定刻には戻せないにせよ、遅れを取り戻すことを放棄する姿勢はどうなのだろう。
 わたしが白けるのは、39号にしても41号にしても、意図的に後の列車の時刻に合わせたことは明白なのに、それを表明することなく、遅れた結果たまたまその時刻になったかのように案内することである。舞台裏が分かってしまうマニアは僻目になる。

 「雷鳥41号」は定刻のような二十時八分に発車した。自由席は九割がた埋まっているが、指定席はがらがらである。それは当然で、「雷鳥41号」の指定券を持って駅に来た人の多くは、もっと前の遅れた特急の自由席に乗ったに違いないからだ。そして本来ならこの時刻である47号の指定券を持った人も、41号である以上、指定席には坐れない。なかには、放送をよく聞かず、あるいは聞いても何号であるかなどに注意を払わず、47号の指定券でこの41号の同じ席番に坐ろうとする人もある。これは問題だ。律儀に41号の指定券を持って41号を待っていた人がいるかも知れず、席が重複してトラブルになりかねない。
 がら空きだからほっといても何とかなると思っているのだろう。しかし、指定券を持った客に対する措置をきちんと決めて案内するべきである。例えば、47号の指定券の人には指定の席番に、それ以外の列車の指定券を持ったわたしのような客は指定席車の空席に坐ってよい、というようにである。あるいは、新幹線が大幅に乱れたときにやるように、思い切って普通車全車自由席にするのも一考だ。そうすれば立客も出なくて済む。

 新大阪で接続待ちのため五分ほど停車する。特急「はるか50号」米原行が遅れているのだ。「はるか50号」と「雷鳥47号」とが接続をとっていることは、迂闊にも知らなかった。時刻表を見るとなるほどそうなっている。
 これで遅れが二時間を超えた。特急料金は二時間以上遅れた場合は払い戻しとなる。しかし、こういう運転のし方だと、問題が微妙になってくる。
 案の定、鯖江に着いたのは二十二時五分、41号の定刻より二時間四分の遅れである。

 鯖江駅の改札では、41号の特急券を持っている人には払戻しをしている。これは当然だ。自由席特急券はそのまま回収して払戻しなし。自由席の客は何号であろうと乗れればいいわけで、47号に乗るつもりで駅に来た人も多いから、実害はないだろう、ということだろう。わたしの45号の特急券も払戻しはなかった。まあ、わたしの場合は武生までの特急券で鯖江に降りたのだから、厳密に言うと武生~鯖江間の繁忙期特急料金1440円を追加徴収されても文句は言えないので、別にいいのだが(日頃から便宜上武生と鯖江は一体のように運用されているのでもちろん何も言われない)。
 特急が利用できる往復割引きっぷの類を持っている人にも払戻しはない。
 しかし、やはりおかしい。時刻表の営業案内には、「特急・急行列車が2時間以上遅れて到着した時は、特急・急行料金の全額が払いもどしになります」と明記されている。自由席だからどうとか、他の列車の特急券だからどうとかいう除外はない。現に41号の指定券を持った客もいる以上、自由席の客のなかにも41号に最初から乗るつもり(車内待ち合わせとか何かの都合で)だった人がいるかもしれない。二時間以上遅れた特急に乗っていた人は、全員を特急券払戻しの対象にするべきである。往復割引きっぷはしかたがないだろう。特急料金は込みの切符であり、特急券部分と乗車券部分が分かれていないから、特急料金だけを払戻しようがない。

 いろいろ釈然としないが、とにかく今日中に帰れたのはよかった。

(平成17年12月23日乗車)


 

 昨日も夜遅く大阪から鯖江に帰ろうとし、またまた雪害による遅延に出くわしてしまった。「列車遅延と処理」に書いた状況に似てくるが、微妙に異なる。

 今回は、二十時半過ぎに新大阪から乗ろうとし、20時57分発最終の「サンダーバード49号」の敦賀までの特急券を買ってホームに降りた。が、発車案内には「サンダーバード49号」がない。しばらく待っているとアナウンス。今日も北陸地方からの特急が遅れたため、折返しとなる下り特急も一時間程度遅れる、と言う。「サンダーバード45号」の発車時刻が定まり次第放送する、というのだが、「サンダーバード45号」は定刻19時31分である。既に一時間以上過ぎている。

 二十一時を過ぎてようやく、「サンダーバード45号」は二十一時二十五分ごろ発車の見込み、とアナウンスが入った。待合室に坐って待っているが、待合室にはスピーカーがなく、ホームの放送が聞こえない。これでは意味がない。放送がかすかに聞こえはじめると、待っている人はみなドアを開けて寒い外に出る。
 さてわたしは思案のしどころだ。鯖江に帰るのに、「サンダーバード49号」の特急券を敦賀までにしたのは、「サンダーバード49号」が武生にも鯖江にも停まらず、敦賀で福井行最終の普通電車に二十五分待ちで接続するから、それに乗って帰るためである。しかし、二十一時二十五分の発車だと、「サンダーバード49号」の定刻からも二十八分遅れることになり、この普通電車には間に合うかどうかが微妙になる。それくらいなら普通電車が待ちそうに思うが、確信はもてないし、雪のためにさらに遅れるかもしれない。敦賀のような中途半端な所で足止めになっても困る。
 もっとも、「サンダーバード45号」なら武生には停まるので、武生で降りてもよい。しかし武生駅からタクシーという散財はあまりしたくない。
 それでわたしは、少々帰る時間が遅くなるが、後続の所定20時12分発「雷鳥47号」を待つことにした。これなら鯖江に停まる。

 ところが、二十五分が近づいても、まったく「サンダーバード45号」が来る様子がない。アナウンスでは、大阪駅で車輛点検中と言う。大阪駅のホームに出る前に基地で点検すればよさそうなものだが、一刻も早く発車させたくて焦ったか。
 とうとう、「サンダーバード45号」は不具合のため車輛を交換して運転する、という報せが入った。大阪駅では既に客を乗せていたのだろうし、それでも交換しなければならないとは、よほど重大な問題なのか。

 二十一時四十五分頃になって、やっと「サンダーバード45号」入線の放送だ。わたしは見送るつもりだが、どんな乗り具合かとホームに出てみた。
 すると、入ってきたのは「雷鳥」用の車輛ではないか。ヘッドマークも「雷鳥」である。これは「雷鳥47号」ではないのか? そう思ってわたしは咄嗟に待合室から荷物を持って来ると、自由席に飛び乗った。列車はすぐに発車。
 しかし車内放送では、
「遅れております「サンダーバード45号」富山行です。本日は雪害のため列車が遅れまして、また車輛不具合のため「雷鳥」編成に変更して運転となりまして、ご迷惑をおかけします」
と言う。
 「サンダーバード45号」なら鯖江には停まらない。この列車の後に「雷鳥47号」を運転するのだろうか。しかし、「サンダーバード45号」の車輛が不具合を起こしたからといって、急に別の車輛をスタンバイできるとも思えない。この編成こそ、「雷鳥47号」に充当するはずの編成だったに相違ない。この後に急遽「雷鳥」編成をもう一組整備して仕立てることも不可能ではなかろうが、既に最終列車の所定発車時刻を過ぎたこの時間帯にそこまでするとは思えない。「雷鳥47号」は運休になるはずだ。さて困った。鯖江までJRで行けるかどうか、覚束なくなってきた。

 車内改札に来た車掌さんに、「鯖江に行きたいのですが」と話し、いろいろなことを確認してみるが、要領を得ない。敦賀からの普通列車の接続も分からない。不確定な情報が多いのだろう。ただ、鯖江に停まらないのか、という問いには明確に「停まりません」と言う。とりあえず特急券を武生までに変更してもらい、追加料金を払う。
 しかしおかしな話だ。いかにこの列車が「サンダーバード45号」であっても、当然「雷鳥47号」に乗るつもりだった客も多数乗っていたはずで、それらの客の便宜を考えれば、「雷鳥47号」を運休するのであれば、「雷鳥47号」の停車予定駅にも全て停車するべきだろう。具体的には鯖江・芦原温泉・松任の各駅だ。「サンダーバード45号」が壊れたせいで「雷鳥47号」の客がとばっちりを受けるのは筋違いだ。
 ただ、12月24日の時と違うのは、「サンダーバード49号」の特急券を持っていたわたしを、車掌さんが指定席車に誘導したことである。わたしのブログを読んだわけではなかろうが、そうすることで自由席車の必要以上の混雑を防ぐのはいいことである。ただし、それは乗る前に案内するべきことだろう。荷物を持ってやおら移動する。無論、移動を強要されたわけではないので、動きたくなければ自由席車に坐ったままでもよかったのだが、誘導の趣旨に賛同するから動くことにしたのだ。

 暫くすると、車掌さんがわたしの側に来て、
「敦賀で普通電車が接続待ちすることが分かりました。よろしければ先ほどの料金をお返ししますので、敦賀で乗り換えてください」
と言う。それはありがたいが、確かに普通電車は待つのでしょうね、と念を押し、言葉に従う。

 敦賀に二十二時五十八分頃に到着すると、向かい側に普通電車が停まっている。デッキで件の車掌さんに「お気をつけて」と見送られ、普通電車に乗り換えようとして、「サンダーバード45号」をふと振り向き、わたしは、これは珍しい方向幕だな、と気づいてケータイのカメラに収める。「雷鳥」編成には「サンダーバード」のコマはないので、しかたなく「特急 雷鳥 富山」と表示している。現在の「雷鳥」は、大阪~金沢間のみの運転になっているので、通常見られない表示である。20060108231149

 待っていたのは22時35分発の福井行で、既に二十五分ほど遅れている。「サンダーバード45号」が出た後、すぐ発車するのかと思ったら、五分も経たないうちに「サンダーバード49号」が入ってきてすぐ出て行った。わたしが乗るはずだった列車だ。こんなにすぐ後に続いているとは思わなかったが、これで「雷鳥47号」が運休したことがはっきりした。
 二十三時三分頃に普通電車は発車し、わたしは鯖江に二十三時四十分頃に着いた。ほっと一息だが、芦原温泉と松任はちゃんと救済されたのか、気になるところだ。

 そして、特急券の払戻しについて案内は全くなかったのは前回と同じだ。「サンダーバード45号」は二時間以上遅れたのだから、それに乗っていた客の特急券は払戻さねばならないはずだ。

(平成18年1月8日乗車)


 

 今日も今日とてダイヤ混乱に巻き込まれた。

 関西から福井までの帰り、関西空港から(飛行機でどこかに行っていたわけではない)特急はるか26号サンダーバード91号とを新大阪で乗り継いで帰るつもりでいたところ、予定とは全く違う旅程になった。
 そこでは列車遅延時の処理について、JRの関係者がこのブログを読んでいるわけではあるまいが、このシリーズで(たびたび遅延に出会すので、シリーズにすることにした)提言してきたことが実現している一方、まだまだと思えることもあった。

 関西空港13時16分発のはるか26号に乗る予定をしていたが、これは新大阪での乗り換え時間が九分しかなく、ちょっと不安な感じがする。サンダーバード91号は指定券を取ってある。幸いはるかは三十分毎に運転されているので、一本早いのに乗れたら乗ろう、と思って早めに駅に行ってみる。
 と、「はるか」はまもなく発車、というアナウンスがホームに響いている。十二時二十五分頃である。もう12時16分のはるか22号は出て46分のはるか24号はまだ来ていない時間のはずなのに、おかしいな、と思ったが、ともかく早いのにこしたことはないだろう、と停まっている「はるか」の自由席車に飛び乗った。すぐに発車したが、日根野でやはり遅れているらしい関空快速を抜いて阪和線に入ると速度が落ちた。
 車内放送によると、これは十分遅れのはるか22号ということだった。JR京都線で発生した人身事故の影響で、関西一円のJR線のダイヤに乱れが生じている、という。ひと昔前なら、阪和線は紀勢線以外の線に直通していなかったから、東海道筋の事故に影響されることなどあり得なかった。複雑な運転系統をとるようになって、多様なニーズに応えているのはいいが、こういう時には脆い。
 阪和線は過密ダイヤなので、線内運転の普通電車などは定刻に走らせているようだ。そうすると、遅れて走る特急は、所定の駅で普通電車を抜けず、おそらく所定の一本後の普通電車の後追い運転になって、のろのろになるのだ。待避線のある駅でやっと普通電車を抜いて速度が上がるが、じきに一本前の普通電車に追いついてしまい、また牛歩運転になる。天王寺では遅れは十三分に増大、環状線に入るといよいよ過密ダイヤなので、もっとのろくなって、西九条では二十分遅れになった。ここからは特急しか走らない梅田貨物線を順調に走ったが、新大阪に近づくとみるみる速度が落ち、淀川鉄橋の上で停まってしまった。十三時二十八分頃である。
 新大阪駅は、「はるか」・「くろしお」など阪和・紀勢線直通特急の発着できるホームが一線しかない。つまり京都方面も関西空港・紀勢方面も同じ線に発着するのだ。所定ダイヤでは絶妙なやりくりをしているが、ダイヤが乱れてしまうと、ここが大ネックになってしまう。このはるかが停まっている地点も、新大阪のホームに入るのを待つというにはあまりに手前過ぎる。鉄橋の上で停まっているのは気持ちのいいものではない。しかも並行する東海道線(JR京都線)の線路を新快速や快速や普通電車が次々追い抜いていく。
「ただ今、新大阪駅のホームにスーパーくろしお号が停車しております。しばらくお待ちください」
と放送が入る。どっち向きの「スーパーくろしお」かな、と考えていると、十三時三十二分頃、右窓を新大阪を出た「オーシャンアロー」が通りすぎていった。新大阪13時06分発オーシャンアロー17号新宮行のようだ。何だ、「スーパーくろしお」と違うがな。でもこれで新大阪のホームが空いたから、もう動くだろう、と思ったら果たして動き出した。が、駅の手前でまた停まってしまった。どうも、この列車の前にもう一列車いたらしい。12時49分新大阪終着のスーパーくろしお12号が先行しているはずで、車掌さんが「スーパーくろしお」と言ったのはそれのことのようだ。だったら、さっきの「停車しております」は間違いである。
 それから十分経っても停まったままで、放送は、
スーパーくろしお号が新大阪にまだ停車しております。スーパーくろしお号が発車した後、この列車が新大阪に入ります」
と言う。待ってる列車があるのに、何でそんなに長く停まっているのか、と訝しむ。何度か同じ放送が繰り返されるうち、十三時四十三分頃、今度は右窓を「はるか」が過ぎていくではないか。13時15分発のはるか31号関西空港行のようだ。スーパーくろしおが回送で発車してホームを空けないと、はるか31号も新大阪に停まれないはずで、してみると、この列車よりもはるか31号を優先したらしい。これから関西空港に向かう列車の遅れを極力少なくしたい気持ちは分かるが、どうも釈然としない。車内放送はずっと「スーパーくろしおが停まっていて…」と繰り返していたのだ。他の列車を優先したことを知らせて僻ませないための配慮かもしれないが、情報は正確に伝えた方がよい。

 結局四十分ほど遅れて十三時四十七分頃に新大阪に着いた。これなら西九条で環状線に乗り換えた方が新大阪には早く着いただろうが、まあそうであったとしても、結果は同じであるが。
 はるかが着いたのと同じホームの反対側が北陸特急の発着線だ。発車案内を見ると、次の発車は13時35分発新快速近江塩津行、その次は13時16分発雷鳥89号金沢行、と表示されている。新快速は既に発車時刻を十分以上過ぎているが、到着までにまだ十五分ほどかかると案内がある。そもそも休日の新快速は通常なら隣のホームに発着するはずだから、相当な乱れ方である。そして、表示とは裏腹に、11時46分発のサンダーバード19号が車庫を出て大阪駅に向かっている、今度の北陸方面はこれになる、と放送している。これは現場も混乱していて、いつ何が来るか分からないような状態のようなので、わたしはホームに荷物をおいて腰を下ろし、すぐに動けるように待機した。

 混雑していたホームにいた客はほとんど新快速を待つ客だったようで、新快速が二十五分遅れで発車すると、ホームは閑散としてしまった。十四時頃に13時49分着の白浜からの特急くろしお14号が到着した。この列車は折返し14時03分発くろしお19号白浜行になるのだが、降客が終わると直ちにドアを閉めて超早業で車内清掃や座席の整備を行い、再びドアを開けると、十四時五分頃にはとっとと発車して行った。慌ただしいことだ。
 入れ違いにサンダーバード19号が入ってくる、という案内がある。
「間もなく、11時46分発サンダーバード19号、およそ百四十分遅れて到着いたします。なお、この後の北陸方面特急列車も二時間程度遅れる見込みでございます。各列車の特急券をお持ちのお客様も、この列車へのご乗車をお考えください」
 お考えください、という案内は初めて聞いた。あくまで客の責任で決めろ、ということらしい。ちょっと無責任な感じもする。
 そして、以前の記事で指摘した、定刻は過ぎているがまだ来ていない列車の指定券を持っているわたしのような客に対する案内は、大いに進歩していた。
「この後の特急、サンダーバード21号25号雷鳥89号などの指定席特急券をお持ちのお客様で、このサンダーバード19号にお乗りの方は、とりあえず自由席車にご乗車いただき、車内で車掌にご相談ください。指定席に空席がありましたら、ご案内いたします」
 これは的確な案内である。ただ、このホームの状況を見ても、前回までの経験に照らしても、指定席には空席があると察せられる。二時間もホームでぼーと待っている人など今どきいるはずもなく、サンダーバード19号の指定券を持った客のほとんどは米原回りなど他の方法を考えるか旅行を諦めるかしたのであろう。大阪駅も京都駅も同じ状況と推測される。
 一応自由席車の付近で待っていたが、入ってきたサンダーバード19号は案の定指定席車はがら空きである。ご相談するまでもないので、わたしは躊躇なく指定席車に乗った。
 車内放送では、この忙しいのにいちいちご相談を受けてられないとばかり、
「他の特急列車の指定券をお持ちの方は、指定席車の空席にお坐りください。ただし、途中駅からサンダーバード19号のその席の特急券をお持ちのお客様が乗ってこられましたら、席をお譲りください。サンダーバード19号の特急券をお持ちの方が優先でございます」
と指定席を開放した。これも的確である。
 結局前の列車が遅れていたおかげで、わたしはもともと予定して指定券を用意していたサンダーバード91よりも数分早く武生に着くことができた。ただ、わたしが持っていたのは鯖江までの指定券なのだが、サンダーバード19号は鯖江通過なのである。他の特急の指定券を持っている客がたくさん乗っていると分かっているのなら、可能性のある列車の停車駅全てをカバーするかたちで臨時停車するべきではないだろうか。

 根本的によく分からないのは、始発駅を出る時点で二時間以上遅れると分かっている特急を、なぜわざわざ運転するのか、という点である。十四時ちょうど頃に大阪を出たのだから、例えば13時42分発のサンダーバード25号が二十分たらず遅れているということにして運転し、サンダーバード19号を運休にしてはいけないのだろうか。放送で百四十分遅れなどと連呼するのも印象が悪いし、特急料金を払っている客全員に払い戻さねばならない。

 まあ今回のわたしはほとんど実害がないというか、考えていたよりも早く快適に旅行できたわけだが、それは結果論であろう。改善するべき点は改善していってほしい。

(平成19年7月16日乗車)

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大幅遅れの寝台特急下り「北斗星」

 夏季休暇は沖縄に出かけることが多かったが、台風に翻弄されたのに懲りたこともあり、その他いろいろの事情もあって、今年は北へ転じることにした。
 しかし台風はなくても、旅程が狂う要素はどこに隠れているか分からないのであり、この日も上野(うえの)から「北斗星」に乗るまでに、けっこうすったもんだしたのだが、何とか発車時刻までにホームに出ることができた。

 9月に入っての平日だから、列車もそんなに込んでいないだろう、と多寡をくくっていたら、どうして、「トワイライトエクスプレス」も「カシオペア」も満員で、「北斗星」のB寝台個室(ソロ)のキャンセルが出て、二日前にやっと入手できたのであった。「北斗星」には前にも乗ったが、それしかなければしかたがない。この列車も満席に近いようだ。

 上野駅にお尻から入線するのは前回と同じである。
 乗り込んでみると、わたしの個室は下段で見晴らしもきかず、ベッドに坐ると進行方向の逆向きになってしまう。しかし部屋が取れただけ幸運と思わねばならない。 

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 シャワー券を確保したいので、荷物を置いてすぐ食堂車に行く。暑い季節だから同じ思いの人が列をなし、発車前に夜の分は満員となった。わたしはもとより朝風呂のつもりだったから支障はなく、無事シャワー券を手にした。そうしている間に列車は動き出している。 
 寝台券が直前の購入だったので、ディナーの予約までは手が回らなかった。予約なしで利用できるパブタイムが始まるのは21時30分頃になる。それまでの無聊に堪え得ず、自室で持ち込みの缶ビールを開け、ちょっとしたつまみを口にした。

 待ちかねたパブタイムの案内放送がかかった。席を立って出かける。既にロビーカーで待っている人もおり、その人たちが優先して席に案内される。わたしの個室はあいにく食堂車を挟んでロビーカーの反対側であり、列に並ぶのは億劫だった。しかし、開店後に覗くと、幸い空いたテーブルがあったので、嬉しく坐る。
 メニューはそれほど豊富ではないが、酒類はもちろん、ソフトドリンクからスィーツ、おつまみに本格的な食事まで、ひと通りの形態のものはある。
 わたしは、ピザとワインをいただくことにした。

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 レジで代金を支払いながら、ウェイターさんに、
「朝食営業は何時からですか」
 と訊くと、
「6時半からですが、10時オーダーストップですので、遅めにこられるといいですよ」
 と、目配せするように笑う。その意味は、その時は分からなかった。
 いい心地で連結器を跨ぎ、そのまま自室で横になる。適度の揺れが眠気を誘う。

 様子がおかしい気がして、目が醒めた。六時前くらいに起きるつもりだったが、窓から薄明るい光が差しているので、時刻はほどよいようだ。おかしいのは、さっきからかなり長い間、列車が停まったままのような気がすることである。
 わたしは、カーテンをそっと開けてみた。駅に停車している。駅名標を目で探すと、「三沢」とある。青い森鉄道の三沢(みさわ)駅である。定刻ならもう青函(せいかん)トンネルを抜ける頃だから、かなり遅延しているようである。
 少し早めのおはよう放送が入った。前を走る貨物列車が人身事故に遭い、現場検証の都合で三時間ほど運転を見合わせている、まもなく運転再開の見込み、とのことである。
 次いで、食堂車からは、朝食を予定どおり供する旨、放送が入る。

 六時二十五分頃に食堂車を通り抜けてロビーカーに行ってみると、けっこうな行列である。一輌の半分しかないロビー部分に列ができるので、心理的な混雑の度合いが大きい。ウェイトレスさんが現れ、
「浴衣姿、スリッパ履きでのご利用はお断りしております」
 と告げる。該当する人が慌てて着替えに帰るが、連れに場所取りを頼んで列を離れるから、順番が繰り上がることはない。
 六時半に開店したが、すぐにテーブルは客で埋まっていく。相席になったりグループがばらけたりするが、それでもわたしのすぐ前で満席となった。席に着けなかった客は、ウェイトレスさんに名前を告げ、ロビーカーで待機となる。
 朝食など、早い客は三十分もかからずに食べ終わるだろうから、すぐに呼ばれるな、と思っていたが、なかなか呼びに来ない。そうする間にも新たな客が現れて食堂車に入って行っては、悄然とロビーに戻ってくる。ロビーはどんどん込んでいく。
 七時を過ぎ七時半を過ぎ、八時が近づくと、だんだん焦りが出てくる。困ったことに、シャワールームの予約時間は、8時30分からの三十分間なのである。開店時に行けば、少し待つにしても、二時間もあれば食べ終えることができるだろう、と思ったのだ。それが危うくなってきたではないか。
 八時を過ぎて、ようやく名が呼ばれた。なんでこんなに時間がかかるのか、見定めてやろう、と意気込んで食堂車内に入ってみると、事情が分かった。開店時に入った客が全て食事を終えて退散するのを待ってから、テーブルセットを整えて第二陣を迎え入れたのである。とりあえず、指定された端の二人席に一人で着く。
 わたしの後も次々客が呼ばれてはテーブルを占めていく。それにも時間がかかる。しかも、まだ多数ロビーカーで順番を待っているのに、第二陣は相席をさせないのである。空席を残したまま、オーダーをとりはじめる。格式として相席を認めないのは分かるし、第一陣の相席は客の自発的なものだったので、黙認したのだろう。待たせた客への配慮としてゆったり食べてもらうという意味もあろう。それはありがたいが、まだ待っている人にちょっと申し訳ない。
 結局、和定食の主菜が出てきたのは、八時二十分になってからだった。確かに待っている間がもてないから、相席でないのはありがたい。メニューは前回と変わらない。

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 八時半に食べ終えるのはどう考えても不可能である。シャワーカードは払い戻すか時間帯の変更をしてもらおうか、と考えたが、食べはじめてみると、どんどん箸が進む。最後のコーヒーまで順調に進んで、四十分には席を立つことができた。
 こうなると、なんとなく挑戦的意欲が湧いてきて、わたしは急ぎ足で自室にとってかえすと、風呂の用意をしてシャワールームに急行し、残り十五分ほどでカラスの行水を無事に終えてしまった。

 慌ただしくも長い朝の時間が過ぎた。その間に列車は北海道に入っている。
 函館が近づくと、車内放送は、札幌へお急ぎの方は函館で後の「スーパー北斗」にお乗り換えください、と繰り返す。しかし、ここまで遅れてしまって、四十分やそこら早く着いてもしかたがないので、乗り換えようとする客は少ない。函館には九時五十分頃に着いた。「スーパー北斗7号」は10時40分発なので待ち時間はかなりあるが、一晩乗り続けた客にとってはいい休憩かもしれない。
 函館本線に入ると、長い距離単線が続くので、交換待ちでますます遅れるのではないか、とも思ったが、元々列車本数も多くなく、森(もり)までは路線が二手に分かれていることもあり、割合順調に走っていく。

 東室蘭(ひがしむろらん)を十二時四十分頃に出た。
 そこで食堂車から放送が入る。営業終了のお知らせかと思ったら、臨時に昼食営業を行う、と言うではないか。これはこれは、と腰を上げる。上り「トワイライトエクスプレス」の時は、列車が遅延しても昼食を供することはなく、お昼には食堂車の全ての営業を終えてしまった。それと対照的である。逆に、所定では下り「トワイライトエクスプレス」でしか行われなくなった食堂車の昼食営業を体験できるのは、ありがたくも珍しい。それで、わたしも非常用食糧はバッグに一応用意してあるにもかかわらず、敢えて食堂車に行くことにしたのである。
 ただ、アナウンスの十二時四十分という時刻に加え、オーダーを受ける時間は十三時まで、短く区切られている。しかも、メニューはビーフカレーのみだと言う。これでは、出かけようとする人は限られるだろう。朝食の最後の客が終わったのは十一時頃になっていたはずだ。そこから昼食の態勢を整えるのに、これだけかかったということか。

 テーブルに着いてみると、思いの外きちんとしたメニュー、といっても一品だけだが、それが用意されている。昼食営業はちゃんと遅延時の対応として準備されているようだ。ビーフカレーなら、缶入りのルー湯煎しただけで出せるから、多めに積んであるのだろう。パブタイムなどで出るビーフカレーは別容器にルーを入れていたと思うが、この時は、皿に盛られたのが出てきた。  

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 この他、ドリンク類は全て注文できる。わたしはアイスティーを追加した。
 臨時営業にしては充実した内容だと思ったが、やはり抜き打ち的告知ということもあり、利用したのは六組八名のみであった。食堂車としても、これ以上詰めかけられても困るのだろう。
 そうしているうち、列車は登別(のぼりべつ)に停まり、その先の竹浦(たけうら)で運転停車する。ここで「スーパー北斗7号」に抜かれた。同じ列車の中で三食も食べて、すっかり腹がふくれ、自室で横になってまどろむ。日本一長い直線区間に入っているので、乗り心地がよい。

 札幌が近づく。部屋の片づけと降り支度をせねばならない。

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 札幌に到着したのは十四時三十八分であった。十九時間半にわたる「北斗星」の旅は、珍しくも愉しいものになった。列車が遅れたからと苛々しなくていいのが、休暇中の旅行のいいところである。こんなこともあろうかと、後の予定もあんまり詰め込んではいない。
 わたしは精算所へ行き、特急料金を払い戻してもらった。寝台券は前回乗った時と同じ体裁なので、手離すのは惜しくない。

(平成24年9月乗車)

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上り「トワイライトエクスプレス」 2~ 大遅延も雪を走り抜く

「太平洋フェリー新船「いしかり」の北航」から続く)

INDEX
 1.札幌駅~ 入線まで
 2.札幌駅発車
 3.五稜郭・就寝まで
 4.起床~ 直江津まで
 5.最後の力走 


1.札幌駅~ 入線まで

 苫小牧駅から急ぎ札幌に向かおうと思うが、雪のためJRもダイヤが乱れている。間もなく札幌方面行の普通電車が発車する、と構内放送があったので、急いでICカードをタッチして改札を入ろうとすると、バーが閉まってしまう。何度やり直しても同じである。
 しかたなく、券売機で切符を買うことにするが、そうしているうちに普通電車は出てしまった。次の札幌方面は、特急である。しかも三十分以上待たねばならない。少しでも早く出る列車に乗ろうと、港からタクシーを飛ばした意味がなくなった。連絡バスでも間に合った時間になるのである。
 特急券を買わねばならないので、「みどりの窓口」へ行くと、若い女性係員が坐っている。今度の「北斗」札幌まで指定席の特急券だけ1枚、と告げると、
「乗車券はお持ちですか」
 と係員が言うので肯くと、
「どのような乗車券ですか」
 と、何の愛想もなく言う。
「そこの券売機で買った普通乗車券ですが」
「見せてください」
 何かを疑われているようで不愉快だし、なんで乗継割引でもない特急券を買うのに乗車券の提示を求めるのか、と怪訝ながら、不自由な指でポケットから探り出す。と、
「特急券もご一緒でよろしいですか」
「は? だから特急券をください、と言ってるんですが?」
 さすがにちょっと声を大きくして言い返す。もう少し話の通じる係員を配置してほしいものである。が、まあもたつくのも時間つぶしにはなる。
 改札機を改めて見て気づいた。北海道はスイカは使えてもイコカは使えないのであった。さっきはイコカを一所懸命タッチしていた。スイカも持っていたので、そっちを使えばよかったのだ。

 札幌に着いたのが、十三時十五分頃である。これから乗ろうとする「トワイライトエクスプレス」の発車まで一時間もない。わたしは地下街などへ買い出しに歩いた。

 「いしかり」で苫小牧に着いて、そのままその日の「トワイライトエクスプレス」で帰るなど、正気の沙汰でなく、いったい何しに北海道まで行ったのだ、と呆れられることであろう。が、今回の旅は「いしかり」試乗が主目的であって、乗ると着いてしまっただけで北海道に用はない。
 帰りは当初飛行機にするつもりで、新千歳発便の「旅割」を早くから予約してあった。翌日の予定なども勘案してそうしたのだが、旅行日が近づいてくると、抑えつけた蟲がうごめいてきた。「乗り鉄」としては、せっかく北海道方面に魅力的で貴重な寝台列車が通じているのに、飛行機で戻るのが勿体ない気がしてしかたなくなったのである。
 しかし年末の連休明けだし寝台券などとうに売り切れではないか。運試しに、一週間ほど前に駅の窓口に出向き、この日の寝台特急の空席を調べてもらった。すると意外にも、「日本海」のA寝台と「トワイライトエクスプレス」のA個室に、それぞれ一席だけ空きがあった。マニアとしては、廃止が発表されて寝台券が取りにくくなっている「日本海」が空いていたことを驚喜するのがセオリーなのだろう。しかし、「日本海」には春に乗ったばかりだし、車内設備が何もない「日本海」とクルーズトレインとも呼ばれる「トワイライトエクスプレス」と、純粋にどっちに乗りたいか、と問われれば、やはり後者である。わたしはあまり迷わずに、「トワイライトエクスプレス」のA個室寝台券を購入した。
 とはいえ、冬季の寝台列車は、風雪の影響による運休もしばしばある。それで、航空券もキャンセルせずに残してあった。旅割だから、どうせいつキャンセルしても半額くらいしか戻ってこないし、連休は大雪の予報になっている。

 さて、発車直前に札幌駅に戻ってきてみると、電光掲示に「雪の影響により、大阪行トワイライトエクスプレスは、発車が大幅に遅れる見込みです」と表示されている。さっきから何もかもが裏目に出ている。苫小牧からの特急料金も無駄だったわけである。
 そんなことより、「トワイライトエクスプレス」は何時に出るのであるか。わたしは、改札の係員に訊ねてみた。すると、意外な答えであった。
「それが、大阪からの下りがまだ着いてないんですよ。もうすぐ着きまして、それから基地で整備するのに二時間ほどかかるので…」
「じゃ、早くても十六時くらいということですか」
「まあ、それくらいになりそうですが、発車時刻が決まったら、放送でご案内します」
 放送で告げるのでは、改札口付近にずっといなければならない、ということである。空港のように、登録しておけばメールで連絡してくれたりするようになればいいのだが。

 心もとないことになったが、このように始発駅から大幅に遅れた状態で運行するのも、雪の季節ならではの貴重な体験である。どういうことになるのか、記録する価値はあろう。
 そのため時刻や時間が文章中にやたら現れて、煩く感じられる読者も多いと思うが、鉄道に関する記録にはそういうものが重要なので、ご容赦いただきたい。乗車日は札幌発平成23年12月26日である。

 やることもないので、入場券を買ってホームに上がり、下りの到着を出迎えることにする。十四時二十分頃、入ってきた。

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 乗客たちは、さほど疲れたふうもなく、ホームに次々降りてくる。快適な列車だし、急ぐ人が乗るわけでもないのだから、遅れはさほど苦にならないのかもしれない。早速にも清掃のおばさんたちが乗り込んで、寝具の片づけにかかるのが見える。
 基地への回送を見送ってから、再びコンコースに降りた。しばらくうろついているうちに、放送が入り、上り「トワイライトエクスプレス」の発車が16時55分に決まった、ということである。
 二時間以上あるので、地下の食堂街で食事することにする。船を降りてからどうも慌ただしくて、まとまった昼食をとっていなかった。それに、乗車後のことも心配である。雪のためさらに大幅な遅れ、また立往生という最悪の事態もあり得る。非常用食料も買い込んでおいた方がよかろう。
 駅の地下街に行き、以前の記事「番外~ 携帯用カツカレー」でご紹介したカツカレー棒を購入することにする。嵩張らぬ食事としてはあれがいい。
 店を見ると、新しい商品として「そばめし棒」が出ていた。カツカレー棒と一本ずつ買う。後で食べてみたところ、やはりそばめし棒には違和感がある。理由は、以前の記事の「チーズドリア棒」と同様で、そばめしにはパン粉の衣が蛇足なのである。下の写真で上がそばめし棒、下がカツカレー棒である。

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 また、「カリカリチーズ揚げ」という、棒状のプロセスチーズを餃子の皮のようなもので巻いて揚げてあるものが、あちこちの店で売られていた。札幌あたりではポピュラーなものなのだろうか。これは酒の肴にもよさそうなので、やはり買い込む。

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 十六時三十分頃、改札に戻ってみると、ついに発車案内に「トワイライトエクスプレス」が現れた。十六時・十七時台の列車に混じって、定刻で表示されている。発車と同時に、乗客全員が特急券払戻し対象者にほぼ決定するわけで、このあたり、「新しい出発時刻」などと平然と案内する飛行機とは違い、律儀である。
 わたしにしても、この払戻しがあるなら、さきほどからのタクシー代や特急料金が相殺されお釣りがくる。妙な帳尻の合い方である。

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2.札幌駅発車

 入線を待ちかねて、指定されたA寝台一人用個室(ロイヤル)に入る。何度目かのロイヤルだが、かなり久しぶりだ。
 諸設備が充実している。ただしもちろん、列車の中としては、ということである。船やら、もちろんホテルやらとは比べるべくもないのだが、乗り鉄としては十分愉しい。
 食堂車「ダイナープレヤデス」につながる内線電話は、飲み物のルームサービスにも利用できる。以前は料理も頼めたと思うのだが、現在は飲み物のみとパンフレットに明記されている。ディスプレイは、エンドレスで流されている映画のDVDが観られる。テレビ放送が観られるといいのだが、残念ながらできない。
 シャワールーム兼洗面所兼トイレが、非常にコンパクトにまとめられている。壁から上の段を引き出すと洗面所になり、下の段は洋式便器である。前の立ちスペースは、シャワーを浴びる場所にもなる。トイレットペーパーがシャワーに曝されることになるので、シャワーを使うときにはトイレットペーパーを外して棚の上に置く方がいいだろう。いずれにしても、うまく設計したものといつも感心する。

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 私の隣の部屋は、A寝台二人用個室(スィート)で、これは編成中に二室しかない、この列車、と言うより、わが国の列車で最高峰と言ってもよさそうな個室である。二台のベッドの他にソファを備えたリビングもある。
 もちろんプラチナチケットで、わたしも乗ったことはないが、隣室を射止めたのは大学生風の若い男子二人連れで、明らかに鉄道マニアである。壁越しに大いに興奮しはしゃぐ声や、カメラのシャッター音が聞こえる。ちょっとうるさいが、気持ちはよく分かる。

 「ダイナープレヤデス」」のスタッフが、個室を回る。A個室にはウェルカムドリンクがあり、その希望を訊かれる。ソフトドリンクを含めていろいろ選択肢があるのだが、もう夕方だし、赤ワインを選ぶことにした。
 なお、朝食の予約は、B寝台の客も含めてこのときに入れることになるが、当然、早い者勝ちで希望の時間が埋まってしまうこともある。スタッフはA個室を優先するため、1号車から順に回る。B寝台に乗っているとき、希望の時間を確実に取りたければ、発車直後に4号車サロンカーにいるとよい。

 さて、ウェルカムドリンクが届いた。

 ワインはグラスではなく、ちゃんとしたハーフボトルにオープナーも付けてくれている。お茶はすべてのA寝台客に支給するようである。
 それと、備品にはティッシュボックスもあって、これは普通より小ぶりのため、職場でテーブルに置いておいたりするのに重宝で、いつも喜んで持ち帰る。 

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 そんなことをしているうち、いよいよ発車である。

 案内されていた発車時刻よりさらに遅れ、十七時二十一分頃にゆっくり動き出す。
 車掌さんも回ってきて、検札とともに、ルームキーのカードを渡してくれる。久しぶりなので、一応開け方をレクチャーしてもらっておく。部屋の説明も、希望すれば詳しくしてくれる。
 最初の停車駅である南千歳(みなみちとせ)のホームは、雪と氷に荒れている。石勝線方面からの乗換客を受ける駅だが、どれほどの乗車があったのだろうか。十七時五十九分頃発。
 新千歳空港を遠望して、ふと思い出した。もう列車も無事発車したことだし、とケータイを操作し、あの飛行機の予約をキャンセルする。飛行機も空港の除雪の影響で離陸が遅れたため、無手数料の全額払い戻しとなっていたのが、わたしには幸運である。
 さっき通ったばかりの苫小牧を十八時十九分頃、登別(のぼりべつ)を十八時四十八分頃に発車する。このあたりまで、走りは順調である。窓外はもう真っ暗で、時間帯からすれば上野行「北斗星(ほくとせい)」に乗っている気分がする。いつもの「トワイライトエクスプレス」だと、この区間で午後のティータイムが「ダイナープレヤデス」で実施されるところだが、今回は省略、既に予約ディナーの営業にかかっている。


3.五稜郭・就寝まで

 わたしも、十九時三分頃に東室蘭(ひがしむろらん)を発車したところで、自室内で店開きし、ワインも開けてゆっくり呑みはじめる。列車内の自分専用スペースで、流れ行く北国の景を見て揺られながら酔いが進んでいく。乗り鉄としてこれ以上の幸せがあるだろうか。
 元々酒に弱いわたしだが、四年間の禁酒が明けてからは、以前よりも酒を欲する度合いが強くなった。反動もあろうし、肝臓がしっかり休養していたこともあるだろう。それで、大したつまみも食べなかったのに、手酌を何度か繰り返し、気がついたらボトルは空であった。
 その間に、北海道側最後の停車駅である洞爺(とうや)を十九時三十九分頃に発車した。三時間六分遅れである。すっかり気分がよくなって、アルコールはもう十分な気がするので、わたしはお茶を開栓し、札幌で買ったサザエのおむすびを食べた。

 夕食らしきものはこれで済んだが、「ダイナープレヤデス」はパブタイムの営業に入っている。こういう運行状態のとき食堂車はどんな感じなのか、と思って、ちょっと覗いてみる。ドア越しに店内を見てみると、数人の一人客がちびちびやっているようである。
 そうしていると、ウェイトレスさんがドアを開け、どうぞ、と招じてくれる。せっかくなので、テーブルに着いた。が、あいにく、隣のテーブルの先客と、顏を見合わせるような坐り方になってしまう。坐ってからそう気づいたが、坐りなおすのも気が進まない。なぜこういうことになるかというと、ちょうど今、函館の一つ手前の駅、五稜郭(ごりょうかく)に停まったところなのである。ここから津軽海峡線に入るため、進行方向が逆になる。誰だって前向きに坐りたいものである。
 メニューが来たが、もう食べる方も呑む方も欲していないので、トマトジュースを注文した。好物だが、船の中では飲めなかった。ついでに、「トワイライトエクスプレス」関連グッズを購入しておこうと思い、そのカタログを見せてもらうことにした。

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 列車はまだ停まったままだが、先客はわたしと目を合わせないようにするのに疲れたのか、先に席を立った。それと入れ替わるように、あのスィートの二人が来店した。彼らは予約ディナーを食べたはずで、うわずった声で話しているので壁越しにそんなことまで知り得るのだが、さらにパブタイムで何か呑むらしい。こうなったら「トワイライトエクスプレス」の全てを味わいつくしてやろう、という意気込みなのだろう。
 カタログを見て、新顔のグッズで、実用的なものになりそうなのを買うことにする。ちゃんと列車オリジナルのレジ袋に入れてくれる。レシートにもエンブレムの柄が印刷されている。

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 購入したのは、まず「トワイライトエクスプレス」の機関車の形をしたホッチキスである。

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 そして、絆創膏。列車とロゴがさまざまにデザインされたものである。なかなか恰好いいが、あんまり怪我が治りそうな感じはしない。

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 列車は二十一時五十五分頃に五稜郭に着いてから、ずっと停まったままである。隣のホームに、札幌を定刻だと18時13分に出た特急「北斗(ほくと)20号」函館行が追いついてきた。あちらも少し遅れている。
 二十二時二十三分に、やっと動き出す。走りながら飲み食いしてこそ食堂車だと思うので、わたしはこれでようやく納得し、会計してもらい自室に戻る。

 外の灯もまばらになっていくし、酔いは回っているし、そろそろ寝支度をする。昼間はソファになっている部分を電動でベッドに変換するのである。背もたれが座面を越えて手前に倒れ、座面と連続した平面を形成するまで下がり、その上にシーツを広げれば、ベッドができあがる。

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 早速にも寝っころがりたいが、その前にカーテンを確実に閉めておかねばならない。朝、明るくなって駅に停まったとき、ホームや隣の線路の列車から、いぎたない姿を見られることになってはみっともないからである。備え付けの浴衣はわたしにはサイズが小さめであり、ちょっと寝返るだけで胸や太股が露出しそうでもある。
 青函トンネルもだんだん近づいているが、さすがに何十回も通ると飽きた。夜のトンネルというものは、そんなに何度も観察するほどのものではない。寝よう。
 電気を消して部屋が暗くなると、カーテンをめくって瞥見する外の雪が眩しいほどになる。明日の朝起きて、どこを走っているか、楽しみである。六時前くらいに起きるつもりだが、山形県の鶴岡(つるおか)を過ぎたあたりかな、と一人予想する。心地よい、というには少々激しい横揺れのなか、それでもわたしは眠りに就いた。

 「トワイライトエクスプレス」には、何度乗っても飽きない。暫く乗らないでいると、また乗りたくなる。やはり列車トータルのサービスが完成されているからだろう。
 上野~札幌間の「カシオペア」も、客車も新しくていいのだが、全車A寝台二人用個室という敷居の高さがある。「トワイライトエクスプレス」なら、開放式のB寝台もあって、気楽に乗れる。船のサービスを線路の上に置き換えるという発想で生まれた、文字どおりクルーズトレインであり、棧敷席から個室まで共存するのがまさに船だ。
 戦前の列車で言えば、「トワイライトエクスプレス」は各等特急「櫻」というところか。「カシオペア」が一二等特急「富士」に相当するが、もちろん、列車の設定目的もムードも、戦前とは似ても似つかない。こんな列車が走る時代に生きていることは、大仰だが運命的な巡り合わせ、という気がする。


4.起床~ 直江津まで

 
 目が醒めてカーテンを細く開けてみる。かすかに空が青みを帯びているから間違いなく朝だが、雪しか見えない。まさか北海道を出ていないわけではなかろうな、と思ってケータイの地図アプリを起動して現在位置を確認してみる。
 今しも通過した駅は、羽越線の小砂川(こさがわ)であった。さすがに本州ではあるが、まだ秋田県ではないか。予想よりもだいぶ手前であり、夜の間もどこかで足止めをくったらしい。定刻ならもう新潟県の長岡(ながおか)を過ぎていないといけない時刻だ。「トワイライトエクスプレス」の旅をより長く味わえる、ということではあるが、あんまり遅れると、運転打切りで強制的に新幹線や昼行特急に乗換えさせられるのではないか、と不安にもなる。「ほどよい」遅れ具合を望むなど、身勝手だと分かっているが。

 六時三十分にスピーカーからチャイムがこぼれ、おはよう放送である。四時間十三分遅れで走っている、とのことだ。こちらの心配をよそに、打切りだの何だのいう話は全く出ないし、続いて「ダイナープレヤデス」からは予定どおりの時間で朝食の案内がある。そのうち、六時四十二分頃、鶴岡を通過した。空は白くなってきたが、地面も相変わらず真っ白である。

 七時になると、「ダイナープレヤデス」からモーニングコーヒーが届いた。

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 これも、乗車直後にスタッフが来た時に、時間を指定して頼んでおいたもので、A個室のみのサービスである。本来は、一緒に朝刊も持ってきてくれるのだが、今日は積み込みが遅れているのか、添えられていない。ベッドから身を起こしたままの姿勢で動く景色とコーヒー、これもまた至福である。

 朝食は7時30分からの回の和定食を予約してあるが、二十五分くらいにはもう案内放送がかかる。
 隣の号車なので、すぐに席に着く。テーブルにはおかずがもうセットされていて、客が着席すると、ご飯と味噌汁が運ばれる。
 と、駅に停まった。昨日から、ひとが食堂車に行くと途端に停まってしまう。しかも停まったままさっぱり動かない。ここは、越後寒川(かんがわ)の駅で、名のとおりやっと新潟県に入ったのである。

 ご飯はちゃんとお櫃に入って出てきて、自分で茶碗によそうことになる。軽く二膳分ほど入っている。
 おかずは、それほどボリュームはないが、朝だからこんなものだろう。焼鮭やひろうすはほんのり温かい。

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 ひととおり箸をつけても、まだ列車は動かない。

 そんなに行き違いに時間がかかるのか、と思っていると、酒田(さかた)発新潟行特急「いなほ4号」が追い抜いて行った。

 二十分ほども停車したことになり、のっそり発車する。わたしも食事を終え、自室に戻る。八時四十分頃に放送、越後寒川が響いたのか、四時間三十六分遅れになっていた。直江津到着は十一時ごろの見込み、とのことだが、その先の時刻は分かり次第案内する、と言う。その先まで行くつもりであることが分かり、ちょっと安心する。
 瓢湖(ひょうこ)に近い水原(すいばら)を通過する。瓢湖はラムサール条約にも登録された、白鳥の飛来地として知られる人造湖である。この季節はまさに白鳥が多く滞在しているわけで、湖は駅から一キロほど離れているのだが、線路際の田んぼにもぽつぽつとその姿が見える。

 朝の最初の停車駅、新津(にいつ)に停車する。九時十八分に到着して、ここでも十三分の長きにわたって停車した。この先は複線なので、線路容量にも余裕があるはずだが、突発的なダイヤを挿入するのは困難とみえる。
 新津を出ると、また車掌さんの放送が入った。
「これより、皆様にカンパンとお茶をお配りいたします。カンパンと申しましても、固いパンではございません。缶に入った柔らかいパンでございます」
 元々列車に積んであるのか駅で積み込んだのか知らないが、こういう用意があったのか、と思う。この冬はけっこう列車が遅れた日が多いので、大いに消費されたことだろう。もちろん定員分あるのだろうが、配るのはやはりA寝台優先である。災害備蓄用のパンであった。
 
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 何もないよりはいいが、「トワイライトエクスプレス」にしてはわびしい食事である。途中駅の駅弁でも積み込めないのか、と思うが、JR西日本の列車としては、東日本エリアでそういう手配は難しいのかもしれない。今更ながら国鉄の分割が恨めしくなる。 西日本エリアの富山まで行けば、「ますのすし」くらい積み込めそうだが、富山に着くのは昼を過ぎそうなのである。
 新津で四時間五十六分に達した遅れだが、長岡では四時間四十分にやや短縮した。通常は長岡で十二分停まるダイヤのところ、すぐ発車したからである。
 その長岡発車後、京都・大阪方面に急ぎたい向きは富山で「サンダーバード」に乗継ぎができる旨、案内放送がある。急ぐ人に配慮するなら、上越・東海道新幹線を使った方がよさそうなのだが、長岡を過ぎてから放送を入れるのは、新幹線への振替えを避けたいという意図があるようにも思える。そちらには、JR東海という第三社が介在することになるので、なにかと厄介なのだろう。これも分割ゆえである。


5.最後の力走

 直江津を十一時十五分頃に発車して、ようやくJR西日本の路線に入った。車掌さんらも、ここからは自社線なので、何かあっても地上に対処してもらいやすく、気が楽であろう。
 急ぎの客は富山で「サンダーバード26号」の自由席を利用できることが告げられ、希望者は申し出るよう呼びかけられた。これに乗換えたとしても、大阪着は16時37分となり、「トワイライトエクスプレス」の定刻より三時間四十五分も遅れる。が、急ぐ人、というより、この列車に乗り飽きた人は、そろそろ乗換えたいことだろう。わたしなどは、こんな時間に寝台列車でこの区間を旅するのが珍しく、乗換えるのがかえって勿体ないと感じる。今度は昔の特急「白鳥」の気分だ。
 「ダイナープレヤデス」からは、ドリンクやグッズの販売やワゴンサービスを含め、全ての営業を十二時で終了する旨の放送がある。そこだけ定刻どおりなのは世知辛いが、契約がそうなっているのだろう。「北斗星」などは、大幅遅れで昼過ぎまでの運行となったときには特別に食堂車のランチ営業が行われ、そのためのメニューも用意してあるそうだが、それも大半が自社エリアを走るからできることのようだ。ろくに休憩時間もなく、揺れる車内でサービスに努めてくれたスタッフには、感謝せねばならない。
 それにしても、あの缶パン以外ろくに食べ物もないまま大阪まで行くのか、と心配になる。が、またアナウンスがあり、金沢で買物のため十五分ほど停車する、と言う。高速バスのサービスエリア停車のようなもので、いい配慮だ。食堂車や車内販売のない他の夜行列車や長距離特急にも、これを導入してほしいものである。
 こうした手配で、遅れへの対処が一段落したのであろう、車内放送には沿線・車窓案内を交える余裕がみえはじめた。

 富山には十二時三十九分頃着、四十一分頃発。通常なら朝食の時間帯に通る駅だが、今はそれぞれ缶パンを開けているのだろうか。
 「大阪」という行先だけを見て、間違って乗ろうとする客がいたのか、
「寝台料金が必要になります」
 と車内放送がある。

 料金が必要、というより、こういう列車は、夜の停車駅での下車と朝の停車駅での乗車は、はっきり断る方がよい、とかねがね考えている。高速バスのクローズドドアほど杓子定規にはできないにしても、列車の設定趣旨からあまりにも逸脱した区間の指定券は、発売をやめたり制限をかけたりしてもいいと思う。
 こんな主張は、わたしたち愛好家の自縄自縛になることも分かっているし、わたし自身学生時代には奇異な乗り方をしたこともあるから、臍を噛みつつ言っているのだが、実用的・実務的に鉄道を使うことが多くなるにつれ、そういう思いが強まった。
 近鉄特急だと、鶴橋(つるはし)や大阪上本町(うえほんまち)では、大阪難波(なんば)行特急には「当駅からはご乗車になれません」という毅然たる案内をしていたと思う。路線や運転系統が複雑なJRでは、よく停まる昼行特急などは判断が微妙になるのだが、考え方の基本はそうあるべきである。

 乗換え指定列車となる「サンダーバード26号」の発車は13時06分である。かなり時間があるし、この先の金沢で乗換えても同じ列車になるはずなのだが、ここでの乗換えを案内するのは、やはり買物休憩時間を提供するためだろうか。あるいは、始発駅から乗って席を確保してもらおう、という意図があるのか。いやしくも寝台列車の振替なのだから、空席があるかぎり指定席を用意してほしいし、A寝台の客はグリーン車に案内するべきだと思う。
 高岡(たかおか)に停まり倶利伽藍(くりから)峠を越えて、石川県に入って行く。

 金沢には十三時二十五分頃に着いた。買物停車は十五分程度ということであったが、わたしはもっと停まると踏んでいた。後から名古屋行特急が迫ってきているはずだからである。
 ともあれ、わたしは特に何も買おうとは思わないが、ホームを散策した。車掌さんや食堂車スタッフも、思い思いにホームを歩いている。
 ホームの表示を見ると、この列車は「回送」となっていて、正確な表示ではない。誤乗防止のためかとも思ったが、定刻のときはちゃんと列車名と行先を表示していたはずだ。定刻であっても乗られては困ることにかわりはないと思うが。金沢では既に乗車を抑止(つまり、もう新たにこの列車の寝台券を発行しない)する措置がとられていたのかもしれない。

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 予想どおり、13時46分発の名古屋行「しらさぎ10号」が発車した後でこの列車が発車した。例の「サンダーバード26号」も間もなく到着するのだが、これは金沢で八分も停車して車輌を増結することになるので、とりあえずこちらが先発するのだろう。
 発車して間もなく、ドアがノックされ、「ダイナープレヤデス」の女性スタッフが、遅くなりまして、と恐縮しながら朝刊を渡してくれる。新聞の積込み駅はここと決まっているのであろう。本来の勤務を終えた後のサービスと思われ、こちらこそ申し訳ない。
 美川(みかわ)で待避線に入って停まり、その「サンダーバード26号」に抜かれる。福井県に入った芦原(あわら)温泉でも待避線で停まったのだが、なぜか何にも追い越されることなく、すぐ発車した。定時だとここで「サンダーバード」を待避するはずなので、それに倣っているのだろうか。

 さて、わたしはちょっと落ち着かない気分で窓を、というか、対向の線路を、見つめはじめた。珍しい光景が見られるかもしれないからだ。春江(はるえ)を通過して暫くしたところで、期待どおりのものが現れた。 

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 長途の旅に挑まんとする下り札幌行「トワイライトエクスプレス」である。こんな所で上下が擦れ違うのは珍しい。あちらは今のところ定刻らしいが、この先羽越本線や北海道の雪は今夜も激しく深いはずで、やはり札幌着は少なからず遅れるであろう。安全な道中を祈りたい。

 福井には十四時五十五分頃に到着した。
 この先、敦賀(つるが)での機関車付替え停車を除けば、これといったイベントももうなく、大阪まで「サンダーバード」に脅かされつつ地道に走るのみであろう。所要時間が二十四時間を越えることはほぼ確実だ。そして、ここまで帰って来ても、窓外を支配するのはやはり白なのであった。


(平成23年12月乗車)

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特急「なは」の夢路~ 新幹線「さくら」とフェリー「クイーンコーラルプラス」

1.特急「なは」の軌跡を辿る

 かつて国鉄~JRには「なは」という名の特急があった。これは、アメリカに占領されたままだった沖縄の早期復帰を願って、沖縄地域での公募により名付けられ、昭和43年に新大阪~西鹿児島(現・鹿児島中央)で運転が始まったものである。

 国鉄の付けた列車名には、誇大気味とも言えるもの少なくなかった。西鹿児島発着の列車も例外でなく、九州本土から離れた「あまみ」「屋久島(やくしま)」という列車名がみられたので、「なは」もその延長線上とは言えるだろう。鹿児島港から沖縄方面の船に連絡はできたから、それを織り込んだ愛称と解釈できなくもないのだが、特に「なは」のダイヤが船との接続を意識していたというわけではない。
 ともかくも、那覇とはずいぶん強引に迂遠の先を見据えたものである。大阪から鹿児島までと鹿児島から那覇までと、直線距離はほぼ同じである。

 沖縄が復帰してから、本土からの往来は当然繁くなったのだが、「なは」と船の乗継ぎで行った人がどれだけの割合いたかは、覚束ない。東京や関西と沖縄との間を直航する航路もあったし、この距離では昔から航空機が主流であろう。
 それでも、わたしは天の邪鬼なので、敢えて「なは」の名が志向したルートで沖縄に向かってみることにする。もう在来線の特急「なは」は走っていないが、新幹線が鹿児島までつながり、新大阪から直通運転を始めたのである。  

 そこでわたしは、新大阪駅から新幹線「さくら」鹿児島中央行に乗り込んだ。大阪で鹿児島の行先を見るのは新鮮である。

 「なは」は運転開始時、ディーゼルカーによる特急であった。まだ鹿児島本線が全線電化されていなかったのである。電化が完成すると、電車に置き換えられた。
 昭和50年に新幹線が博多(はかた)まで延伸されると、「なは」を含む関西・九州間の在来線昼行特急は全廃された。しかし国鉄は、命名の経緯からいって「なは」の名を時刻表から消すにしのびなく、これも強引に割り込ませるかたちなのだが、大阪(関西)発着で鹿児島本線系統の寝台特急八往復のうち、一往復を「なは」と改称することとした。国鉄は同じ系統の列車は同じ愛称に統合していく方針をとっている最中だったから、それに全く反するのだが、そうしてまでも「なは」の名を残したのである。本来この系統は「明星(みょうじょう)」という愛称だったのであり、従って、「明星」七往復「なは」一往復となった。
 複数往復の系統は、「明星2号」などと数字で号数が付くが、「なは」は一往復なので付かない。号数の付かない孤高の列車名は格が高いもの、という通念もあった。つまり、「なは」の名はそれだけ優遇されていた。
 夜行需要が落ち込んでいき、この系統の寝台列車も次第に削減されていくが、京都に延長されたりしながら一往復だけ「なは」の名で運転することは一貫して続けられ、削減されたのは「明星」だった。昭和57年にはついに「明星」と「なは」が一往復ずつとなり、どちらが残るか注目されたが、昭和61年に「明星」の方が消えて「なは」が生きながらえることとなった。この時も、使用車輌上の実質は、「なは」を廃止して「明星」を「なは」に改称した、とともとれる措置だったから、意図的に「なは」の名を残したわけであろう。
 平成16年には九州新幹線部分開業に伴い「なは」は新大阪~熊本に短縮され、愛称の意味がますます不明になるが、それも束の間で、平成20年、ついに列車自体廃止となったのであった。関西と九州とを結ぶ寝台特急が全滅となり、もはや「なは」の名を引き継ぐべき適当な列車はなかった。

 こういうわけなので、今年九州新幹線全通によって設定された新幹線「さくら」「みずほ」は、大阪と鹿児島とを乗換えなしに結ぶ列車としては平成16年以来七年ぶり、昼行列車の直通としては実に昭和50年以来三十六年ぶりの復活ということになる。
 そんな感慨をもって乗り込んだ。新幹線の速度をもってしても、この長距離は結構時間がかかるので、グリーン車を奮発することにした。わたしの乗った「さくら」は四時間十分かかる。もっとも、昭和50年の「なは」は約十三時間かかっていたから、それに比べたら楽でありまた呆気ない。
 新幹線列車を「なは」と名づけるのも一案ではあったろうが、九州を縦貫することをアピールするべき新列車に、海の向こうの都市名を付けたのでは、焦点がぼやけてしまう。結局、往年の東京~九州間寝台特急に使われていた愛称「さくら」「みずほ」を復活させることとなった。
 今の時代、沖縄を連想させる愛称としては、「なは」以外に「ひめゆり」「かりゆし」「ちゅらさん」「美(ちゅ)ら海(うみ)」「サーターアンダギー」などいろいろ考えられるが、いずれも列車名としては採用されていない。


2.事故遅延の新幹線「さくら」

 ウッディな内装は九州新幹線、ひいてはJR九州の最近の車輌に共通した趣だが、わたしの乗った便はJR西日本の車輌である。
 それでもやはりその趣は採り入れられていて、落ち着く。「さくら」は普通車でも横四列のゆったりした席なので、グリーン車はそれとの差をつけるのに苦心したとみえる。リクライニングが深く、膝置きも電動で調整できて、ほとんど寝る感覚で坐れる。女性の客室乗務員も、一人一人の客におしぼりを配りがてら挨拶してくれる。車内販売の主なメニューも配られるのは便利だ(写真は、乗車時に配られたカードの表裏。あくまで山陽区間だけの案内である)
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 この便は昼間に走るので、あてはまらないが、夕方には車内販売で生ビールも供されるそうだ。このサービスのため、新幹線車輌は、食堂車廃止以来久しぶりに、飲食業の許可を取り付けた。缶や瓶ならただの物売りで済むが、生ビールをサーバから注ぐのは「調理」にあたるのである。
 グリーン車も、これで飛行機のようにフリードリンクだと言うことはないのだが、なかなかそうはいかない。ともあれ、供食サービスは飛行機や高速バスよりもやりやすい環境にあるのだから、差別化のためにも力を入れてほしいものである。在来線時代の「つばめ」にあったようなビュッフェを望むのは贅沢だろうか。

 客室乗務員も、車内販売も西日本区間と九州区間で交替する。わたしは九州区間に入ってからアイスクリームを買った。バニラと紅芋があると言うので、せっかくだから紅芋にしてみた。ら、これがものすごく美味しい。病みついてこの旅で何度も紅芋のスィーツを口にすることになる。
 ただし、車内販売のアイスクリームは、常に固すぎる。プラスチックのスプーンが折れそうだ。氷を削る芸があるが、このアイスクリームなら彫刻もできそうである。バニラを使って小さな観音像でも作れば、御利益があるのではないか。手が疲れる。
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 この日は、新水俣(しんみなまた)~出水(いずみ)間で、人が電車に接触する事故(後で自殺と分かった)が発生したため、熊本以南が運転見合わせとなっていて、山陽区間を走っている時からドア上の電光掲示にその旨が繰り返し流れていた。車内放送でもアナウンスがなされ、注意を促していた。
 ところが、九州区間に入ってから、それに関する情報が全く流れなくなった。運転が再開されたのかどうかも分からない。
 途中駅ホームの発車案内を覗き込むと、博多始発の「さくら」に「大幅遅れ」や「運休」の表示が出ているようだが、この列車については何もない。熊本駅も、何もなかったように定刻に発車した。ケータイで運行情報を見て、ようやく運転再開が分かる始末である。
 運休区間に近づくほど情報がなくなるのは不可解で、九州の係員にすれば、もうとっくに解決したトラブルなのかもしれないが、この列車の乗客が、散々不安にさせられてきたことが引き継がれていないのである。
 長距離ないし会社をまたがって走る列車の難しさが、こういうところに現れている。


3.鹿児島新港へ~ バス「ポートライナー」

 意外に退屈はせず疲れは少ないまま、鹿児島中央に到着した。ここからは「なは」の見果てぬ夢の海路に旅程をつなぐ。

 駅前から市電に乗って繁華街である天文館通(てんもんかんどおり)に移動、ぶらついたり船旅に備えて買物したりする。天文館通からはバスで港へ向かう(写真は、鹿児島中央駅前電停の市電。新しい電車だが、旧塗装にリバイバル)
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 このバスは、「ポートライナー」と呼ばれる系統で、そういう名だと神戸出身のわたしは新交通システムを思い浮かべてしまうが、ここのは那覇航路の徒歩客に便宜を図るため、昨年から運行を始めた連絡バスである。と言っても、船客専用ではないらしく、途中の停留所で降りる人もいる。鹿児島駅まで北上した後反転し、海沿いの道路を走って、定刻の17時00分を数分過ぎて港に着いた(写真は、天文館通に着くポートライナー鹿児島新港行)
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 鹿児島新港の乗船場は九月から移転すると聞いていたのだが、工事が遅れているため従来の乗船場を暫く使う、と船会社から連絡が入っていた。バスが正しく着くかどうか不安だったが、見覚えのある待合所が見えていた。
 以前も同じ航路を利用したので、この待合所にはちょっとした雑貨屋の他何もないことが分かっている。市街で買物を済ませていかないといけないのである。実際待合所に入ってみると、五軒並んでいた小さな雑貨屋のうち二軒はシャッターを下ろしていた。移転に備えているようだ。

 この鹿児島~那覇航路は、マルエーフェリーとこのマリックスラインの二社が共同運航で、ほぼ毎日船が出る。荷役や折返し整備なども含め片道二日を要するが、それぞれの社が二隻ずつ所有しているのだ。わたしが前回乗ったのはマルエーの船だった。
 地元の人には欠かせぬ確実な足である。だから、気取らない船とサービスになっている。北海道方面の高級感あるフェリーとはちょっと雰囲気が異なっている。『まるよし電車区』に所収の紀行「幻影の障壁」シリーズには、前回の乗船記を含めた。
 本土から沖縄への船は阪神や東京からも出ているが、一隻が片道三~四日かけて往復しているので、運航日が限られている。なかなかこっちの予定と合わないのだが、この航路なら、予定も立て易い。しかも、最も新しい船の運航日にうまく旅程を合わせることができたのは、幸運であった。


4.時化を行く「クイーンコーラルプラス」

 既に乗船は始まっており、わたしも簡単な乗船手続を済ませると、タラップを昇った。船内外にエスカレーターなどはないし、ターミナルビルから直接ボーディングブリッジが伸びる、なんてこともないので、荷物を腕にぶら下げて延々段を上がらないといけない。皆文句も言わず黙々と進んでいく。上の方まで行くと、段の隙間から遥か下の岸壁が見えるので、高い所が苦手な人は大変だろう。
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 案内所でキーを受取り、一等船室に入った。この船は、マリックスラインが誇る最新鋭船「クイーンコーラルプラス」である。一等には一人用個室があるのがこの船の特徴で、これを予約してある。
 レストランは出港前から営業しているが、わたしは新幹線で食べそびれた駅弁を持ったままなので、それを夕食に充てることにしている。自動販売機でビールだけ買って部屋に戻る。ビールの銘柄は限られていて、オリオンはない。

 この日は、台風が二つ日本に接近しており、この便が運航されるかどうか直前までわたしは気をもんでいた。航路が二つに挟まれた状態にあり、強風圏にぎりぎりかかるが暴風圏にはかからない、という微妙な進路予想となっていた。西側の台風の影響が大きいと当初思われ、これが台湾から大陸の方へ進路をとったので安心したところが、東側の台風もぐいぐい西寄りに進みはじめ、こっちが懸念されるようになった。
 今朝も家を出てから何度となくケータイで運航情報を確認していたが、午前中にやっと運航が決定した。ただし、途中の徳之島(とくのしま)・沖永良部島(おきのえらぶじま)へは条件付の運航である。
 実は、昨年夏もこの船で沖縄に向かう予定にしていたのだが、やはり台風で那覇が条件付になってしまい、無念ながら飛行機に替えた。やっとどうにか念願かなうこととなった。新幹線の事故といい、どうも危なっかしい。

 荷物を解いた後、夕食の前に風呂に入っておこう、と展望浴室に行ってみた。
 が、この展望浴室には閉口した。洗い場は四人分しかなく、湯船も六~七人で満杯という規模である。窓は小さなものが一つ付いているだけだし、とても「展望」を愉しむ余裕はない。脱衣所も狭く、ロッカーではなく籠にぶち込むだけなのである。覗いてみて入浴を断念し戻る人もいる。石鹸・シャンプー・タオルといった備え付けは一切ないので、持っていかねばならない(一等と特等は部屋に備えられている)。
 わたしも、手早く体を洗ってさっさと上がった。荷物が心配だからとても長居できない。

 そんなことをしている間に十八時を過ぎ、いつの間にか出港していた。錦江湾(きんこうわん)内を進んでいるうちに、部屋で夕食をとる。この先外洋に出ると台風によるうねりが来るのは確実なので、揺れが心配だ。だから、わたしはたっぷりビールを呑んだ。
 先に酒に酔ってしまえば船酔いしない、という俗説を聞いていたからそうしたのだが、それは正しかった。開聞岳を過ぎると船が大きく上下しはじめたが、いい気分でベッドに転がってしまえば、胸が悪くなることもなく、そのまま寝入ってしまった。

 何度か目が醒めたがけっこう眠れて、五時過ぎに本格的に起きる。波浪のため遅れ気味だが、間もなく奄美大島の名瀬(なぜ)新港に入港する。レストランは入港に合わせてもう朝食営業していて、わたしも和定食をとった。
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 売店も開いているが、航行中は閉店し、港に入る前後だけ開けるらしい。航行中の方が船員の手が空いていそうに思うが、そうなっている。
 一般客の食事が一段落した頃に、
「カガクカイハツタイの団体の皆様、朝食のご用意ができましたので、レストランへおこしください」
 と放送がかかる。迷彩服を着た頑丈な体格の男性ばかりがレストランにやって来た。後で調べると、自衛隊に「開発隊群」というのがあり、技術面を担当しているようである。科学か化学かはよく分からない。歌学ではないだろう。
「徳之島・沖永良部島では状況により寄港地の変更、また最悪の場合抜港(ばっこう)する場合がございます」
 と、操舵室から放送がある。これが条件付ということで、「抜港」とはその島に寄らずに先へ行くことである。運賃の扱いがどうなるのかは知らない。

 十分寝たし、昼間はすることがない。朝シャンを、と思い、気は進まないがまた展望浴室に行く。夜と違ってわたし一人である。独占するなら、居心地のいい風呂場だ、などと思いながら、シャワーで済ませるつもりだったのに、湯船に浸かって手で水を掻いたりする。気持ちいい。同じ物でも状況により印象が全く違うものである。
 まだ暇がありあまっているので、わたしは部屋でノートパソコンを広げた。
 船には無線LANが装備されており、一等・特等の船室内は外洋上でもインターネットができる。これもこの船の他にあまり例をみない特徴である。ただし、洋上だからか台風だからか、またわたしの端末の問題かもしれないが、接続とページの表示はかなり不安定であった。
 一等船室には、ベッドが窓側に固定され、それと直角にライティングデスクがある。天板の大きさは、一人で使うには十分である。このライティングデスクの下には空の冷蔵庫がある。クローゼット代わりの箪笥の中にはハンガーがかかっている。洗面台はお湯も出る。バスルームがないこと以外は、ビジネスホテルのような設備になっている。

 結局、徳之島の寄港地は所定である東岸の亀徳(かめとく)から西岸の平土野港(へどのこう)に変更となった。東側は台風の影響を直接受けるからだろう。亀徳で船を待っていた客やクルマ、それに出迎えの人は、平土野に大移動しなければならず、大変である。
 港に近づくたびに、
「スタビライザーの使用を停止いたしました。船が大きく横揺れいたします。階段や通路をお歩きの方は、足元にご注意ください」
 と放送が入る。なぜ停止するのかはよく分からない。低速航行や回旋のときは却って障碍になったりするのか。舷側にある一等船室も、大きく上がり下がりする。
 沖永良部島でも、和泊(わどまり)から知名(ちな)に港が変更となった。知名港の地方駅のようなそっけない桟橋の風景は、前に見た和泊港のそれとそっくりであった。(写真は知名港の素朴な船着場)
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 知名の碇泊前後にレストランで昼食をとる。メニューに「鶏飯(けいはん)」があったので、食べてみたいと思ったのだが、昨晩のうちに売り切れていたようで、無難にうどんを頼んだ。鶏飯は、奄美の常食のようである。沖縄そばなどはメニューにない。ビールの銘柄とも考え合わせると、那覇まで足を伸ばしはするが、この航路の主眼は奄美群島にあるのだろう。

 与論島(よろんじま)と沖縄本島(ほんとう)北部の本部(もとぶ)港に寄った後、那覇港に入る。寄港地変更と高波により、一時間半ほど遅れて二十時十分頃の接岸となった。係員が個室を回って鍵を回収し、下船券をくれる。追い出されるように下船口に行こうとすると、階段は自衛隊の人たちで塞がっている。迷彩服から、道場の胴着置き場のような匂いがたちのぼっている。

 また長いタラップを辿る。昇るより下る方が怖いが、どうやら下りきる。
 「なは」の夢を辿る長い旅が終わってやっと本物の那覇に足を記すことができた。
 船の遅れの情報はいきわたっているのだろう、たちまちタクシーが何十台も市街から集まってくる。

(平成23年9月乗車船)

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JR神戸線快速の臨時停車

 今日は珍しい列車に遭遇した。今朝、JR神戸線の鷹取駅で人身事故が発生した影響で、午後まで同線のダイヤが大幅に乱れたのである。それで、わたしはたまたま正午ごろに須磨から下りの快速に乗ろうと思ってホームに下りると、発車案内に表示されているのは遅れの快速ばかり、わたしはいいけれど、普通電車に乗りたい人はどうするのか。自動放送は「○分発普通西明石行は、本日は運転を取り止めております」と繰り返している。普通電車は神戸あたりで折返しにしているのだろうか。
 そう思っていると、快速が二十分ほどの遅れで入ってきた。と、放送が信じがたいことを告げた。

「この快速電車は、塩屋と朝霧に臨時停車いたします。塩屋・朝霧にお越しの方も、この電車にご乗車ください」
 なるほど、JRも、それも最重要幹線の一つである神戸線でも、こういう柔軟な対応をするようになっているのだな。これまでもそういう噂は聞いていたし、地元では珍しくないのかもしれないが、わたしも神戸を離れて長いので、こういうやり方には初めて出会った。後で聞いた話では、鷹取にも停まったらしいので、兵庫以西(ということは三ノ宮以西)が各駅停車になっていたのだろうか。
 しかし、両駅は普段普通電車しか停まらない駅である。普通電車は全て7輌編成だ。快速は最大12輌なので、ホームは大丈夫なのか、と思う。が、入ってきた快速は、幸い8輌であった。一輌くらいならなんとか余裕がありそうだ。わたしは最後部の車輌に乗ってみた。
「各駅に停まります、網干行です」
と車内放送があり、次の塩屋では当たり前のようにドアが開いた。ホームから外れたりドアを閉め切ったりすることはなかった。それで思い出したが、一時期207系の普通電車は基本6輌・付属2輌の編成をとり、ラッシュ時に限り8輌で運転していたことがあった。8輌ならホーム長を心配することはなかったのだ。
 垂水、舞子と所定の停車をし、次が朝霧である。朝霧は馴染みの深い駅でもあり、時間にも余裕があったので、様子を見に降りてみることにした。070321_122910

 朝霧駅のホームには当然普通電車用四扉車の乗車位置ペイントしかないが、そこに堂々三扉の快速が客扱い(写真左)。昼間だから混乱はない。
 ホームを歩くと、発車案内も、通常ではあり得ない「快速」を表示している(写真右)070321_123054_1 。ちゃんと表示できるようになっているのだな。この写真を撮った後に、ちゃんと「加古川」とか「姫路方面網干」とかいう行先も表示されていた(何でそこを撮らないのかってか? 人のたくさんいるホームで写真撮るのはなかなかタイミングが難しいのよ)。

 上り電車も乱れているようだが、西明石の車庫から車輌を出しているのか、普通電車も運休はしていないようすである。従って、上りの快速は臨時停車していない。
 列車線の方では、新快速・特急「スーパーはくと」・コンテナ貨物などが、上下線とも徐行運転で続けざまに通り過ぎていく。ダンゴ運転になっているようで、新快速は列車によって疎密の差が甚だしい。

 ダンゴ運転は快速も同じで、次の快速はわずか六分ほど後にやって来た(写真左)190321asagiri2 。空いているし、この快速は6輌なので、問題なく乗降を扱っている。

 ところが、次の快速は遅れ表示の分数がどんどん増える。その分客が溜まっていく。もっとも、本来は通過列車なのだから、定刻が何分なのか、客は知りようがない。ホームのアナウンスは、
「次の下り電車は50分頃到着予定です」
と告げるが、それが52分頃に、さらに53分頃に、伸びていく。結局12時55分になってようやく快速が来た。10輌か12輌が来ればどうなるか見ものなので、期待したい。発車案内ではその次は「通過」となっているから、快速臨時停車はこの電車で終わりらしい。わたしはホームの西端で待機した。
 入ってきた電車は結局8輌だった。それでも、普段使わないホームの端から端ぎりぎりまで停車した(写真右)190321asagiri1 。西側一輌分はもはや普通電車用のペイントもない所でドアを開けている。辛うじて黄色ブロックだけはあるのが救いである。

 珍しいものを見られて適度な時間つぶしもできたので、たいへん鉄的に有意義な経験となった。
 それにしても、須磨以西の快速通過駅は二駅だけのことなのだから、昼間普通電車が15分毎になる時間帯だけでも快速を塩屋・朝霧に停めてほしい気もするが、無理だろうね。

(平成19年3月21日乗車)

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