長崎周辺の列車とバス

 今年の夏は、中国・九州方面に出かけたが、最遠は長崎であった。
 長崎には、学生の引率では何年かに一度行くのだが、なかなか自分の旅では行かないので、この機会に、と思ったのだ。
 近辺の鉄道やバスにもいろいろ乗ることができた。

 長崎は、広島と並んで、路面電車の元気な街だが、広島と比較して、旧い電車を大事に使っている感じがする。

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 宿泊先に近いのは、宝町(たからまち)電停である。1~3系統が頻繁に発着し、どの電車も込んでいて、観光客だけでも地元客だけでもないので、感心する。 

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 1系統は赤迫(あかさこ)~出島(でじま)~正覚寺下(しょうかくじした)、3系統は赤迫~桜町(さくらまち)~蛍茶屋(ほたるぢゃや)で、この二つが幹線と言っていい系統だ。しかし現在、3系統の赤迫行は運休している。公会堂前交叉点で立て続けに脱線事故が起き、問題のあるポイント(分岐)を通らないよう、蛍茶屋からの赤迫行は、出島経由の2系統として迂回運行しているのだ。
 本来2系統は、深夜やイベント時のみ運行される臨時系統なのだが、これが終日運行される変則的な状態が、もう三カ月ほど続いているし、その前にも断続的な変則運行があった。抜本的な原因究明と対策がなされ、通常運行に戻る日が早く来ればいいのだが、とにかくそういう状態の長崎を訪れたわけである。

 さて、宝町から電車に乗り、以前から行きたかった、「きっちんせいじ」という洋食店を訪れた。
 電車のカットボティを利用した外装で、店の入口も、電車の折戸を活用している。

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 店内にも電車関係の展示などがあるが、この店の詳細は、『まるよし出歩く』の方で記事にする。

 この「きっちんせいじ」の最寄り電停は賑橋(にぎわいばし)である。宝町から賑橋へは、直通の系統はないので、わたしは3系統に乗って公会堂前で降り、一駅分歩いた。
 しかし、帰りは事故の功名で、賑橋から長崎駅前や宝町方面に乗換えなしで行けることになり、わたしも臨時運行の恩恵をこうむった。
 待っている間に、向かいのホームに明治カ~ルの広告電車が着いて、出て行った。昔のCMを思い出して、なんだか懐かしい色合いだ。これはカレー味の色か。

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 さて、長崎駅前の県営バスターミナルから、わたしは雲仙(うんぜん)行特急バスに乗った。
 特急バスといってもこれもまた、クラブ帰りの高校生や、地元のおばさんが多く、観光一辺倒ではない、ちょっと素朴な系統だ。実際、観光路線と生活路線を統合してできた系統らしい。

 基本的に橘湾(たちばなわん)に沿って走る。愛野(あいの)展望所、というカップルの聖地になりそうな名のポイントや、少年使節の一人である千々石(ちぢわ)ミゲルの出身地、千々石などを通り、小浜(おばま)の街に入る。小浜は海辺の温泉街で、放熱量が日本一なのが自慢だ。
 小浜の町で、駅名標の形をした墓石のようなものが車窓に映った。どうも駅の遺跡のようだ。そういえば、さっきから国道沿いに、不自然に細長く仕切られた田圃や空き地が目について、まるで廃線跡だな、と思っていたのだが、まさにそうらしい。が、こんな所に鉄道が通じていたなど、全く知らなかった。
 後で調べると、雲仙鉄道というのが、後で乗る島原鉄道の愛野駅から分岐して雲仙小浜という駅まで運行されていたそうだ。おそらく墓石は、その雲仙小浜駅の跡なのであろう。昭和十三年という時期に廃止された鉄道の遺跡が、今も大事にされているのだ。

 小浜を過ぎると、バスは一転して山登りを始める。終点の雲仙は、今度は山の上の温泉街となる。二つの雰囲気の異なる温泉を目指すバスなのだ。
 かなり広大に噴煙を上げる雲仙地獄を間近に見た後、終点の雲仙に着く。ここは島原(しまばら)鉄道のバスターミナルで、温泉街の中心だ。

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 このターミナルには係員が常駐していて、バスの切符も売っている。わたしは島原港までの切符を買った。いわゆる硬券と軟券の中間くらいの厚みがある、手触りが独特の古めかしい切符であった。

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 島原行の島原鉄道バスは、純粋な路線バス仕様の車輌だが、やはり観光路線の性格を併せ持っている。雲仙普賢岳(ふげんだけ)の大火砕流や平成新山の景観などのガイドが、自動アナウンスに組み込まれている。
 驚いたのは、「周遊券をお持ちの方も、切り取って運賃箱にお入れください」というアナウンスがあったことである。国鉄~JRの周遊券制度が廃止されて十八年も経って、こんなアナウンスを聞くとは思わなかった。あるいは、現地で「周遊券」と通称される割引きっぷでもあるのだろうか。乗り放題タイプのきっぷはあるが、「切り取って運賃箱に入れる」タイプのきっぷが今どきありそうにないのだが。

 島原港でバスを降りる。熊本・三池(みいけ)方面への船が発着するが、出た後なので、閑散としている。
 以前はここと熊本県の三角(みすみ)、つまりJR三角線の終点とを結ぶ船もあり、両端が鉄道に直結した、まがりなりにも「鉄道連絡船」と言えたが、今はもうない。この航路には、中学生時代の修学旅行で、貸切バスごと乗った思い出もあるのだが。

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 ここから三百メートルほども歩くと、島原鉄道の今は終点となった島原外港(がいこう)駅に至る。
 以前は駅舎もあったと記憶するが、現在は片面ホームだけの無人駅だ。黄色いディーゼルカーが発車待ちしている。
 以前からはさらに西方、加津佐(かづさ)まで路線が伸びていたが、廃止された。その加津佐方向にも線路は残っているのが、ディーゼルカーの後方に見える。
 スタイルも車内も、最近の地方私鉄によくあるディーゼルカーという感じだ。 

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 諫早(いさはや)行普通列車として発車した一輌のディーゼルカーは、次の南島原に停車する。ここには車輌基地があり、黄色いディーゼルカーが多数憩う。

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 その中に一輌だけ、クリーム地に赤帯の車輌がある。これは旧塗装、島原鉄道が国鉄に直通していた頃の、国鉄のディーゼルカーにイメージを合わせた塗装が再現されたものである。車内の吊り広告によると、これは「赤パンツ車両」というらしい。かつて、最も遠くでは小倉(こくら)まで、島原鉄道の車輌が乗り入れていたのである。

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 列車は海沿いを走る区間が多い。有明海(ありあけかい)の壮大な遠浅が車窓に広がる。大三東(おおみさき)駅は、ホームが海に直に面している。

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 そうかと思えば、神代町(こうじろまち)では、向かい側のホームの仕切りが、沿線の家の塀と一体化しており、しかもその家専用の通用口があったりして、驚く。こういう家なら住んでみたいものだ。
 総じて、私鉄の線路沿いはJRに比べて建造物が近く、列車からすぐ手の届く所にある。 

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 古部(こべ)を過ぎたあたりからは、何かと物議の対象となってきた潮受け堤防が長大な姿を見せる。

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 干拓の里という駅に停まる。あんまり記憶にない駅名だと思ったが、これは平成になってから新設された駅である。そういう名のテーマパークができたからだ。
 「干拓」と「里」がなんとなく語感としてつながらない気はするのだが、これが分かりやすいのだろう。それにしても、島原鉄道の駅名標は、その色合いやデザインが、駅に出された広告看板とあまり印象が違っていない。

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 諫早に近づいた所に、幸(さいわい)という駅がある。これも新設駅だが、当然ながら島原鉄道は、この駅の入場券をしっかり宣伝している。幸・愛野・吾妻(あづま)の三駅をセットにして売り出しているのだ。

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 こうした各駅に停まりながら進んだ普通列車だが、わたしは職業柄、どうも自動アナウンスの文言が耳につき、気になってしょうがない。
「次の停車駅は、〇〇に停まります」
 というアナウンスを駅ごとにくり返すのである。こんな文のねじれたアナウンスにしなくても、「次は〇〇です」とシンプルに言えばいいのに、ともどかしい。

 終点諫早の駅は、JRと一体となっているが、島原鉄道はワンマン運転が基本で、車内で運賃精算をするため、中間改札はなく、乗換え客は改めてJRの改札を入ることになる。

 翌朝は、長崎を離れることになる。
 宝町から長崎駅前まで、二電停間電車に乗るつもりだったが、億劫になった。朝ラッシュで電車は込んでいそうで、車内を乗車口(後扉)から降車口(前扉)まで移動するのも大儀だ。そのうえ、両電停とも歩道橋と直結になっていて、もちろんエレベーターなどはない。道路の交通量は多く、横断するのは危ない。
 だからわたしは、来たときは重く大きなキャリーバッグを不自由な手に提げて歩道橋を昇り降りしたのだが、これはなかなかしんどかった。歩道橋直結というのは、昭和の頃には時代の最先端をいっていたのだろうが、現代は世の趨勢に反する電停になってしまった。
 僅か二~三分電車に乗るためにしんどい思いをするくらいなら、歩いた方が楽かもしれない。そう思って余裕をもってホテルを出、ぶらぶら駅に向けて歩いた。平坦な歩道を歩く限り、キャリーバッグは勝手に転がってくれる。 

 駅に着いても時間があるので、駅前を行き交う電車やバスを眺める。
 最近、各地のバスで、回送車が方向幕で謝っている様子が話題になったりする。が、この県営バスの表示は、わたしが見た中では最も丁寧な表現である。

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 朝の電車は、系統番号のない築町(つきまち)行がしばしば来るのが見える。築町は市街中心の電停である。
 運休しているはずの、3系統赤迫行もやって来る。これは、問題の分岐を通らなくてもいいように、公会堂前始発で朝夕ラッシュ時のみ運転されているものである。逆の公会堂前行という便はないので、築町で終着した電車が公会堂前に回送されて3系統赤迫行になるのか、と推測して観察していたが、確としたことは分からなかった。

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(平成28年9月乗車)
 

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一部不通の日高線と周辺のバス

 北海道の日高線方面に出かける用事があった。
 JR日高線は、昨年(平成27年)に相次いで発生した土砂崩れにより、鵡川(むかわ)~様似(さまに)間が不通、バス代行となっている。列車が運行されているのは、苫小牧(とまこまい)~様似間全線146.5㎞のうち、苫小牧~鵡川間30.5㎞に過ぎない。
 バス代行が一年半以上も続いているので、列車が走らないことが常態化しつつあると思われ、この代行バスの乗場も、各駅前に寄るのが基本であったのが、トータルの到達時間を短縮するため幹線道路上に移行する傾向にあり、また便数やダイヤも利用実態に合わせて手直しがくり返されている。
 これは、かつて正面衝突事故によって運行停止命令が出てバス代行となった、旧京福(けいふく)電鉄福井支社の各線と状況がよく似ている。地域を挙げて、ローカル鉄道のバス移行の是非を社会実験しているようなものであることも。
 そのあたり、興味を惹かれるので、様子を見てくることにした。行くのは休日なので、普段の状態までは見られないが。

 実は、日高線のほぼ全線に並行して、道南(どうなん)バスによる路線バスも走っている。この点は京福とは異なるが、その存在も気になるところである。併せてその路線バスにも乗ってみたい。

 まず、苫小牧駅前発9時07分の静内(しずない)行道南バスに乗る。高速バスや貸切バスにも使えるような、リクライニングシートの一扉車が来た。北海道の中長距離路線ではよくある。最前列の席は荷物置き場となっている。長距離利用が多いのだろう。
 苫小牧駅前で乗ったのは、わたしを含めて三人、その後市街の停留所で乗った客もあって、十人ほどになった。が、職訓センター通りという停留所で大量に下車があり、結局残ったのは駅前で乗った三人だけである。そんなに職業訓練に行く人が多いのか、と思ったが、実はこの停留所はイオンの前に位置するのである。その割に地味な名前だが。
 三十分近く走って、まだ「沼(ぬま)ノ端(はた)」という地名を冠した停留所が続いている。沼ノ端は、JR室蘭線だと苫小牧の次の駅である。駅間距離の長い北海道とはいえ、これは意外である。
 JR日高線は沼ノ端の手前で南に分岐してしまうため、郊外の住宅・商業地である沼ノ端地区には駅がない。とはいえ、地区の南側を掠めてはいるのだから、駅を設ければ利用がありそうである。内地なら、こんな立地にはすぐ、新駅を、という声が上がりそうだ。

 路線バスは、「浦河(うらかわ)国道」と通称される国道235号を基本的に走り、時々脇道に逸れて集落に立ち寄ったりする。鵡川駅前に着いたのは、10時04分であった。
 苫小牧~鵡川間の所要時間は、JR列車のちょうど倍くらいになるが、その分苫小牧市内できめ細かい停留所があるので、利便性は一長一短であろう。本数は、路線バスが一日四往復、鉄道が八・五往復となっている。

 このまま静内まで乗ってもいいのだが、鵡川で一旦降りた。朝が早かったこともあり、何か食べようと思ったのである。鵡川はシシャモで知られる街である。が、市内の店では、旬を外れているということで、生シシャモの寿司などは食べられなかった。スーパーで適当なものを買って駅に戻り、「むかわ交通ステーション」の看板がかかった駅の待合室で食べる。
 その後、膝の上でノートパソコンなど触っていると、客のおばさんに「駅の方ですか?」と声をかけられた。鵡川は現在のところ終点、かつては急行も停まった駅だが、無人駅になってしまった。

 ここからも、路線バスで進む。静内行は夕方までないが、途中の富川(とみかわ)を通る平取(びらとり)行のバスが12時25分に鵡川駅前を出る。まずそれに乗る。

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(写真は、鵡川駅前に着く平取行道南バス。後方には待機中の酒井運輸のJR代行バスが見える)

 平取は、富川から沙流川(さるがわ)沿いに内陸に入った所にある町だが、昔から町の中心に鉄道が通ったことはなく、道南バスが主要な足だが、本数は少ない。主にクルマの生活なのだろう。
 これに乗って、富川中学校前で降りる。こんな所で降りたのは、スマホのナビアプリに従ったからで、平取から来る静内行に三十分ほどの待ち時間で乗継げるのである。クルマがあまり通らない国道沿いに、途切れ途切れに並ぶ店、電話局の残骸などがあるだけの所だ。再び訪れることはありそうにない。

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(写真は、富川中学校前停留所付近の風景)

 あまりに何もないので、富川の町の中心の方へ歩いて戻る。次の停留所、富川北には、待合小屋があったので、ここで待つことにする。地元の自治会あたりが整備した待合小屋かと思ったが、この後も道南バスの各地停留所で同じ規格の待合小屋を見たから、雪国ならではの設備としてバス会社が用意したものらしい。
 この近辺にもシシャモ料理の看板を出した店が多い。
 13時20分発の静内行が来た。苫小牧からのバスに比べればちょっと見劣りするが、それなりに大きなバスだ。

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(写真は、富川北停留所の待合小屋と、そこに着く平取からの静内行バス)

 乗っていたのは二人、この富川北でわたしともう一人が乗った。門別(もんべつ)の町内で二人降り、二人になって、後は静内まで誰も乗ってこない。
 今日の用務先は新冠(にいかつぷ)だが、宿は静内にとったので、終点まで乗る。静内の中心街、というか、賑わっている地区は、国道沿いの末広町(すえひろちよう)付近で、イオンを初めとする大規模なロードサイドショップが建ち並んで、優駿の町のイメージとは全く異なる、内地でもよくある地方都市郊外の光景である。唯一の相客であった女性客も、末広町で降りてしまい、終点の静内駅前まで行ったのはわたし一人だった。

 駅舎の正面に、路線バスとJR代行バスの停留所ポールが仲よく並んでいる。
 暫く見ていると、ここからさらに東に向かう、様似行代行バスが発車して行った。静内以東の代行バスは、JR北海道バスが担当している。様似に営業所があり、浦河・えりも方面に路線があるからだろう。

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(静内駅前の停留所と、JR北海道バスの様似行代行バス)

 静内は、わたしが様似を起点とする最長片道切符の旅をした時、最初に途中下車した駅で、駅前で唯一空いていた何でも屋さんで、ひじきご飯を主食とする弁当を買って夕食にしたのを覚えているが、それらしい店は見あたらない。

 静内駅近くのホテルにチェックインして、改めて新冠に向かう。新冠は、日高線でいうと、苫小牧方面に一駅戻った街である。
 16時05分に鵡川行の代行バスが発車する。酒井(さかい)運輸という、静内にある会社のバスである。この酒井運輸は、馬を運ぶ背の高いバス、馬匹車(ばひつしや)も所有していて、滞在中何度か走っているのを見かけた。あの車自体が巨大な馬のようにも見え、ユーモラスだ。
 その直後、16時11分に道南バスの苫小牧駅前行が出る。わたしが朝苫小牧から乗ったあの車である。

 代行バスと路線バスが数分の間隔で雁行するのは面白い。どちらも日に数えるほどの便しかないのだが、客の流れに合わせてダイヤを組むと、こうなるのだろう。
 これなら、どちらか一方に統合してもいい気もしてくる。バスになると運賃が高くなるのでは、という懸念があるが、新冠まではどちらに乗っても210円で同じである。富川までも鵡川までも、ほぼ同じ額になっている。道南バスがJRを意識した運賃設定をしているのだろうが、ますます統合する方が効率的では、と思えてくる。
 もっとも、高校生の通学定期は、おそらく割引率が異なってくるだろうが。

 わたしはどっちに乗っても新冠に行けるからいいのだが、用務先へは道南バスの停留所が僅かに近いので、道南パスに乗る。代行バスは乗客ゼロで発車し、道南バスはわたし一人だけが客となった。末広町で五人ほど乗る。
 道南バスは途中、国道から山の方に折れて、中腹にあるリゾート施設である「レ・コードの湯」に立ち寄るので、新冠までは代行バスよりも時間がかかる。
 それぞれの性格と事情で路線やダイヤが設定されているから、やはり統合は難しいだろうか。

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(写真左は酒井運輸のJR代行鵡川行バス。右は道南バスの苫小牧駅前行で、わたしが苫小牧から鵡川まで乗ったバスの折返し)

 新冠の用務先は、レ・コード館である。新冠町は、アナログレコードの収集・保存に町の事業として力を入れており、その展示館がレ・コード館なのである。道の駅も併設されていて、新冠観光の拠点となっている。

 用を済ませた後、新冠駅に行ってみた。
 地方のローカル駅に多い瀟洒な駅舎である。「新冠」と駅名が掲げられているのはホーム側で、駅前広場に面する方には「出会いと憩いのセンター」と記されている。こういう名目をつけて地元自治体などが無人化された駅舎を維持するのは、鵡川とも共通する事情であろうか。

 それにしても、列車の来ない線路やホームというのは、廃線跡とも異なる侘びしさが漂う。

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(写真は、JR新冠駅の駅舎とホーム)

 この日の新冠は、「にいかっぷふるさとまつり」という夏祭りが開催中である。駅前広場と、隣接する農協駐車場には、露店が多数出ていて、賑わっている。
 普段なら駅前広場に代行バスが発着するのだが、祭りの間はバスが入れないので、踏切を隔てた路上に臨時乗場が設けられている。特別ポールが立てられているなどではなく、道南バスの新冠本町停留所に一枚時刻表が貼られているだけで、見過ごしてしまいそうになる。

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(写真は、新冠駅舎に貼られた代行バス乗場案内と、代行バス臨時乗場となった道南バス新冠本町停留所)

 わたしは、夏祭りが終わる頃まで新冠に滞在し、新冠21時23分発の静内行最終代行バスで静内に戻ることにしていた。
 ところが、遺憾ながら上の写真にある時刻表が、二十一時過ぎにバス停に行った時には、既に剥がされていた。確かに祭りの後片付けが始まり、交通規制も解除されようとしているところだが、祭り帰りの人が数人バス停に集まってきている。そしてわたしたちは、「ここでいいんですよね?」と不安げに言葉を交わした。わたしはスマホに収めた上の写真を見せて、「いいはずですけどね」と話したりした。
 誰が剥がしたのかは知らないが、終バスがまだ出ていない、しかも最もその時刻表が必要となるタイミングを前に、なぜ剥がすのかと思う。それだけ代行バス、ひいてはJR日高線の存在感がないということなのだろうか。

 幸い、二十一時十八分頃に、酒井運輸のバスがやって来て、この臨時停留所に停まった。乗場が分からなかったのか、発車間際に駆け込んできた若い女性もいる。既に乗ってきた客も含め、七名の乗車で発車する。
 代行バスは、最も便利そうな末広町にはもちろん停まらず、静内駅に直行した。バスに料金箱はなく、新冠からのJR運賃210円は、静内駅構内にある箱に入れるよう、運転手さんに言われる。

 翌日、静内からの帰りも、代行バスを利用した。
 静内駅で帰りのJR切符を買った。駅に列車は発着しないのに、窓口が営業していてこういう切符が買えるのは、不思議な感じがする。
 列車が来ないホームに出る改札口も開いている、というか閉める扉がない。入場券も発売していて、ホームに踏み出してしまうと入場料金が必要になるから、内側からホームを眺める。やはり手持ち無沙汰なホームはどこか存在感が霞んで見える。

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(写真左は、この時使った切符。右は改札口から見たホーム) 

 静内駅構内には道南バスの案内所を兼ねた売店があり、九時からの営業である。開店を待って昼食にするパンとお土産を急いで買い、駅前のバス停に向かう。
 静内発9時07分発の鵡川行は、樽前(たるまえ)観光のハイデッカー車である。ずいぶんいい車輌を充ててくれている。ドアの前に立っていた運転手さんが、わたしの大きなキャリーバッグを見て、
「苫小牧まで行きますか」
 と嬉しそうに言った。が、トランクにバッグを収納しようとは言わなかった。その必要がないことが分かっていたのだろう。わたしは最前列の席に座り、隣席にバッグを寝かせた。

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(写真は、静内で発車待ちの樽前観光のJR代行バス鵡川行)

 鵡川行は、わたし一人を乗せて発車した。
 路線バスと同様、主に国道を行くが、もちろんJR駅に対応する箇所にしか停まらない。駅前に入るのが基本だが、道路事情などで入れない駅は、道路上に停留所がある。当然、踏切を何度も渡るのだが、列車が来ないと分かっていても、バスはきちんと一時停止する。バスだけでなく、どのクルマもそうしている。
 問題の土砂崩れが発生したのは、主に厚賀(あつが)~大狩部(おおかりべ)間だが、ここは急峻な地形ゆえか、国道は築堤上に新道が設けられ、線路と離れる。代行バスは旧道に入り、大狩部の停留所は、新道の下をくぐるトンネル歩道の入口に設けられていた。トンネルの向こうに駅があるのだろう。
 厚賀のように、停留所によっては、仮設の待合小屋が設置されていたりする。
 厚賀を出て暫く行ったところで、静内行代行バスと擦れ違う。向こうには十人程度の客が乗っているのが見える。

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(写真左はトンネル入口に設けられた大狩部停留所。右は簡易待合室のある厚賀停留所) 

 富川の街にさしかかると、交叉点を隔てて前方のバス停に、大きなキャリーバッグを携えた人が数人待っているので、やっとこのバスに他の客が乗るのか、と思ったが、バスは交叉点をあっさり左折してしまった。富川の駅は、国道の通る中心街からは少し離れた旧市街に位置するので、脇に逸れるのである。
 さっきの客は、札幌行の高速バス「ペガサス」を待つ客だったようだ。昨日の夕方といい、どうも路線バスと代行バスは同じような時間帯にならざるを得ない。
 富川では高校生の女の子が一人乗った。運転手さんとは顔見知りのようで、ずっと二人で雑談している。

 富川から鵡川までは、二駅で三十分もかかるダイヤので、なぜなのかと思っていたが、途中にある汐見(しおみ)駅が、国道から大きく離れた海岸部に位置しており、富川や鵡川から直接通じる広い道がないため、国道を折れ、原野の中の地方道を延々往復して立ち寄るのである。
 汐見駅のそばには、数十戸の家が肩を寄せ合っている。バスも通じていない集落にとっては、駅が生命線であった時代もあったろうが、このバスに乗降はない。
 舗装もされていない狭い道で切返しをくり返して、元来た道を戻る。ここまで直行ルートを外れている場合、その駅のための代行手段を別途設けたりすることもあるのだが、そこまでの需要もないのか、そうなっていない。おかげで、のどかな寄り道を愉しむことができた。

 定刻よりやや早く、鵡川に到着した。
 ここからはやっと列車に乗れることとなる。ポイントの関係で、駅舎から離れた方の下りホームに折返し列車が発着するので、踏切を渡らないといけない。上下線のホームがずれた位置にあるため、けっこうな距離を歩く。これだけ長期の折返しなら、駅舎側に列車を着けるようにできないものだろうか。
 代行バスから乗り継いだのは二人だけだが、鵡川から乗る客が多く、一輌の苫小牧行ディーゼルカーは全てのボックスが埋まった。

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(写真は、鵡川駅に停車する折返し苫小牧行)

 その状態のまま進んだが、苫小牧の一つ手前となる勇払(ゆうふつ)では多数の客が乗り込んできて立つ人もでた。周囲には工場や住宅が多い。沼ノ端の住宅街も空しく望んで通り、すぐに室蘭線に合流するが、それからも長らく直線の線路を走る。
 気持ちよくはあるが、先のイオンのすぐ裏手も通る。ここから苫小牧まで三キロ以上もあるのだから、室蘭線ともども駅を設ければ便利になるだろう。イオンだけでなく、公共施設や学校もこの付近に多いのである。
 しかし、やっぱりクルマ社会なのであろう。そんな話はないようである。 

(平成28年7月乗車)

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神戸市バス乗りつぶし 平成28年

 今年も、年度初めに合わせて、神戸市バスの路線が手直しされ、新たな停留所間が出現したので、乗りつぶしてくることにした。

 まず、JR六甲道に降りる。ここからは六甲ケーブル下行の16系統が出ているが、これの経由地を一部変えた106系統が新設された。
 16系統と同じ乗り場から出る。

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 16系統は、阪急六甲の踏切の手前で右折して、楠丘3丁目方面に向かうが、106系統は踏切を渡って直進、六甲登山口の交叉点で右折する(六甲登山口の停留所には停まらない)。阪急六甲の次が高羽町になる。正直言って、北行に関しては、なぜこの経由を新設する必要があるのかは、よく分からない。

 神大国際学部前で降りて一憩、折返してきたJR六甲道行に乗る。
 高羽の交叉点で右折、高羽小学校に停まる。これが106系統のために唯一新設された停留所ということになる。ここから数人の乗車があったから、106系統の存在意義はあったわけだが、北行はここにも停まらないのである。
 南行は六甲登山口にも停まり、そこからは36系統と同じ経路でJR六甲道に至る。

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 次に、阪神御影に向かう。
 ここからの45系統は、御影地区の南側をくるっと回るだけの謎の系統だったが、これが魚崎車庫前まで大きく延長された。 

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 従来の終点であった御影本町3丁目から、国道43号に右折して魚崎地区まで行く。マンションなどが並ぶ魚崎西町2丁目に右折、ここで降りる人が多い。
 いわゆる「酒蔵の道」を東進した後、埋立地に渡って、魚崎車庫前で終点となる。

 帰り便も同じ道である。「酒蔵の道」は、以前ボンネットバスで期間限定の観光ルートが運行されたときに、ここを通ったと思う。楽しい車窓だ。

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 国道43号を定期運行する市バスというのも、久しぶりではないかと思う。件の観光ルート、あるいは、阪神大震災時の代替バスを思い出させる。

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 次に、本山駅前に向かう。
 ここに発着するサンシャインワーフ方面循環の43系統だが、運行する経路は変わらないが、途中の国道2号上に三カ所の停留所が新設された。これらは阪神バスと同じ位置であり、おそらく阪神バスとの調整がついたのだろう。
 ともあれ、新たな停留所間が生じたので、一応乗っておくことにする。

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 次に、三宮駅ターミナル前に移動。
 新神戸トンネルを抜けて神戸北町へ向かう急行64系統の一部便に新たな経由ができた。

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 箕谷駅のロータリーを抜けてから、通常は長田箕谷線に左折するところ、直進して住宅街に入っていく。松が枝町2丁目、日の峰3丁目の両新停留所を経て、コープ(生協)などの商業ゾーンに近い日の峰2丁目で、従来の経路に合流する。
 新経路の途中にはけっこうなアップダウンがあり、徒歩や自転車ではなかなか大変だろうと思われる。待望の路線なのであろう。わたしの乗った便では新停留所の乗降はなかったが、定着していけば、こちらの経路の便が増えるのではなかろうか。従来の経路は幹線道路沿いを進むだけで、住宅からの使い勝手が悪そうだし、トータルの所要時間もそんなに違わない。

 三宮駅ターミナルに戻り、今度はHAT神戸方面に向かう101系統に乗る。
 従来の101系統は、三宮から東雲通や脇浜3丁目を経て、東側からHAT神戸を縦貫し、第五突堤で終点になる往復系統であった。第五突堤などという妙な所が終点なのは、中央営業所の出入庫の都合のようだ。
 この半端な終点ではなく、HAT神戸を抜けた後、三宮に戻って終点となる循環系統にして、利便性をアップさせたのである。

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 この系統は従来区間も、そして今回の延長区間も、両方向で経路に細かい違いがあるので、やはり両方向に乗らねばならない。
 まず、新経路を先に通る便に乗る。三宮駅ターミナルを出ると、逆回りと同様にJRの高架に沿って旭通3丁目まで進んでから独自の経路に入る。新生田川に沿って南下、国道2号を横切って新生田川停留所、南下してHAT神戸の西端、脇の浜住宅西に至る。県立美術館前で下車。

 県立美術館内のカフェで時間をつぶし、逆方向のバスを待つ。HAT神戸内の回り方も両方向で異なるので、降りたのと同じ乗り場である。
 この方向では、脇の浜住宅西の次が、もう三宮駅ターミナル終点である。新生田川、旭通3丁目とも、この方向が停まれる場所にはブースがないので、通過となるのだ。あっさりと三宮に着いた。

 ポートライナーに一駅乗って、貿易センターで下車。貿易センタービルの向かいにある、貿易センター前停留所から、66系統しあわせの村行に乗る。
 従来の66系統は、ここが終点の降り場で、乗車は一筋北側にある乗り場から、となっていた。道路の一方通行などによるが、乗り場が貿易センタービルから遠く、不便であった。このため、旧乗り場を「貿易センター北」と改称して独立した停留所とし、旧降車専用の貿易センター前からも乗れるようになったのである。

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 わたしの他にも二人ほどが貿易センター前から乗り、貿易センター北からも乗る人があったので、図に当たっていると言えよう。センター街東で多くの客が乗り込み、山麓バイパスを抜けて、ひよどり台センターまで来たところで降りた。

 以上で今回の乗りつぶしが完了したので、用務先の明石に向かいたいが、ここは鉄道線から離れていることもあり、明石へは、名谷でバスを乗り継いで向かうのが最速である。
 120系統名谷駅前行で、落合団地前で降りる。ここで明石駅行に乗換えだが、何もない所なので、北へ少し歩いて、白川台南口で待つことにする。明石駅へ向かう神姫バス14系統は、以前は市バスとの共同運行だったのが、市バスが撤退したものである。
 しかし、ここのポールには、何年も前に移譲したはずの系統が堂々と書かれたままであった。 

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(平成28年6月乗車)

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懐かしいスリーショット

 明石(あかし)海峡を望むJR朝霧駅から北へ、明舞(めいまい)団地方面に向けて運行しているバス路線は、わたしが子供の頃から親しんできたものだ。
 かつてこの系統は、神戸市・明石市・山陽(さんよう)(電鉄)の三社局が共同運行していた。三社局の、そして特に公営同士の共同運行は、全国的にも珍しいものと、注目を集めてきた。
 しかし、明石市は先年バス事業を廃止、路線を山陽バスに移譲したため、この共同運行は解消した。
 
 先日、朝霧(あさぎり)駅に立ち寄った時、懐かしいスリーショットを見たので、思わずバス一本遅らせて写真を撮った。

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 青い明石市バス、緑の神戸市バス、黄色の山陽バス。
 明石市バスはなくなったのに、なんでこうなったかというと、山陽バスが沿線住民の要望に応えて、明石市バスのリバイバルカラーのバスを走らせているからだ。...
 ずっと当たり前だと思っていた情景が急に見られなくなるなんて思いもせず、とまどう人が多いのだろうし、明石市バスもそれだけ親しまれてきたのだろう。

 明石市バスカラーの車が必ずしも旧明石市バスの系統に入るわけではないので、このカラーで舞子(まいこ)駅前行、という妙なものが出現するのも、ご愛嬌か。

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 ついでに、神戸市バスの幕式の車もいたので、写真を撮っておく。

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 バスの行先表示はかなりもうLEDに移行しており、幕式はかろうじて残っている程度である。
 LEDは見やすくていいのだが、バスや路面電車のLEDは、オレンジ単色のものが多く、幕のように色分けで案内できないのが弱点である。フルカラーがもっと普及すればいいのだが。 

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釜石と石巻の鉄道事情

 昨夏の休暇は、東北方面に出かけた。
 そのなかで、津波被害などに遭った沿岸地域の鉄道にも乗って来た。そういう地域に趣味の旅行で訪れるのは気がひける面もあったが、代替のバスに観光車輌が導入されたりしている、ということは、遊山客にも来てほしい、ということだろうと思うし、わたしだって神戸のときには皆が遠慮して神戸観光を敬遠している時期にも、むしろ沢山の人に訪れてほしい、と思っていたのだ。

 実際行ってみると、その風景や人々の暮らしぶりから、考えることはいろいろとあったが、それを書きだすときりがないので、できるだけ見たとおりの記録として書き留めておく。

 まず、JR大船渡(おおふなと)線で気仙沼に向かった。大船渡線は、「我田引鉄」の結果として妙な迂回をしていることで知られる。その様子を車窓に差す陽光で確かめながら全体としては東に移動した。
 気仙沼(けせんぬま)から先の大船渡線は震災の影響で不通のままだ。それで、線路敷を舗装してバスを走らせるBRTとしてとりあえず運行されている。また、ここから分岐する気仙沼線も、同じくBRTだ。
 気仙沼駅は、鉄道用のホームからBRTに乗降できるよう、線路部分が嵩上げ・舗装されていて、独特の光景になっている。列車の着いたホームの向かいからバスに乗れるのも、BRTならではである。気仙沼線のBRT道路が、なだらかに伸びているのも見える。嵩上げのおかげで、跨線橋を通らずにホーム間が行き来できるようになったのも、楽でよい。

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 気仙沼線本吉(もとよし)方面のBRTは駅構内のホームから発車するが、これから乗る大船渡線盛(さかり)方面のBRTは、通常の路線バス同様、改札を出て駅前広場から乗るようになっている。これは、大船渡線の方が途中まで一般道路を通る関係らしい。

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 やはり路線バスと同じ転回・待機所に入っていたBRT車が、着車した。
 これが観光車輌の「海」である。気仙沼線には同様の「旅」という車輌があるそうだ。
 「海」の車内は、後方座席が四人掛けになっていて、座席のモケットには魚の絵が描いてあったりする。が、どうもバスの四人掛け、特に後ろ向き座席は落ち着かない感じがする。向かい合って坐る膝の間隔も狭くなる。
 ただ、このように背もたれが高く車内の見通しがきかないので、前方の眺望が映し出されるモニターが後部に設けられていたりする。

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 山間を抜ける線路に沿う適当な道路がないようで、BRTは陸前高田(りくぜんたかだ)まで海沿いの国道45号を通る。だから景観はよいのだが、カバーできない駅があり、別系統のバスが運行される。
 反面、奇跡の一本松という駅が増設されている。松並木のなかで一本だけ津波に耐えた松があることで評判になったので、訪れる観光客が多く、その便を図った駅である。この便でも数人の乗降がある。しかし、周囲は全てが流されて更地になっていて、再開発のための重機が蠢いている殺風景な所である。どこに松があったのかも、車窓からはよく分からない。

 陸前高田の市街に入る。駅は津波で跡形もなく流されてしまった。だから、跡地に小さなバラックが建っていて、そこにJRの看板が掲げられている。ホーム跡らしい地面の盛り上がりが、かろうじてここが駅であったことを伝えている。
 斜陽化しているとはいえ、地方都市にとってJR駅は昔も今も街の中核だろう。それがこういう姿になっているのを見ると、やはり胸に迫ってくるものがある。
 陸前高田を出ると、まだ線路跡は走らず、市街地から山の方へ登っていく。高田病院に寄るためである。この病院も震災で被害を受けたため、山間に仮設院舎を建てて営業しているようである。鉄道代替だから鉄道駅に対応する所にしか停まらないはずのBRTが、わざわざそういう回り道をするのは、鉄道利用者に占める通院客の割合がそれだけ高いということである。
 それにしても、湾曲した山道を走るので、揺れがかなりひどい。乗り心地ではバスは鉄道に敵わない。 

 途中からはBRTらしく線路を舗装した専用道を走る。さすがに乗り心地はよくなる。駅もきちんと屋根付き待合室や時刻表が整えられた綺麗なものになり、単なるバス停とは格が違うことを主張している。その駅の部分は専用道が少し拡幅されていて、バスの「交換」が行われる。
 が、気仙沼駅といい、これほどバス用の設備を整えた様子を見ると、鉄道としての復旧はかなり先、少なくとも一年や二年という単位では無理らしい、と分かり、嘆息する。

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 やはり駅が全壊した大船渡を過ぎると、終点の盛である。盛は幾分内陸にあるので、津波が到達はしたものの、駅舎は残っている。ここで第三セクターの三陸鉄道南リアス線に乗り換える。
 窓口で三陸鉄道の切符を買わねばならないが、硬券があるというので、それを求めた。

 三陸鉄道も、もちろん大きな被害を受けたが、ようやく全線の運行が再開された。朝ドラ『あまちゃん』の人気が後押しとなり、全国から応援を受けている。もっとも、『あまちゃん』の舞台になったのは北リアス線の方である。

 1輌だけの釜石(かまいし)行ワンマンカーだが、女性アテンダントが乗車して案内にあたる。よくある「つまみ食い乗車」のツアー客が三組ほど乗り合わせており、立客も出て賑わっている。貸切バスの待機場所の都合だろうか、ツアー客はみんな三陸(さんりく)で下車、一気に車内はがら空きになる。
 吉浜(よしはま)は、国鉄盛線時代の終点だったが、ここからは吉浜湾の眺望がきく。ちょうど天気もいいので、いい眺めである。写真を撮る人のため、数分停車してくれる。
 釜石に近づくと、大観音が車窓から遠望できる。左側の山に見えるのは、鉄の博物館である。いずれも一度行ってみたい所だが、今回も中途半端な待ち時間しかないので、行くことができない。駅から結構な距離があるのだ。

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 釜石に到着、線路の下を潜るように通路と駅舎が設けられている変わった構造の駅である。三陸鉄道はその一番外れのホームに停車した。

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 ここからまたJRに乗ることになるが、その前に付近で食事をしたい。釜石駅のそばには、「シープラザ釜石」というビルが建っている。各種商店が並ぶ総合商業施設だが、人通りは僅かである。釜石駅に入る直前、右手に真新しいイオンが見えたから、その影響であろう。
 しかしイオンまで歩くのも面倒なので、このシープラザで食事を済ませた。

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 JRのホームに上がると、腕木式信号機のオブジェがある。そして、現役の信号機には「釜」「山」という記号が並んで掲げられ、韓国に来たかのような錯覚に陥るが、それぞれ釜石線と山田(やまだ)線への出発を指示する信号機である。山田線は未だ不通のままだが。

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 ここから釜石線の普通列車で花巻方面に向かい、帰路につく。
 途中、陸中大橋(りくちゆうおおはし)駅付近は、勾配緩和のための距離を稼ぎ、大きく山を半周するトンネルが掘られている。ゆえに、今通ってきた線路が真下に見下ろせたりする。釜石線随一の見どころである。
 この釜石線には先日からSL列車の運行が始まった。遠野(とおの)のような風情ある街も通る。SLに合わせ、各駅にニックネームが付けられ、正規のものと異なる装訂の駅名標が設けられている。  

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 新花巻(しんはなまき)で新幹線に乗り換えるため下車したが、このホームに、なんと所属校で教えている学生がいて、わたしの姿を認めていた、と後で聞いた。釜石でのインターンシップに向かう途中だったのだという。
 学生の目があるから、と県内では特に行動を慎んでいるわたしであるが、これでは全国どこにいても油断できないではないか。

 

 日を改め、といってもそんなに日をおかずだが、今度は石巻(いしのまき)方面に出かけた。
 まず、小牛田(こごた)から石巻線で石巻に入った。石巻は石(いし)ノ森章太郎(もりしようたろう)氏の出身地であることから、漫画の街としての演出がなされている。このため、石巻線や仙石(せんせき)線には漫画のキャラクターをあしらった「マンガッタンライナー」と呼ばれる車輌が走っている。
 休日だとそれが入るはずの列車だが、この日は平日である。それでも、もしかして、と期待していたのだが、残念ながら通常のディーゼルカーであった。

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 このディーゼルカーだが、非冷房車であった。なんとなく、普通列車でも冷房付きがあたりまえ、という感覚になっていたが、東北にはまだあるのである。車内で扇風機が回るなか、窓を細めに開けて風を感じて走る。何だか、とても久しぶりの感覚を懐かしく味わった。

 石巻に着くと、早速駅の中でも外でも、そして街中でも、石ノ森漫画のキャラクターが迎えてくれていた。
 下の写真中央は、石巻駅の玄関を撮ったものである。「マンガッタンライナー」の案内なども掲示されているのが分かる。そして、人形の膝のあたりの高さに貼られている横長の掲示は、津波がこの駅まで押し寄せ、赤線の高さまで水位が上がったことを示している。駅は海岸から2キロ近く離れている。

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 その海岸沿いに、仮設店舗を集めた所があるというので、そこで食事をしようと、歩いて行った。恐らくは津波で店舗を失った地元商店が、肩を寄せ合って営業している。その一軒で、いくらのたっぷり入った丼をいただいた。

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 駅に戻ると、仙石線のホームにディーゼルカーが停まっている。
 仙石線は途中の高城町(たかぎまち)~陸前小野(おの)の間が依然不通になったままである。本来全線電化された路線だが、石巻側には電車の基地がないため、陸前小野~石巻間がディーゼルカーで暫定的に運行されているのだ。
 石巻線も浦宿(うらしゆく)~女川(おながわ)の一駅間が不通なので、現在は全ての列車が浦宿折返しとなっていて、まだまだ平常の状態にはほど遠い石巻付近である。
 陸前小野行は、2輌での運転である。小牛田の基地に所属するディーゼルカーが使われている。陸羽東(りくうとう)線のロゴマークが入っている。 

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 女性車掌が乗務するこの列車で、途中の矢本(やもと)まで行く。終点の陸前小野まではあと二駅あるが、代行バスはここで乗換えとなる。駅前でバスが転回できる駅がここなのだろう。

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 BRTとは違ってあくまで代行バスなので、もちろん一般道路を走行する。車輌も地元のバス会社から借り上げた貸切タイプのものだった。

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 途中、陸前小野の駅が遠望できる。さっき乗ってきたディーゼルカーはもうさっさと折返し発車した後だった。
 ここでもバスが行くのは国道45号で、道端にポールが立って「駅」となっている。

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 この先は津波により線路が壊滅的なダメージを受けた区間である。跡形ない、と言った方がいいほどである。鳴瀬川(なるせがわ)を渡る前後が、橋梁を含め、新しい高架に付け替えられようとしているのが、車窓から分かる。

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 この先の野蒜(のびる)、東名(とうな)といった駅名は、震災直後に列車と連絡がとれなくなった、などと報じられたニュースで耳にした名である。
 地震発生直前に、ちょうど野蒜から上下の列車がほぼ同時に発車していた。駅間で急停止した両列車だが、下り列車では地元の地理をよく知る客が、ここは高台だからこのまま車内にいた方が安全、と乗務員に力説した結果、全員が無事だった。上り列車は、マニュアルどおり乗務員が近くの避難所に乗客を誘導したが、その避難所も津波に呑まれ、乗客に死傷者が出た。分からないものである。
 陸前大塚(おおつか)あたりは海沿いを走るので、もちろん線路は完全に流された。標高の高い所に線路を付け替えて復旧することにした区間で、その工事も進んでいるようであった。

 バスは、松島(まつしま)海岸の旅館や飲食店が並ぶ一角に入り、やがて松島海岸駅に到着した。ここでも、高城町ではなく松島海岸までバスを運行するのは、駅前広場がここならあるからだろう。

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 松島海岸の駅は狭いホームが一面しかないので込み合ったが、バス一台を電車四輌で受けるのだから、ほぼ全員が着席した。
 反対側の高城町行として入ってきたのは、仙石線のマンガッタンライナーであった。

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 この列車が本来の行先である石巻に行くことができるまでには、まだかかりそうである。

(平成26年9月乗車)

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小松のEVバス

 小松市で運行されているEVバスに乗ってみようと、小松駅に降り立った。

 小松駅の東側が、かなりきれいに、また魅力的になっている。
 KOMATSUの小松工場跡地を利用した施設が整備されているためである。

 まず、「こまつの杜」なる公園がある。巨大ダンプに圧倒された後は、「わくわくこまつ館」で各種展示を見ることができる。

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 旧社屋をバックに、やはり工事用車輌が展示されている。 

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 そして、隣接するのが「サイエンスヒルズこまつ」である。
 複雑な形状の散策スペースがあり、館内は無料ゾーンも多い。ちょっとした時間つぶしもできる。

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 その「サイエンスヒルズこまつ」の玄関前からEVバスが出る。
 この日はちょうど、「サイエンスヒルズこまつ」のイベントで、ボンネットバスの試乗会が行われていた。それで、最新鋭のバスとレトロなバスが並んだ。

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 EVバスは、よくコミュニティバスなどに使われている小型ノンステップバスの車体をベースにしていて、全体に宇宙を演出する飾りつけがなされている。

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 車内も、何かと宇宙船のようになっている。各座席にスイッチボタンの付いたパネルのようなものがあるが、このボタンを押しても何かが起きることはない。
 ディスプレイには、バスの動くしくみなども映される。

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 電気で動くだけあって、走行音はたいへん静かである。
 走行中のディスプレイは、路線案内などが映されるが、その必要がないときには、このバスが宇宙空間を飛んでいるアニメが上映されている。

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 途中、小松駅と小松空港ターミナルビルに停車するので、空港連絡バスとしても利用できる。運賃は通常のバスと同じである。

 そして、空港の向かいにある航空プラザの前が終点である。降車場のそばには充電設備がある。

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 一旦降車を扱った後、バスの向きを換えて充電設備に横付けし、コネクタを繋いで充電する。この作業は、女性運転手さんが一人でやっている。

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 乗ってしまえばすぐだが、これも「サイエンス」の都市小松の展示物の一つということだろう。

(平成26年4月乗車)

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神戸市バスささやかに乗りつぶし 平成26年春

 この春は、神戸市バスの完乗タイトルを防衛する必要は特にないと思っていた。市街西部で系統の再編もあったが、新たな停留所間が出現することはないかに見えた。
 それで、以前から気になっていた所を、落ち穂拾い的に乗ってみることにした。厳密な意味で完乗できていたのかどうか、定かでないのである。その後、再編した系統をよく見ると、やはり乗りつぶさないといけないことに気づいた。

  気になっていた系統は、73系統である。通常の73系統は、地下鉄の名谷(みょうだに)と妙法寺(みょうほうじ)、隣り合う両駅を、北須磨(きたすま)団地を経て結ぶ路線である。昭和52年の地下鉄西神(せいしん)線開業と同時に開設されたし、わたしも早い時期に乗ったことがある。
 ところが、それの区間便で、どうも引っかかる便がいつの間にかできていた。平日朝8時台に一本だけ、名谷駅発友(とも)が丘(おか)高校前行、というのがあるのである。この友が丘高校前というのは、友が丘停留所と一体のもので降車場の位置がちょっと通常と違うのかな、と思っていたのだが、これもいつの頃からか、路線図にも独立した停留所として、分岐して描かれるようになっていた。分岐するとなれば乗りつぶす必要がある。正式な扱いがどうなっているのかは知る由もないが、疑わしきは乗るのが無難である。
 しかし、運転される日や時間帯から考えて、これは高校生専用のような便ではなかろうか。もしかしたら、終点は高校の構内にあるのかもしれない。そう考えると、乗るのが億劫になる。妙な部外者が乗って不審に思われないか、と不安だからである。女子校でないのが救いだが。そうでなくても、込み合う朝の便に用のない客が乗っては迷惑ではないか、と思える。
 それに、平日朝しか運転されないのでは、勤めのある身では乗る機会がないし、そもそも名谷駅に朝八時に立つことがなかなか大変である。
 心理的にも物理的にもなかなかハードルの高い路線だったのだが、いつまでも放置することはできない。今年の春休み期間に、神戸の宿を早朝出立し、名谷駅に向かった。通学便だと、学休期間は運休になることも多いが、幸い交通局の彩図にある時刻表にそういう註記はない。春休みなら学期中ほど込まないだろう。

 名谷駅の広大なバスターミナルはいつ行っても壮観だ。何もない所を開発したニュータウンだから、自由な設計ができたのだろう。その後新設された地下鉄駅でも、これほどの広さのターミナルはなかなかない。バスの待機場も十分な広さである。
 いろいろなタイプのバスが集結している。少数になった方向幕のバスも走っているのだ。

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 その待機所の中から、いよいよ友が丘高校行のバスが出てきた。方向表示は「友が丘(高校前)[止]」という感じの表記になっている。通常の友が丘バス停止りで入庫する便もあるからである。

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 予想どおり、乗り場に列を作っていたのは僅か数人である。クラブ活動の友が丘高校生が乗るかな、と思っていたが、意外にもそれらしい制服姿は女子が一人だけである。他は社会人らしい広い年齢層の人たちである。
 しかも、ドアが開いてからも、そういう社会人たちが続々乗ってきて、ほぼ席がふさがったのである。学生風も二人乗ったが、制服ではない。
 考えてみれば、73系統は駅から駅へ行くのだから、もとより終点まで乗り通す人がいるはずはなく、利用するのは竜(りゅう)が台(だい)や菅(すが)の台(だい)といった名谷南地区、さらに北須磨(きたすま)団地内へ行く人が大半であろう。行先の友が丘はそれらを越えた先にあるのだから、名谷駅から乗る人がこの便を忌避する理由はないのである。

 二人ほどの立ち客も出て、バスは発車した。はたして団地内で次々下車する。途中の停留所で待つ人は、「妙法寺駅へは行きません」というアナウンスを聞いて、見送る人が多い一方、名谷南センター前からこのバスに乗る人がいたのにも驚かされる。
 北須磨団地でも数人降りたが、その中には停留所に留まる人もいる。ここ始発の71系統須磨一(いち)の谷(たに)行に乗継いで須磨駅方面へ向かうらしい。そういう利用もあったのか、と思う。

 バスは通常の友が丘停留所に着いた。と、あの制服の女の子が降りて、友が丘高校と逆方向の住宅地へ駆け入ってしまった。てっきり友が丘高校生かと思ったら、そうではないのだ。車内は、わたしを入れて四名の陣容になった。
 下の写真は後で撮ったものだが、左の写真は友が丘停留所の方から妙法寺駅方向の交叉点を見たものである。奥に映っている市バスは妙法寺駅前行で、このように先の大きな道へ右折するのが73系統のメインルートだ。
 ところが、この友が丘高校前行は、その手前の道、青い乗用車が出てきている道へ折れた。この道に入ると右の写真のような所を通る。右に見えているのが友が丘高校の校舎である。バスは高校の正門の前に停まるか、あるいは門に入っていくのか、と思ったが、その前は素通りする。

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 その先の丁字路を左折した所に、頭が白いポールが立っていた。柱には「降車場」と書いてある。そこに停まったバスは、わたしたちを降ろす。高校の方へ向かった人は誰もいず、散っていく。そのうちの一人は、朝から営業している万代(まんだい)百貨店というスーパーに入っていった。
 バスは一分ほど停まると、その先を左折して、つまりさきほどの交叉点の方へ戻って、おそらくは回送で落合車庫に入庫する。 
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 実は、左折した先すぐには、74系統(名谷駅~柏台(かしわだい))の啓明(けいめい)女学院前停留所がある。友が丘高校前を除けば、そこが友が丘高校の最寄り停留所である。しかし、通学のピークたる八時台には、74系統の便はない。してみると、この友が丘高校前止りは、それを補うために設定されているようである。
 意外にも友が丘高校生が誰も利用しなかったが、学期中なら様相が異なるのかもしれない。この日に同高校生が登校していなかったわけではない。妙法寺駅からの坂道を、制服姿が続々歩いて登ってきていた。

 さて、ついでに市街地に出て、3月限りでなくなる系統を見ておこうと思う。
 大橋(おおはし)五丁目東行の停留所で待っていると、81系統が来た。従来は兵庫駅方面まで直通していたが、4月からはそれをやめた。 

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 4月からの81系統は、須磨一の谷~新長田(しんながた)駅の系統となった。
 これは、かつて存在した旧臨時85系統と同じ運行区間である。旧臨時85系統は、須磨水族園方面の観光エリアに市街東部や大阪方面からの客をスムーズに運ぶために開設されたものであったが、震災によって運行休止し、ついに復活しなかった。わたしも、一度乗りたいと思いながら、乗らないままになった。
 この運行区間になって、新長田駅付近の経路は小さな片循環(ループ)を描くようになった。すなわち、須磨方面から来て、本庄町(ほんじょうちょう)から国道2号を大橋五丁目まで直進、先を左折して新長田駅前の北行ブースで乗降扱い、そしてまた左折してJR高架の南側に沿って西進、さらに左折して大橋九丁目交叉点に出てこれを右折、本庄町に到って須磨方面に戻るのである。この経路も、旧臨時85系統と同じである。一応、新長田駅前が終着・始発となっているが、大橋九丁目・五丁目から須磨方面へ連続乗車することもできる。

 わたしは、6月になってから、乗りつぶしの意図などなく、試しにこの新81系統に乗ってみたのだが、それで新長田駅前→本庄町という新たな停留所間が出現していることに気づいた。復路の大橋九丁目交叉点に停留所はないのである。右折する関係で停まれないのだと思うが、そもそも停留所がないという扱いなのか、大橋九丁目を「通過」しているのか、定かでない。
 やや疑わしいながら、乗っておくに越したことはないわけで、結果的に乗りつぶしをしたことになる。旧臨時85系統が同じ扱いだったかどうかは、よく分からない。
 バスは中型のノンステップ車が使われていて、終始座席の八割程度が埋まる感じであった。昼間だったからか、買物のお年寄りが利用者の大半を占めていた。
 

 再び3月に遡る。
 系統自体がなくなる85系統神戸駅行に乗ってみる。

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 元々八十番台の系統番号は、市電代替系統として設定されたものである。85系統も、市電松原(まつばら)線の代替で須磨と神戸駅を長らく結んできた。しかしその歴史も途絶えることになる。八十番台は、七十番台が満杯になってしまった名谷地区にシフトしつつある。市電の系譜を伝える八十番台は、先の81系統だけになってしまう。

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 神戸駅前に着いた。長い間ここで見られた「須磨水族園」の行先も、見納めとなった。

 5月に入ってから、新設の96系統(神戸駅~中央市場~兵庫駅~新長田駅)にも乗ってみたが、利用状況は先の新81系統と似たようなものであった。

(平成26年3~6月乗車)

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つつじバス近況

 都市規模の割に充実した運行を続ける鯖江(さばえ)市コミュニティバス「つつじバス」のここ数年の様子をご紹介する。

 前回の記事「つつじバスの多士済々」以降、車輌が一新され、運行受託会社にかかわらず統一仕様となり、かなり見栄えがよくなった。
 また、第三セクターと思われる「つつじ」というつつじバスの運行株式会社も設立され、小型車2輌と中型車の運行を担当している。
 ワゴンタイプの車輌は新調はされなかったが、2輌あったのが1輌に集約された。以前はタクシー会社が受託していたが、現在は鯖江交通の受託に替わっている。もっとも、「つつじ」の所在地は相馬(そうま)タクシーと同じになっているので、相馬タクシー社が現在も運行と経営に間接的にはかかわっているのだろう。

 では、実際の姿をみてみよう。

 このタイプが小型ノンステップの標準車である。
 つつじのイメージからピンクを基調とした塗色で、鯖江市のマスコットキャラであるレッサーパンダのイラストがあしらわれている。

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 この写真は公立丹南(たんなん)病院前で時間待ちする車を撮影したものだが、地域の中核病院である公立丹南病院の改築・改修に合わせて、バス乗場も整備された。
 「公立丹南病院」の停留所は、路上停留所だったのが、病院敷地内に屋根と雪除けの着いたきれいな停留所が設けられたほか、ここでの転回も可能になったのである。これに伴い、神明(しんめい)駅発着の各線が公立丹南病院乗入れを果たし、利便性が向上した。福井鉄道の路線バス(鯖浦(せいほ)線)もここに寄るようになった。

 中型車は河和田(かわだ)方面の路線に主に使われるが、これもノンステップの新車に替わっている。こちらは越前漆器をイメージした赤と黒に塗装されているが、口の悪い人は、霊柩車みたい、と言う。

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 これは間合い運用とも言える中央線に入っているところである。

 これらの新しい車輌に替わったときには、PRのためにいろいろなキャンペーンが行われた。乗車券の配布、それに回数券を買った客につつじバスのチョロQをプレゼントしたりしていた。 

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 さて、以上のような標準車輌は、めいっぱい運行されているので、検査・故障時などは車輌が不足してしまう。そこで登場する代替車輌もなかなか面白い。

 鯖江交通独自の代替車輌は、以前からあるリフト付二扉車で、標準車輌導入により予備車となった。二扉だが、実際は標準車輌に合わせて前扉のみが使われている。写真は、北野町(きたのちよう)2丁目付近を行く鯖江交通代替車による中央線である。

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 また、越前観光はこれも以前から代替車として使っていたマイクロバスがピンチヒッターに出てくる。写真は本町(ほんまち)2丁目に着いた中央線である。

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 「つつじ」の代替車輌は中型と小型各1輌ある。いずれもなぜか白無垢の車である。つつじバスにしか使わないのならそれなりの塗装を施しては、と思う。
 下は、やはり中型車の間合い運用である立待(たちまち)線に入っている中型代替車で、公立丹南病院~神明駅間を走っている。

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 そして、次の写真は、JR鯖江駅付近を行く小型代替車による中央線である。

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 これは代替車ながらノンステップなので、サービスもそれほど低下しない。
 面白いことに、この小型代替車の車内には、「Suica・PASMOも使用できます」というステッカーが貼られたままになっている。カードリーダーなどは設置されていないのだが、どこか関東の方の会社から来た中古車らしい。 

 カードは使えないが、標準車輌には両替機内蔵の料金箱も設置されたので、これも使い勝手がよくなっている。
 さらに、つつじバスの公式彩図では、バスの現在位置がパソコンとスマホで見られるようになった。これは、雪国にはありがたいことである。荒天時にいつ来るとも知れぬバスを道端に立ち尽くして待ち続けるのはつらいものだ。このサービスのおかげで、バスが接近してから家や用務先、あるいは屋根のある待合所を出ればよくなった。GPSの付いた発信機をバスに備えつけてあるのだが、この発信機はポータブルなものなので、代替車輌の場合でもちゃんと発信される。
 このサービスは、鯖江市が力を入れている、ソーシャルデータを活用するとりくみの一環だそうだ。
 公式彩図には、忘れ物をした場合の問合せ先が表になっていて、それを見ればどの便がどの会社の受託かが分かる。

 こういうさまざまな近代化やが施されたせいであろうか、運転手さんの意識もかなり向上したように思う。以前のようなルーズな運行ではなくなり、早発や誤通過などをみることはまずなくなった。
 ダイヤの方は微修正されるのみで、平成19年頃から大きくは変わっていない。前の記事で指摘した鉄道との接続の問題も少しずつ改善されているが、つつじバスの側が改善したというより、鉄道のダイヤ改正によってたまたまよくなった部分も多い。
 また、ワゴンタイプの車の間合いを活用した「歴史の道線」という新路線が開設された。小回りの利く車輌を活かし、旧北陸街道を経由して鯖江駅と公立丹南病院など神明地区とを直結する路線である。もっとも、それほど利用がないとみえ、この4月から減便される。

 ともかく、これからも活発な運行を続けてほしいものである。

(平成26年3月執筆)

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あべの・上本町循環バス

 大阪の上本町(うえほんまち)にはよく泊まるし、あべの(天王寺(てんのうじ))界隈は学生時代によく歩いた。
 その二地域は近いし、ともにターミナル駅があるのに、両者を結ぶ足は乏しかった。少なくとも鉄道では一回の乗換えを要する。一応、市バスが結んではいるのだが、多数の系統のうちの一つの、それも途中区間であり、運転間隔もランダムで、分かりにくかった。
 しかし、この夏から、近鉄バスがこの二地点を二十分毎に直結するバスを走らせるようになった。両方に近鉄のターミナルがあって、しかも相互に直接連絡のない路線であるから、近鉄バスがそういう路線を今まで走らせていなかったのが不思議なくらいだが、大阪市バスの営業エリア内でもあり、規制緩和前には無理だったのだろう。
 面白いし便利なので、平成25年9月にこれを利用してみた。

 近鉄上本町(鉄道の駅名は「大阪上本町」だが)の乗場は、シェラトン都ホテル大阪の玄関前、関空リムジンバスと同じ所である。ノンステップ車が、リムジンバスの陰に隠れるように時間待ちをしている。

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 乗場には、リムジンとは別に、この路線用の行列サインが足元にテープで示されており、盛況をうかがわせる。平日の夕方だったが、ちょうど座席が埋まるぐらいの乗車率で、発車した。
 市バスのメイン路線は上町(うえまち)筋を運行するが、この路線は谷町(たにまち)筋を南下する。地下鉄四天王寺(してんのうじ)前夕陽(ゆうひ)ケ丘(おか)駅の南側に、四天王寺参道口停留所がある。ここは9月から新設されたものだが、ここでも一人乗車があった。
 そのまま南に向かい、JR天王寺駅とMioを左に見て左折、東進し、右側にある天王寺都ホテルのロータリーに入って転回する。夜間はここが発着場になるようだが、まだ夕方なのでそのまま道路に戻り、西行車線に出て、近鉄大阪阿部野橋(あべのばし)駅に接した路上停留場で、あべの橋終点となる。
 あくまで大阪阿部野橋駅とあべのハルカスに重点が置かれていて、それらに道路を渡らずに行けるよう、配慮されているのだ。この路線が開設された直接のねらいは、近鉄大阪・奈良線の客をあべのハルカスに誘導することだろう。

 学生時代に比べて、ずいぶん派手な町になった。見違えるようだが、ちょこちょこと懐かしさも感じる。まだ一部は工事中でもあるので、雑然としたあべのらしさも残っているのだ。
 
 

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 逆方向のバスにも乗ってみる。乗降場は同じで、近鉄上本町から着いた車がそのまま折返しとなる。運転の拠点は上本町側のようだ。バスが着く前から数人の列ができていた。
 乗車率は往路と似たようなものである。
 

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 四天王寺参道口ではやはり乗車があった。地下鉄の駅に近いとはいえ、上本町に地下鉄の駅はなく、徒歩連絡を要したから、このバスによって利便性が高まった人もいるのだろう。
 上本町にはUFURAなどの大規模商店や新歌舞伎座もあるし、近鉄大阪線の電車はここが始発である。

 バスは、千日前(せんにちまえ)通に右折の後、シェラトン都ホテル大阪の構内に入って転回し、さっきの乗場に着く。
 都会の迷路の盲点でもあった地区間の気軽なバスは、今後も人気を高めていきそうである。当初のねらいに沿った買い物客だけでなく、ビジネス・通勤の利用と見える客も少なくなかったし、そういう多目的に利用価値がある路線こそ、交通機関として熟していく可能性を秘めているからだ。

(平成25年9月乗車)

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岩国空港からの航空便

 岩国空港の空港ビルが整備され、かなり久方ぶりに定期便が発着するようになった。山口件には既に宇部空港があり、広島空港からも近いこの地に、今空港が復活したのは、興味深い。
 新幹線の新岩国は東京・大阪への直通列車が少なく、工業都市徳山から宇部空港へは手戻りとなる。広島西空港は廃止となった。このあたりに復活の理由があるのだろうか。

 公共交通で岩国空港へ行く方法は、連絡バスがあるのみである。これは航空機の発着に合わせて運転されるが、空港着時刻は、接続航空便離陸のわずか三十分前である。これでは空港をつぶさに観察する時間が取れそうにないが、小規模な空港なのだろう。それしかなければそれで行く他ない。
 わたしは、バスの時刻に合わせて岩国駅に行った。

 岩国駅前からは、各方面に向かう市営バスが出る。公営バスは民間譲渡が進んでいるが、ここも民営化の方向が決まっているようだ。
 しかし、各種のラッピングバスを走らせるなど、意欲的である。駅前には、ちょうど「島耕作バス」が待機していた。弘兼憲史氏、そして島耕作も、岩国出身なのである。

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 発車時刻が近づくと、十人ほどの人が乗場に集まってきた。大きなトランクを転がしている人もいるが、手ぶらの人もいる。
 時刻間際にバスがやって来た。これもラッピングらしく、飛行機の写真などがプリントされている。
 扉が開いてみると、誰も乗っていないが、料金表表示を見ると、駅が始発ではないようだ。後で調べると、交通局前が始発で、市街地を抜けて来るらしい。空港も「岩国錦帯橋空港」という名前なのだし、錦帯橋や新岩国駅方面からの直通にすればよさそうなものだが、観光利用は少ないと踏んでいるのか。
 バスは目抜き通りを抜けて海沿いに進み、僅か十二分でターミナルビルに到着した。こんなに便利な場所にある空港も珍しい。

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 供用が始まって間もないターミナルビルは、かなり開放的で明るかった。外から見ると人気がないな、と思ったが、中に入ってみると、存外人がいる。どころか、ごったがえしていると言った方がいいだろう。
 ここからは東京行のANA便が一日四便出るだけだ。こんなにたくさんの人が乗りきれるわけはないから、ほとんどが空港の見学客なのだろう。神戸空港も開港当初はこんな感じだったな、と思う。
 エントランスからは、搭乗待合室を通して、駐機場が見えるようになっていた。全て同じ平面上にあるから、見通しがいいのである。こういうつくりの空港も初めてだ。

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 だが、見とれている暇はない。急いでチェックインし、バッグを預けると、荷物検査場に進んだ。スマホの充電器が引っかかった。そういえば、これを導入してから飛行機に乗るのは初めてだ。これも予め荷物から出しておくといいようだ。
 搭乗待合室に入ると、駐機場が目の前に見える。右手を見ると、到着した客がエスカレーターを下って来ている。改札後の通路もまた、ガラス越しにシースルーなのである。エスカレーターの向こうには、荷物の出てくる回転台がある。
 待合室からエントランスを、さっきとは逆に見ることももちろんできる。

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 改札が始まると、このエスカレーターを昇ってボーディングブリッジに進む。小型の飛行機しか発着しないからか、「コートはこの通路で脱いで手にお持ちください」という貼紙がある。機内の通路が狭いのだろう。小さい飛行機の座席が三分の二ほどしか埋まっていない。わたしは後ろ寄りの席を指定していたので、三人がけを独占できた。離陸時刻より前にドアが閉められた。
 乗り込むのはすぐだったが、走りはじめてから滑走路までが長かった。まるでこのまま走って羽田に向かうかに思われるほど空港内を彷徨った後、ようやく離陸態勢に入る。基地共用の空港だからか、あるいは、騒音や石油コンビナートを避けるために滑走路を沖合に移設したためであろうか。

 飛び上がってしまえば何も不思議はないが、ちょうど宮島付近の多島海を見下ろしながら上昇するので、いい眺めである。なかなかこういう高度から宮島を見ることもない。

 羽田に着くと、ローカル空港発なので、駐機場は最果てを割り当てられていた。ここでも着陸後の走行がかなり長く、ターミナルビルを横目に見て、これを行き過ぎてから停まった。バスで送られることになるが、このバスが何の手違いか、数分到着しなかった。
 だから、ターミナルビルの荷物受取所に進んだときにはもう荷物が出てきていた。ベルト一周分に満たない荷物しか預けられていなかったとみえ、停止したままのベルトに荷物が点々と客を待っていた。

(平成25年1月乗車・搭乗)

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