函館で見た乗り物たち

 さて、前記事のように、東京駅から新幹線で新函館北斗に着いた後、函館の市街に入った。そこでいろいろな乗り物や、乗り物に関する施設について、見たままをご紹介する。
 平成生まれのエンジニアと同行しているので、彼とわたしの見方の違いも楽しみである。

 函館山に行こうとして、函館駅前から山の麓にある十字街電停へ市電で移動した。乗ったのは昭和の香り漂う、昔ながらの市電という感じの車輌だった。が、その電車を降りて歩道に上がると、後続の電車は箱館ハイカラ號だった。
 しまった、一本やり過ごせばよかった、と後悔したが、とりあえず写真を撮る。わたしは以前に乗ったことはある。のだが、やはり函館が初めてである同行者も乗せてやりたかった。
 これは大正時代、函館市電草創期に走っていた車輌で、平成の初めごろに登場時の姿に復元された。冬季は運休するが、この種の車輌には珍しく、平日も含めて昼間運行している。

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 こういうインパクトある電車は、乗るよりも見る方がよい、と負け惜しみを言っておこう。

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東京駅ラウンジから函館ゆきグランクラス

 飛行機に乗り慣れると、空港のラウンジも使い慣れる。
 航空会社が独自に設けているラウンジもあるし、いわゆるカードラウンジなら、ちょっとした規模の空港には必ずある。サービス内容や、有料・無料の区別は、空港によって少しずつ違うが、フリードリンク(アルコールは有料だったりなかったり)はだいたい共通している。ラウンジによっては、コピーやファックスが利用できたり、軽い朝食を提供していたり、シャワーまである所もある。

 こういう空港ラウンジを使うにつけ、駅にもこんなラウンジがあれば便利なはずなのに、と慨嘆せざるを得なかった。特にラウンジサービスが活きるはずなのは、夜行列車である。
 夜行列車に乗るまでの間、あるいは朝降りてから、中途半端な待ち時間が生じることが多い。早朝深夜の時間帯なので、適当な店が開いていなかったりする。そこで駅に、ちょっと呑んだり食べたり、身支度を整えたり、あるいはテレビや新聞など観ながら情報収集したりできる場所があれば、時間とエネルギーを有効に使える。そうなれば、夜行列車も十分ビジネス需要に堪えるのではないか。
 夜行列車の中で食事が提供されたり風呂に入れたりするのは、情緒的には趣があっていいのだが、そういうサービスを提供する場としては、走る列車に連結するより、夜行の発着する主要駅に施設を作っておいた方が、どう考えても効率的だろう。ラウンジ単体で運営するのが難しいかもしれないが、主要駅に併設された鉄道関連会社系列のホテルやレストランとタイアップもしくは一体化した運営をする方法もある。
 そうすれば、夜行需要もここまで落ち込まなかったのではないか。

 そんなことを歯がゆく考えていたわたしだが、皮肉なことに、夜行列車がほぼ壊滅状態になったタイミング、平成27年12月に、遂に駅のラウンジが誕生した。
 東京駅の「ビューゴールドラウンジ」である。

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梅小路のSLと市電

 関西で生まれ育った鉄道ファンのくせに、なぜか梅小路(うめこうじ)には行ったことがなかった。いずれここにはJR西日本の鉄道博物館ができるそうなので、今更行かなくていいのかもしれないが、そうなる前の姿も見ておきたい。
 加えて、隣接する公園では、京都市電の展示や運転がなされている、ということなので、ついでにそれも見ようと思う。

 昼過ぎに、七条(しちじょう)通上にある梅小路公園前のバス停に着いた。公園の中には露店がひしめき合っていて、何かフェスティバルのようなものが催されているようだ。その露店群をかき分けるようにして奥に進むと、保存市電の乗り場があった。
 が、この時間はちょうど運転休止・充電の時間にあたっていた。それで、先に蒸気機関車館に行ってみることにする。

 喧騒の梅小路公園から嵯峨野(さがの)線のガードをくぐっただけで、ずいぶん落ち着いた佇まいの門と玄関が現れる。これが梅小路蒸気機関車館の入口である。
 この建物は、高架化する前の二条(にじょう)駅の駅舎を移築したものだという。わたしもこの駅舎に降り立ったことがあるはずだが、駅舎というのはそれほど差異のあるものではないので、他の駅の印象と渾然となって、定かでない。が、現存する最古の部類に属する駅舎なのだという。

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 自動券売機で入場券を買い、これを見せて館内に進むと、建物の中には、蒸気機関車に関する展示物がある。
 機関車の運転室、これは実車のC11形からカットしたものである。自由に出入りして機関士気分を味わうことができる。
 それに投炭練習機というのに興味を惹かれた。実際に機関助士が訓練に使っていたものだ。

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 この他にもジオラマや、出札口内の実物大模型、関連器具の展示もあった。

 扇形(せんけい)車庫の裏側を辿るようにして外に出てみると、客車が2輌展示されている。
 茶色の旧型客車は、鍵が掛けられていた。特定の日や時間に公開するのかもしれない。
 赤い客車は、国鉄の末期に旧型客車の後継とするべく造られたものだが、電車・ディーゼルカーへの移行が予想外に早く進んだものだから、天寿を全うせぬまま引退を余儀なくされた。これは休憩所として開放されており、クーラーも入っている。もっとも、この形の客車と蒸気機関車が、実際に営業運転で組んだことはほとんどないだろう。
 

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 扇形車庫の内外をうろつくのは、なかなか楽しい。

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 C58形は、お召し列車用のエンブレムを付けて展示されている。この形は中型でどこの線にでも入って行ける、使い勝手のいい機関車だったと聞く。
 蒸気機関車の代表格ともいうべきD51は、煙突から給水タンクまでが滑らかにつながった独特の形状のものが保存されているが、これは扇形車庫を離れて、営業線に沿った引込線に、現役の電車や電気機関車に伍して留置されていた。新博物館に入れる準備がなされているのだろうか。

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 館内には、往復1キロほどの線路を使って、蒸気機関車の動態保存運転が行われている。ちょっとそそられるが、遊園地のような客車を見ると、乗ろうという意欲が失せた。休日のことで大行列だったからでもある。
 向かい側の芝生広場から写真だけ撮っておく。  

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 蒸気機関車館を一通り観たところで、市電の運転再開時刻になったので、同館を辞して、公園の方に戻った。

 市電の展示館には、広軌1形が展示され、やはり休憩所として車内が開放されている。
 かつて京都市内の路面電車は、狭軌の京都電気鉄道、広軌(標準軌)の市営電車、二社局の路線が絡み合うように敷設されていた。両者の路線が重なる区間では、双方のレール幅に合わせるため、三本のレールが敷かれていた。それもこの展示車庫内で再現されている。
 狭軌車輌が、動態保存運転に供されている。わたしが着いた時は、まだ庫内で充電中であった。
 

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 充電、というのは、この車輌は架線から集電する本来の方式ではなく、リチウムイオン電池を搭載するように改造が施されているのである。
 トロリーポールも残されており、折返し時にはポール回しも行われるが、これはダミーと化している。
 運転再開に際し、電車が引き出されてきた。特に呼び込みなどもしていないので、乗る人は少ない。後部運転台から、庫内の広軌1形を望める。
 車内は明治村で観た京都市電と同様である。電気方式といい、路線規模といい、明治村には及ばないが、地元京都で動態保存されているということに、価値があるのだろう。そういう施設のない神戸の人間にしたら、羨ましい。名谷(みょうだに)車庫の保存車か、復元車輌を製造してもいいから、何とかならないのか、と思う。

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 これに乗って移動してみる。乗り心地も明治村と大差はない。
 反対側の終点、京都水族館に近い所にある降り場からすぐの所に、市電ひろばがある。
 ここには市電のもっと新しい車輌が4輌も静態保存されている。入ってすぐの所に置かれている500形は、「市電カフェ」として開放されている。

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 車内は原形を留めぬまでに改造されていて、まさにカフェのつくりになっている。椅子もカウンターもおしゃれだが、吊革などは元のままだ。メニューはドリンクが中心だが、地ビールのジョッキなどもある。

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 ここでコーヒーをいただいた後、他の車輌も見回る。
 700形は、売店として使用されていて、鉄道関連のグッズが主に売られている。800形は、その多くがワンマン改造されて1800形になったのだが、ここには原形のものが保存され、休憩所として開放されている。

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 そして、1600形もほとんど手を加えずに展示・開放されている。1600形は京都市電近代化のきっかけとなった名車600形をワンマン改造したものである。600形は、ドア位置を変更したり車長を伸ばしたりして2600形に大改造された車輌もあるが、1600形は単純にワンマン化しただけである。だから、600形としての原形をよく保っているのである。
 京都市電の晩年しか知らないわたしにとっては、このようにワンマンカーを示すオレンジ帯を巻いた姿の方が記憶と合致する。

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 こうして、梅小路の鉄道関連施設を見終えたわたしは、バスで京都駅の方に戻ることにした。梅小路公園と蒸気機関車館との間にバスの発着場が設けられていて、ここから京都駅や東山(ひがしやま)方面への直通便が出る。
 わたしは、京都駅前行の「水族館シャトル」に乗った。

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 梅小路公園を出ると、途中水族館の最寄りである七条大宮(ななじょうおおみや)のみに停車して、京都駅に直行する。途中、昔は狭軌電車の車庫があった三哲(さんてつ)を通る経路を取るのも、意図したわけではないだろうが、縁を感じた。

(平成26年7月訪問)

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明治村乗り物散策

 明治村へ行くのはかなり久しぶりで、前の時のことはあんまり覚えていないから、初めてに等しい。
 鉄の興味としては、やはり乗り物関係に偏るので、それを主に観ていくことにする。

 前回は明治村口(現・羽黒(はぐろ))からのバスに乗ったが、現在は犬山(いぬやま)駅からが順路になっている。そのバスで明治村の入口に着いた。こんなに広い門前広場があったことは、もう記憶にない。

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  開門の前に行ったので、暫くは寒さに震えながら待つ。その時間からもう待っている人が二十人ほどいた。年齢も性別もばらばらの人たちである。  

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 門が開くと同時に、とりあえず正門に近い「一丁目」にある「鉄道局新橋(しんばし)工場」を覗いてみる。ここには、明治天皇と、その后である昭憲皇太后の御料車が保存されている。車内には入れないが、窓から中を見ることはできる。

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 そこを出て、さらに奥に進む。いよいよ実際に運行しての動態保存をしている鉄道があるエリアに進む。
 ところが、そこではNHK朝ドラ『花子(はなこ)とアン』の撮影が行われていた。開村前に撮影するつもりが、長びいたのであろうか。本番中以外はそばに近づくこともできたので、停まっている電車の中を見透かしてみた。扮装をした女優さんが乗っているのは見えたが、誰かまでは分からない。
 後で放送を観たところでは、5月3日放送分、女学校の文学祭で来客にいたずらをした花子と学友が手を取り合って学校から駆け出し、電車に乗って逃げていく、という華やかな場面が撮影されていたのである。わたしが後ろ姿を瞥見したのは、吉高由里子(よしたかゆりこ)さんと仲間由紀恵(なかまゆきえ)さんだったようだ。
 ここでは、前作『ごちそうさん』の撮影もあったはずである。杏(あん)さん扮するめ以子(いこ)と東出昌大(ひがしでまさひろ)さん扮する悠太郎(ゆうたろう)が、まだ結婚前の東京時代、同じ電車に乗って女学校と大学にそれぞれ登校しようとする場面である。

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 撮影していたのは市電の「京都七条」電停付近だ。村内には、村営バスが運行されていて、これはかなりこまめにバス停がある。運行も頻繁なので、実用的な移動手段としてはこれが最も便利だ。わたしは「のりもの一日券」の付いた入場券を買ってあるので、いちいち料金を払う必要もない。
 停留所は雰囲気のある屋根付きベンチがあるし、バスもボンネット仕様である。これは保存車ではなく復元のようだ。

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 「京都七条」バス停から、奥へ向かうバスに乗る。
 途中、右窓に蒸気機関車が見えた。これは、名鉄尾西(びさい)線の全身である尾西鉄道で使われていた機関車だ。これが乗っかっている鉄橋は、日本最初期の鉄橋であった、六郷川(ろくごうがわ)鉄橋を移設したものだそうだ。

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 一番奥の「帝国ホテル前」で降り、SLの駅に向かって坂道を歩いていくと、SLの橋の下あたりに、やはり蒸気機関車のカマらしいものが置かれていた。が、これが何なのかはよく分からない。眺めていると、上からSLの汽笛が降ってきて、煤煙の匂いがした。 

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 坂道の上にある「SL東京駅」に行ってみると、SLは三十分毎の運転なので、待ち時間がある。脇の売店など冷やかしながら時間をつぶしていると、「SL名古屋駅」から戻ってきた列車がホームに入ってきた。

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 機関車は客車から切り離されて進み、転車台で向きを換える。このターンテーブルは人力で、二人がかりで掛け声をかけて回している。この様子は、売店の裏口から出て通路を辿ると、間近に見ることができる。

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 ホームに面した線の外側に「機回し線」が設けられており、ここを通って機関車が客車の前に出る。そしてバックで近づいてきて、連結する。現在の連結器とは異なるので、ここでも人手がかかる。

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 客車内に入ると、ロングシートが並ぶ二重屋根である。景色は見にくいが、往時汽車に乗るというだけでハレの日であったことが窺われる内装である。

 すぐに「SL東京駅」を出る。

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 「SL名古屋駅」は、やはり『ごちそうさん』で、め以子が東京から大阪へ嫁いでゆく場面でロケに使われた。

 この駅は京都市電の停留所に近く、乗継ぎ利用できるようになっているが、ここらで早昼をとりたい。
 近くにある「食道楽のカフェ」に入り、「お米のオムレツバーガー」なるメニューを食する。バーガーといっても、手に持って食べるのは難しい。
 この店の窓からは、市電の線路が見え、電車の往来も楽しめる。

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 店を出て、「市電名古屋駅」で電車を迎える。
 古い電車だからトロリーポールで集電しており、「ポール回し」をしないと折返すことができない。車掌さんがポールの紐を引いて電車を半周し、ポールを架線に合わせる。

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 この電車は昨年かなり大がかりなチューンナップをしたはずで、そのせいか、中も外も綺麗である。内装はさっきの客車とよく似ているが、吊革、本当の革でできた吊革が下がっているのがいい。

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 さきほどの「京都七条」を経て、反対側の終点「品川灯台前」に到着すると、もう一輌の市電が奥に留置されていた。こちらの方は傷みがひどいようで、すぐには運転できそうにない。できればこちらも整備してほしいものだ。

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 折返し電車に乗って、「京都七条」まで戻ってきた。ちょうど正門に向かう村営バスが通り、これと擦れ違う。

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 バスの速度はごくゆっくりだから、バス停まで走って追いかけ、これに乗り込むことができた。正門までは上り坂なので、助かる。

 駆け足で乗り物だけ観たようにみえるだろうが、他の展示物もそこそこは観てきている。とりあえず、明治村の半日に堪能した。

(平成26年2月訪問)

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交通科学博物館おなごり

 大阪・弁天町にあった交通科学博物館が、平成26年4月6日で閉館した。
 高架下と線路脇の狭いスペースを利用した施設だが、小学校時代(当時は「交通科学館」だった)から何度も通って思い出深い。閉館の声を聞いて駆けつけた人も多いと思うが、わたしも閉館前の休日と平日、二度にわたっておなごりの訪問をした。

 その時のことを記すが、とにかく親しんだあの雰囲気を記憶に留めるべく、写真をたくさん撮った。それをできるだけご紹介していき、文章は最小限にする。

  休日に訪れた時は、10時の開館と同時に入るつもりで着いたのだが、9時50分頃にはもう百人以上の人が並んで開館を待っていたのである。その行列の場所からも、大きなガレージとその中の車輌が見えた。  

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 右側は湘南形とも呼ばれる80系電車で、電車のなかではわたしが最も好きな形式である。ただし、これは最初期のタイプで、マイナーなモデルチェンジをくり返して、やがて半流線型の前面になっていく。それこそが好きなのだが、半流線型の車輌はどこにも保存されていない。

 平日の午後にいった時には並ばずに入れたが、平日といってもなかなかの賑わいであった。修学旅行の中学生グループもいた。

 日曜日には、時期により保存車輌の内部公開が特別に行われていた。この日はエアロ・コマンダーというタイプの軽飛行機の操縦席に入ることができ、これの前にも列ができていた。 

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 このように、鉄道だけでなくいろいろな乗物が展示されている。
 自動車のコーナーには、昔からのバイクの移り変わりを示す展示、丸っこいスバルからオート三輪など古めかしいクルマの展示などがあった。

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 昔のバイクを見ると、まさに「原動機付自転車」という名がぴったりだったことが分かる。

 また、国鉄ハイウェイバスも中に入ることができた。こちらは列はなかったので、ゆっくり見学した。

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 そしていよいよ鉄道の展示を見る。
 やはり交通科学博物館の顔といえば、新幹線0系である。入口に近い側は壁ぎりぎりに先頭車が置かれていて写真は撮りにくいが、奥側はスペースが十分にあった。昭和五十年台頃によく見られたパタパタしき行先表示器も、脇に展示されていて、操作もできた。
 新幹線と並んで、入口近くには、「こだま」型特急電車のカットボディもある。

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 こういうカットボディこそが、いかにも博物館らしいのだが、大阪環状線のオレンジ色をした通勤電車のボディも、ずっと昔からある。これは車掌さんのように扉が開け閉めできるようになっていた。
 その横には模擬改札口なども設けられている。
 昭和三十年台頃の鈍行客車を再現したモックアップもあり、これには老夫婦が懐かしそうに長く見入っていた。

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 そういう史料的価値のある展示も多い。
 壁には、日本最古の鉄道トンネルである石屋川トンネルの記念パネルも飾られていた。東海道線住吉~六甲道間にあったトンネルで、天井川の川底を抜ける短いものである。高架化によってこのトンネルはなくなったが、似たつくりの住吉川や芦屋川のトンネルは現役である。

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 また、昔の列車、急行列車が主だが、珍しい列車愛称を示す愛称板(ドア脇に差し込まれていたもの)がたくさん展示されていた。わたしはほとんど乗ったことも見たこともなく、時刻表の文字で知るのみの列車たちである。

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 休憩室に足を踏み入れる。日曜日はここで駅弁販売も行っていた。子供の頃に比べれば椅子や内装が綺麗になっている。飲物の自動販売機も多数並んでいる。

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 屋外に出ると、イベントや講演会に使われるホールの入口がある。昔ここで『魔法使いサリー』の映画を観たことがある。乗物の展示に飽きた子供を接待するためにそんなのを上映していたのだろうか。脇に、ガラスに守られた蒸気機関車「義経」号が保存されているのも見える。
 ここで、元大洋ホエールズ選手の屋舗要氏による講演が行われる、というポスターが貼られていた。スポーツ音痴のわたしでも屋舗氏の名前くらいは知っているが、SLの写真家に転向していたことは知らなかった。
 入口から見えたガレージの反対側から中に入ることができる。こちらには紀勢線特急「くろしお」にも使われた流線型のディーゼル特急などが顔を覗かせている。

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 ガレージの中にはさきほどの80系電車などもあるが、普段は中に入ることができない。しかし窓から車内の様子は窺える。
 昭和初期の食堂車も、同様にテーブルの並んだ様子が分かる。

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 もう一輌食堂車がある。ブルートレインの最初の型である。
 ここは実際に食堂営業を行っていた。これは大宮の鉄道博物館でも行っていないサービスである。
 例によってカツカレーを注文したが、まあ味はびっくりするほど美味しいというものでもない。子供向けなのだろう。

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 館内に戻り、人気の模型パノラマ室を覗くと、ちょうど運転時間中であった。
 現在はこれを上回る規模のレイアウトが各所にあるが、往時はなかなか見られないものであった。
 車輌基地の部分は、一輌だけで留置されている車輌があったり、異なる形式の車輌が連結されていたり、となかなかリアルに表現されている。 
 もちろん、夜や朝の演出もなされ、寝台列車が駆けめぐる。
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 パノラマ室の脇には小さなドアが設けられている。気づきにくいが、旧い電機機関車の鼻先が、そのドアを指し示している。この機関車は昭和初期に作られ、当時の電化区間で急行列車などを牽引した花形機関車である。

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 そのドアを出て歩道橋で道路を渡って隣の区画に行くと、そこは第二展示場と呼ばれる所である。
 ここは、信号関係の施設およびディーゼル機関車が展示されている。

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 機関車のなかでもなかなかかっこいいスタイルのDD54形というのが目を引く。ドイツ製の高性能車だが、故障が多かったため、ピンチヒッターでSLが復活したりした。
 この機関車のすぐ向かいが男子便所になっていて、鏡ごしにDD54と顔を突き合わせて手を洗うかたちになるのが面白かった。

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 だいたいひととおりの展示物を観た。
 平成28年には京都の梅小路にある蒸気機関車館をグレードアップした新博物館に統合発展して再オープンする予定である。待ちきれそうにないような先の話だが、過ぎてしまえばすぐなのだろう。

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(平成26年1・3月訪問)

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開拓の村を歩きかけて

 北海道の開拓の村にも、これまで行きたいと思いながら、なかなか足が向かなかった。
 初秋の北海道旅行で時間は作れたのだが、ぐずつき気味の天候となってしまった。

 とにかく札幌駅のバスターミナルから直通のバスに乗る。

 JR北海道バスの開拓の村行がブースにやってきた。十数人乗り込んだ客のうち半分くらいは、明らかに開拓の村へ行く人である。

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 札幌付近は、JRバスが活発に運行され都市交通の一翼を担う、珍しい地区である。
 地下鉄東西線に並行したバス道を、一時間弱かかって新札幌駅に着く。JRの電車で行くと、僅か四駅間で、快速なら八分で着いてしまうのだが、やはり北海道は駅間距離が長いのだろう。新札幌でも相当の客が乗り、立客も出る。森林公園駅のロータリーにも入るのでここからも乗れるが、ここからなら歩いてもさほどの距離ではない。

 バスは開拓の村の広々としたエントランスに着いた。

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 ゲートを兼ねた最初の展示建物は、札幌停車場である。
 

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 これは、明治末期から昭和戦後すぐまで使われていたものである。現在の札幌駅からすると規模が小さいが、当時としては立派な洋風建築だったのだろう。

 ゲートを入ってすぐ、馬車鉄道の乗場があり、ほどなく馬車が近づいてきた。白馬がとぼとぼと空の客車を牽いている。まだ朝なので、奥から戻ってくる客はいないのだろう。
 御者の誘導か、あるいはもう覚えているのか、ちゃんと線路の曲線に合わせて歩み、ポイントで合流して折返線に入る。白馬は客車から離されて水を飲みに行く。

 
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 乗物に関心が偏しているわたしなので、これにも後で乗ってみようと思うが、まずは歩いて見まわる。

 市街地群では中学校の建物などを見て昔の学校を描いたドラマを思い出したりする。そこを抜け、漁村群の水辺の家々を覗きながら裏道を進み、農村群に至る。蚕種製造所の中を見物したりすることもできる。

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 もっとゆっくり歩きたいのだが、雨足が強くなりはじめた。歩くのはいずれまたの機会に期することとし、早速にも馬車鉄道でゲート付近に戻ることにする。

 馬車鉄道の乗場脇に建っているのは、駅逓所である。鉄道や自動車が行きわたる前の北海道で、街道沿いに公式に設けられていた「宿場」のようなもので、輸送の拠点であった。
 

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 見学がてらそこで待っていると、あの馬がまた客車を牽いてきた。ここの線路は単線である。十人ほどの客が雨の道に降りて来る。
 おとなしい馬は、引かれるままに再び水飲み場へ至って一憩する。その間に、わたしはガイド嬢に料金を支払い、木の椅子に腰掛けた。帰り便の客はわたしだけのようだ。
 

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 やっぱり馬の足どりはとぼとぼと重い。何だか気の毒になってくる。開拓の村の乗物らしきものはこれしかないから乗ったが、どうも動物を労役に使うのは、わたしの感性に合わないようである。
 それはともかく、道を歩く多くはない人の注目を浴びながら水辺のゾーンを抜け、市街地群に戻ると、複線になる。札幌市内の大通りを想定したメインストリートだ。
 

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 ゲート前の乗場には列ができている。ちょっと気重な馬車鉄道体験を終え、わたしは食堂に入った。

 「開拓そば」という、うどんのように太い蕎麦に、ここの名物といういももちを一つ付けて昼食とした。全般に細麺を好むわたしだが、この開拓そばはなかなか美味しかった。
 
 

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(平成26年9月訪問)

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札幌市交通資料館と新低床車

 初秋の北海道旅行で、札幌市交通資料館に立ち寄った。

 ここは、知る人ぞ知るという施設なので、わたしも何度も北海道、そして札幌に来ていながらこれまで訪れなかったのは迂闊だったが、意外に展示内容が充実しているのだという。

 地下鉄南北線の自衛隊前で降り、改札口を出たが、左右どちらの出口から行けばいいのか、よく分からない。
 何となく高架に沿った道を歩いて行くと、フェンスが開いた所があり、そこから入ればいいらしい。どうにも素朴な施設である。

 砂利道を歩いていくと、高架下に無造作にバスなどが置かれている。

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 年代順に並んでいるというわけではなさそうだが、説明板が掲げられていて、バスのドアが開いているので、車内を勝手に見ていいらしい。

 下左の写真が比較的新しいタイプのバス、右はボンネットバスの車内である。ボンネットバスの床面はデッドスペースが多いようで、これは現代のノンステップバスに通じるものがある。

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 バスのエリアからさらに進むと、玄関口があった。
 この中に、模型や各種物品が展示されていて、係員も詰めているが、大した規模ではない。
 

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 地下鉄や市電の車輌も展示されていると聞いたのだが、見あたらない。どうしたことか、と外に出てみてあたりを見回すと、さらに先の方の高架下、一般道路を渡った先に、それらしき影がちらりと見えている。
 ずいぶん細長い敷地で、全長だけでいえば、大阪・弁天町の交通科学博物館に匹敵するかもしれない。

 地下鉄のゾーンに辿り着いた。
 札幌の地下鉄が独特のゴムタイヤ式であることは知られているが、何のために敢えてこういう特殊な方式にしたのかは、わたしもよく知らない。急坂を登攀できたり加減速機能を高めたりすることはできるが、札幌で特にそれが必要とも思えない。雪害を防ぐため地上区間も線路をドームで覆っているが、これも通常の鉄軌道でもできることである。

 ともあれ、下左は昭和46年開業当時の車輌である。特徴ある車輌なので、写真でよく見た覚えがある。曲面となったフロントガラスと大きな窓は、市電とも共通する札幌スタイルと言えるだろう。
 右は、「すずかけ」と呼ばれる試作車である。新たな方式だけにいろいろと試験をくり返したのだろう。鉄道車輌には見えない。トレーラートラックのような武骨さである。こんな実験をしてまでゴムタイヤに拘ったらしい。

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 市電のゾーンに進む。
 まず、下左の写真は、札幌市電らしい「ささら電車」、すなわち除雪車である。
 右は、大正7年、札幌市電が発足したときの車輌で、10形と呼ばれる。まだ、後の札幌市電スタイルにつながるような形状はない。
 

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 札幌市電の一つの特徴だった「連結車」も展示されている。
 写真下の左は、連結運転用のトレーラー、つまりモーターが付いておらず自走できない車輌である。ラッシュ時のみモーターの付いた電車と連結され、引かれるか押されるかして大量輸送に貢献したわけだが、連結や解放の手間が嫌われ、試作車だけに終わった。その車がこれである。
 写真中は、代わって登場したタイプで、A800形と呼ばれている。これは連結した状態が作りつけになっていて、車輌の継ぎ目に台車を配している。こういう構造の車輌は、一般には連接車と呼ばれるのだが、札幌市電では同じく「連結車」と表示された。
 写真右は、その車内である。車掌台が意外に広く、ちょっとしたカウンターのようなものまで設えられている。あまり他で見ないつくりである。

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 そして、写真下は、これまたユニークな存在である「路面ディーゼルカー」である。
 昭和三十年台、急速に発展する市街に追随するため、路線の延伸を急いだ札幌市電は、非電化で路線を開業し、そこにディーゼルカーを走らせて急場を凌いだのである。こんなやり方は他都市にはみられなかったし、従ってこの路面ディーゼルカーも、札幌独自の車輌なのである。
 ここに展示されているのは、ディーゼルカーのなかでも最も新しい型である。やがて電化工事が完成すると、ディーゼルカーも電装改造を受けて電車に生まれ変わったりしたが、その頃には既に路線縮小の計画も取り沙汰されるようになっていて、この車輌は改造されることなく、実働わずか七年で廃車となった。ゆえに、そんなに傷んでいない。
 車体デザインは、窓が大きく曲線を強調した札幌スタイルの、一つの完成形である。
 

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 この他、市電の全盛期を支えた当時の主力車輌も保存されている。
 

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 いろいろな車輌を面白く見学できた。わたしはフェンスの切れ目から一般道路に出て地下鉄の高架の下を抜け、反対側に出た。来た時と異なるルートで自衛隊前駅に戻った。
 一路線だけ残った現役の市電も見ておきたいので、地下鉄で都心のすすきのまで行く。市電の一方の起点がすすきのなのである。

 札幌市電にも最近になって超低床電車が登場した。他都市のものと同様、低床構造とした都合で、連接車となった。資料館で見たような連接車は、市電の利用客減少と路線縮小に伴い、昭和51年に使われなくなっていた。それ以来の復活である。連接車を示す「A」が 久々に形式番号に付き、A1200形というのが正式な形式名だが、一般には「ポラリス」という愛称で親しまれている。
 下は、東屯田通で待ち受けているところに接近してきたポラリスである。
 
 
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 しかし、東屯田通あたりは郊外に属し、住宅街といっていい。ちょっとこういう最新の低床電車が場違いな感じもする。
 終点の西4丁目で改めて眺めてみると、やはり都心のビル街にこそこの電車が似合っていると思う。

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(平成26年9月訪問・乗車)

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船の科学館と羊蹄丸

 お台場にある「船の科学館」が、この九月に閉館となった。施設の老朽化などが理由のようで、また新たな形で展示は再開するそうだが、鉄道趣味人としては、ここで係留・公開されていた元青函連絡船・羊蹄丸(ようていまる)が観られなくなることが、気にかかる。お台場だからいつでも行けると思って、今まで行かないできた。
 それで、閉館の迫った九月中旬に出かけてみた。

 ゆりかもめの船の科学館駅を降りてすぐ、大きな船、と見える建物が見える。入口まで炎天下けっこう歩かされたが、中に入る。閉館を控え、入場料は大幅な割引となっているため、館内は相当混雑している。 

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 煙突のように見える展望台にはエレベーターで昇ることができる。
 そこから下界を眺めると、意外に緑が多い埋立地をゆりかもめが行き来する様が、映画のセットか何かのように見えている。南西側に立つと市街地から羽田空港の方まで見渡せた。

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 そして、東側には科学館の付属施設である二隻の保存船舶がある。手前が初代の南極観測船「宗谷」、奥が羊蹄丸である。
 「宗谷」は、軍艦を改造したということもあって、思ったより小ぶりでスマートな船である。青函連絡船と比べても、こんなに小さい。

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 さて、メインの建物を出て、二隻の方へ歩いていく。
 「宗谷」の中は、長身な方のわたしにとっては、船内で背筋を伸ばして歩ける所がほとんどない。戦前の日本人の体格に準じているのだろう。乗組員の居室は、船なのに列車寝台並みに狭く、厳しい勤務が偲ばれる。

 羊蹄丸の手前には、この船のスクリューが展示されている。つまり羊蹄丸は、水に浮かんではいるが、もはや自力では航行できない、ということである。閉館後の譲渡先が公募されていたが、この大きな船をどこかへ曳航することになるのだろう。

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 船内は展示館としてかなり内装に手が加えられていて、青函連絡船時代を思わせるような痕跡はほとんど見あたらない。客室や食堂は跡形もない。拍子抜けしたが、それでも船体がこうして保存されていること自体、貴重なことだ。
 最下階の床がシースルーにされていて、エンジンが覗けるようになっている。この機関室の中も見学できるツアーが、人数を限定して毎日募集されていたそうだ。
 操舵室は、現役時代にも見学したことがなく、ここは機器類が比較的原型を保っていたので、面白く見回ることができた。

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 アトラクション的な展示として、昭和戦後頃の青森駅周辺の情景を再現したエリアがある。客車や機関車は実車のようである。これらの車輌も貴重だと思うが、閉館後はどうするのであろうか。
 周囲には、駅の手荷物受付窓口や、駅前の市場なども実物大で造られていた。

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 船内の展示をひととおり観終えて、甲板に出てみる。
 わたしにとっては、ここが最も青函連絡船を思い出させる場所であった。青函連絡船は、昭和63年3月の青函トンネル開通と同時に本運航は廃止されたが、その後青函博覧会に合わせて三カ月ほどの間だけ復活運航された。
 わたしはその時期に、まさにこの羊蹄丸で青森から函館に渡った。その時も夏であり、四時間弱の航行時間の多くをわたしはこの甲板で過ごした。
 また、本運航の最終日にもわたしは十和田丸で函館から青森へ向かっている。その時は、多くの人の思いが交錯して、胸に迫るものの大きい航海となった。十和田丸の甲板からも、すれ違う摩周丸に手を振った。青森で下船口に立ち、搭乗客一人一人と握手を交わしていた船長の、引き締まった表情の上に震え落ちそうになっていた涙の滴は、忘れることができない。
 甲板を見回したとたん、そんないろいろなことがいちどきに眼底を去来した。

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 貨車が出入りしていた車両甲板入口は当然閉じられているが、これこそ鉄道連絡船だった証だろう。

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 譲渡の公募には、意外にも多くの問い合わせがあったという。できるだけ現状に近い展示がなされることを望みたかったが、残念ながら解体されることが決まったそうだ。

 なお、船の科学館本体の展示についてはほとんど書かなかったが、あれはあれで相当見応えのある内容だった。特に、多数の精巧な船の模型は、単体でも価値がありそうな物ばかりが、何十と並べられていた。
 お台場がその名で知られるようになるはるか以前から船の科学館は存在していたのであり、いわば埋立地の生き証人である。この科学館も、早期に何らかのかたちで再開してほしいものである。

(平成23年9月訪問)

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リニア・鉄道館再訪

 今年五月の末に、名古屋のリニア・鉄道館を再び訪問した。
 新幹線品川駅開業十周年を記念して、いろいろな企画が始まっていたからである。

 品川駅ができてもう十年になるのか、と感慨深いというか、自分の歳も考えてしまう。
 開駅当初は、品川と新横浜には停まる列車と停まらない列車が入り乱れていた。わたしが上京するときは、米原から「ひかり」に乗ることが多く、かつ品川駅前にあったスターウッド系ホテルに宿泊することが多かった。しかるに、米原停車の「ひかり」は当初品川通過であった。品川に停まる「のぞみ」もあったのに停まらなかったのである。ホテルに入るときは、新横浜で下りて後続の「こだま」に乗り換える必要があった。
 これでは分かりにくいということで、やがて全ての列車が新横浜と品川に停まることとなった。が、そうなった途端にそのホテルがスターウッドから脱退してしまい、わたしは泊まらなくなった。

 品川駅は、東京駅ホームの折返し容量が逼迫していたのを解消する目的で造られたはずだ。そのため、東京駅と車輌基地とを結ぶ回送線が本線から分岐する地点より手前(新大阪寄り)に駅を設け、ここで折返す列車を設定できるようにしたのである。
 しかし、結局品川始発終着の列車はごく限定的にしか運転されていない。東京行と品川行とが混じるのは、やはり分かりにくいからだろう。それで容量の問題にはあまり貢献していないのだが、山手線を介して渋谷・新宿・池袋方面との連絡がよくなったから、開設の意義はあった。

 そんなことを考えながら館内に入る。わたしは大型のキャリーバッグを引っ張っていたが、これが入る大型ロッカーはない。しかし、受付嬢が愛想よく一時預かりを申し出てくれ、預かり札をくれた。

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 品川駅そのものに絡んだ特設展示は、デリカショップのそばの展示室に若干あっただけだが、他の企画もあった。

 まず、在来線の運転シミュレータの映像が、期間限定で実写版になっている、という。そして、期間中の平日に限り、いつもの抽籤ではなく先着順に受け付ける、ともいう。それで、たまたま校務の関係でわたしの休日となった平日、それも夕方に足を運んだのである。案の定館内は閑散としており、待ち時間なしでシミュレータに案内された。ワンハンドルとツーハンドルと、タイプが選択できる。わたしはやはり世代からいっても後者を選ぶ。

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 アーケードゲームと違って、点数や失格を気にする必要はないし、画面の指示に従って操作すれば、難なく終点まで辿り着ける。清水から蒲原あたりまでということになろうか、富士山を見ながら気持ちよく運転できた。

 次に、0系新幹線の食堂車内部が公開されるという。いつもは食堂入口あたりから覗き込むことしかできない。
 行ってみると、暇を持て余していたらしい若い女性スタッフが、大いに歓迎してくれ、記念写真のシャッターを押してくれたり、往時のメニューを持ってきてくれたりする。テーブルには当時の料理を再現した食品サンプルがセットされている。

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 0系が主力だった時期は、わたしはまだ学生だったりして、なかなか食堂車に手が出なかったので、利用した回数はさほどではない。しかし、憧れをもって眺めた車内は、やはり懐かしい。

 わたしが食堂車を頻繁に利用するようになったとき、主力は二階建て食堂車の100系に移っていた。これも展示されているが、こちらは室内には入れない。壁には複製だがメニューが貼ってあり、階下の調理室から料理を上げてくるエレベーターも見える。

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 デリカショップでは、土日に限り品川駅の駅弁を扱うそうだが、この日は平日なのでなかった。
 わたしは、昭和39年、東海道新幹線開業当時の駅弁を再現した弁当を買って帰ることにした。魚と野菜中心のあっさりした弁当で、扱いやすい。

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 なかなか平日には来られないが、たまにはこういうのんびりした見物もよい。 

(平成25年6月訪問)

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リニア・鉄道館初訪問

 JR東海が運営する鉄道博物館だが、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の終点、金城ふ頭駅のそばにある。外観は意外に地味である。

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 しかし、入場ゲートを一歩入ると、非日常の世界に誘われるしくみになっていた。

 入口のホールに、鉄道の過去・現在・未来を象徴する車輌が、暗闇のなかに浮かび上がっているのである。

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 左端はもちろん蒸気機関車、「貴婦人」の愛称で人気高い、スマートなC57形である。中央は300xと呼ばれた新幹線の試作車で、現在の主力である700系の原型となった車輌だ。
 そして右端は中央リニアエクスプレスの試作車で、「愛・地球博」でも展示されていたものである。久しぶりに車内に入ってみた。

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 さらに、そこから奥のメイン展示室に壁を回り込むように入ってみると、一転明るくなって、過去の新幹線車輌が斜めに先頭をずらすように並んでいて、なかなかかっこいい。 

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 一番奥の新幹線0系の向こうには、在來線の特急車輌、さらにその向こうには、戦前の京阪神地区を「急電」として運行された流線型車輌が並んでいる。鉄道スピードアップの歴史が体現されているわけである。

 とにかくJR東海の博物館だから、何かと新幹線のウェイトが高い。
 黄色い新幹線である「ドクターイエロー」もいる。その向こうに見えているのは、100系の二階建て車輌である。
 0系の車内は、昭和39年開業時の内装が再現されていた。特急の座席が転換クロスシートでも許された時代だったのである。これは昭和末期までに座席がリクライニングに、そしてモケットも暖色系に改められたから、久しぶりに見て懐かしい。 

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 0系はいろんなタイプの車輌が保存されている。
 食堂車もその一つである。デッキから中に入ってみると、時刻表にも使われていた食堂のピクトグラム、そして「満席」表示も点灯していた。
 食堂車の脇は通路になっていた。写真の向かって右側である。当初は壁だったが、こっちが山側だったので、富士山を見ながら食事したい、という客の要望に応え、ガラス窓としたのである。

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 次は100系の二階建て食堂車だ。わたしがあちこち乗り歩き、かつ経済的にもやや余裕をもって旅するようになったころには、主力は100系に移っていたので、こちらの方が利用した回数は多い。
 従って、懐かしさも一入である。

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 それにしても、貴重な食堂車が複数あって、これだけ内装を再現しているなら、もう一歩進んで、大阪の交通科学博物館のような実車での食堂営業をやってくれないか、と思う。

 もちろん在来線車輌もある。
 EF58形電気機関車、これは東海道線の花形特急やお召し列車やいろんなものを引いた実績があり、その半流線型の楚々としたルックスと相まって、人気が高い形式である。
 それが旧型客車を従えて展示されている。その車内は、四人掛けのボックス座席が並んでいる。これは学生時代によく乗ったので、この感じはまた懐かしい。 

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 そして下は、113系という、昭和50年台頃には幹線の主力だった車輌の中である。こういう座席配置は、国鉄に乗るとどこででも見られたもので、これまた久しぶりである。
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 モケットの色が青だったり背面に灰皿が付いていたりするのが、登場当時のスタイルである。
 113系はかなり長期にわたって増備されたから、いろいろなバリエーションがあった。扉の内側の塗装も、新しいタイプだとステンレスのシルバー無塗装になっていたが、古い車輌はこのように薄緑である。子供の頃に、京阪神の快速電車でよく見たものである。

 ホーム状になった見学通路から覗き込めたり車内に入ることができたりするメインの車輌群の他に、展示室の一番奥に並べられている車輌群もある。

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 これらも、鉄道、というか、国鉄の一時代を画した車輌であるが、至近で観察することはできない。車によっては、貫通路を開けてあり、そこから車内を窺うことができるものもあるが、せっかくなのでそばに寄らせてほしいものである。

 屋外には117系という快速用の車輌が展示されている。
 この型は最近まで現役だったし、JR西日本ではまだ走っているのだが、色が塗り替わったり座席が取り替えられたりした車輌が多く、こうして登場当時の姿なのは貴重である。

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 しかも、この車輌は座席に坐ることもできるし、飲食もできる。つまり、休憩所としても使われているのである。これは大宮の鉄道博物館と同じ趣向である。
 ただ、なぜかこの用途に使われるのは、駅弁を食べたりするのにそぐわない列車に運用されていた車輌なのである。テーブルもない。長居して汚されたくないのだろうか。

 そういう飲食の面でいうと、ここは他の鉄道施設に比してあまり力が入っていない。本格的なレストランやカフェはなく、駅弁スタンドのような売店があるだけである。そこで弁当を買って、テーブルや件の車輌で食べることになる。
 ただ、この「リニア・鉄道館」仕様の掛け紙がかかっていたりするのが面白い。わたしも「特撰名古屋」というのを買って帰った。これは名古屋駅でも売っているのと中身は同じだと思う。味噌カツ・海老フライ・ひつまぶし・天むす、と名古屋名物を詰められるだけ詰めた、という欲張りな弁当で、これで1000円なら安いだろう。 

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