「北陸中京新幹線」の現実策とFGT

 先月の半ば、福井県知事が、「北陸中京新幹線」の構想とその推進をぶちあげたもので、地元ではちょっと話題になった。
 北陸中京新幹線は、米原と敦賀を結ぶ新幹線である。北陸と東海地区を迅速に結ぶことを目的としているのである。

 北陸新幹線が小浜廻りになることがほぼ決定したので、鉄道網から米原~敦賀間が中途半端に浮いてしまうことは、確かに問題だ。北陸新幹線の全通さえ迂遠な先なのに、今それを提唱するか、というのはあるにしても、この区間のこともいずれは考えねばならない。
 しかし、ここに新たに新幹線を建設することは、あまりに無駄だという気がする。

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終電感覚

 都市部に住んでいる人は、だいたい一般的な人間が活動している時間帯なら電車は動いている、という感覚がある。だいたい日付が替わる頃まではあるよね、というくらいにしか思っていない。呑み会や残業、時にはデートの下心に備えて、自分が通勤で使う路線の終電時刻くらいは覚えているケースが多いだろうが。

 都会人が、たまに地方に旅行してそんな感覚のままでいると、面食らったりすることが多かったのだろう。
 「青春18きっぷ」で鈍行旅行をするようなときは、その日のうちにどこまで乗り継げるか、しっかり調べてから出かけないと、変な所で中途半端に泊まることになって、却って高くついたりしかねない。 地方でも、酒酔い運転に対する目が厳しくなるにつれ、終電が遅くなる傾向にはなってきたし、金曜日だけ終電を繰り下げたりする路線も増えたが、それでも都市部に比べれば格段に早い。ちゃんと把握して行かないと、えらいことになりかねない。
 以下のエピソード、古い話になる。ダイヤは当時のものである。
 古い話になるのは、現代ならケータイで簡単に時刻を調べられるので、以下のような仕儀にはなりにくいと思われるからだ。
 

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線路に入るということ

 このほど、元アイドルである女性タレントがブログに載せた写真をめぐって、Webが軽く炎上した。わたしも、その記事は読んだ。
 彼女とその友人(この人も著名なタレント)が、二人で線路に入って撮影した写真だったからである。元アイドルは、踏切の警報機が鳴りだしたので慌てて線路から出た、とし、その写真の下に「線路に入ってはいけませんな」という文章を添えていたから、線路に入るのがよくないこと、という自覚はあったようで、分かっているならそんな写真を載せなければいいのに、と思っていたら、案の定炎上である。
 批判の声が大きくなったのを受け、元アイドルは当該記事を削除したうえ、友人ともどもブログに改めて謝罪の記事を投稿している。

 この件に関して、わたしは評価を定められずにいる。
 一般的なメディア・リテラシーという意味からしても、法規上問題のありそうな行為を、誰にでも見られる場所に掲揚する(それも、何かとつっこみの対象になりそうな芸能人という立場で)のはちょっと無防備だと思うし、逆にそんなことを寄ってたかってタタく人たちにも辟易する。

 そして、この「線路に入る」という行為そのものに関しても、どう考えるべきか、迷うところがある。法規上、線路に人が立ち入るのがよろしくないことは分かっているが。

 線路に入ったり、そこを歩いたりする人は、何が動機なのか。
 映画『スタンド・バイ・ミー』みたいでカッコいい、とか、ドラマ『俺たちの朝』で江(え)ノ電(でん)の線路を生活道路代わりにしていたから、とか。ちょっと例が古いか。他にも、線路の中で何かしているような虚構はいろいろありそうだ。そういうのに憧れて、真似してみたい、と思う人はいるだろう。
 さすがに、数分おきに列車が来るような都会の路線で、そんなことをする人はいないだろう。しかし、ちょっと田舎を訪れたときに、非日常の昂揚感からそんな真似ごとをする気になる人はいそうだ。
 そして、元アイドルの写真は、番組のロケで京都に行った時に撮ったものだ、という。京都だって都会じゃないか、と思うだろうが、厄介なことに、わたしが写真を見たかぎり、その線路は京福(けいふく)電鉄(通称・嵐電(らんでん))北野(きたの)線のものらしいのだ。
 
 いつも利用している福井鉄道の駅付近では、線路を平気で横切っていく人を頻繁に見かける。構内踏切の正規の通路を通るよりも近道(といっても僅か数メートルショートカットできるだけだが)になるからだろう。
 特に、福鉄が低床車主体となってホームが切り下げられてから、そういう輩をよく見るようになった。駅のホームに、線路を横切って上がってくる人もいる。それが、高校生だったり、おばちゃんだったりだが、おばちゃんは幼い子供を連れていたりする。
 単線の福鉄だから、一旦電車が行ってしまえば当分来ない、ということは分かっているのだろうし、低床車はなんとなく遅くて軽くて、当たっても大したことはなさそうに見える。もちろん、実際に当たったら命はないし、そんなことをしていて「線路を歩く」ことを当たり前と思う感覚のまま子供が都会に出たときのことを考えると、ぞっとするが。

 こういう光景は「鉄道の安全を脅かし自らの命を危険に曝す愚かな行為」と糾弾するべきなのか、「田舎の素朴な電車が地域にとけ込んで親しまれているほのぼのした情景」と愛でるべきなのか。
 ここが、わたしのなかでも、もひとつ結論が出ていないところだ。

 そして、元アイドルが立ち入った嵐電も、条件としては福鉄と似たようなものである。1~2輌で小振りの電車が行き来する単線。そしておそらく、彼女らの近くにも、気軽に線路に立ち入る観光客がいたのではないか。

 さて、わたし個人はというと、生理的に受け付けない。「線路を歩く」ことは、「トイレでご飯を食べる」のと同じくらい場違いで下品なことにしか思えないのだ。線路は、いわば不可侵の神聖なエリアだ、と思うのは鉄だからか。
 とにかくそれゆえ、たとえ福鉄や嵐電ではあっても、いくら電車が来ないと分かっていても、わたし自身が線路に立ち入ろうとは思わない。

 と書いてきて、福鉄の路面停留場である市役所前で乗換えるとき、わたしも他の多数の客と同様、斜め向かいのホームに路面軌道上を歩き、交叉点を斜め横断していることに思いいたり、やや汗顔した。
 ただ、言い訳すると、路面軌道は一応道路だから、専用軌道のバラストの上を歩くのとは話が違う(とはいっても、道路交通法上は問題ありそうだ)し、正規のルートである横断歩道や地下道を通っていては乗換え電車に間に合わなくなる恐れもあるし、地下道からホームへの階段はかなり急なので、昇る気にならない。
 だからだろうか、市役所前ホームにいる福鉄の係員も斜め横断を黙認している。というか、係員自身もそうやってホームを移っている。 
 わたしも聖人君子というわけではなくて、こういうローカルルールも、これはこれで尊重してほしい、という思いもあったりする。

※ 女性タレントが進入したのが嵐電の線路だと思って書いていましたが、その後の報道で、JR嵯峨野(山陰)線と嵯峨野観光鉄道の並行区間であることが分かりました。お詫びして訂正いたします。(平成29年2月追記)

(平成29年1月執筆)

 

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避難所としての活用の可能性

 九州の地震で大きな被害が出ているなか、博多方面から熊本駅まで在来線は復旧した。
 阪神・淡路の時も東日本の時も、被災地の中心都市駅までの復旧はそんなに早くなかったので、あまり考えなかったことだが。
 
 被災地では、避難所からあふれた方々が、コンクリートの上で、また乗用車内で寝泊まりすることを余儀なくされ、体調を崩したりなかには重体に陥る方もある、と報道されている。

 「ななつ星」も「トワイライトエクスプレス」も「カシオペア」も583系も「サンライズ」の予備編成も、残ってるなら「はまなす」「北斗星」の客車も…、定期運用に就いていない寝台車はみな熊本に向かって、被災者にとりあえずの屋根と寝床だけでも提供してはどうか。
 寝台車のA個室やコンパートメントは、家族で避難するには丁度いい大きさだと思える。収容人数からして焼け石に水だろうが、無いよりはましだろう。
 
 大型フェリーが一隻行けば済んでしまう話だとは思うし、電源や換気など、厄介な問題もあるだろうが、これは「熊本まで在来線が復旧した」ことが前提だから、かなりクリアできるはずなのである。
 鉄道の地位が低下するなか、こういう時にこそ、鉄道が、社会に貢献する一つのカードを切ることは、決して意義のないことではないと思う。

(以下、平成28年5月追記)

 

 わたしはけっこう、この手の思いつきをSNSに投稿したりすることが多い。
 こういう考えを周囲の人に話してみると、すばらしい、という反応が返ってくる。主に鉄道趣味人ではない人からである。
 一方で、鉄道趣味人にこういう提言を投げてみると、どんなジャンルのマニアにも共通する性癖であるのだが、その詳細にわたる知識を総動員して「できない理由」を並べたてるのが常である。

 マニアもそういう顧慮から自由になり、「できるかできひんかを考えるんやない、どうやったらできるかを考えるんや」(by『ナッちゃん』の精神で、鉄道をさまざまに活用する途を探ってはどうか、そうするために知識を行使してはどうか、とわたしは考えている。
 現在実現している施策のなかにだって、言い出された頃は荒唐無稽な思いつきに見えたものも、あると思うのだ。必要なことであれば、少しずつ知恵を出し、譲り合い繰り合わせることで、実現できるかもしれない。

 しかし、この避難所ネタは、鉄道趣味の有無にかかわらず、わりあい好反応であった。付随するアイデアを補足してくださる方もあった。やはり、熊本のありさまには、できることはなんとかしたい、と誰もが感じるのだろう。

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勝手に策定した北陸新幹線第6ルート

 
 北陸新幹線の敦賀(つるが)以西のルートは、現在五案が出て比較検討されている。

 が、わたしには、全ての案に無理があるように思える。地域内輸送は在来線に任せ、地域間の到達時間を極力短縮することが、新幹線のあるべき使命である。北陸新幹線は、東海道新幹線のバイパス機能をも担わねばならないのだから、なおさらである。
 いろんなことがあってこの五案になっていることは分かるが、わたしは福井県嶺北(れいほく)在住の一鉄道ファンとしてなるたけ虚心に、ということは無意識なる地域エゴのもとに(笑)、最良のルートを考える。

 到達時間を短縮する、という観点から言うと、敦賀~大阪間を直線に近いルートで結ぶのがよい。すると、小浜(おばま)ルートは悪くなさそうに見える。
 しかし、それはルート地図のいたずらである。とりあえず敦賀~小浜間と小浜~大阪間とをそれぞれ太い直線で結んで描いてあり、その二本の直線はかなりの鈍角で接しているので、限りなく直線ルートに近く見える。
 が、詳細な地図に重ねてみると、敦賀~小浜間を直線で行くには、三方(みかた)などの既成市街をぶち抜き、長大な橋梁で三方五湖を渡り、若狭湾沿いの集落をなぎ倒して走る、という、経済的にも景観的にもあり得ないコースになる(下の地図オレンジ線)。それを避けるには、結局山側へ迂回して、敦賀から上中(かみなか)あたりへ出てくることになる。そこから小浜へ向かうには、完全に西を向いて走らねばならない(下の地図青線)
Straightobama
 
 西向きに小浜に入った新幹線が、京都(小浜~京都ルート)であれ亀岡(かめおか)小浜ルート)であれ、そっちへ向かうには、結構なカーブをして南に折れ、人口も希薄な山間のみを延々走ることになる(下の地図参照)。そういうわけで、小浜ルート小浜~京都ルート、いずれも感心しない。
Obamakyoto


 まして、舞鶴~京都ルートは、北陸新幹線の機能を大きく逸脱する

 わたしは昔、最長片道切符の旅、つまり「同じ駅を二度通ることなくなるべく遠回りする」旅をしたが、その時、敦賀から京都まで急行「わかさ」(現在は廃止)に乗った。当ブログ内「わたしの一筆書き」で、わたしはこう書いている。
 ここ(敦賀)から京都までは湖西(こせい)線経由の特急で一時間程度、米原(まいばら)廻りで普通列車を乗継いでも三時間足らずだ。しかるにわたしは小浜線・舞鶴(まいづる)線・山陰本線経由で四時間かかって京都まで行く。こんな遠回りはこの旅では珍しいことではない。が、不可解なしかしわたしにはありがたいことに、この通りの経路で走る急行列車がある。  その昔、国鉄の佳き時代には、全区間を乗通す客のいるはずのない優等列車が多数走っていた。(中略)そんな時代の名残を残す急行「わかさ」小浜線廻り京都行は、9時35分に敦賀を出た。ディーゼルカー二輌なので貫祿はない。
 この「不可解な」遠回りをしていた、昭和のローカル急行列車。舞鶴~京都ルートは、この急行「わかさ」と同じ経路を辿ることになる(下の地図青線)
 百歩譲って舞鶴を通すとするなら、そこからは福知山(ふくちやま)・篠山(ささやま)両市の東郊を通ってまっすぐ南下、大阪(伊丹(いたみ))空港を経て大阪に至るべきである(下の地図赤線)。舞鶴を通った以上、それ以上京都府に義理立てる必要はないと思う。
 しかし、こうしたとしても、そもそも北陸新幹線に求められる使命からは大きく外れてしまう。現在の北陸・湖西線は、京都府南部をかすめているだけであり、京都府北部地域と関西との連絡など担っていないのだから、そのための迂回は不自然である。
Maizuru

 そういう意味から言えば、小浜経由だって不自然といえば不自然ではある。
 しかし、昔からの約束もあり、若狭地方への福音と期待されてきた北陸新幹線に、今さら小浜を無視させることは難しいのかもしれない。それに、最短距離となる湖西ルートを直線でとるにしても、やはり比良(ひら)山系の最も山深いところを、超長大トンネルで抜けることになる(上の地図黒線)から、それよりは若狭の方へ多少は膨らませたほうがよい。
 そうであっても、上述のように、現・小浜駅付近に新幹線を通すような迂回は避けるべきだろう。そして、京都市の顔も立てる。となると、小浜ルート湖西ルートの折衷案を採ることになる。

 これは、以前川島令三(かわしまりょうぞう)氏も類似のルート案を何かの本で書いておられたような記憶があるのだが、小浜市街ではなく、もう少し南東に駅を造ることにすれば、無理のないコースで湖西に向かえる。
 一番いいのは、JRバス若江線の若狭熊川(くまかわ)駅付近に、熊川宿(くまかわじゅく)駅(仮称)を設置することだと思う。そこから、県境の山地を抜けて、湖西側に出、そこからは比良山系の山裾を走って京都に向かうことにする。比良山の麓に新志賀(しんしが)駅(仮称)を造り、湖西地域にも便をもたらす。これなら、湖西ルートの直線コースから、両側にわずかに膨らませただけのコースとなる(下の地図青線)
 こうしておいて、小浜線の上中から分岐して熊川宿まで、連絡線を敷きたい(下の地図赤線)小浜ルートより新幹線全体の距離が短く、湖西ルートよりトンネルが短くなるから、その浮いた分の工費で連絡線を造る。そして、熊川宿~小浜間に接続快速を運転するのだ。途中上中のみ停車とすれば、十三分程度で結べるだろう。これは北海道新幹線の終点である新函館北斗から函館駅までの距離よりも近い。さらに、この接続快速を東舞鶴まで運転すれば、新大阪~東舞鶴間も一時間以内に抑えられ、最速乗継ぎとなるはずである。
 連絡線を敷くのが無理なようであれば、小浜線の十村(とむら)駅あたりに新幹線駅を併設してもよいが、これだと小浜までの所要時間が伸びる。また、乗換えが生じるのが問題であれば、その頃には実用化しているであろうフリーゲージトレインの導入、あるいはいっそこの連絡線を含めた小浜線を標準軌化して新大阪~東舞鶴の直通列車を走らせるのもいい。
Koseiobama

 この新ルート、若狭~湖西ルートはなかなかいいと思っているのだが、歴史的な経緯や各地域の要望への配慮などを全く抜きにして考えるとすると、意外に思われるかもしれないが、最善のコースは米原ルートだとわたしは思っている。 
 
 といっても、敦賀~米原だけで終わるのではなく、米原~新大阪も東海道新幹線とは別に線路を敷くのである。そうすれば、ダイヤの逼迫した東海道新幹線と直通しなければならない、という米原ルート最大の問題が解決できる。
 米原からは京都を通らず、より直線的に大阪を目指す。途中、JR草津(くさつ)線・近江鉄道・信楽(しがらき)高原鐵道と連絡する貴生川(きぶかわ)、JR片町(かたまち)(学研都市)線・近鉄京都線と連絡する同志社前(どうししゃまえ)に駅を設ける。草津・信楽・京都・奈良・四條畷(しじょうなわて)といった都市や観光地へのアクセスも、間接的ながらできることになる(下の地図青線)
 米原では北陸新幹線と東海道新幹線の米原停車列車同士が相互接続する。ばかりでなく、両新幹線とも、京都経由と貴生川経由に振り分けて運転するのである。そうすれば、北陸と京都の連絡もできるし、東京と京都・大阪との間もそれぞれ最速で結べる。

 これは建設距離が最も長く、費用がかさむかにみえるであろう。しかし、そうはならない。貴生川から先は、リニア中央エクスプレスと複々線または二重高架にする。造るのは恐らく北陸新幹線が先だろうから、その時にリニアの路盤も一挙に造ってしまう。リニアはどうせ造らないといけないのだから、こうすることで、トータルの工費を圧縮できる(下の地図赤線が想定されるリニアのルート)
 しかし、複々線は贅沢に過ぎる気もする。だから、貴生川~新大阪間は複線路盤だけを造り、とりあえずそこに新幹線規格の線路を仮設しておいて、上記の運転系統で運行するのがよいだろう。そして、リニア開通時にはその複線路盤にリニアモーターを設置し、リニアの線路に転換する。リニアが開通すれば、東海道新幹線のダイヤは空くので、その時は北陸から大阪に向かう新幹線列車は全て京都経由にすることができる。もちろん、現在の「しらさぎ」にあたる名古屋~金沢・富山間といった新幹線列車も運転できる。
 そうなれば、北陸新幹線は貴生川止りでも問題ないのである。福井~(北陸新幹線)~貴生川乗換え~(リニア)~品川 というのが、福井と首都圏を結ぶ最速手段となるはずである。乗換えが嫌な人は、北陸新幹線長野経由で東京へ行けばよい。
Newmaibara

 ただ、残念なことに、この新ルート、米原~貴生川ルートにも弱点はある。それは、東海道のバイパス機能を考えたとき、米原付近が地震などでやられてしまうと、東海道と共倒れになってしまうことである。が、これもリニアが開通すれば解決するし、それを補って余りあるメリットが数多いと思うのだ。
 バイパス機能を果たせるよう、湖西線を標準軌化または三線化して、いざというとき新幹線電車が通れるようにしておくのも一案である。
 それと、リニアのルートの詳細は何も決まっていないから、本当に貴生川や同志社前を通るかどうかはわからない。名古屋と新大阪の間に定規で直線を引いて、限りなくこれに近いジャンクションを通るように路線を想定したときにこうなる、というだけである。リニアがもっと南に膨らんで、四日市(よっかいち)や奈良の市街を通るようであれば、この案は苦しくなる。

 私的な最善は米原~貴生川ルート、次善は若狭~湖西ルート、といういずれも現行にないルート案となった。
 が、もちろん工学も経済学も素人のわたしがエゴに満ちた思考をした結果であるから、所詮はマニアの妄想に過ぎないということになるだろう。
 

(平成28年2月執筆)

 

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祝・外周気まぐれ列車終着

 レールウェイライターの種村直樹氏が進めてきたライフトラベルとでも言うべき一連の旅行、「日本列島外周気まぐれ列車」が、三十年近い歳月を経て先月終了したのだそうである。

 種村氏は、鉄道旅行ルポの第一人者であり、わたしもそのファンクラブに一時在籍し、心ならずも退会した経緯は、以前の記事「二連載の終焉」に記したとおりである。種村氏の主要な連載は終了し、この「日本列島外周気まぐれ列車」の旅行記を連載してきた『旅と鉄道』誌も休刊となっていた。それで、この旅行はどうなったんだろう、と思っていたのである。

 「日本列島外周気まぐれ列車」は、東京日本橋を出発点とし、そこから反時計廻りに日本の国土のへりを、公共交通機関を利用してたどっていく、というのがコンセプトの旅であった。
 できるだけ海岸に近い所を通る交通機関を利用するわけだが、鉄道に関しては全国版の時刻表で分かるにしても、地域の足となっている路線バスなどは、現地へ行ってみないと実態が分からないことが多い。全国統一版の路線概況資料などは存在しない。今でこそWeb上で路線図や時刻表を案内するバス会社も増えてきたが、それさえも現地の実態とくい違っていたりすることは珍しくない。ましてこの旅が始まった昭和55年には当然そんなものはなく、行き当たりばったりの旅にならざるを得なかったのである。
 種村氏らも開きなおって、下調べは一切しないで出かけるのを原則としていた。現地に行ってみて面白そうな路線やポイントを発見すれば、迷わず立ち寄ってみる、宿泊場所も現地で決める、という、ある意味で優雅な旅行である。

 当然、一気に進めることはできない。一回に3〜5日間程度の旅を、年に2〜4回程度行い、その旅に種村氏は在住する首都圏と旅の中断地点とを往復したわけである。旅は足掛け三十年、のべ四百九十三日に及んだ。この切れ切れの旅程は、わたしも、そして種村氏自身も体験した最長片道切符の旅にも似ている。しかし、「日本列島外周気まぐれ列車」の方が格段に大規模で複雑な旅程である。
 半島が突き出している所へバス路線が一本だけ伸びている、という場合でも、ちゃんとその路線を往復している。徒歩連絡で海岸を辿る方が早く進める場合は、そうする。しかし、地方へ行くほどバスも不便で、変な所で足止めをくったりもする。種村氏のその時期時期の方針で、どこまで細かくやるかも変わってくる。
 また、種村氏は大概一人旅ではなく、ファンクラブのなかでも気のおけないメンバーを数人同行させている。各地方でファンが案内役を買って出たりもする。しかし、ファンの大半は種村氏のようなフリーの職業ではないし、仕事を抜けるにも、比較的休暇のとりやすいデスクワークの公務員から、不規則な勤務の会社員までいろいろおり、人数の出入りが激しい。大人数の旅になると、動きも鈍くなる。
 だから、旅が進むスピードにもかなりムラがあった。逐次発表される旅行記を読みつつ、失礼ながら、この旅は種村氏のご存命中に終わるのだろうか、と思ったこと屡々であった。

 いわゆる「本土」である四島はまだよい。種村氏は、それ以外の島も、船などの公共交通で渡れる限り、かなり律儀に訪れている。また島の中を周回または往復するバスなどがあれば、きちんと反時計廻りの原則に従って乗っている。
 旅が日本海側を鹿児島まで進み、南西諸島にかかった時は、まさに足踏みであった。それぞれの島に渡るだけでも首都圏からは既に大旅行である。本土と島を結んだり、島から島へ連絡したりする航路が、曜日限定の運航で、それも天候によって頻繁に航路変更や欠航を繰り返したりして、一つの島に何日もかけて手こずることもあった。もちろん、そういうすったもんだも、旅行記に盛り込まれていて、読むのは楽しかった。この日本国内にも、往来にこれほど惨憺をなめねばならない所がある、というのは、本土に暮らす者にとっては発見である。僻地や離れ島を行く部分を読んでいると、そういう場所を旅する時のノウハウもいろいろ学ぶことができる。食堂もコンビニもないような所をまる一日進む場合もあるのだ。
 また、ファンとはいえ他人同士が何日も行動をともにするのだから、ときに諍いもあるし、やや頭に血が昇りやすい性格の種村氏が爆発することもある。そんな人間模様も、他人ごととして読む当方は、やはり面白いのである。

 種村氏にとっても、この旅を始めるまでは、レールウェイライターの肩書どおり、鉄道に最重点をおいた執筆活動をしていたが、「日本列島外周気まぐれ列車」が進行するにつれ、バスや船に対する眼が、鉄道と同等になっていった。昭和六十年台にこの旅と並行して実施していた「さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅」(自動車線を含めた当時の国鉄最長片道切符を購入し、そのルートを実際に旅行したもの)とも相まって、種村氏の視野を拡げたといえよう。

 なお、三十年という月日は長く、前半頃の旅程には今では成立しないものも多い。
 例えば、この旅が福井県嶺北地方を通ったのは昭和63年6月であるが、吉崎御坊から京福バスで芦原公園へ、乗換えて越前松島方面に至り、徒歩で東尋坊、そこから海岸沿いに左右までバス、ここからは福井鉄道バスで桜橋、さらに桜橋始発の敦賀駅行のバスで通り抜けている。
 現在、越前海岸沿いの路線バスはぶつ切りになってしまっており、種村氏の乗った系統のうち、芦原から越前松島へ行くもの以外は、全て廃止されている。

 その後、平成17年頃には本州の瀬戸内・太平洋側まで進んできたものの、種村氏も病気・入院を経て無理はきかないし、最後の難関小笠原諸島もあるし、どうなることかと案じていた。が、種村氏のいい意味で柔軟というか適当な性格も幸いし、なんとかペースを維持していたようである。
 無事日本橋に帰着したということで、まずはお祝い申し上げたい。

  種村氏の公式彩図でのゴール挨拶
  http://www.railwaywriter.jp/mt/archives/000267.html

 早く最終章まで収録した本が読みたいものである。

(平成21年7月執筆)

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道路交通法改正と自転車

 今月からの道路交通法改正は、後席のシートベルト着用が主な話題になっている。
 わたしはクルマに乗るというと、路線バスかタクシーがほとんどである。路線バスは今のところシートベルトはしなくていいようだが、タクシーはどうなのか。厳密にはしなくてはいけないのだろうが、高速に乗る時以外、「着けてください」と運転手さんから言われることもなく、あんまり以前と変わらない。

 それより、わたしにとって縁が深いのは、自転車の通行方法の変更である。

 が、こちらも、以前と顕著な違いはない。自転車はあくまで車道の左端を走る、という原則は変わっていないからである。歩道を走ってもいいのは、「自転車通行可」の青い標識が立っている所、という原則も変わらない。ただ、それに加えて、車道を通行するのが危険な場合(後述)とか、運転者が幼児や老人である場合(条文では厳密な年齢規定あり)や身障者である場合は、標識のない所でも歩道を通行していい、というように緩和されたのである。
 こんなこと、これまでだってそうしてきたわけで、実情に法規が追随したよくある例なのである。ただ、この変更には、通常の自転車に乗る健常な成人としては、一抹の不安を禁じ得ない。

 それは、「車道等の状況に照らして自転車の通行の安全を確保するため、歩道を通行することがやむを得ないと認められる場合」(条文どおり)の解釈が曖昧であるためである。どうとでも拡大解釈できる。
 まず、「状況」とは、恒常的な道路の形状について言っているのか、刹那的な交通状況について言っているのか、その両方なのか。おそらく両方なのだろう。特に後者の解釈が人によって分かれそうである。
 「認められる」と所動態になっているので、主語が曖昧である。日本語の便利なところだが、自転車運転者が「認め」るのは当然として、自動車運転者も「認め」ていいのであろうか。だとしたら、両者の認識に隔たりがある時どうなるのか。
 「自転車の通行の安全を確保するため」という条件は、穿った解釈をすれば、自動車が危険運転をして自転車すれすれに高速で通過していくような、悪質な事態であればあるほど自転車は歩道に追いやられる、ともとれる。自動車ばかりを利しかねないのである。
 自動車運転者は、できれば自転車には歩道を走ってほしいことであろう。その方が自転車を気にせずに走れる。しかし、自転車運転者は、多くの場合、車道を走りたい。歩道を走るのは相当疲れるからだ。以前の記事でも書いたように、歩行者に配慮しなければならないだけでなく、歩道走行は、路面の凹凸の多さ、暗渠やマンホールの蓋などによる騒音の問題など、障碍が多いからである。自動車運転者は当然自転車が歩道に上がってくれると思い込み、自転車運転者は当然自動車が避けてくれると思い込み…、といった事態も予想される。
 これまでも、「自転車通行可」の標識のない道路で車道を走っていると、歩道に上がれとばかりクラクションを鳴らす無知なドライバーや、歩道に誘導する無知な警官までいたのだが、これに拍車がかかりそうで憂鬱だ。極論すれば、後ろから自動車が迫ってくれば、必ず自転車は歩道に上がらねばならない、という不文律さえできかねない。そうなると、移動手段としての自転車は、その機能を骨抜きにされる。

 一番分かりやすいのは、全ての道路に自転車通行帯を設けることである。しかしそれにはほど遠いのが現状だ。
 しかも、自転車通行帯がある場所でも、機能していなかったりする。自転車通行帯の利便性が認知されていないからであろう。
 わたしがいつも通る道路で見ても、道路沿いにある飲食店が、出前用のスクーターを自転車通行帯と歩道とを隔てる植え込みにもたせ掛けるように置いているのだが、植え込みの幅よりスクーターの車長の方が長い。これが決まって自転車通行帯側にはみ出すように置かれていて、自転車で通るのに難渋する。歩道は自転車通行帯の三倍ほども幅があるにも関わらずである。その植え込みにしても、歩道側はきれいに剪定されているのに、自転車通行帯の側は枝がぼさぼさのまま放置され、自転車のスポークにかんかん当たったりする。手入れする人は、普段自転車に乗らないのであろう。
 冬になると、自治体が車道を除雪するが、その雪は歩道に積まれる。沿道の市民がその歩道の雪を自家用の除雪車などで除雪し、その雪は自転車通行帯に積まれる。結局、自転車通行帯は春まで通れない。
 こういうのは非常に困るのである。

 わたしは、教員という立場上、できるだけ模範的・遵法的な走り方をしなければならないのだが、どうするのが模範的なのか、よく分からなくなってくる。
 今月に入ってから、変化というほどの変化もないが、学校などでのパンフレット配布が奏功してか、車道を走る自転車が心持ち増え、路側帯を逆行する自転車が心持ち減ったような気はする。が、目に見えるほどの変化とはいえない。
 暫く、経過観察が必要だ。

(平成20年6月執筆・過去のコメントはこちらへ)

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隣同士の駅名で人名をつくる

 標題のようなことは、古くから鉄道趣味界では話題にされてきたことである。
 駅名の多くは、当然ながら地名から付けられる。また、日本人の名字の多くは地名に由来する。だから、名字になる駅名には事欠かない。しかし、下の名前にありそうな駅名は少ないし、それが名字的駅名と隣り合っている確率は低くなる。それで、そういうのを見つけると、ちょっと嬉しかったりするわけだろう。

 しかし、昭和の末期頃以来、話題性を狙って故意に奇矯な駅名を付けたり、複合的な名称が採られたりすることが多くなって、こういう話題がかすんでいる感がある。
 それでも、細々とではあるが、趣味人の口にはのぼっている。

 この条件に合う組み合わせとしては、双璧と呼ばれる例がある。

 一つは、重岡(しげおか)宗太郎(そうたろう)(大分県 日豊線) である。宗太郎 などという、どこから見ても立派な人名である地名が、よく駅名に採られていたものだ。重岡宗太郎 とは、歴史上の人物として、明治維新頃に活躍した武家の末裔、という感じのする堂々たる名だ。
 そして、この区間は日豊線のなかでも最も鄙びた、大分・宮崎県境の山越え区間にあり、これらの駅に停車する普通列車は、一日僅か三往復しか運転されていない。いわゆる「秘境駅」であり、実際に訪問するのはなかなか大変である。そんなこともこの名前から類推されるその架空の人物の近寄りがたさとよく合致している。

 そして、これとは対照的に、現代に十分実在していそうなリアルな名前として、わたしの地元に、森田(もりた)春江(はるえ)(福井県 北陸線) がある。春江 とは、流石に平成生まれの女の子には少ないだろうが、中年以上の女性には、全国を探せば何人もいることだろう。
 記事にこの話題をとり上げようと思ったのは、たまたまこの区間の切符、それも金額式ではなく駅名が印字された切符を買ったからである。 

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 狙って買ったのではなく、実際に乗る必要があって買ったのである。森田 は委託駅で、券売機もあるのだが、窓口におばさんがいる間は、近距離でもこういう切符を売ってくれる。買ってから、あの組み合わせだ、と気づいたのだ。

 この他にも、国分(こくぶ)隼人(はやと)(鹿児島県 日豊線)というアイドルか戦隊ものの主人公(変身前)のような名前、朝霧(あさぎり)舞子(まいこ)(兵庫県 山陽線)と宝塚歌劇団の女優のような名前(実際に「朝霧舞」という名の宝塚女優がいたようである。この駅名を意識した命名かどうかは不明である)もある。

 わたしが職場で、ある書類の記入例サンプルをいくつも作ってみなさんにお配りした時、氏名の例に使ったのが、近隣の駅名を組み合わせたりした擬人名であった。
 森田春江 も使ったが、他にも無理やり作った。
 光明寺(こうみょうじ)(とどろき)(えちぜん鉄道勝山永平寺(かつやまえいへいじ)線)というかなり苦しいが、アニメのイケメンキャラ風のもの。
 隣同士ではないが同じ線から採った新田塚(にったづか)太郎丸(たろうまる)(えちぜん鉄道三国芦原(みくにあわら)線)という忍者漫画の主人公風。
 藤井(ふじい)三松(みつまつ)(JR小浜(おばま)線)、これもやはり幕末の武士か。
 だんだん苦しさが増すが、一駅だけでフルネームになる西武生(にしたけふ)(福井鉄道福武(ふくぶ)線 現在は 北府(きたご)に改称)、これは人名だと たけお と訓みたい気がするが、しかたない。
 それに、県内同様に職場では縁が深い滋賀県から、河瀬(かわせ)稲枝(いなえ)(JR東海道線)、というしとやかな婦人風の名を使った。多分 森田春江 とは女学校時代の友人であろう。

 最初に述べたように、単純な地名でない駅名が増えて、さきほどのように単独でフルネームになる駅名、たとえば 井川(いかわ)さくら(秋田県 奥羽線)などができたし、そもそも人名からつけられた 宮本武蔵(みやもとむさし)(岡山県 智頭(ちず)急行智頭線)などもあって、相対的に発見の面白みが低下した感がある。
 が、これからも新しい駅ができたり改称したり、あるいは人名観そのものが変化して、従来は人名になり得なかった駅名が人名に好適になったりするかもしれず、今後も目が離せない話題だ。

(平成25年7月執筆)

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列車内での飲食ガイドライン

 鉄道で旅行をするなかで、乗車時間が長くなればなるほど、車内で食事をする必要が出てくる。
 車内がどういう環境・状況であれば、どの程度の飲食が許容されるのか。この判断はたいへん難しい。車内での喫煙がここ四半世紀で急速に排除されていったように、飲食に関しても微妙にその許容度が変化するような気がする。ここで食べてもいいのか、というガイドラインなどどこにもない。常識の範囲内で、ということになろう。

 先日も、JR神戸線の快速の中で、百貨店で買ったらしい弁当を食べはじめたおばさん二人連れがいた。
 休日の昼どきだったのだが、快速はほぼ満席で、ドア付近に立ち客が数人ずついる、という状態である。快速は二人掛けの転換クロスシートが並んでいるが、窓側に空きはなかった。当然おばさんらは二人並んでは坐れず、通路を挟んでの横並びとなった。この二人は三ノ宮で乗り込んで来てから、相当念入りに空席を探していたので、なんでかと思っていたら、そういうことであった。わたしが通路側に坐っている席の前列にこの二人が坐ったのである。
 二人は、ごそごそと紙袋から弁当を取り出し、膝に載せた。わたしの前のシートの窓側に坐っていた青年は、明らかに唖然とし、口を半開きにして弁当とおばさんを見つめた。が、おばさんは動じない。一方、斜め前の席の窓側には中年の男性が坐っていた。男性は、隣のおばさんが弁当を広げたのを見ると、天を仰ぐようなしぐさを見せた。そして、次の六甲道に着く寸前、無言で立ち上がった。
 隣のおばさんは、慌てた様子で、あたふた膝の上を整理しはじめた。「窓側の人が途中で降りる」という事態を、つゆほども想像していなかったらしい。男性は、冷ややかな視線でおばさんを見下ろし、自分が通れる空間ができるのを待った。
 男性が通路に出て後方へ去ると、これは幸運、とばかりに、おばさんらは同じシートに並んだ。わたしの前の青年も、やれやれ、という表情を見せた。件の男性が六甲道を過ぎても降りずに後方のドア付近に立っていることになど、おばさんらは気づかないどころか注意を払う気もないようであった。

 このおばさんらが非難されるべきなのかどうか、なかなか難しいところである。
 快速といってもかなり長距離を走る列車であって、だからこそ転換クロスシートの車輌が充てられているのだろう。その昔は快速は四人掛けボックスシートであった。その頃には、空いてさえいれば、飲食に抵抗がなかった。
 阪神間で私鉄の方が勢いがあった国鉄時代には、快速も新快速も空いていた。昼どきの新快速の車内では、弁当の車内販売があったほどである。売りに来る以上、車内でそれを食べてもかまわない、ということだったのだろう。
 しかし、今の新快速や快速の中で、少なくとも京阪神間の混雑区間において、弁当を食べる勇気はわたしにはない。食べるとしたら、近江今津または木ノ本以北、あるいは姫路以西のみである。

 いろんな経験や内省を元に、まるよしの行動基準を書き留めると、以下のようになる。もちろん、目安であって、車輌の形状や状況によりこれを厳守はできない。

ロングシート車
 基本的に、一切の飲食をしたくないし、してほしくない。飴やガム程度なら他人が嘗めるのはまあ許せるが、わたし自身はそれもしない。

セミクロスシート車(ロングシートとクロスシートが半々の車)
 クロスシートに坐れて、しかもボックス(二人または四人)を自分だけ、あるいは連れで独占できたときのみ、サンドイッチ・コンビニおにぎりくらいまでは可。同ボックスに他人がいる場合や、ロングシート部に坐った場合は飲み物(ソフトドリンク)のみ可。

ボックスシート車(四人掛けボックスが並ぶ車)
 昔の急行の標準タイプで、近年はこんな車輌は少ない。ボックスを独占できたり、ボックスに乗り合わせた客と言葉を交わしたりした場合で、食事にしましょうか、となったようなときは、弁当・ビールも可。そうでない場合は飲み物(ソフトドリンク)のみ。

転換クロスシート車
 隣に他人がいないときなら、サンドイッチ・おにぎりまで可。隣に他人がいるときは一切飲み食いしない。通路を隔てた向こう側のシートに人がいるときは、飲み物(ソフトドリンク)まで。料金徴収列車や車内販売のある列車の場合は、この限りでないが、やはりテーブルのない転換クロスでアルコールを呑む気にはあんまりならない。

回転クロスシート(リクライニングを含む)
 回転クロスでも、テーブルがないシートの場合は、上記転換クロスに準じる。テーブルがあるシートなら、隣にも通路の向こう側にも他人がいないときに限り、弁当・ビール可。通路の向こう側に他人がいるときは、サンドイッチ・おにぎりまで。隣に他人がいるときは飲み物(ソフトドリンク)まで。

個室
 個室を取ったときくらいは何でもありでいい。酔いつぶれて寝ても可。

食堂車
 食べんでどないすんねん。

 
 こんな感じになっている。人によっても基準は異なるだろう。

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(平成25年7月執筆)

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阪神なんば線の西方への影響

 阪神なんば線が開業して半年あまりになるが、同線の開業は、阪神本線やそれと直通する山陽電鉄にも当然影響している。この記事では、主に神戸方面の変化をみてみよう。

 なんば線開業に伴うダイヤ改正では、阪神本線~山陽電鉄線の「直通特急」にもやや変化があった。

 従来から、「直通特急」には種別色が赤のものと黄色のものと二種類あった。黄色の方が停車駅が多くて、赤色に加えて西元町(にしもとまち)・大開(だいかい)に停車していた(写真左の左は、御影に進入する山陽車による姫路行の赤色表示の「直通特急」。左側には近鉄車の近鉄奈良行「快速急行」が見える。左の右は、山陽車による「直通特急」の側面方向幕)94181570 94181481
 これは、昼間のダイヤパターンが、阪神は十分ヘッド、山陽は十五分ヘッドであることによる。阪神線内では「直通特急」「特急」を合わせて十分毎に走っているものが、山陽線内で「直通特急」のみ十五分毎になるため、「直通特急」の半数を途中で五分遅らせないといけない。それに加えて、それまで西元町・大開に停車していた阪神「特急」を格上げして「直通特急」を増発した経緯があるので、両駅の乗車チャンスを確保する必要があった、という事情もある。

 それが、今年三月の改正では、この黄色の「直通特急」が、西代(にしだい)・東須磨(ひがしすま)・月見山(つきみやま)・須磨寺(すまでら)にも停まるようになった。ということは、三宮(さんのみや)~山陽須磨(さんようすま)間が各駅停車になった、ということである。
 これには賛否両論がありそうである。JRの新駅である須磨海浜公園(すまかいひんこうえん)に近い東須磨から須磨寺のテコ入れ策として「直通特急」を停車させる、というのはいちおう解る。これらに停車させると、西代だけが通過駅で残ってしまうので、いっそ各駅停車に、となるのもまあ解る。しかし、三宮から山陽須磨までは、途中駅が十一もあり、この間を各駅停車するものを特急と称するのはどんなものか、とわたしも思う(写真右は、阪神車による黄色表示の「直通特急」とその側面方向幕表示)94181561 94181562
 確かに阪神「特急」は今でもこの区間を各駅に停まっているが、阪神「特急」は須磨浦公園(すまうらこうえん)折返だから、ここはいわば末端区間である。「直通特急」は、行路半ばでこの足踏みが発生する。これは、優等列車のイメージとしてよくない。所要時間もさることながら、駅を通過してこその特急であり、乗っている人も速く感じるのである。東須磨は緩急接続できるようになっているのだから、ここで「直通特急」が「普通」と連絡して追い抜くようにすれば、月見山や須磨寺に「直通特急」を停める必要はなくなる。そうした方がいいと思う。余った時間は、従前のように、高速神戸(こうそくこうべ)・新開地(しんかいち)などで調整するようにすれば、神戸電鉄や阪急との接続にも余裕ができる。

 そして、種別も混乱ぎみである。黄色の「直通特急」と阪神「特急」との停車駅の違いは、須磨浦公園に停まるかどうかだけである。「直通特急」も、休日などに須磨浦公園に臨時停車することがあり、そうなると違いはなくなる。両方を「特急」と呼べばいい。
 一方で、早朝にしか運転されなくなったものの、山陽電鉄の「特急」は西代・東須磨・須磨寺を通過するので、「直通特急」と山陽「特急」の地位が逆転することになる。
 さらに、「直通特急」は阪神車と山陽車で種別表示も停車駅も共通であるのに、阪神「特急」と山陽「特急」とは全く異なるものになっている。このへんも統一した方がいいのではないか。早朝の山陽「特急」を「直通特急」と呼んでも支障ないはずである。あるいは、この山陽「特急」を山陽須磨以東各駅停車にしても、さほど支障はないはずである。
 とはいえ、やはり、「直通特急」は、両社の看板列車として、緩急接続などでカバーできる限り、停車駅を削る方向で考えるべきだろう。

 このあたりがちょっと割り切れない変化だが、他にも細かいところに変化がみられる。

 例えば、近鉄車が乗り入れてくるようになった阪神の三宮駅だが、近鉄の特急券が窓口で買えるようになっている。窓口の装丁も、近鉄の駅のものと同じである。いずれ近鉄の「特急」が乗り入れてくる伏線であろうか。しかし、そうなると、ますますややこしい。近鉄「特急」は全車指定席の別料金が必要な列車であるから、「直通特急」や阪神「特急」ともまた別ものである(写真左は、阪神電鉄三宮駅にある近鉄特急券販売窓口)94181465

 また、三宮駅の案内表示も、近鉄線内を含めた表示になっていて、路線の拡がりを感じさせる(写真右の左は、三宮駅切符売場の料金表。右の右は改札内の乗場案内)94181472 94181471

 線路がつながるのは便利でもあるが、運転系統は複雑になり、調整するべき事項も増えていく。神戸高速鉄道だって、初めはぎくしゃくしていたが、三十年ほどかかってやっと本来の姿になった。これからまだまだ変化が続くであろう阪神なんば線が楽しみである。 

(平成21年10月執筆)

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