函館で見た乗り物たち

 さて、前記事のように、東京駅から新幹線で新函館北斗に着いた後、函館の市街に入った。そこでいろいろな乗り物や、乗り物に関する施設について、見たままをご紹介する。
 平成生まれのエンジニアと同行しているので、彼とわたしの見方の違いも楽しみである。

 函館山に行こうとして、函館駅前から山の麓にある十字街電停へ市電で移動した。乗ったのは昭和の香り漂う、昔ながらの市電という感じの車輌だった。が、その電車を降りて歩道に上がると、後続の電車は箱館ハイカラ號だった。
 しまった、一本やり過ごせばよかった、と後悔したが、とりあえず写真を撮る。わたしは以前に乗ったことはある。のだが、やはり函館が初めてである同行者も乗せてやりたかった。
 これは大正時代、函館市電草創期に走っていた車輌で、平成の初めごろに登場時の姿に復元された。冬季は運休するが、この種の車輌には珍しく、平日も含めて昼間運行している。

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 こういうインパクトある電車は、乗るよりも見る方がよい、と負け惜しみを言っておこう。

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鯖江(福井)付近の今春改正・変化など

 この3月から4月にかけて、福井県、とりわけ鯖江市周辺で実施されたいろいろな電車・バスの改正にまつわる姿を観察した。
 前半はバスが主となる。鉄道関係は終わりの方に少々。

 今回、福井鉄道の路線バスの改正で劃期的だと思ったのは、鯖浦線のJR北鯖江駅延伸である。鯖江市の交通政策に基づいての施策だが、JR駅接続が実現するのは驚きだった(下の写真は、いずれも公立丹南病院停留所に入る鯖浦線バス)

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どっちが早い?

 東京へはどっち廻りが早いのか。これは、国鉄時代から北陸地方の懸案だったわけで、かつての分界点に近かった粟津(あわづ)駅には、国鉄時代に設けられたと思われる案内表示が残っていて、この懸案を象徴している。

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 「東京」へは上りに、「上野(うえの)」へは下りに乗れ、ということである。歴史を感じさせて奥ゆかしいのだが、適切な案内とは言えない。今や、東京駅へも下り方面に乗る方が早いし、北陸からの上野行列車などもうないのだが。
 それでも、普通電車しか停まらない粟津という小駅だから、誰も困る人はいない。

 そう思って隣の小松(こまつ)駅を見てみると、さすがに特急の停まる駅だけあって、案内表示も明らかにJRになってから新調されたものだ。

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 しかし、よく見ると、東京も上野も書かれていない。ライバルの牙城を目前にして、小松駅が東京を諦めてはいかんのではないか。 
 
(もっとも、これは改正前の写真である。先月の改正で表示が改められているかもしれない)

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標識表現の限界

 交通標識というのは、あらゆる道路状況を考慮して、規制などを簡易に表示できるよう、工夫されている。
 が、簡易な表示体系であるだけに、限界もある。そんな例を。

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 これは、おそらく日本一短い軌道内通行可区間であろう。「ここから30m」と言っても、三十メートルで軌道は終わりなのである。それに、ここは路線の末端電停のさらに先なので、通常ここまで電車が来ることはない。地元のドライバーもそれは知っているから、こんな標識があろうとなかろうと、がんがんレールを踏んで行く。
 それなら、何のためにこの標識が掲げられているのか。この区間を反対側から見てみよう。

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 右に道が分かれている交叉点までが軌道内通行可、そこから先は適用外なのである。電車が停まっている電停付近は、既に軌道内通行禁止である。
 この狭い街路でクルマが路面電車の走行を阻害することを防ぎたい。しかし、路面電車の軌道は、実態はともかく、通行禁止が定位であって、したがって「軌道内通行禁止」という標識はない。そこで、電車の通らない区間を「通行可」にわざわざ指定して、それ以外の区間が通行禁止であることを念おしした。
 おそらく、そんな事情ではないかと思う。いわば「逆説的」な標識である。

 
 もう一つは、東京の下町で見かけた標識。

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 いや、複雑すぎるやろ(笑)。
 進んではいけない方向だけを示してもらった方が分かりやすいが、それがたぶん、右斜め上にでている矢印のついてない線なのだろう。ふつうこういう線はこの標識にはないと思う。交叉点の形がややこしいから、変則的な標識になったのだろう。
 これも、「交叉点でこの方向にだけは進入するな」という標識がないことで、こんなことになっている。

(平成23年1月執筆)

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残り僅かな国鉄特急色

 クリーム地に濃い紅色のラインが入っているのが、国鉄特急電車の標準色であった。昭和33年に、東海道本線の特急「こだま」として国鉄初めての特急電車が登場したときから、その配色が守られてきた。この色は、ディーゼル特急にも踏襲されたし、私鉄にも模倣された。国鉄の古き佳き時代を象徴するような配色である。

 JRになってから、次々新型の特急車輌が登場し、国鉄時代の車輌も塗り替えられたりして、この色を纏った特急電車がかなり少なくなってきた。それでも、少数残ったこの塗色を懐かしみ愛好する人も多い。
 その数少ない車輌をここ数年見かけてきた記録である。

 この記事の他にも、臨時急行「能登」や快速「あいづライナー」などで国鉄特急色の車輌に出会った記録を記事にしているので、併せて参照されたい。

 国鉄特急色の電車が、まさに特急運用で気を吐いていた、その最後の牙城ともいうべきだったのが、北陸本線の「雷鳥」系統であった。最後まで9輌の堂々たる編成が、全て国鉄特急色で闊歩していた。
 最後の頃は大阪~金沢という短い区間に押し込められてしまっていたが、かつては新潟まで足を伸ばしていた。臨時特急「ふるさと雷鳥」として、多客期のみ大阪~新潟の運転があった時期もある。
 下の写真は、平成20年春に、加賀温泉駅で見かけた「ふるさと雷鳥」である。

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 写真では分かりにくいかもしれないが、その姿には、向かいのホームで見ていた客も、絶句していた。
「走らせすぎやろう…」
 と呟く人もいた。側板は波打ち、塗装はいたるところでひび割れ剥げ落ちていた。わたしも、見ていて痛々しくなった。「ふるさと雷鳥」は、確かこのシーズンを最後に運転されなくなった。

 この頃、大阪や京都から山陰方面に向かう特急電車は、下のような塗色の車輌が多かった。 

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 これは大阪~天橋立間を走っていた特急「文殊」で、多分平成22年2月に篠山口で撮ったものだと思う。
 JR西日本の統一イメージに則った塗色だが、地味だし、あまりこの車輌に似合っていなかったこともあり、あまり人気はなかった。それで、国鉄特急色の車輌がその後増えていった。

 それで、「雷鳥」が引退した後も、大阪まで行けば、国鉄特急色の車輌を見ることも多くなった。

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 上の左側は、平成23年春、福知山線の特急「こうのとり」に使われていた振子電車である。急曲線を高速で通過できるように開発されたのが振子電車で、福知山線が電化された時にも、曲線の多い同線にぴったりの車輌として導入される構想があったと聞くが、国鉄の緊縮財政で見送られた。
 この写真の時に使われていたのは、新型車輌を入れるまでのショートリリーフのような投入で、紀勢本線で使い古した振子電車を回してきたものだ。地上設備が整備されていないので、当然振子機能は停止して運用されていた。
 右側もほぼ同時期の「こうのとり」だが、これは振子電車ではなく、電化当時から、古くは「雷鳥」などに使っていた車輌を改造して福知山線で正規の運用をされていたものだ。福知山線は、電化時期が遅かったのが仇となり、このように中古車輌が多くあてがわれてきた。気の毒な路線だ。
 いずれも新大阪駅での撮影である。

 下は、平成24年の1~2月に大阪駅で写したものである。やはり「こうのとり」に使われている。

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 見るだけでは面白くないので、先日(1月)に乗ってみることにした。
 京都から福知山へ向かうことにし、特急「きのさき」に乗った。これも振子電車である。
 先に述べた時期の振子電車は一旦臨時運用を終えていたが、再びこのタイプが入るようになった。先の「雷鳥」改造タイプの車輌が、いよいよ老朽化してきたので、新型車輌が揃うまで、振子電車がつなぎをするらしい。

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 これが福知山に着いた。福知山では、大阪と京都をそれぞれ起点とする特急が、相互接続して乗客の便を図っている。このため、けっこう長く停まることも多い。

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 向かいの上りホームにも、国鉄特急色が入ってきた。大阪行の「こうのとり」である。あちらは振子でないタイプだ。このタイプは、今月で引退してしまった。
 国鉄特急色が二本並ぶ、というのも最近はなかなか見られないことである。

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 と思っていたら、乗ってきた「きのさき」と接続する大阪からの下り「こうのとり」がホーム向かい側に到着して、なんと国鉄特急色三本並びとなった。こんなのも今のうちである。

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 さて、この日はその後天橋立から大阪に向かった。
 定期列車では、この区間に直通はないのだが、休日を中心に福知山折返しの「こうのとり」が天橋立まで臨時延長されていたのである。
 車輌はやはり振子タイプの電車で、下は天橋立で発車を待つ「こうのとり」である。

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 「こうのとり」というのは、豊岡にある施設で人工飼育や繁殖に取り組んできたことに因む愛称だから、福知山や天橋立に発着する列車には相応しくないのだが、いつも言うように、JRはそういうことにこだわらない。

 わたしはグリーン車に乗ったのだが、このグリーン車も改装されている。
 横三列シートでシートピッチも拡げられている。それはいいのだが、そうなると窓割りと席が合わなくなってくる。目の前が窓枠、という席がでてきかねないのだが、グリーン車でそれはさすがにまずいと思ったのか、不自然なまでにピッチが広い部分がある。前の席のレッグレストに足が届かないので、足置きをわざわざ設置している。

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 こういう、いろんな意味でつぎはぎだらけの国鉄特急色車輌だが、まだ踏ん張っている。次第に動態保存的な走らせ方が増えてきたが、今ならまだ乗れる。

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土電点描

 昨秋、学会出張で高知を訪れた。また土佐電鉄のお世話になり、あちこちを写して来たので、それをご紹介しよう。

 土佐電鉄は、高知市街中心部ではかなり頻繁運転をしており、運転本数だけなら大阪や東京のJR電車区間にもひけをとらない。そういう活気からみて、経営状態も良好なのだろう、と思っていたが、夏には、もはや会社として路面電車を維持することが困難、ということで、公有民営化の提案がなされた、と聞く。その議論の動向によっては、一部または全部の区間を廃止する、という選択肢もでてこよう。
 しかし、この土電は、歴史が古いだけに、簡単に廃止するには惜しい情景がふんだんにある。昔ながらの情景だから翻せば現代に合っていない、ということでもあるが。
 そういう所を見て回ろうと思う。

 仕事が退けてから高知に向かったので、深夜に近い時間帯の特急で瀬戸大橋を渡った。指定を取ったら、アンパンマンシートになった。

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 まず、市内中心部を見てあるく。経営難を頭に置いて見れば確かに、次々やっては来る電車は、いずれも数人しか乗っていないようでもある。

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 東端の後免町(ごめんまち)に向かう電車に乗ってみる。
 高知市街では街路の中央に敷かれていた線路は、市街をはずれると、片側一車線の国道に隣接するかたちに変わる。国道側になる東行は、国道の路側帯から直接乗り降りする所も多い。そのような、車道と仕切られていない乗り場に近づくと、
「ノーガード電停ですので、お降りの際は自動車にご注意ください」
 という放送が入る。なるほどノーガード電停とは分かりやすい言い方だが、初めて聞く。そういう電停は見ていても危なっかしい。安全地帯を設けようにもスペースがなく、如何ともしがたいのは分かる。写真は文珠通(もんじゅどおり)電停に停車しようとする後免町行電車内から写したものである。ここまでは電車の本数がかなり多い区間で、電停の先にある渡り線で、大多数の電車が折返す。

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 その先には、清和(せいわ)学園前という電停がある。これは昭和60年に開設された、比較的新しい電停で、名のとおり通学生の便を図るための請願駅である。しかし、その次の一条橋(いちじょうばし)電停がすぐそこに見えている。両電停間の距離は公式には0.1キロとなっているが、実際はもっと近くて、歩いても一分とかからない。なぜこんな電停が必要なのか、と思うが、やはり国道に接した電停であり、通学生を僅かな距離でも歩かせたくない路側なのであろう。ともあれ、ここがわが国で最も短い鉄道駅間なのだそうだ。
 清和学園前の一つ手前の領石通(りょうせきどおり)、そして一条橋にも、折返し用の渡り線があり、需要に応じて各所で折返す便がきめ細かく設定されている。

 さて、一転して西の終点、伊野(いの)付近にやってきた。
 伊野にはJRの駅もあるが、土電には伊野駅前・伊野の両電停がある。伊野駅前から終点の伊野までもけっこう近く、そこに見えている。
 下の写真は、左が伊野駅前電停から伊野を望んだところ、右が待合室まで備えてなかなか整った設備の終点伊野電停である。

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 なお、伊野電停の東側から、路面電車としては珍しく、長めの引込線が出ていた。この先にはかつて小規模な車庫があったのだが、使われなくなった。引込線は既に本線につながるポイントが撤去され、架線も外されていて、完全に廃線跡となっているのだが、レールだけは残されている。路地、というより畦道に近いようなさりげない道に軌道が敷かれている光景は、今となってはシュールである。
 そんなのを眺めていると、電車が到着した。伊野線の大半の区間が単線で、ほぼ終日21分間隔でしか電車が来ない。半端な間隔だが、行違い設備の都合でそうなる。この伊野も、一応二本の線路が敷かれているが、通常はホームに面した線路だけを使い、着いた電車がすぐ折返す。

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 ここまでにもちょこちょこ出てきたが、市内区間をはみ出して郊外まで運行する便については、そのことを明示するために、前面に菱形の大きな方向板が取り付けられている。これも土電の名物である。上の右の写真の「いの」(伊野行を示す)もその一つだ。
 下の写真は、左が「朝倉(あさくら)(高知大学前)」、右二つが「ごめん」(後免町行を示す)の方向版を付けた電車である。この「ごめん」は、いつ見てもユーモラスである。

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 学会会場の高知大学の前も、狭い旧街道に軌道が敷かれている。ちょっと見ただけではとても電車道には見えないが、ちゃんと線路がある。これもまたシュールだ。
 以前の記事「高知駅前電停移設と朝倉の路地」で紹介した区間の近くだが、それらの電停も、やはり「ノーガード電停」と案内されていた。

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(平成24年10月観察)

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そよかぜトレイン117と佐久間レールパーク跡

 偉大なるローカル線とも言われるJR東海の飯田線に、今年度から走り始めた臨時列車が「そよ風トレイン117」である。
 風を感じながら旅を愉しんでもらうため、改造してドアや窓を開放した車輌が連結されている、ユニークな列車である。117というのは電車の形式番号で、国鉄の末期に京阪神や名古屋地区の新快速に投入された二扉転換クロスシート車、いわば国鉄最後の栄光とでもいうものを象徴しており、現在は第一線を退いているが、地方線区やこういう臨時列車で活躍している。

 この車輌をじっくり観察する機会に恵まれた。

 JR東海の車輌の例に洩れず、コーポレートカラーであるオレンジ色のラインが施されている。10x240861

 しかし、四輌編成のうち一輌、2号車だけはちょっと変わった外観である。

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 この車輌は、「ウィンディスペース」と呼ばれるフリースペースである。
 このように、ドアは開いたまま固定されていて、そこに柵のような物が嵌められている。転落事故が起きないように、ガラスが張られたりはしているが、柵状の部分からは直接外の風が吹き込むようになっている。10x240885

 窓の上段はガラスが外されていて、やはり自然の風が車内に吹き込む。木製の椅子が窓に向けて設置されていて、心おきなく景色を眺めることができる。
 雨が降ってきたらどうするのか、と思うが、一応ブラインドの代わりにビニールシートを下ろすようになっている。ただ、この列車は全車指定席なので、天候が悪化すれば自分の席に逃げ帰ればいいのであるが。10x240871

 その指定席車も、なかなか凝ったつくりである。

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 元々の117系の座席は、二人掛け転換クロスシートが並んでいたのだが、それの三列分を一ボックスとして、四人掛けにしている。グループや家族で乗るのに最適である。
 六人坐っていたスペースを四人で使うわけだから、非常にゆったりしている。三列のうち両端のシートは向かい合わせに固定され、中央のシートは土台だけを残して撤去されている。その上に大きな正方形のテーブルが設置されていて、弁当やおつまみなど広げて愉しむのによいし、トランプなどもしやすい。
 それにしても、テーブルのこの大きさと形、その道が好きな人は、牌を並べたくて指がうずくのではなかろうか。わたしは卓上遊戯を好まないのでどうでもいいのだが、このままでは無理にしても、このテーブルが斜めに配置されていたら、四人でそういうことをするのも可能だろう。どうせなら、テーブルが回転するようにしておけばよかったか。もっとも、列車の中の麻雀というのは、何かと不都合かもしれない。特に飯田線は、駅のポイントで激しく横揺れしたりする。

 この列車は、休日を中心に運転され、豊橋と中部天竜との間を一往復する。ダイヤは以前の「佐久間レールパーク号」と同じで、下りが午前、上りが午後である。いずれも食事どきを外した運行なのは、あまり車内を汚してほしくないからだろうか。
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 なお、荒天時は運休したり通常の車輌に差し替えて運転したりするものと思われる。もし通常の車輌に替わった場合、指定料金は払い戻しとなる旨、駅の掲示に註記してあった。けっこう良心的である。

 終点中部天竜駅構内にあった佐久間レールパークの跡地は、かつての賑わいを偲ばせはするものの、やはりうらぶれた感じは否めない。「そよ風トレイン117 歓迎」の立て看板はまだしも、フェンスで隔てられた建物や車輌のほとんどが運び出されてがらんとした旧園内、客がひきもきらなかったのに閉店してしまった食堂など、無常を感じさせる。10x241172 10x241070 10x241071 

 いずれにせよ、面白い列車を考え、手の込んだ改造をするものである。新幹線を擁するJR東海の余裕でもあり、佐久間レールパークで集まった飯田線人気をなんとか温存したい、という苦肉の策でもありそうである。
 飯田線はカーブや交換待ちも多く、それほど飛ばすわけではない。スピードが上がらないことを逆手にとったアイデアは、なかなか秀逸だ。
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(平成22年10月観察)

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福鉄の装飾電車

 平成20年末から21年初頭にかけ、福井鉄道が装飾電車を運転した。旧型(高床)連接車である200型の一編成にクリスマスと正月に因んだ飾りつけを施したものである。期間中は毎日同じ列車にこの編成を充当し、夜はライトアップした。
 当初は年末のクリスマス装飾だけが発表されていたのだが、「好評につき」運転期間を延長することになった、と報じられた。そして、正月向きの装飾に少しずつ模様替えしていったのだが。ただ、手回しのいい発表と装飾の入れ換えをみると、どうも最初からそういう予定だったのではないか、とも思われる。8z281665

 ともかく、珍しい試みなので、クリスマス版と正月版の過渡期に、この装飾電車に乗ってみることにした。
 西鯖江駅で夕方の下りを待ち受けると、200型がやってきた。何やら車内で光っている(写真右)

 

 

 車内に入ってみると、連接面を中心になかなか派手に飾られている。が、それ以外の部分はそれほどでもない。やはり営業列車だから、あまり座席や吊革を塞ぐような大がかりなものにはできないのだろう。
 天井からは「Merry Christmas」と電光の飾りが付いた大きな紙がふわりと垂らされている(写真左の左)。かと思えば、窓や網棚には正月の飾りも見うけられる(写真左の中・右)。沿線の子どもたちが描いた電車のぬり絵も花を添えている。8z281705 8281841 8z281664

 

 

 電車が駅を数えていくにつれ、明らかに装飾電車が目的で乗ってきたとみえる客が増えてくる。子供連れが多い。集客効果は十分にあるようである。
 そして、かざりつけをあれこれ評定したり、撮影したりしている。

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 連接側の窓には、かなりの数の電球が使われている。子供もこれに目を奪われている(写真右)
 これらの電球はもちろんLEDなので、電気代もかからないし、熱ももたず安全だ。

 

 派手な演出ばかりでなく、細かいところにもいろいろな遊び心がある。
 連接部分にはさりげなく靴下がぶら下げられている(写真左の左)。クリスマスのアイテムであるほかに、福鉄電車にも多くの人に乗ってほしい、という願いが込められているのであろうか。8z281683 8z281660_2
 そして、吊革には雪を模した綿が付けられている。ぎりぎり吊革の機能を損なわない程度にである(写真左の右)

 

 

 今度は車端の運転台側に目を移す。
 客席との間の仕切り板にも、やはり「Merry Christmas」の飾りつけ。そして運賃箱にはさりげなくクリスマスツリー。隅々まで神経が行き届いている(写真右)8z2817528z281712

 

 

 こうした飾り方を見ると、実用と見栄えのぎりぎりのせめぎ合いが窺える。
 というのも、この装飾は、福井鉄道から地元の福井高専に依頼があり、高専の学生会が応じて施したものなのである(写真左)。学生側の、もっと派手に飾りたい、という希望と、福鉄側の、そこまでされると運行・接客に支障する、という意向とを摺り合わせながら、お互いに臍を噛む思いで一つ一つを取り付けていったのではなかろうか。8z281794
 報道では、福井高専が担当したのがクリスマスのものだけのように読み取れる。正月の飾りは福鉄側が独自に付け加えたのかもしれない。
 いずれにせよ、福井高専のクレジットは、探さないと見つからないほど控えめに記入されているので、装飾が高専の手になることを知らずに観賞している客も多いのではないか。ここに写真を載せてその名を知らしめておくことにする。

 サンタさんと凧の同居という心地よい違和感を乗せて、電車は市内線に入っていき、行き交うクルマからの視線も集めはじめた。 

 なお、この装飾電車の運行が終了した後も、水仙の季節になると、車内に水仙が飾られた「すいせん電車」が運行されるなど、新しい試みがなされている。さらに、現在は電車を使った企画自体を公募している。いずれも、再建に向けた積極策の一環であろう。
 いろんな奇策をも講じ、集客に努めてほしいものである。

(平成20年12月・21年1月観察)

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福鉄200形新福鉄カラー

 いわゆる見たまま情報です。

 福井鉄道の202号編成が、新福鉄カラー(つまり、低床車と同じ配色)で営業に就いているのを見かけた。
 同じ車輌でも、塗色によって全くイメージが変わることもあるものである。新福鉄カラーは大変明るいなかにも品があり、従来の福鉄のイメージを一新するものである。製造半世紀に迫ろうかという200型に合うかどうか、という問題であるが、まあごちゃごちゃ言う前に見ていただこう。 

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 広告電車でなくなるのなら(写真右は以前の202の塗装)、何で旧福鉄カラーに20060225170851してくれなかったか、古い電車に派手な塗装をして無理矢理飾りたてなくても、と嘆くマニアも多いと思われるのだが、わたしは結構いけてるのではないかと思う。
 この200型は、前面デザインが二枚窓の非貫通半流線形、これは国鉄80系電車に端を発する「湘南形」タイプと呼ばれてきた当時最先端のデザインである。そしてこれは決して古びた感じはしない。現在も湘南形の亜流と言えるデザインの車輌はあちこちの路線で第一線の活躍を見せている。洗煉されたデザインなので、こういう今風の配色で塗装を施しても、さしたる違和感はない。わたしはむしろ、低床車よりもこの塗色がハマってさまになっているのではないか、と思うほどである。 7045_0535_1
 濃いベージュに紺色のラインが入った旧福鉄標準カラーは、地方私鉄らしい実直なものではあったが、やはり田舎臭い地味さは拭えず、わたしはあまり好きではなかった。
 確かに旧標準カラーが見られなくなるのは少々淋しい。が、新塗色に塗り替えるということは、当面200型を大事に使い続けますよ、という福鉄の意志表示でもあり、これも嬉しいではないか。バリアフリーの時代には合わないにせよ、スマートさと貫祿を兼ね備えた福鉄オリジナル車輌に一日も長く活躍してほしい。今や福鉄で四人がけボックスシートの車輌はこの200型だけである。
 願わくば、塗色のみならず、車内の内装や清掃にも気を配り、清潔感のある車輌にしていってほしい。そうしたちょっとしたことが集客につながるからである。

 その後、201号編成が旧福鉄標準色になって営業についたのを、5月に入って確認。
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(平成19年4・5月観察)

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福鉄二題(フリー乗車券・整理券)

 今回は地元の鉄道に関する小ネタである。一日フリー乗車券と整理券について。

 福井鉄道では、土曜休日を中心に1日フリー乗車券を発売しているのだが。

 500円で終日全線乗り放題なので、けっこう使い得で、鯖江・武生市域から福井市内に往復するだけで元が取れる。名古屋市の地下鉄にも500円の一日券があるらしい註・そう思っていましたが、下のコメントでお教えいただいたように、600円が正当でした。訂正します)のでそれには負けるが。福鉄の一日乗車券の発売による乗客増が運賃の割引率をカバーして余りあるのかどうか、傍から見ていると疑わしいのだが、発売が続けられているということは、増客の効果はあるのだろう。わたしも愛用している。
 これまで、A6サイズで服のポケットに入れても嵩張って扱いにくかったのだが、そんなことくらいでわざわざ苦情を言う気にもならずにいた。しかし、先月から半分以下の大きさになり、クレジットカードか店のポイントカードくらいの大きさになり、デザインも変わっていた。
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  従前はえちぜん鉄道と福井鉄道両社線に乗れる1200円の一日券の方がサイズが小さくて、何か変な感じだったが、これも是正された。ワンマン電車の運転士さんに見せるにも好都合である。新旧の大きさを比較しておこう。
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 もう一つは、福鉄電車の乗車方式に関して。現在低床の新型車と高床の旧型車が混在しているのだが、どういうふうに乗り降りすればいいのか、もう一つ統一されていない。新型車は、770形・880形連接車の場合片側3扉のうち最後部は締切とし、中2扉は乗車専用、前扉が降車専用となっている。単行の800形は片側三扉なので、乗車専用扉が中扉一つとなる。これら新型車ははっきり「入口」「出口」と表示されているのだが、旧型車にそういう表示はない。これはどうすればいいんだろう、と疑問であった。新型車の乗車専用扉には整理券発行機が備えつけてあるのに対し、旧型車にはない。従前から福鉄の無人駅各駅のホームには、乗車駅証明書発行機が備えられていた。これは今でも稼働している。掲示によると、右のごとくである。070130_154407
 旧型車は入口出口が指定されていないようである。開いた扉から乗り降りすればいいようだが、乗車駅をはっきりさせるために、ホームの整理券(乗車駅証明書と呼ぶのをやめて、整理券に統一したようだ)を取らないといけない。
 となると乗客は、この掲示の指示に忠実たらんとすれば、来る電車が新型か旧型かを早めに見きわめ、旧型だと分かれば急いで乗車駅証明書発行機に群がって整理券を取らねばならないことになる。名鉄が新旧種種雑多な車輌を運行していた頃、地下駅の新名古屋で、来た電車のヘッドライトで形式を見分け、それに合わせて客が即座に並びなおす、という名鉄利用者総鉄道マニア化伝説があったが、福鉄でもそれに近いことが求められる。旧型車の来るダイヤはだいたい決まっているから、常連客は覚えているだろうが、一見さんはまごつくだろう。
 まあ、実際はそんな忙しないことが起きているわけはなく、整理券を取り忘れても口頭で乗車駅を申告すれば駅員さんや運転士さんはとりたてて咎めることはないし、お年寄りなどが前扉から乗ろうとすれば、快く乗せている。
 それにしても、後ろ降り前降り、といったワンマンカーの乗降方式は、バスでは厳格に守られるのに、なぜ鉄道ではどこでもルーズなのであろうか。やはり、通常の道路とは一線を画したプラットホームという乗り場が用意されていると、そのホーム上ならどこで待ってもいい、という気になるのだろうか。あるいは、有人駅では全ての扉を開ける、といった例外があるから徹底しないのだろうか。この辺は心理学的な分析があるかもしれない。
 福鉄の場合、有人駅からの乗車では整理券を取らせていない。が、これは不正乗車を助長すると思う。有人駅では乗車券を売っているのだからいいようなものであるが、定期券や回数券を予め用意してある場合、いとも簡単にキセルできてしまうことになる。全ての駅で全ての客に整理券を取らせるべきだ、とわたしは思うが、そんな損失は計算に入れたうえでの省力化なのかもしれない。

(平成19年2月観察)

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