太平洋フェリー「きそ」南航

 昨年(平成25年)初秋の北海道旅行、帰りはフェリーにした。太平洋フェリーの船旅が好きだからだが、ちょうど帰りの日程に苫小牧(とまこまい)発名古屋行「きそ」の運航日が合ったのである。前回往路に乗った時は「いしかり」だったので、変化もあっていい。

 徒歩乗船のわたしは、連絡バスで港に向かわねばならない。
 苫小牧駅前のバスターミナルで待っていると、フェリーターミナル行のハイデッカーが来た(写真左)。これは、札幌から来た高速バスである。少し遅れているようだ。これに乗ってもいいのだが、車内は込み合っているようだし、億劫になる。
 これを見送ってさらに待つと、路線バスタイプのバスがやってきた。これがここ始発の連絡バスである(写真右)

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 日曜日だからか、結構バスに乗る人が多い。といっても座席がちょうどふさがるくらいである。
 二十分ほどの乗車で、船の姿が見えた。

 既に乗船名簿にはWebで登録してあるし、チェックインはすぐに終わった。ここで案内の紙片を渡される。

 
 
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 なんでも、現在ターミナルのボーディングブリッジの改装工事中のため、船まではバスで送る、という。船までといっても、もうすぐ向かいに見えているし、歩いて行っても大したことはない距離なのだが、搭乗するクルマやら作業のトラックやらが行き交うエリアを歩かせたくないのだろう(写真)
 バスを待つ長い列に並ぶと、マイクロバス数台がピストン運転して、つぎつぎに客を運んでいる。五分ほど待って乗り込んだが、乗車時間は一分もない。
 バスを降りた所にはエレベーターが設置されていて、船のデッキに上がれるようになっている。大きなキャリーバックを引いたわたしを含め、ほとんどの客がエレベーターを待つので、ここでも待ち時間があるが、元気のいい学生などは、横の階段を昇っていく。

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 やはりこの航路は、苫小牧と仙台との間が主区間のようで、個室は満室に近いようである。わたしは、陸の見える進行右側の個室を取った。眺望もあるが、ケータイの電波が少しでもいいように、という意図もある。
 FMラジオで放送している職場のPR番組を、USTREAM配信で聴くべく、ノートパソコンをケータイのテザリング機能を使ってネットに接続したのだが、あいにく津軽海峡から下北半島沖を航行して少々陸地から離れる時間帯だったので、途中で聞こえなくなってしまった。

 航海や設備は、新「いしかり」を見てしまった今となっては、あまり目新しいものはない。デッキでのピアノ演奏なども、同様に愉しめる。
 仙台港では、相変わらず途中下船は禁じられていて、自分の部屋で無為に過ごすしかないが、碇泊中は当然ネット接続もスムーズだから、メールの送受信もラジオの聴取も、不自由なくできる。

 仙台を出航しても、そんなに船内が空いたようには見えないのが、意外であった。
 太平洋フェリーの本拠地は名古屋だから、客が少なくても仙台~名古屋の運航をやめるわけにはいかないだろうが、いつもこの区間は閑散としていたはずだ。平日なのに客が多いのは、学生団体が乗っているかららしい。小中高の夏休みは終わったが、大学はまだ休みだから、クラブの遠征などがあるようだ。

 前回と異なることとして、福島沖の航行経路が変わっていることがある。前回はおそらく、原発から三十キロ以上の距離をとって沖合を航行していたのだと思うが、今回はもっと陸に近い所を行っている。雨が降っているので定かではないものの、岸は見えていて、原発の姿も遠くに望める。

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 船内でもう一夜を過ごすと、名古屋に入港である。
 名古屋港ターミナルは、いつも長居することがないのだが、今回はちょっと時間つぶしが必要である。

 徒歩の客がこのターミナルから離脱するには、市バスを利用するしかない。ターミナルに来る方なら、名鉄バスセンターからの直行バスがあるのだが、ターミナル発はない。
 市バスは一時間に一本程度しかなく、不便である。せめて船が着く時間帯は増発してほしいものだが、長年この態勢できているということは、何とかなっているのだろうか。
 船の着岸が10時30分、市バスの発車は10時55分なので適度だが、その次の便は11時59分になる。学生団体もバス停に長い列を作っているし、わたしは一本遅らせることにした。

 ターミナルには2階待合室に隣接して食堂兼売店もあるので、先に昼食を済ませて、と思ったが、この食堂は11時開店である。船が着く時間に営業しておけば、お茶や軽食くらいとる客が多いだろうに、なんと商売気のないことであろうか。開店準備をしている間に、待合室からどんどん客が散っていく。
 ベランダからはバス停が見下ろせる。大荷物の人たちがなかなか乗れずに、列が進まない。それでもどうにか全員乗り込み、ドアを無理やり閉めた感じで、重たそうにバスが出て行く。五分以上遅延している。
 振り向くと、食堂が開店していたので昼定食をとる。内容の割に安い。続々と客が集まってきたが、これは周囲の港湾施設で働く人たちで、作業着のまま慣れた手つきで盆などを取っている。なるほどこの食堂は、船客相手ではなく、社員食堂のようなものなのだ。結局、「きそ」から降りてここで食事をとったのは、わたしの他に一人だけであった。

 それほど込まない食堂で一時間近くゆっくり過ごして、バス停に移動する。待合室にもバス停にももう船客の姿はない。わずかにターミナルビルの玄関脇で、バイクで出発しようという若者二人が弁当を頬張っているくらいだ。
 その二人も去った頃、やっとバスが来た。もちろん客はわたし一人である。 

 
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 これであおなみ線の野跡(のぜき)駅まで移動する。途中住宅街を通るので、乗車する客もいたが、さっきの便はとても途中からは乗れなかったろう。地元の人は勝手を知っていて、あの便は避けるのだろうか。

(平成26年9月乗船)

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岩国空港からの航空便

 岩国空港の空港ビルが整備され、かなり久方ぶりに定期便が発着するようになった。山口件には既に宇部空港があり、広島空港からも近いこの地に、今空港が復活したのは、興味深い。
 新幹線の新岩国は東京・大阪への直通列車が少なく、工業都市徳山から宇部空港へは手戻りとなる。広島西空港は廃止となった。このあたりに復活の理由があるのだろうか。

 公共交通で岩国空港へ行く方法は、連絡バスがあるのみである。これは航空機の発着に合わせて運転されるが、空港着時刻は、接続航空便離陸のわずか三十分前である。これでは空港をつぶさに観察する時間が取れそうにないが、小規模な空港なのだろう。それしかなければそれで行く他ない。
 わたしは、バスの時刻に合わせて岩国駅に行った。

 岩国駅前からは、各方面に向かう市営バスが出る。公営バスは民間譲渡が進んでいるが、ここも民営化の方向が決まっているようだ。
 しかし、各種のラッピングバスを走らせるなど、意欲的である。駅前には、ちょうど「島耕作バス」が待機していた。弘兼憲史氏、そして島耕作も、岩国出身なのである。

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 発車時刻が近づくと、十人ほどの人が乗場に集まってきた。大きなトランクを転がしている人もいるが、手ぶらの人もいる。
 時刻間際にバスがやって来た。これもラッピングらしく、飛行機の写真などがプリントされている。
 扉が開いてみると、誰も乗っていないが、料金表表示を見ると、駅が始発ではないようだ。後で調べると、交通局前が始発で、市街地を抜けて来るらしい。空港も「岩国錦帯橋空港」という名前なのだし、錦帯橋や新岩国駅方面からの直通にすればよさそうなものだが、観光利用は少ないと踏んでいるのか。
 バスは目抜き通りを抜けて海沿いに進み、僅か十二分でターミナルビルに到着した。こんなに便利な場所にある空港も珍しい。

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 供用が始まって間もないターミナルビルは、かなり開放的で明るかった。外から見ると人気がないな、と思ったが、中に入ってみると、存外人がいる。どころか、ごったがえしていると言った方がいいだろう。
 ここからは東京行のANA便が一日四便出るだけだ。こんなにたくさんの人が乗りきれるわけはないから、ほとんどが空港の見学客なのだろう。神戸空港も開港当初はこんな感じだったな、と思う。
 エントランスからは、搭乗待合室を通して、駐機場が見えるようになっていた。全て同じ平面上にあるから、見通しがいいのである。こういうつくりの空港も初めてだ。

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 だが、見とれている暇はない。急いでチェックインし、バッグを預けると、荷物検査場に進んだ。スマホの充電器が引っかかった。そういえば、これを導入してから飛行機に乗るのは初めてだ。これも予め荷物から出しておくといいようだ。
 搭乗待合室に入ると、駐機場が目の前に見える。右手を見ると、到着した客がエスカレーターを下って来ている。改札後の通路もまた、ガラス越しにシースルーなのである。エスカレーターの向こうには、荷物の出てくる回転台がある。
 待合室からエントランスを、さっきとは逆に見ることももちろんできる。

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 改札が始まると、このエスカレーターを昇ってボーディングブリッジに進む。小型の飛行機しか発着しないからか、「コートはこの通路で脱いで手にお持ちください」という貼紙がある。機内の通路が狭いのだろう。小さい飛行機の座席が三分の二ほどしか埋まっていない。わたしは後ろ寄りの席を指定していたので、三人がけを独占できた。離陸時刻より前にドアが閉められた。
 乗り込むのはすぐだったが、走りはじめてから滑走路までが長かった。まるでこのまま走って羽田に向かうかに思われるほど空港内を彷徨った後、ようやく離陸態勢に入る。基地共用の空港だからか、あるいは、騒音や石油コンビナートを避けるために滑走路を沖合に移設したためであろうか。

 飛び上がってしまえば何も不思議はないが、ちょうど宮島付近の多島海を見下ろしながら上昇するので、いい眺めである。なかなかこういう高度から宮島を見ることもない。

 羽田に着くと、ローカル空港発なので、駐機場は最果てを割り当てられていた。ここでも着陸後の走行がかなり長く、ターミナルビルを横目に見て、これを行き過ぎてから停まった。バスで送られることになるが、このバスが何の手違いか、数分到着しなかった。
 だから、ターミナルビルの荷物受取所に進んだときにはもう荷物が出てきていた。ベルト一周分に満たない荷物しか預けられていなかったとみえ、停止したままのベルトに荷物が点々と客を待っていた。

(平成25年1月乗車・搭乗)

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新日本海フェリー「すずらん」南航

 晩夏というか初秋というか、北海道をそぞろ乗った帰りは、フェリーにした。というより、新日本海フェリーの新船「すずらん」に乗ってみるのが、この旅の一つの目的でもある。

 苫小牧東(とまこまいひがし)港への連絡バスは、22時ちょうどに駅前のバスターミナルから出る。以前は市営バスの運行だったが、現在は道南(どうなん)バスに移譲されている。しかし、札幌方面から適当な時間に苫小牧に着く列車がなく、特急「すずらん」で着いて五十分ほど駅のベンチで待った。乗ろうとする船と同じ名の特急でアプローチするのも、縁だ。
 フェリーの港も、近年はじわじわと郊外へ移転する傾向にあり、これから乗ろうとする新日本海フェリーも、苫小牧・敦賀(つるが)の両方が、駅から歩いていくことはできず、バスに乗り遅れたら大変な立地だ。
 ともかく、十数人の先客とともに、バスに乗ることができた。

 フェリーの予約書には、「出航90分前までに港へお越しください」とあるが、連絡バスが港に着くのは出航一時間前である。矛盾しているが、連絡バスである以上、乗せてもらえないことはないだろう。実際にそうだった。

 インターネットで乗船手続まで済ませているので、港ですることはない。そのまま予約書を見せて船内に入る。
 新しい船なので、いろんな所が光っている感じで、明るい。揺れていない今は、船の中にいることを忘れそうだ。

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 わたしの予約したのは「ステートルームA和室」という部屋で、聞き慣れないが、この新船導入に合わせて等級の名が変わったのである。以前で言う一等和室である。
 清潔な廊下には分かりやすいピクトグラムで案内が掲示されている。

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 部屋に入ってみると、二人だとちょっと窮屈かもしれないが、一人なら十分な広さである。バス・シャワーはないが、トイレはついている。ホテル泊まりが続いたので、体を地べたで伸ばせるのが嬉しい。

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 出航が遅いのでその日はすぐに就寝した。
 朝早く起きて、船内を見て回る。パソコン用のブースがあったり、カップラーメン用の立食いスペースがあったりするのは、いかにも時代を読んでいる。食堂や売店・カフェの営業時間が限られているのを補うため、ホットスナックの販売機もある。

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 朝食は持込みのもので済ませ、また少し横になった。
 昼は、グリルを予約してある。便利だが味気ないバイキングとは別に、こういう選択肢を用意してくれているのは、ありがたいことだ。前回この航路に乗った時はわたし一人の利用だったが、今日は四組九人も客がおり、ウェイターさんも張り合いがあるだろう。

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 予約したランチは、和食のコースである。ドリンクはその場で注文できる。南航だとグリルのある左窓が陸側になるが、昼どきは佐渡島のはるか手前、陸地から遠く離れた所を航行している。 

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 自分の部屋に風呂がないので、昼過ぎの空いてそうな時間を見計らって、大浴場に行く。中の写真を写すわけにいかないが、これも船の中と思えないゆったりした浴場だった。
 船内にはカンファレンスルームがあり、前に大きなモニターがあり、ちょっとしたミーティングなどもできる。時間帯によってここで映画を上映することもある。使っていないときはモニターにフェリーのプロモーションビデオが流れていて、自由に出入りできる。
 カフェでは、時間を限って軽食やドリンクを提供している。また、この付近でビンゴゲームなども行われていた。

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 夕食はレストランでとる。カフェテリア方式で、好きな皿を取って会計してもらうようになっている。生ビールの自動販売機などもあった。

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 そんなことでいろいろやっていると、ほぼまる一日の航海も、すぐに過ぎてしまう。
 敦賀新港到着の放送がかかった時は、ちょっと名残惜しい気がした。一気に北海道旅行が終わりを告げる。

 敦賀新港から敦賀駅までは、福井鉄道のバスが送ってくれる。日常の世界が扉を開けて待ち受けていた。

(平成24年9月乗船)

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太平洋フェリー新船「いしかり」の北航

 太平洋フェリーには、何度もお世話になっている。関西や中部から北海道へ向かうのに、時間の余裕さえあれば、好ましい手段なのである。運賃は新日本海フェリーの方が安いのだが、船内二泊という優雅な時間の使いよう、そして何より船内設備の充実による高級感で、費用対効果比は高い。かつて周遊券があった頃は、それに組み込むこともできたので、学生時代からよく使ってきたのである。

 その太平洋フェリーに、昨年新造船「いしかり」が就航した。「いしかり」という名の船は三代めにあたる。他に「きたかみ」「きそ」といった船があり、それぞれ二十年周期くらいで新造船に置き換えていくようである。先代「いしかり」も、当時最先端の大型フェリーで、好んで乗ったものである。
 三代め「いしかり」は、定期便としての処女航海予定日の二日前に東日本大震災が発生したため、いきなり就航が延期された。波瀾のデビューである。
 この船に、年末の連休に乗ることができた。せっかくの高級感あるフェリーに長時間乗るのだから、特等の部屋を取ることにした。

 名古屋のフェリーターミナルへは、あおなみ線野跡(のぜき)駅から市バスの便がある他、名鉄バスセンターからは連絡バスが出ている。
 この連絡バスは、ツアー扱いのようで、通常とは異なる仕様の乗車票を窓口で購入しなければならない。係員にそう聞かされて、わたしは一旦荷物を肩げて4階乗場まで上がっていたのを、わざわざ3階の窓口まで降りて乗車票を買い、また4階に上がって列に加わった。ところが、発車間際になって、窓口の係員が上がってきて、まだ券をお持ちでない方は、と乗車票を販売しはじめた。そういうことがあるのなら、そう言ってほしかった。
 連休だけに、バスはほぼ満席で出発した。相変わらず、名古屋の地理はよく分からないので、ケータイで地図アプリを開いて現在地を見ながら揺られた。

 フェリーターミナルに着いて乗船手続をする。わたしは予めWeb上で乗船名簿に登録してあるし、カードで運賃も決済しているので、ごく簡単に済む。
 埠頭に出てみると、巨体が横たわって出迎えてくれる。旅の情けが盛り上がる。 

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 この便は、仙台に寄港して苫小牧(とまこまい)まで行く。仙台から先、個室は満室になるとのことで、やはり込んでいる。名古屋から仙台までは、新幹線や高速道路でも便利に移動できるので、普段から空き気味である。
 船に搭乗して、案内所で鍵を受け取る。カードキーになったので、手軽だ。予約しておいた、船首の特等和室に入る。
 靴を脱いで畳に寝ころべるのは楽でいい。そんなに広くはないが、一人や二人で過ごすには十分だ。布団は幅が狭くて簡易なもので、せっかくの畳の部屋なので、柔らかい布団にしてくれたら、と思う。テレビは液晶のが付いているが、運航地域によってチャンネル設定が変わることになる。太平洋側だから陸地からそれほど離れないものの、当然受信状態は不安定である。バス・トイレは室内にあるが、狭いし下が硬いタイルなので、ちょっと清潔感には欠ける。写真は室内の様子である。 

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 太平洋フェリーは、レストランを出航前から営業しているのがいい。列車にもこういうのがあっていいのではないかと思うが、聞いたことがない。しかし、今晩は自室で、自動販売機のビールと持ち込みのつまみで夕食を済ませようと思う。
 食後、ラウンジ「ミコノス」に出かける。ラウンジなどがあるのがクルーズ船のようで気分がよいが、ここでショーが催される。
 この晩は、揚琴(ようきん)という珍しい中国の楽器とピアノとのコラボレーションであった。揚琴の演奏者は、中国出身だが日本に帰化したという人で、なかなかウィットに富んだMCで飽きさせない。揚琴の幻想的な音色は、聴いているといい意味で眠たくなってくる。複雑に弦が張りめぐらされた楽器を間近に見せてもらったりして、楽しく時間が過ぎた。

 翌朝目覚めて、やはり持ち込んだパン類で朝食を済ませる。レストラン「サントリーニ」の朝食バイキングは、まあよくあるものであるらしい。昼食はレストランでとったが、これはバイキングとはいえおかずの種類はごく限られていた。

 部屋で寝ころんでいると、僚船「きそ」と擦れ違うとのアナウンスが聞こえた。
 船首の部屋なので、窓を開けるとこれから進んでいく先の海がよく見える。そこを、「きそ」がみるみる近づいてくる。

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 ロビーでピアノ演奏が始まったので、それを聴きながらおやつをいただくことにする。スタンド「ヨットクラブ」に軽食類がいろいろあり、わたしはおむすびを注文した。昼食を控えめにして主食を食べなかったので、それを補ったのである。ラウンジとここと、ピアノを二台も積んだフェリーも珍しい。 

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 そのうちに、仙台港が近づいてきた。下船する人が支度してロビー付近に集まりはじめるが、当方は悠然としたものである。

 仙台では三時間碇泊してクルマなどの積み下ろしを行う。船内は、パブリックスペースや客が入れ代わる船室の清掃が実施される。継続して乗船する客は暇なのだが、通常の時期であれば、一時上陸が認められる。仙台市街へ行くには距離があるのでちょっと無理があるが、多賀城(たがじょう)市内などを散策することはできるし、わたしも以前は多賀城駅から仙石(せんせき)線電車で隣の塩釜まで足を伸ばしたりしたこともある。港の近くにイオンがあるので、買い出しに行く人も多い。
 しかし現在、一時上陸が禁止されている。津波警報が発令された場合、出航時刻を待たずに岸壁を離れることになるからだそうだ。余震が完全に収まるまでの間、上陸禁止が続くことになる。
 わたしも、自室でテレビを観たり、船内を散歩したりして過ごす他ない。

 そのうち、仙台からの乗船客が乗り込んでくる時間になり、レストランも夕食営業を開始した。仙台からは、満員に近い状態になるようだ。
 それで、わたしは開店と同時にレストランに入った。続々と客が入ってきて、たちまちテーブルが埋まる。
 夕食ともなると、さすがにバイキングの品数も多く、ついつい取りすぎてしまう。ステーキも専用のブースで提供され、桐生(きりゅう)のひもかわうどんという珍しい物も出ている。生ビールは別料金で注文したものである。 

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 この夜も、ラウンジショーがあったりしたが、客も増えて前夜より落ち着かないだろう、と思って、自室に留まることにした。そのうち眠くなり、再び布団をのべる。
 夜間は、前向きの窓はブラインドを下ろしておかねばならない。操舵室からの見通しが悪くなるからである。

 夜が明けると、津軽海峡の東方である。まもなく北海道が見えてくる。午前中には、再びロビーでピアノ演奏がある。
 四十時間に及ぶ航海を、退屈させないように、しかしのんびりしたムードを壊さないように、いろいろなイベントやサービスを散りばめて工夫してくれている。これが根強い人気の理由であろう。いつまでも頑張って運航してほしい航路である。

 苫小牧港に入港して、ターミナルビルの前に並ぶ。苫小牧駅と札幌駅に向けて、それぞれ連絡バスが出る。しかし、わたしが乗った日は、大雪で高速道路が通行止となり、札幌行は運休であった。
 それでタクシー乗場に並んだのだが、待機している車はおらず、無線で連絡を取り合いながら一台ずつやって来る状態であった。那覇港で船を待ちかねてたちどころにタクシーが蝟集したのとは対照的だ。日によってタクシーに乗る下船客の多寡が異なるのだろうか。わたしは一刻も早く苫小牧駅に行き、列車で札幌に向かいたいのだが、待っているうちに苫小牧駅行バスの時刻が迫ってくる。バス停に並びなおそうか、と思った時、わたしの乗る車が来た。

 (平成23年12月乗船。この後、話は「上り「トワイライトエクスプレス」 2~ 大遅延も雪を走り通す」につづく) 

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ジャンボジェットに乗っておく

 特別飛行機が好きでもないので、機種など全然分からない。機種を調べて乗ったりしたことはなく、乗り込んでから、あ、二列なのね、とか思う程度だ。鉄道の場合と全く違う。
 しかし、ジャンボジェットが余命僅かと聞いて、この高度成長やバブルを体現するような飛行機に一度乗っておきたい、と思い、春の北海道旅行の帰りに、珍しく機種を選んで乗ってみた。飛行機には何度も乗ってきたが、ジャンボに当たったことはなかった。

 ご承知のように、JALのジャンボジェットは既に引退してしまったので、ANA便であるが、これも数年のうちに引退となるようである。収容力が大きい分、小回りが利かないので、東京~札幌便のような幹線にしか入らない。
 鉄道車輌で言うと、かつての80系電車とか、そういう短編成化困難な幹線向け車種に相当するだろう。先端を行く属性が晩年には仇となり、ローカル転用に難があったため戦前形国電よりも先に廃車になるという短命な形式に終わった。
 そんなわけで、地方に住んでいるとなかなか乗れないのである。北海道から乗継便で帰ることにしたら、新千歳発羽田行の便にジャンボを選ぶことができた。

 もちろん機内でケータイを使うわけにはいかないので、機内の写真がないのは申し訳ないが、そういうのはいろいろな彩図に出ていることだろう。
 乗るなら二階席、と思っていたので、二階の窓際を指定して予約した。飛行機の中に階段がある、というのもわたしには新鮮だ。階段が嫌われるのか、飛行機全体の込みように比して、二階席は空いていた。新幹線と違って、二階だから特に景色がいいわけでもない。
 当然、専属の客室乗務員が二名、狭い二階席を行き来している。これは人件費の効率も悪い。淘汰されるのも無理はない。
 ただ、坐ってみて、単純に座席としては悪くない、と思った。なにしろ、機体外壁の丸みの都合であろう、席と窓の間に適度な空間があって、そこに荷物などを置けるのである。一般に飛行機の座席というのは占有空間が小さいが、ここは破格の広さであり、一階と同じ値段なのが申し訳ないほどだ。
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 一階と二階とで乗り心地や安全性に差があるのかどうか、わたしには分からないが、横幅はあるのに前後は狭いという、他にあまりない席に着けた体験は、なかなか貴重であった。引退までにまた乗る機会があるといいのだが(写真は、新千歳空港で機内整備中のジャンボジェット)

(平成23年3月搭乗)

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最後のホーバークラフト

 昨年十月末をもって、大分市街と大分空港とを結ぶホーバークラフトが、営業を休止した。
 かつてはけっこう各地で運行されていたと思うのだが、いつの間にかここだけになっていたのである。かくして、現在はわが国でホーバークラフトの定期運行は絶滅した。

 
 この休止の報を聞き、慌てて乗りに行った。10月になってからである。一度乗りたいと思いながら果たせていなかったのである。9x111160 9x111170
 「ひかりレールスター」と「ソニック」の臨時便を乗り継いで、大分に向かう。小倉(こくら)駅には臨時便の乗車口もちゃんとホームにプリントしてある。佐久間(さくま)レールパークの時もそうだったが、今はこういうのは簡単かつきれいに貼ったり剥がしたりできるのだろうか。列車の側面方向表示にも「臨時」とちゃんと書いてある。LED表示はこれまた自由自在だ。

 

 大分(おおいた)駅からホーバー乗場まで、連絡バスが出ており、大分交通が運行している。
 せっかくの水陸両用の乗物なのだから、駅にホーバーを横付けするといいと思う。が、それは素人考えで、実際は一般道路をクルマと伍して走るわけにいかないし、専用の走行路を設けるのも大変な費用がかかる。バスに乗ってみると、ある程度幅員のある道路ばかり走ったので、いっそ路面電車のようにセンターリザベーションしたホーバー走路を道路中央に設けるのもインパクトがありそうだが、まあ休止とあっては詮ないことである。

 
 とにかくそのバスに乗る。廃止寸前のホーバーだから、ほとんど乗る人がいないのかと思ったが、バスは小型ながらちょうど席が埋まるほどには乗っている。廃止を聞いて、それならと乗ってみる人もいるのであろう。バスはこの路線専用のようで、「ホーバーバス」のロゴやホーバーのイラストが側面に描かれている(写真左はホーバーバスの側面と乗場に着車するホーバーバスの前面)9x1114619x111483 
 面白いことに、空港特急バスの乗場はホーバーバスの乗場と至近距離にある。こちらも同じ大分交通の運行なのだ。ライバルの連絡バスを担当しているのはなかなかの武士道だが、歴史的な経緯があるのだろう。
 しかし、乗換なしで運賃も安い空港特急バスがすぐ脇から出るとあっては、ホーバーの利用も減るだろう。ホーバーが僅かにリードしているのは所要時間で、ホーバーバス及び乗継の待ち時間を含めても、空港特急バスより十分ほど速い。ただ、十分というのは乗継の手間で帳消しになる程度の差でしかない。
 空港特急バス乗場には大きな荷物を持った人がたくさん並んでおり、今どき珍しくなった、私服の切符立ち売りのおばさんが一人一人に声をかけては金を受け取り切符を手渡している。
 発車したホーバーバスは、市内の停留所でも数人の客を乗せ、立客が出たが、十分少々で終点に着いた。バスの方向幕は「ホーバーのりば」だったが、停留所表示は「ホーバー大分基地(おおいたきち)」となっていて、なかなか未来的である。9x111460 9x111470
 ホーバーの大分側ターミナルは、どこにでもありそうな船の乗場という感じである。付帯の駐車場は意外に広く、クルマが犇いている。クルマで直接ここまで乗りつける人の方が多いらしい。空港駐車場の役割も一部担っているのだろう。
 建物に入ると、切符売場・売店・喫茶スタンドとひと通りの物はある。それ以上の物は全くないが、これも皆今月で閉店することになる。ホーバーバスはホーバーの出航五分前に着くダイヤなので、既に乗船口には長い列ができている。切符売場へはその列を横切って行かないといけないのが難点だ。
 札止めにはなっていないので、まだ定員には余裕があるのだろうが、わたしは出航の様子も見たいので、次の便を待つことにした。

 
 乗船口脇に見送り用のスペースがある。空港が遠いので、ここで見送る人も少なくないのかもしれない。あるいは、ホーバーという珍しい乗物を見物に来る人が多いのか。そこに、「会社更生法申請のごあいさつ」という貼紙がある。
 切符を買ってからそのスペースに立ち、外を見ると、既にホーバーが据え付けられている。乗降は陸上で行うので、タラップの取り付けも容易だ。乗船が始まっているが、窓が飛沫で汚れていて、船内はよく見えない。ホーバーをバックに記念撮影してから乗込む客もいる。9x1114849x111472
 船舶はどんな種類でもそうだが、人手が多くかかる。地上の係員やら船員やらが行き来しているし、もぎりは管理職らしい初老の恰幅いい男性が務めている。ただ、感心するのは、廃止・会社解散が迫っているというのに、彼ら彼女ら皆表情が明るいことである。海に生業を求める人特有の気風なのか、再就職の道が確保されているのか、いずれにしてもよいことである。
 客を乗せ終えてタラップが外されたホーバーは、スカートを膨らませて船体が持ち上がると、さっさと海に入っていき、すぐに姿が見えなくなった。汽笛とテープで別れを惜しむ船の旅情とは無縁だが、このスピードがあればこそ利用されてきたのだ。ホーバーの最高時速は陸海問わず90キロである。
 この出航の様子だけは、言葉を尽くしてもお分かりになりにくいと思うので、当ブログには珍しく、動画をお目にかける。

 四十分ほど待つと、次の便の乗船が始まる。いよいよである。

 客席はかなり高い位置にある。わたしは右側の窓際に席をとった。
 船室内は、二列−四列−二列という座席配置で、高速艇にもよくある感じだ。面白いのは、操縦席が客席から独立していないことである。路面電車の運転台のように、操縦席直後には仕切り板があるが、それ以外の所は開けっ広げだ。横幅はかなりあるので、客席最前列から前方はよく見えるし、計器類もまる見えである。子供連れは嬉々としてそこに坐る。9x111575
 出航のアナウンス、客席にも緊張がはしる。

 すぐにふわり浮き上がり、滑って着水する。エンジン音はかなり大きく轟いている。水陸両用バスを思い出すが、あれよりはずっと速い。水面がこんなに速く後ろにとんでいくのは、初めての体験である。揺れは高速艇とあまり変わらないが、結構体に堪える。シートベルトを締めるよう、アナウンスがあるが、従う客は少ない。

 
 大分空港のアクセスにホーバークラフトが採用されたのは、空港が国東半島の先の沿岸、大分市街から遠く離れた所に造られたという事情による。以前は道路が整備されていなかったため、陸路空港へ向かうと、相当な時間がかかったのである。現在でも一時間かかっている。別府湾をまっすぐ横切った方が速いのである。そこに、客船としては最も速い部類に属するホーバークラフトが割り込む余地ができた。
 以前は、本州と四国とを結ぶ国鉄の宇高連絡船の急行便としても、ホーバークラフトと高速艇が運航されていた。わたしは今となっては残念なことに、普通便のフェリーと高速艇にしか乗ったことがない。列車は普通便に接続するダイヤだったし、学生だったわたしにとって、わざわざホーバー急行券を買って数十分短縮するメリットはあまりなかった。瀬戸大橋開通とともに、ホーバー便は廃止となった。
 その他の路線もいつしか廃止されていった。マイナーな乗物なので、個々の路線の廃止が騒がれることもなく、気がついたらこの大分だけになっていたのだ。これほど早く姿を消すのなら、もっと乗っておけばよかったと思う。 9x111464

 さて、湾内なのでそれほど波が高くないものの、モーグルのように動揺を繰返しながら快走するホーバークラフトである。もう少し性能や乗り心地を改良した新型船ができればいいのだが、残念ながら、もはや国内での製造は終了している。これもこの航路が休止する一つの理由である。他の廃止航路から移籍した船も含め、四隻所有しているホーバーの耐用年限も迫り、騙し騙し運航しているようなものなのである。
「間もなく、大型カーフェリーの航跡を横切ります。大きく揺れる恐れがありますので、ご注意ください」
というアナウンスが入る。別府観光港に出入りする、本州や四国とを結ぶフェリーだろう。しかし周囲を見回してもフェリーの姿は見えず、通ってからかなり時間が経過しているようだ。それでも船の大きさが全く違うので、揺れに影響するのだろう。なるほどいちだんと大きく船体が持ちあがったかと思うと、どすんと落ちる。客席のあちこちから申し合わせたように、
「ふおーぉ」
などという喚声があがる。
 左側の船窓に、僚船が大分に向かうのが見える。所要時間と運航本数からすれば、一隻あれば運航できそうなのだが、そこは空港アクセスの宿命、飛行機の離着陸に合わせたダイヤにしなければならず、等時隔の運航にはできない。こういう効率の悪さも、不採算を招くのだろう。

 
 やがて空港の堤防内に入る。定刻より五分ほど早いペースだ。修理交換のきかないホーバーをいたわるため、以前よりスピードを落とした運航になっていると聞いたが、今日は頑張ったらしい。堤防に沿って航行するので、より速さが分かりやすい。これは船ではなく鉄道の速度である。
 空港側は、陸地に上がってから乗降場まで、走路が数百メートルもの距離に及ぶ。しかもそれがS字カーブを描いているのである。こここそがホーバークラフトの真骨頂ともいうべき箇所である。
 陸地に上がっても、船の動き方である。左カーブにさしかかると、前に進みながら船体の向きを徐々に横に向け、とうとうわたしのいる右窓が前になってしまい、横に滑走する。次に針路が船の向きに合致し、少し進むと今度は右カーブである。船のお尻が振られ、後ろに引っ張られるようになる。
 要するに、クルマで言うドリフトのような走り方をするわけで、これが通常の動きだという。飛行機の姿も見えてきて、空港側乗場に入ると、ぐるり一回転して停まる。あくまで船なので、その場で回旋できるのは当然だ。が、それを陸上でやられるのは、斬新である。
 この箇所の走行も、窓から撮影した動画をご覧いただく。

 

 空港側乗場は、大分側よりはしっかりした建物に見える。動く歩道が設けられた長い通路で空港ターミナルビルとつながっている。通路から乗場を見下ろすと、多くの客がホーバーを囲んで撮影などに興じている。9x111562_29x111585_2 

(平成21年10月乗船)

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松山から広島への高速船

 松山から広島へは、フェリーで渡ったことが一度ある。当時は並行して水中翼船が運行されていたが、学生だったので、その急行料金を払ってまで乗る余裕がなかった。フェリーの船旅ももちろん悪くはなかった。
 久しぶりにこの航路を利用することになり、水中翼船はもうないが、代わって就航した高速船に乗ってみよう。

 松山・広島ともに港は町の中心から外れた位置にあるので、アクセスには電車を使うことになる。

 伊予鉄松山市駅前の電停には、最新型のノンステップ車や、レトロな路面ディーゼル機関車が牽く「坊っちゃん列車」が発着する。
 この「坊っちゃん列車」の機関車はSLを模した形状なので前後が決まっているし、常に客車の前に連結しなければならない。だから終点での方向替えと入換は大変な手間がかかるのだが、この松山市駅前にターンテーブルなどはない。どうするのかと見ていたら、まことに奇想天外な方法でなされた。言葉で説明するのは困難なので、「坊っちゃん列車 方向転換」といったキーワードで動画を検索していただくのがいいだろう。

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 乗るのはこの市内電車ではなく、郊外線の高浜(たかはま)行である。京王井(い)の頭(かしら)線で走っていた電車が改装されて使われているが、3輌という、地方私鉄にしてはなかなか長い編成である。
 大手町(おおてまち)では市内電車と平面交叉する。鉄道と軌道の営業線路が平面に交わり、踏切をなしているのは、全国でもここだけになった。市電がこの電車の通過を待っているのが見える。
 しかし、古町(こまち)に来ると、左側から市内電車の線路が合流してきて、構内で連絡する。ここでは対等の関係のようだ。複雑な歴史が反映している。
 高浜へつながる線路は、これも地方私鉄としては破格の複線であり、ダイヤには余裕がある。しかし終点一つ手前の梅津寺(ばいしんじ)で複線は終わり、一駅だけ単線区間となって高浜に終着する。

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 ここから松山観光港へは近いのだが、線路はここまでなので、駅前からバスが連絡する。日中はほぼ全ての電車にバスが接続している。

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 バスは僅か二分ほどで松山観光港ターミナルに到着した。この程度の距離なら鉄道を延伸すればよさそうだが、昔から構想はあってもなかなか話が進まないようである。

 以前来た時からは改装されて様子が変わっているとみえるターミナルビルは、それなりの規模である。が、現在発着する航路は、広島と結ぶフェリーに高速船、それと別府(べっぷ)への夜行便しかない。少々規模をもてあましているようにも思える。かつてはここから大阪へのフェリーに乗ったこともある。
 二階に飲食店があるが、多くを占めているのはブライダル関係の会社である。その会社が喫茶もやっているようなのだが、なんだか華やかな構えで、入りにくい。
 二階からフェリー乗り場へブリッジが伸びている。そこから先発のフェリーが見える。

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 わたしが乗る高速船は、ターミナルビル一階正面に見えている。
 電光掲示には「案内があるまでお待ちください」と表示されている。待合室に表示しているからには、この待合室で待て、という意味なのだろうが、出航二十分前くらいになると、勝手に桟橋に出る人がちらほら出てきた。
 

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 電光掲示は変わらないので、わたしは待合室に坐ったままだが、出た人も戻ってくる様子がない。十分前になっても何の案内もないので、待ちきれずにわたしも外へ出てみた。果たして桟橋に列ができていて、タラップが掛かると、船員はなんのためらいもなくその列の先頭から改札を始めた。
 いつも利用する人には慣れた手順なのだろうが、案内とくい違う扱いには合点がいかない。常連を優遇し一見を排除したい気持ちは分からないではないが、そういうことはもっとスマートにやってほしいものである。とかく船にはこういう馴れ合いがあるものだが、これは離島への渡し船ではない。県庁所在地同士を結ぶ航路なのだ。

 しかし、帰省ラッシュのピークはもう終わっていたので、満席になることはなく、わたしは窓際の前から二列めに席を取ることができた。
 後で気づいたが、最前列の席だとコンセントが使えるのである。スマホを充電すればよかった。
 出航時、女性船員のアナウンスには苦笑した。
「船室内での携帯電話のご使用は、他のお客様のご迷惑になりますので、ご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます」
 何かと物議を醸すこの言い回し、かなり蔓延しているから、誤りと退け去るわけにもいかないとは思うが、こういう公的なアナウンスで堂々と使われるのは初めて聞いた。客に対して使う表現ではない。
 どうも、いろんな点でこの航路は洗煉の度合いが低いようだ。

 瀬戸内海だから揺れは少ない。まさに滑るような航海である。島が多いので、退屈しない。
 広島行には呉(くれ)に寄港する便と直航する便とがある。この便は寄港便なので、音戸(おんど)大橋の下を通る。小ぶりな高速船とはいえ、音戸の瀬戸を通過するには細心の注意が必要なようで、かなり速度を落とした。
 手前の音戸大橋に続き、奥の第二音戸大橋と続けてくぐる。第二の方は今年開通したばかりの新しい橋だが、この二橋が完成した現在も、渡船が存続している。倉橋島(くらはしじま)との往来はかなり旺盛らしい。
 
 

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 間もなく右に軍港呉、さらにその市街が一望でき、呉港に入る。
 ターミナルビルの左に見えているのは、「大和(やまと)ミュージアム」で、戦艦「大和」に関して、模型をはじめさまざまな資料が展示されている。

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 呉から広島へは、鉄道だと抉るような湾岸を辿るので距離があるが、港から港は意外に近い。勝手知った広島宇品(うじな)港に入港した。
 ここからは広島電鉄の市内電車で市街に向かうことができる。待っていたのは元京都市電の車輌であった。松山の市内電車にも、元京都市電がいるから、面白い呼応と言えよう。
 

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(平成25年8月乗車船)

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船の科学館と羊蹄丸

 お台場にある「船の科学館」が、この九月に閉館となった。施設の老朽化などが理由のようで、また新たな形で展示は再開するそうだが、鉄道趣味人としては、ここで係留・公開されていた元青函連絡船・羊蹄丸(ようていまる)が観られなくなることが、気にかかる。お台場だからいつでも行けると思って、今まで行かないできた。
 それで、閉館の迫った九月中旬に出かけてみた。

 ゆりかもめの船の科学館駅を降りてすぐ、大きな船、と見える建物が見える。入口まで炎天下けっこう歩かされたが、中に入る。閉館を控え、入場料は大幅な割引となっているため、館内は相当混雑している。 

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 煙突のように見える展望台にはエレベーターで昇ることができる。
 そこから下界を眺めると、意外に緑が多い埋立地をゆりかもめが行き来する様が、映画のセットか何かのように見えている。南西側に立つと市街地から羽田空港の方まで見渡せた。

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 そして、東側には科学館の付属施設である二隻の保存船舶がある。手前が初代の南極観測船「宗谷」、奥が羊蹄丸である。
 「宗谷」は、軍艦を改造したということもあって、思ったより小ぶりでスマートな船である。青函連絡船と比べても、こんなに小さい。

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 さて、メインの建物を出て、二隻の方へ歩いていく。
 「宗谷」の中は、長身な方のわたしにとっては、船内で背筋を伸ばして歩ける所がほとんどない。戦前の日本人の体格に準じているのだろう。乗組員の居室は、船なのに列車寝台並みに狭く、厳しい勤務が偲ばれる。

 羊蹄丸の手前には、この船のスクリューが展示されている。つまり羊蹄丸は、水に浮かんではいるが、もはや自力では航行できない、ということである。閉館後の譲渡先が公募されていたが、この大きな船をどこかへ曳航することになるのだろう。

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 船内は展示館としてかなり内装に手が加えられていて、青函連絡船時代を思わせるような痕跡はほとんど見あたらない。客室や食堂は跡形もない。拍子抜けしたが、それでも船体がこうして保存されていること自体、貴重なことだ。
 最下階の床がシースルーにされていて、エンジンが覗けるようになっている。この機関室の中も見学できるツアーが、人数を限定して毎日募集されていたそうだ。
 操舵室は、現役時代にも見学したことがなく、ここは機器類が比較的原型を保っていたので、面白く見回ることができた。

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 アトラクション的な展示として、昭和戦後頃の青森駅周辺の情景を再現したエリアがある。客車や機関車は実車のようである。これらの車輌も貴重だと思うが、閉館後はどうするのであろうか。
 周囲には、駅の手荷物受付窓口や、駅前の市場なども実物大で造られていた。

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 船内の展示をひととおり観終えて、甲板に出てみる。
 わたしにとっては、ここが最も青函連絡船を思い出させる場所であった。青函連絡船は、昭和63年3月の青函トンネル開通と同時に本運航は廃止されたが、その後青函博覧会に合わせて三カ月ほどの間だけ復活運航された。
 わたしはその時期に、まさにこの羊蹄丸で青森から函館に渡った。その時も夏であり、四時間弱の航行時間の多くをわたしはこの甲板で過ごした。
 また、本運航の最終日にもわたしは十和田丸で函館から青森へ向かっている。その時は、多くの人の思いが交錯して、胸に迫るものの大きい航海となった。十和田丸の甲板からも、すれ違う摩周丸に手を振った。青森で下船口に立ち、搭乗客一人一人と握手を交わしていた船長の、引き締まった表情の上に震え落ちそうになっていた涙の滴は、忘れることができない。
 甲板を見回したとたん、そんないろいろなことがいちどきに眼底を去来した。

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 貨車が出入りしていた車両甲板入口は当然閉じられているが、これこそ鉄道連絡船だった証だろう。

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 譲渡の公募には、意外にも多くの問い合わせがあったという。できるだけ現状に近い展示がなされることを望みたかったが、残念ながら解体されることが決まったそうだ。

 なお、船の科学館本体の展示についてはほとんど書かなかったが、あれはあれで相当見応えのある内容だった。特に、多数の精巧な船の模型は、単体でも価値がありそうな物ばかりが、何十と並べられていた。
 お台場がその名で知られるようになるはるか以前から船の科学館は存在していたのであり、いわば埋立地の生き証人である。この科学館も、早期に何らかのかたちで再開してほしいものである。

(平成23年9月訪問)

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別府ゆけむり号~ フェリーに乗る路線バス 

 以前は、定期の路線バスが客もろともフェリーに航送されて海を渡る、という例が結構あった。瀬戸内海を渡るのが多かったが、そのほかにも伊勢湾や有明海を横断する路線があったそうだ。しかし、現在残っている定期路線は、広島と大分とを結ぶ「別府ゆけむり号」くらいしかみあたらない。
 減ってきた理由は、バス路線やフェリー航路そのものの需要不振、高速道路ことに架橋の進展で航送が不要になった、などいろいろあるのだろう。島国にしては例が少ないように思うが、陸路を行くよりもフェリーに乗る方が時間が短縮され、しかも一定の需要が見込まれる二地点間、というのは今どきそれほどないのである。行き来の需要があっても、よほどまとまった流動でなければ、両岸で客自身に乗り換えさせた方が運行側は楽であるし、バスの車輌も効率的に運用できる。

 ともかく、最後に残った路線がどういうものであるのか、乗ってみることにした。

 大分駅近辺のバス乗り場は、あちこち分散していて、分かりにくい。大分駅のロータリー内にあるのは近郊路線の乗り場であり、長距離の高速バスなどは、少し離れた路上停留所に発着する。わたしのチケットには「トキハ・フォーラス前」という乗車地が記されているが、その所在も定かでない。
 一日一往復しかない広島便の乗り場を見つけるのはなかなか難しく、駅前の大通りを眺めてトキハというのがデパートの名であることだけは分かる。そのトキハの一階にバス案内所があったので、そこで訊ねてみた。すると、若くて声の大きい女性係員は、わざわざカウンターから外へ出て来ると、わたしを前の歩道まで誘導し、指をさして道路向こう側の乗り場を案内してくれた。
 大分駅の改札でも構内の食堂でも、女性係員に同様の接し方をされていて、九州の女性の気さくで活動的なところをまとめて見せられた感じである。

 
 教えられた乗り場へ行ってみると、郊外の団地へ通じるバス路線が発着するブースであった。このブースの手前には、「高速バス降車場」と大書された看板も立っており、本当にここから乗れるのか、と不安になる。しかし、ごちゃごちゃ貼られた各種時刻表の中に、「広島行」の文字をやっと見つけた。
 そこで待っていると、何台かの高速バス九州内路線の降車を順番待ちした後、広交観光と書かれたバスが着車した。「別府ゆけむり号」は広交観光と大分交通が隔日で担当する。二日ごとの路線に専用車輌を用意していられないのか、愛称などはマグネットシートで貼り付けてあり、運転台の料金箱にカバーがかけてある。コンビニで買ったチケットを運転手さんにチェックしてもらい、指定された右側最前列に坐る。 

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 ここまでに大分市内数カ所の停留所で乗車を扱っているが、乗っていたのは二人だけで、このトキハ・フォーラス前でも六人しか乗らない。
 発車したバスは、すぐに大分市街を出て、海沿いの広大な幹線道路を行く。国道10号であるが、片側三車線の広さが延々続いている。
 別府と大分を結ぶ主要道路で渋滞が激しかったが、山が海に迫っていて拡幅もままならなかったので、並行していた軌道線である大分交通別大(べつだい)線(別大電車)を昭和四十七年に廃止して、その軌道敷を利用して拡幅したという。しかし、海側を見ると、護岸や埋立の跡が見られる。本当に電車を廃止しないと拡幅できなかったのか、と思う。
 別大電車は、両都市や高崎山(たかさきやま)などの観光地を結んで走る路面電車であり、客が少ないわけではなかったと想像される。その時代に、電車を近代化・高速化することにより、客がクルマから移行して渋滞が緩和される、という発想がなかったのはいたしかたないにしても、どうも厄介払いの口実にされたのではないか、と疑わしい。長崎のような生き残りの途もあったのではないか。

 別府市内でも乗降を扱う。北浜(きたはま)に停まったが乗車はなく、交通ターミナルでまとまった乗車となった。それでも、埋まった座席は半分程度だ。
 別府湾岸に沿い、北へ、続いて東へ向きを変えていく。東向きに曲がりきった所が、城下がれいで知られる日出(ひじ)である。ここにも停まるが乗車はない。ここからはまた北向きに転じ、山越えにかかる。日豊本線と縺れ合う。

 宇佐(うさ)で停車した後は、わたしにとって未踏の地である国東(くにさき)半島に歩を進める。北岸に沿って北東に向かう。しばらく行くと、かなり開けた街が現れる。鉄道でばかり行き来していて知らないままでいたが、日豊本線から外れた所に、こんな明るく子供たちの姿が目につく街があるのだなあ、と思う。ここは豊後高田(ぶんごたかた)で、あちこちに「昭和の町」という看板が掲げてある。バス道からは窺えないが、昭和三十年台を旨とした街並みを整備して観光客を呼び込んでいるようだ。
 その豊後高田の新町(しんまち)停留所で、バスに向かって手を挙げる老婦人がいる。ここから乗車する予約が入っていなかったようで、運転手さんは慌てた様子で急停車させた。老婦人は、
「徳山(とくやま)に行きたいんだけど、乗っていい?」
 と叫ぶ。週末なのに、大荷物を持って路上停留所から飛び込み乗車とは、なかなかに大胆である。豊後高田には予約窓口がないのかもしれない。このあたりから大阪や東京へ行くには、時間さえ合えば、このバスで徳山に出て新幹線に乗るのが最短経路だ。運転手さんが予備席らしい後方の座席を指示する。
 豊後高田の市街を出ると、海岸に沿う。国東半島は、山の尾根が四方に張り出してそのまま海に没しているため、リアス式海岸をなしている。だから、国道213号は海面より高い所を曲折しながら上下する。宇佐八幡の近傍だからか、沿道には次々と神社が見え過ぎていく。
 前をかなり緩慢な走り方をしている軽乗用車が塞いでいるので、バスはスピードを出せない。左側のサイドミラーには、バスの後ろにクルマの列ができているのが見える。お年寄りの運転かと思って垣間見ると、どうも小さな子どもを乗せた若いお母さんである。

 大きくカーブして竹田津(たけたづ)地区に入る。竹田津と聞くと専門柄、小学校の国語教科書などに乗っていた「きたきつねの子ども」などのエッセイで知られる竹田津実(たけたづみのる)氏を思い出す。このあたりのご出身と聞く。
 国道を外れて北へ折れるといよいよ、小さな竹田津港である。

 竹田津港には十三時四十五分頃、ほぼ定刻の到着だ。雑貨屋を兼ねたような待合所の前に、停留所ポールが立つ。ここが大分県側最後の乗車地である。しかし乗車はなく、バスはそのままバックしてトラックと並んで大型車の待合スペースに入ってドアを開けた。まだフェリーは入港していない。
 フェリーの出航は14時20分、乗船は十四時五分頃の見込みなので、それまで休憩となる。ほとんどの客が外に出た。 

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 やがて徳山からの「フェリーくにさき」が着き、クルマが続々、というほどの台数でもないが、下りてきた。そのなかに、大分バスの「別府ゆけむり号」大分行もいる。一日一往復なのに、二台が途中で行き違う贅沢な運用である。フェリーのダイヤに合わせるとそうなるのだろう。あちらは竹田津港での降車がある。港で降りる場合でも、フェリーからはバスに乗って出てこないといけないことになっている。
 折返し整備が手早く行われているらしい。小さなターミナルビルが船の姿を隠している。
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 岸壁から係員が走ってきて、慣れた様子で待機場のトラック一台ずつに合図を送っては、乗船口に誘導していく。港に先に来た順に乗せるらしいが、整理券などを発行している様子はなく、係員はちゃんと覚えているらしい。その程度の台数である。むろん、満車状態になったとしても、この路線バスは優先で所定便に乗れるのだろうが、そんなことは年に何回もなさそうである。バスが渋滞で遅れることもあり得るだろうが、余裕時間がかなりあるので、乗り遅れることもまあないだろう。
 隣のトラックは、ハンドルの上に乗せられた運転手の足だけが見える。係員がドアを叩いて起こし、すぐに動き出す。いよいよこちらのバスも、フェリーに乗り込む。薄暗い車輌甲板から、狭い階段で客室に上がる。

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 客室には長椅子が並ぶスペースと、棧敷席とがある。桟敷は家族連れやトラックドライバーが好んで占めるようである。バスの客はだいたい長椅子に腰掛ける。パブリックスペースとしては、ゲームコーナーを兼ねた粗末なラウンジがある。テーブルがいくつか並んでいるので、わたしはそこで持ち込んだサンドイッチなどを食べた。売店はかつて営業していた痕跡はあるが、シャッターが中途半端に閉まっているのが侘びしい。
 二時間ほどの船旅だが、静かな瀬戸内海だから、もの足らないほど揺れない。みんなとろとろしている。
 徳山までは北北東に一直線だが、もし宇佐あたりから徳山まで道路でゆくとすると、この航路を底辺とした鋭角三角形の二辺を辿らねばならない。三角形の頂点は関門橋(かんもんきょう)であり、そこを通らねば本州と九州とを行き来できないからだ。距離にして四倍ほどにもなるだろう。これでは、さすがにフェリーに便乗した方が早いわけで、冒頭に記したような稀有な条件を満たす区間となり得た。
 鉄道でも事情は同じであり、本州から大分・宮崎方面へは、行って戻るような大迂回になってしまう。瀬戸内海航路が発達したわけだ。現在は当然航空機が主流である。
 荒天などでフェリーが休航となるときは、「別府ゆけむり号」も陸路を迂回して運行されるとのことだ。その場合はダイヤも一時間以上の延着となる。
 広島と大分との間には、かつて直航のフェリーなどもあった。が、需要の鈍化により廃止され、フェリー区間が最短となるこのスオーナダフェリーだけが残っている。ここも経営は決して楽ではないようであり、定期バスの利用はありがたいことであろう。

 こんもりと盛り上がったような島がいくつか過ぎると、徳山入港のアナウンスが流れる。「おクルマの方は車輌甲板へ」などという言葉はなかったが、皆慣れた様子で階段を下りていく。わたしだけがもたもたしていたので、わたしが乗り込んですぐ、バスのドアが閉まった。バスのエンジンは止まっているが、甲板の床面を通して船の振動がバスの座席に伝わってくる。それは意外なほどバスのエンジンと似通った揺れ方であった。油臭い匂いが漂ってきて、周囲のトラックたちが身震いし、このバスのエンジンもかかった。
 乗ったときとは反対側の出口から徳山港に上陸した。ここでもターミナルビルの傍らにポールが立っている。
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 山陽本線のアンダーパスを潜って、駅付近の路地に停まり、何人かを降ろす。地元の防長(ぼうちょう)交通バスが幅をきかせる駅前広場には入れないのだろうか。この「別府ゆけむり号」の徳山乗降の場合、乗車券の発売は防長交通が扱っているはずである。が、街中で擦れ違う防長交通バスとの間で挙手の礼などはない。
 市街を北上して、道幅の広い国道2号に出た。この道は、歩道とも車道ともしっかり分離された自転車レーンがずっと続いており、安心かつスムーズに誰もが通行できるようになっている、すばらしい大通りだった。
 山陽自動車道に入って広島に向かう。インターを下りると、新交通システムのアストラムが上空を走る広い幹線道路を南下する。途中でアストラムの中筋(なかすじ)駅に停まる。路上停留所かと思っていたが、小さいながら駅前のバスターミナルがある。市街中心からインターへの順路なので、各方面と結ぶ高速バスが頻りに発着している。アストラムの終点である本通(ほんどおり)駅も、広島バスセンターと似たような場所にあるので、どちらかというとJR可部(かべ)線の古市橋(ふるいちばし)駅あたりに寄った方が、広島駅やマツダスタジアムへ行く客には便利だと思うが、それでは廻り道になるためか、寄らない。

 市内が渋滞していたので、少々遅れて広島バスセンターに着いた。六時間近い行程だが、間に気を変えることのできる船旅が挟まっているので、さほど長くは感じない。

(平成23年6月乗車)

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神戸の水陸両用バス

 水陸両用バスというのが、徐々に各地に拡がりつつあるが、初めて定期運行を始めたのは、神戸である。
 以前から乗ってみたいと思いながら、なかなか機会がなかった。運行開始当初は珍重されて連日満席が続き、処理しきれなくなったのか、ウェブ上での予約受付が中止されてしまった。電話して予約をとるのも面倒で、そのままになっていたが、やがて運行会社であるダックツアーの彩図には、「連休もまだ空席があります」などという「お知らせ」が載るようになってきた。
 当初の人気も鎮静化してきたようなので、昨年の11月に乗ってみることにした。

 乗場は中突堤のポートタワー向かいにある駐車場内で、小さなサインが掲げられている。発車二十分前くらいに行ってみると、バスは既に停まっていて、客の影は見えない。夕方の便だから、乗る人が少ないのかもしれない(写真右)8y1815558y181515
 少しして、男性三名、女性一名の係員が現れたので、名前を告げて料金を払う。すると、
「この便の予約はお客さま一人だけです」
と言う。そして二人の男性係員は、バスの側に立って、あたりを散策する人々に呼び込みをかけはじめた。海の男であるためか、呼び込みの口調はそれほど上品ではない。が、それに釣られて、三組六名の客が乗りこんだのだから、大したものではある。

 男性係員のうち呼び込みをしない初老の男性は運転手であり、女性はそれほど若くはないが元気のいいガイド嬢であった。
 ガイド嬢は、気さくに一人一人の客に話しかけ、全員に自己紹介を促し、和気藹々たる車内となった。運行開始から約一年で、全国全ての県からの客を乗せることができた、今後は世界の国全部を目指したい、とガイド嬢は意気盛んだ。それは難しそうだが、実際乗り合わせた客の一人はフランスからの人であった。
 七人の客を乗せて水陸両用バス「スプラッシュ号」は、出発した。一般道路に出てすぐ、ガイド嬢も自嘲気味に言ったが、エンジンの騒音が酷く、振動が直接尻から伝わってきて、乗り心地はいいとは言えないし、スピードも遅く、遠慮がちに左端車線を走っている。

 この水陸両用バスは、もともと米国GM製で、軍用車として六十年ほど前に設計されたものなのである。この「スプラッシュ号」は、実際に軍事使用はされず、水害救助車として備えられたのち、観光用に転じたものである。乗り心地を考えて設計してはいないわけである(写真左は、「スプラッシュ号」の運転・操舵席。米国製なので左ハンドルで、水上航行用の機器は右側に並んでいる)8y181634

 「スプラッシュ号」は、戦前からの洋風建築が並ぶ海岸通を東進、左折して東遊園地を左に見ながらフラワー・ロードを北上する。つまり、神戸の都心ど真ん中の三宮を通るわけで、人々の視線が自然に集まる。しかも、航行のために、客室の位置がかなり高い。ダンプカーの荷台に乗っているようなものである。
「雅子様の気分を味わえますよ」
とガイド嬢が言うとおりだ。沿道から手を振ったりカメラを構えたりする人に、わたしたちも手を優雅に振りかえす。
 客席の最後部はオープンデッキになっているので、風が冷たくなければ、気分がよい。

 運行開始当初のこのツアーは、もっと所要時間が長く、陸上・海上ともコースが大がかりであった。間がもたなかったのか、もっと便数を増やして効率化するためか、都心の近くだけを巡って、防波堤内を一巡りするだけのコースに簡略化した。
 これは、ハーバーランド内に専用の着水場を確保したことにもよる。

 加納町交叉点から中山手通に左折、さらに北野町異人館街へと進んでいく。下車観光はしないので、車窓からのガイドのみだが、大型の観光バスは道が狭くて異人館街までは入れず、北野工房の町での乗降になる。その点では、車体が小さいために乗ったまま異人館を眺められるこのバスはお得である。
 さて、北野町を一周りして今度はトア・ロードを海岸通まで南下、西進してハーバーランドに入っていく。モザイクの脇を抜けると、いよいよ着水場に着く。さっきは出発地にいた係員が移動してきて、水門を開けてスタンバイしている。
 着水場の周囲は、遊歩道や広場になっている(写真右の左。船から写すと、足湯のようにしか見えないが、ここが着水場)。散策していた人も、足を停めてこちらにカメラを向ける。また、広場でスケボーに興じていた少年たちも、練習を中断して集まってきた。

 海に入る前に、全員が救命胴衣を装着しなければならないので、暫し停車する。その間に運転手さんは機器を切り換えたりする。何でも、他にも水陸両用バスを運行している所はあるが、ほとんどが陸上と水上とでは違う人が操縦する。同じ人がクルマの大型二種免許と船舶の免許と両方を持っていて、交替なく運行するのは、この神戸のツアーだけだそうだ。93091404 930914018y181605   

 救命胴衣の確認が済むと、ガイド嬢の音頭で全員でカウントダウン、一気に海に入り、水しぶきを上げる(写真右の中。もちろんこれは別の日に撮ったもの。右の右は、完全に着水し、船となった「スプラッシュ号」)。このしぶきが「スプラッシュ号」の名の由来である。船内外両方で拍手が起きる。
 着水場の出口は、跳ね橋になっていて、これもハーバーランドの見どころの一つである。

 海からは、神戸の町が絵葉書のごとく綺麗に見えている。ガイド嬢が言うには、夜景を見られるこの便がお勧めなのだが、時間が遅いせいか、あまりお客さんが乗ってくれない、とのことだ。8y1817428y1816728y181695 
 なるほど、このくらいの季節だと、ちょうど灯がともりはじめる頃合いに海に入ることになる。ゆっくりと海に出ていくと、正面にはさっき出発したメリケンパークが見えてくる。
 折しも、中突堤には大きな客船が碇泊している。海のブルーグレー、船の白、ポートタワーの赤、そして山なみの緑が、鮮やかな彩りをなしている(写真左の左)。速度が低いので、ハーバーランドとメリケンパークの間の狭い海域を一巡りするだけで、十分くらいかかかる。中突堤ターミナルへの船の出入りと重なった時は、メリケンパークに近づけないそうだが、この日は支障なかった。8y181704
 再びハーバーランド近くに戻ってくる。薄闇の中に観覧車などの遊戯施設が浮かびあがる(写真左の中)。さらに運転手さん、いや、今は船長であるが、彼の配慮によって、対岸の造船所で建造中の巨大タンカーを見せてくれた。先方の足元まで近づいてみると、この船とはサイズのレベルがかなり違う。まさに象と蟻の関係だ(写真左の右)

 再び跳ね橋を潜る時には、跳ね橋もライトで飾られていた(写真右)。 
 着水場から地上に上がる急坂は、一度で昇れない日もあるそうだが、乗客全員で掛け声をかけると、エンジンの轟音とともに一気に昇ることができた。
「皆さんの行いがいいおかげです」
とガイド嬢は言うが、多分、客が少ないせいだろう。811181701
 ここで「スプラッシュ号」は一旦停まり、わたしたちが救命胴衣を外している間に、塩害防止のため足回りにホースで水がかけられている。さっぱりしたところで出発する。メリケンパークまでは十分ほどだ。

 無事出発地に戻った時には、すっかり暗くなっていた。中突堤の先端にあるメリケンパークオリエンタルホテルにも、電飾がなされている。
 ホテルの側面には魚や波の絵が浮かんでいるが、何分かに一度だけ、ほんの短時間、ピンクのハートマークが二つ現れる。それをケータイの画像に収めることができたら、夢、殊に恋に関する夢が叶うと言われている、とガイド嬢が教えてくれた。

(平成20年11月乗車船)

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