第一部 切符購入、そして旅の始まり

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出発前日まで

最長片道切符購入~第1日  様似→千歳空港→(釧路) 

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出発前日まで

 初めて読んだ宮脇俊三(みやわきしゅんぞう)さんの本が『最長片道切符の旅』だったもので、高校時代から最長片道切符の旅をいつかはやろうと決めていた。自分がやるならこう、と、旅程を考えては大学ノートに書きつけた。ダイヤ改正や路線の改廃があると、ルートや旅程は変わる。そのたびに書きなおし、十年以上が経つうちにノートはいっぱいになっていた。

 国鉄~JRの規則では、同じ駅を二度通らない限りどんなに遠回りの経路でも、「片道」切符として発行される。それで、その距離が最長となるものを算出して、なんなら実際にそのルートで乗ってみようじゃないか、というのが、最長片道切符だ。算出だけなら適度な演習課題だろうが、乗るとなると難題である。
 切符には有効期間というものがある。その間に全ルートを乗り終えるには、かなりまとまった日数を旅行に充てなければならない。定職をもつ社会人にはまず無理だ。では学生ならいいかといえば、それも難しい。切符の値段だけで数万円にのぼり、道中の宿泊費や食費はその数倍になるのだから、その費用が学生には重い。
 だから、ある意味で、マイペースで進められる「完乗」より達成が難しいとも言えよう。
 それでもわたしはいつかはやるぞと決めていた。

 決して最長片道切符のためではないが、わたしは大学院を修了した後も数年の間、高校・予備校・出版社などで非常勤の仕事をしていた。さまざまな所でよくしていただき、フリーターにしては収入にも恵まれた。
 しかし、いつまでもそうしているわけでもなく、それなりの年齢と契機を迎えれば、専任で勤めることが予想できた。そうなってしまうと、一週間続けて休むことすら難しいだろう。しかし、週一回の仕事を五つしていれば、「来週一回休ませてください」と五回言えばいいのである。まして、延べ三十日以上にわたる旅行をするのは、この時をおいて他にないと思われた。

 わたしは、思い切って平成4年の2月から4月にかけて最長片道切符の旅をすることにした。当時の最長片道切符ルートは、北から南に向かわねばならず、逆は成立しなかった。2月の北海道から4月の九州へと辿れば季節が激変して面白いのではないか、と思ったのと、年度の替わりめは高校や予備校におけるレギュラーの授業が休みになるので日程を組みやすいからだった。

 しかし、最長片道切符など、どこで買えばいいのだろう。駅の旅行センターや旅行代理店に行ってみたが、嫌な顔をされ、不愉快な思いをして帰ってきた。いい値の商品を買いに来た上客だと思うのだが、手間がかかるのがよほど嫌らしい。切符が手に入らないと始まらない。
 鉄道マニア仲間に愚痴をこぼすと、彼はあっさり言った。
「切符は出発駅で買うものですよ」
 それを忘れていた。わたしは最長片道切符の起点となる北海道は日高(ひだか)本線の様似(さまに)駅に現金書留を送り、発券を依頼した。もちろん、出発当日に駅の窓口で受け取りたい、と書いた。

 その返事が来ないうち、家を出る日が来てしまった。切符がどうなるのか分からないままに、わたしは長途の旅のアイテムとスキーの用意をバッグに詰めた。最長片道切符の旅に何でスキーの用意など要るのか。この忙しい日程のなか、大学院の仲間にスキーに誘われ、よせばいいのにのってしまったのである。
 2月6日木曜日、大阪の平野(ひらの)にある高校で授業を三コマ済ませると、国語準備室でブレザーからコートと厚手のセーターにジーンズという重装備に手早く着替え、地下鉄に飛び乗って大阪(おおさか)駅に急いだ。
 大阪からは「雷鳥(らいちょう)25号」に乗る。車中では明日までに修論指導教官に提出しないといけない書類を書く。金沢(かなざわ)で五分の接続時間に投函するつもりであったが、「雷鳥」は遅れた。金沢ですぐさま上野(うえの)行特急「白山(はくさん)4号」に乗り継がねばならなかったので、「白山」の車中で糊付けした封を開き、「金沢にて」という文字を消して「妙高高原(みょうこうこうげん)にて」に書きなおし、遅れたお詫びを書き加えた。「白山4号」は18時15分に妙高高原に着いた。
 他のメンバーは、昨日の夜行バスで今朝既に着いているはずだ。タクシーで赤倉(あかくら)温泉の民宿に行き、合流する。

 わたしはスポーツが苦手で嫌いなので縁も薄いのだが、とりわけスキーが鬼門だった。わたしがスキーに行こうとすると何かが起き、話が潰れるのである。ある時は雪不足でスキー場が閉鎖され、ある時はドカ雪でスキー場に行く手段がなくなった。スキーに行くために家を出たことも二回あったが、いずれもスキーはできなかった。乗るはずだったバスの運転手が急病で倒れて行けなくなったこともあった。それで今回が初めてのスキーだった。
 翌朝、何の手違いか、わたしのレンタルウエアが届かなかった。スキー場まで来てスキーができないのか、とわたしは自分の宿命の徹底ぶりを笑ったが、幹事が奔走してウエアを調達してくれた。
 スキー学校に入学したわたしは、最も初歩のクラスに振り分けられた。クラスの平均年齢を大きく下回るわたしは、わりあい優等生のようだった。わたしよりも若い女性インストラクターの指導法を分析し、今の発問は効果的だったな、などと思っている自分が恨めしい。

 もの珍しく楽しい二日間をスキー場で過ごしたわたしは、また本隊から離脱し、妙高高原駅に向かった。デラックスなツアーバスの並ぶ駐車場の片隅に停まっている骨董品のようなバスがわたしが乗る路線バスだった。そういえば、川中島(かわなかじま)バスは会社更生法適用を申請していた。

 2月8日土曜日18時44分発の高崎(たかさき)行普通電車に乗る。闇のなか電車のあかりを照り返す雪が美しい。長野(ながの)で向かいに坐った女性のしぐさが麗しい。隣の線路に入ってきた電車に乗っている高校生がパーフェクトな美少年だ。なんでも綺麗に見えるのは、人と喧騒に疲れてやっと独りになれた安堵からであろうか。
 軽井沢(かるいざわ)でほとんどの客が下車、がら空きになる。碓氷峠の急勾配を下っている最中、検札に来た車掌さんがわたしの「大阪市内→帯広(おびひろ)(東海道(とうかいどう)・北陸(ほくりく)・信越(しんえつ)・上越(じょうえつ)・信越・羽越(うえつ)・奥羽(おうう)・津軽海峡(つがるかいきょう)・函館(はこだて)・室蘭(むろらん)・千歳(ちとせ)・石勝(せきしょう)・根室(ねむろ)線経由)」という乗車券を手にとって、無言で微笑しながらのけぞるしぐさをする。わたしもにやついて受けとる。ほんとはもっとすごいのをこれから買うんやぞ、と思っているが、その切符がどうなるかまだ分からないのだ。
 22時04分に高崎に着き、街に出て夜食をとり朝の弁当を買って駅に戻ってくると、次に乗る予定の村上(むらかみ)行快速「ムーンライト」が一時間ほど遅れている、という。寒い待合スペースで体を揺すって待ち、二時近くなってやっと「ムーンライト」に乗り込んだ。
 余裕のあるダイヤなので、一晩のうちに遅れを取り戻し、定刻6時12分に村上着。

 6時19分発の酒田(さかた)行普通列車は客車である。のんびり朝の日本海を眺めながら朝食の弁当を食べようと思っていたら、通路の反対側のボックスに、ワンカップを手に朝から糞尿の香りふりまく風体のあやしいおじさんが来て、席を占めた。おじさんは立ち歩いては何やかやと話しかけてくる。降りるか寝るかしてくれたら逃げられるのだが、つかず離れずである。適当に受け応えしていると、わたしの向かいに席を移し、腰を落ち着けてしまった。弁当は絶望だ。
 おじさんはいろんなポケットからいろんな物を出す。切符を見せてまともな乗客であることを主張する。と思ったら、自分は会社を経営している、と言って、くしゃくしゃの名刺を出す。なるほど肩書は社長となっているが、どこで拾ったのか。最後に500円玉が出てきて、小遣いだ、とわたしに渡す。どう考えてもおじさんよりわたしの方が年収が多いと思うが、断っても角が立つので、ありがたく受け取る。
 おじさんはしゃべり疲れて寝てしまう。わたしは7時55分着の鶴岡(つるおか)で降りることにする。この列車で酒田まで行っても、どうせ先の接続がないのだ。駅の売店でワンカップを買い、まだ停まっている列車で寝ているおじさんの横に置くと、とっとと改札を出た。城下町の複雑に入り組んだ道を散策し、城址公園でやっと弁当を開いた。
 後続の普通列車で酒田着10時00分。酒田の町も散策してみるが、駅前の通りを浜の方に歩いてみても、どんどん淋しくなるばかりで、急いで引き返す。
  あのおじさんが駅待合室で寝ているのを確認し、発車間際に11時52分の秋田(あきた)行に乗る。これも客車だ。まだ東北や山陰には客車の鈍行が多く残っている。ドア開け放しの旧型はさすがにもうないが、軽やかでのんびり走る客車は、旅情を刺激してくれた。秋田には14時16分に着き、14時45分発の青森(あおもり)行もまたまた客車だ。鷹ノ巣(たかのす)と大館(おおだて)で長時間の待ち合わせ停車があり、その度に改札を出て買い物や散策をした。
 19時32分に青森に着き、構内でチャーシューたっぷりのラーメンを啜ると街に出て、銭湯にざぶんと入ってくる。この先もう鈍行では進めないので、20時57分発の特急「はつかり21号」に乗って青函トンネルを抜ける。23時14分函館(はこだて)着。

 乗継時間は十六分しかないが、いったん待合室に出て実家に電話をかける。父が言うには、わたしの家の郵便受けを見ると浦河(うらかわ)駅から葉書が来ていた、とのことだ。浦河は、最長片道切符の出発駅である様似の五つほど手前の駅であり、なぜその駅から来るのかはよく分からないが、どうも切符の発行を承諾したという主旨らしい。やっと切符の目途が立った。
 少し安心して23時30分発の札幌(さっぽろ)行夜行快速「ミッドナイト」に乗る。リクライニングシートの指定席を取ってあったが、自由席車の方が空いているし、寝やすいボックスシートなので、そっちに乗った。

(つづく)

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最長片道切符購入~第1日

様似~(日高本線)~苫小牧~(千歳線)~千歳空港~(石勝線)~

出発前日まで

 札幌に着くと2月10日月曜の朝である。まずは帯広に向かう。
 普通電車で千歳空港(ちとせくうこう)に引き返し、釧路(くしろ)行特急「おおぞら1号」の指定席に乗る。わたしの席の隣に若い男が坐っている。わたしが、すみません、と席に入ろうとすると、大きく舌打ちをする。狭くて嫌なのはお互い様なのにね、と呆れる。原野を二時間突き抜けた新得(しんとく)で特急を降り、普通列車に乗り換える。「おおぞら」は札幌始発であるし、このまま乗っていれば帯広に行くのだが、少しでも特急料金を節約するため、いじましい乗り方をしている。
 何にしろ、この長途の旅行はぎりぎりの予算なのである。

 わたしは、今回の旅で無駄遣いを避けるため、一日に使う金額は宿泊費を含めて七千円以内、と決め、日付を書いた封筒に現金を分封し、その日の分以外には絶対に手をつけないことにしている。余剰金が出たら、翌日に繰り越してほんの少し贅沢をする。

 帯広に10時48分に着き、バスタッチ場に急いだ。旧国鉄広尾(ひろお)線の代替バスに乗り、広尾(ひろお)に至る。
 広尾は宮脇さん当時の最長片道切符の出発駅でもあったが、もはや線路はない。ここからJRバスに乗継ぎ、えりも岬方面に向かうのだが、代替バスで来た人の半数ほどが乗継ぐ。それなら帯広からえりも方面までバスが直通すればよさそうだが、国鉄ローカル線廃止代替バスは民営と決まっており、旧広尾線のフィーダー路線として先に伸びていた国鉄バスがそのままJR北海道に引き継がれているので、こういう割り切れないかたちになる。
 JRバスは、カタカナのアイヌ語地名のバス停をいくつも過ぎ、えりも岬に着いた。二時間後の次のバスまで岬を見物しようと思うが、海風が激しく寒い。岬の遊歩道を回っても十分もかからず、あとは居場所がない。真冬なのでレストハウスなどは休業しており、入れる建物などはなく、暖をとれない。わたしは自動販売機で温かい缶コーヒーを買い、それを抱いて電話ボックスに入って一息ついた。情けない過ごし方だ。が、これがここで最も快適な選択肢であった。
 することもないので、これから泊まる予定の土地の宿に電話をかけまくり、一通り予約した。だいたい希望の宿がとれたが、能代(のしろ)だけは駅から離れた宿になってしまった。
 長い二時間がようやく消え、わたしは様似行バスに乗った。日高本線の様似駅が最長片道切符の起点である。

 様似にバスが着き駅の中に入ると、ちょうど苫小牧(とまこまい)からの終着列車が到着したところで、ごった返していた。窓口に人がいなかったので、わたしは事務室の扉をノックした。中には三人いる。坐っていたJRの制服を身に付けた初老の人に、
「切符の発行をお願いしていた者ですが…」
 と言うと、
「お待ちしておりました」
 と立ち上がる。そして、問題の最長片道切符とお釣りを渡してくれた。お釣りは今の財布には馬鹿にならぬ額であり、嬉しく受け取る。困難の末にやっと手にすることができた切符をためつすがめつしていると、名刺を渡された。浦河駅の駅長さんであった。様似駅は委託駅のため長距離の切符は発行できず、管理駅である浦河駅の発行となるのだった。
 駅長さんは、最長片道切符の起点駅が様似であることをご存じなかったようで、
「いやあ、よくこれだけ難しい経路を割り出されましたな。新幹線の熱海(あたみ)のあたりですね、これで片道になるのかな、と思ったんですが、制度に確かめると大丈夫片道だ、ということで…」
 と感心してくれる。「制度」とは、本社で切符の規則などを扱う部署である。
「いえこれは趣味の本にルートが載ってるんですよ」
「それにしても、お手紙の文章を拝見して、国鉄を退職した方か何かかな、と思っておりました。こんなにお若い方とは意外です」
 わたしはつねづね、しゃべり方や文体が歳の割に老成している、と言われる。
 駅長さんと一緒にいたのは、『北海タイムス』の新聞記者さんであった。駅長さんから連絡を受けて取材に来ているのだ。三十分ほどの間インタビューを受け、この旅に馳せる思いから、国鉄分割民営化やローカル線廃止に対する意見まで述べた。
 もう一人はこれから乗る列車の運転士さんであった。折返しの時間に夕食のラーメンを作って食べている。

 発車時刻が近づき、駅長さんに切符の鋏を入れてもらうところを、記者さんの写真に撮られ、苫小牧行ワンマン列車の車内に入る。
 18時31分、ホームのお二人に手を振って、いよいよ最長片道切符の旅は始まった。

 実は、切符を受け取ったら様似の街に出て夕食をとるか買うかするつもりだったのだが、大層な出発になったので、食べそこねた。すこぶる空腹だ。幸い、列車は競走馬の街である静内(しずない)で三十分も停車する。わたしは途中下車し、まだ開いていた駅前のスーパーで、ひじき弁当を買って列車に戻った。
 21時54分苫小牧着。僅か四分待ちで札幌行特急「北斗15号」に乗継ぐと、すぐ車掌さんが検札に来、切符をみて絶句した。
「これ、一番長い片道乗車券ですか」
「そうです」
「はあー。あ、でも9千円なら案外安い?」
「いや、これは1です」
「ああ、9万1千! ご苦労さまです」
 切符の値段の数字が歪んでいて、千の位の「1」がちょっと見るとコンマにも見えるのだ。
 十五分ほどで千歳空港に着き、待合室で一時間あまり所在無く坐った後、23時38分発釧路行急行「まりも」の指定席に収まる。長かった一日めが終わろうとしている。

(つづく)

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第二部 北海道から東北へ、雪をたどる

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 第2日  (千歳空港)→釧路→深川

 第3日  深川→長万部→(青森)

 第4日  (長万部)→青森→能代

 第5日  能代→大曲

 第6日  大曲→気仙沼

 第7日  気仙沼→(北)郡山

 第8日  (北)郡山→豊野

 第9日  豊野→(糸魚川)・中断帰宅

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第2日

~(石勝線)~新得~(根室本線)~東釧路~(釧網本線)~網走~(石北本線)~新旭川~(宗谷本線)~名寄~(深名線)~深川

前日

 「まりも」は、6時10分に釧路に着いた。釧網(せんもう)本線の網走行には僅か五分の接続で、駅弁など買う暇はない。乗客のほとんどは「まりも」から乗り継いだ客なので、皆が夢見心地である。さすがのわたしも三夜連続の座席夜行となると、疲れが出てきている。最後の「まりも」くらい寝台にすればよかったが、予算の都合がある。最長片道切符を無事手にできて安堵したことも手伝い、熟睡する。
 釧網本線は、本線という名にふさわしくない最果てのローカル線である。湿原に面した斜面を走るエゾシカや流氷迫る海岸を見ながら走ったはずだが、何も見ていない。

 網走でも七分の接続で空腹のまま札幌行特急「オホーツク4号」に乗り継ぐ。北海道では一時間や二時間の接続待ちはざらなのだが、駅弁を買いたいようなときに限って妙に接続がいい。しかし特急だから車内販売があり、やっと朝食をとれた。
 最後尾の自由席車は北見で大方の客が入れ替わり、ほぼ半分くらいの席が埋まっている。人家もまれな峠を越えると上川支庁に入る。
 最長片道切符のコースは新旭川(しんあさひかわ)から宗谷(そうや)本線に入るが、「オホーツク」は新旭川に停まらないので、13時08分着の旭川(あさひかわ)まで行って宗谷本線に乗継ぐ。こういう場合、旭川の改札を出なければ乗越し運賃は要らない。明日もう一度旭川を通るが、切符のコースはあくまで新旭川から曲がるのであり、問題ない。
 朝食が遅かったので、駅そばで昼食を済ます。

 乗車率のよい13時47分発名寄行普通ででまた峠を越え、15時34分に名寄に着く。ここからは深名(しんめい)線に運ばれる。
 深名線は本来乗車率からいけば国鉄末期のローカル線廃止対象に挙げられるはずだったが、雪の季節に代替バスの走れる道路が整備されていない、ということで廃止を免れた。それくらいだから、車窓は白一色である。雪の中を走ると列車の音は吸収されるので、静かである。たった一輌の旧式のディーゼルカーに客は九人しか乗っておらず、そのうち七人が趣味人である。
 終点の朱鞠内(しゅまりない)で深川(ふかがわ)行に乗り換えることに時刻表上はなっているが、このディーゼルカーがそのまま深川行となるので、誰も降りない。行き違う下りも同様で、静かに行き違って発車。
 すっかり日が暮れて、雪景色にも飽きたので、わたしは車内で手紙を書いた。

 深川着18時54分。深川にホテルはないので、商人宿のような駅前旅館の玄関をくぐった。わたしの風体を見た番頭さんは、帳場に「学生さんだから引いてあげな」と口添えしてくれ、宿泊費は500円の割引となった。
 わたしは四日ぶりに畳の上で体を伸ばし、心地よい夜を過ごした。

(つづく)

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第3日

深川~(函館本線)~旭川~(富良野線)~富良野~(根室本線)~滝川~(函館本線)~

前日

 すっきりと夜が明けた。最後までわたしを「学生さん」と呼ぶ番頭さんに見送られ、雪に煙る深川駅に向かう。
 通勤通学客で混雑する7時37分発普通電車旭川行に体をねじ込む。旭川着は8時06分といういい時間だ。

 旭川では一旦改札を出て雪の道をぶらつく。旭川で降りるといつも雪が降る気がする。財布と時間の都合で喫茶店にもATMにも入ることはできない。
 富良野(ふらの)線のホームは広い留置線群を隔てた構内の外れにあり、駅本体から遠く離れている。ずいぶんな扱いだ。
 普通列車富良野(ふらの)行が新型のワンマン車輛二輌連結で到着したが、後部一輌は途中美瑛(びえい)で切り離し、と案内があり、乗る人は僅かだ。北海道のワンマン列車は前乗り前降りなので、途中の乗降に時間がかかるが、それを見込んだダイヤのようで、遅れは出ず定刻9時53分富良野着。
 初めて富良野(ふらの)に来た時は、列車が到着するとさだまさしさんの「遙かなる大地より」のスキャット、つまりあの『北の国から』のテーマが流れたものだが、もう止めたのか観光シーズンではないからか、何も聞こえない。

 富良野は根室本線上にある駅なので、函館・札幌方面と釧路・根室方面とを結ぶ特急・急行がかつては全て停車していた。ところが、昭和55年に千歳空港と新得とを短絡する石勝線が開通すると、そちらがメインルートとなり、富良野は三日月湖のごとく流れから取り残されてしまった。交通体系の発達に伴って常に起きる凋落だが、富良野自体もそれなりの観光地ではある。ラベンダーや『北の国から』の人気に支えられているのだ。それでJR北海道も、観光シーズンだけでも観光客の利便を図るべく、わざわざ車輌を模様替えして臨時リゾート特急を走らせるようになったのである。
 これから乗るのもその一つで、かつて国鉄ディーゼル特急の主力だった車輌を改造した「フラノエクスプレス」である。車体は全く新しい物に乗せ替えたので、以前の面影は全くなく、乗る分には新車も同然である。この車輌を使用する臨時特急「フラノエクスプレス2号」千歳空港行が10時24分に発車する。乗り換えなしで札幌まで最長片道切符コースを通ってくれるもので、懐具合にかかわらず指定席特急券を奮発した。
 わたしの席は先頭車の展望席である。映画館のように段々の座席になっていて、どの席からも前方がよく見える。二十席ほどの展望室に席を占めたのは、わたしを含めて五人の客でしかない。しかもこれが四輌連結の乗客の全部である。連休明け水曜日午前中の上りとあっては、回送も同然らしい。雪に埋もれた根室本線の細いレールを辿る様がよく見える。
 大阪からスキーに来たとみえる大学生の二人連れが、
「なあ見て、上電線ないで。この電車どないして走っとるんやろ」
「ディーゼルやろ?」
「え?」
「クルマとおんなじディーゼルエンジンや」
「(笑)そんなアホな」
 などと話している。検札を瞬時にして済ませ手持ち無沙汰に見える車掌さんに質問してほんまにアホな走り方をしているのを知り、驚嘆している。
 車掌さんはやはり暇なのか、一人一人の客に見本を見せながら、オレンジカードの販売を始めた。
「通用期限はございません。国鉄がJRになっても変わらずに使えましたので、万一JRが潰れても、使えます」
 開きなおった口上が気に入ったので、一枚求める。滝川(たきかわ)から函館本線に入るとスピードが上がったが、走り装置は旧式のままなので、昨今の特急に比べれば間延びした走り方である。12時15分札幌着。客は例の大学生二人だけになって、列車は発車して行った。

 この先の函館本線の本数が限られており、今夜は夜行に乗るので、先を急いでもしょうがない。札幌で三時間あまりの時間をとっている。何をするというあてはなかったが、駅構内にいわさきちひろ展のポスターが貼り出されているのに気づき、行ってみることにした。
 交通案内にあった地下鉄の駅から舗道の雪を踏みしめて美術館に行く。美術館の門前にJRバスの停留所があったので、それに乗って札幌駅に戻って来た。バスはあてにならないから案内に入れないのか。

 倶知安(くっちゃん)廻り長万部(おしゃまんべ)行快速「マリンライナー」は急行型のディーゼルカー四輌であった。太平洋側の東室蘭廻りが函館方面へのメインルートとなって久しく、こちらのルートはやはり寂れた裏街道だが、メインルートの苫小牧~千歳空港間を一昨日通ってしまったので、裏街道を歩まざるを得ない。
 小樽(おたる)からわたしの斜め前に乗ってきた若いカップルは、熱々にもほどがあるわといういちゃつきぶりである。余市(よいち)で女性の方が下車し、二人は手を振って別れた。ところが倶知安で女子高生が乗ってきてこの男性の隣に坐ると、先ほどにも増すシーンを演じはじめる。二人は蘭越(らんこし)で仲良く降りた。同じ列車のダブルヘッダーとは、やはり雄大な北海道だ。

 峠越えにかかり、すっかりがらんとした車内で札幌の駅弁を食べ、19時44分長万部着。ここでメインルートと合流する。次に乗る急行「はまなす」は長万部に停まらないので、東室蘭まで戻らねばならない。さっき買ったオレンジカードで東室蘭までの切符を求めた。
 東室蘭発23時50分の青森行「はまなす」に乗り込むと、指定席車はほぼ満席で、わたしの席にもおばさんが坐っている。指定券を見せて替わってもらうや、眠りに落ちた。

(つづく)

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第4日

~(函館本線)~森~(函館本線砂原迂回線)~大沼~(函館本線)~五稜郭~(江差線)~木古内~(海峡線)~中小国~(津軽線)~青森~(東北本線)~好摩~(花輪線)~大館~(奥羽本線)~川部~(五能線)~能代

前日

  「はまなす」は5時18分に青森駅に到着した。連絡船が廃止されて五年ほど経つが、どこか波止場のムードは残していて、今もこの早朝からホームは賑々しく、駅そばと駅弁のリヤカーに客が群がっている。
 「はまなす」を降りた客は、東北本線の盛岡(もりおか)行「はつかり2号」と奥羽本線の大阪行「白鳥(はくちょう)」の二本の特急に分かれる。「はつかり」は盛岡で東京方面への新幹線に接続する。普通列車はこの時間まだないので、わたしも「はつかり」に乗って本州に歩を進める。今日は2月13日木曜日だ。

 八戸(はちのへ)到着の放送が入ると、多くの客が身を起こし、車内も窓も朝になった。ホームで客が列を作っている。そのホームに降りる。
 八戸発7時11分の盛岡行普通列車に乗り換え、さらに東北本線を上る。この列車は、急行や団体列車用に作られた客車をローカル輸送向きに改造した三輌連結を、電気機関車が引っ張っている。内装は変わっても元々が急行用、しかも幹線のしっかりした線路を走るので、スピードも出るし乗り心地は上々である。もちろんエアコンも付いている。こういう車輌で通学できる高校生たちは幸せだ。
 好摩(こうま)着8時53分、ここから花輪(はなわ)線に入っていく。接続よく9時00分の大館行があるが、ディーゼルカー一輌のみであった。花輪線は盛岡と大館・弘前を結ぶ都市間鉄道なので、もっと賑わっていいはずだが、曲がりくねった単線ゆえ、高速バスにやられている。八幡平(はちまんたい)・十和田(とわだ)湖などの観光地も周りにあるのだが、微妙にそれらを避けて通っているので、観光客の呼び込みも難しい。それで単行の列車が粛々と白い峠を越えているのである。
 車掌はちゃんと乗務していて、最長片道切符に感嘆してくれる。大館着12時05分。

 名物駅弁でもある比内鶏を使った鶏めしを昼食にし、奥羽本線下りの普通列車弘前行に乗ると、これまたディーゼルカー一輌だった。電化された幹線にこんな列車とは侘しいが、この区間は秋田・青森の県境なので日常の流動がほとんどなく、これで事足りるようだ。
 弘前で小休止していると、14時50分発普通列車「ノスタルジックビュートレイン4号」五能(ごのう)線廻り東能代(ひがしのしろ)行が入ってきた。
 この列車は、ローカル線である五能線に観光客を招致するため、余り気味の客車を改造して投入した列車である。黄色と茶色に塗り分けられた車体も印象的だ。三輌連結のうち一輌は指定席で、欧州の列車のコンパートメントをイメージし、二人または四人の席が高い仕切りで隔てられ、それぞれの車室に大きなテーブルがしつらえられている、普通列車としては破格の内装だ。わたしもボックスの一つに席を占めた。照明はガス灯のような淡い色に抑えられているので、暗くなっても窓の外はよく見えそうだ。試合帰りらしい女子中学生の団体もこの車輌に乗ってきて、華やかにもやかましいが、とにかく一度乗ってみたかった列車であり、昨夜の「はまなす」からこの列車にうまく旅程がつながることが分かって、わたしはほくそえんでいたのである。
 五所川原(ごしょがわら)あたりからは学生の帰宅列車になるが、通勤客などはほとんど乗って来ない。クルマ社会なのと通勤需要そのものが少ないためだと思われる。鯵ヶ沢(あじがさわ)で女子中学生たちが降り、指定席車はわたし一人になった。車掌さんがわたしの所に来て、
「もう誰も乗ってきませんので、どうぞお好きな席をお使いください」
 と言い、名実ともに貸切車輌となった。
 列車は船影一つない黒い日本海に沿い、ときどき雪が窓に当たる音をさせる。千畳敷(せんじょうじき)・風合瀬(かそせ)・驫木(とどろき)・追良瀬(おいらせ)…。海沿いの地域であることを象徴する名の駅に一つずつ律儀に停車しては一人二人と降ろしていく。深浦(ふかうら)で三十分ほど停まるので、改札を出てみるが、海風がきつくてあまり歩く気にならない。
 自由席の客もさらに減り、車内の灯で線路際の雪をほのあかく照らしつつ、列車はゆっくり進んでゆく。海と線路際に時折見える集落を見ながら一人で大きな窓に額をつけていると、授業も研究も日頃の人間関係も、波の彼方に飛んでしまう。この旅行がいずれ終わることも信じられない気分になる。それどころか、この列車がいつか終着駅に達することも。こうして永遠に旅ができればどんなにいいか。轍の音がわたしをたっぷりと包む。

 能代(のしろ)に19時21分定刻に着き、彼岸の世界から追い出された。ホームに降りたわたしに車掌さんがわたしに笑顔で会釈して、発車合図をした。
 改札を出ようとすると、駅員さんが切符を手にして、室内に、
「おーい、ちょっと来てみろ」
 と声をかけ、三人ほど集まってきた。
「すっごいよこれ」
「これで片道になるんだ」
「こんな高い切符知らんぞ」
 と口々に感嘆したあげく、
「コピーをとらせてください」
 と言うので、貸してあげる。
「どうも、勉強させていただきます。記念に途中下車印を捺したいんですけど、ないんで、代わりにこれ捺しときます」
 と言って、「能代駅」という駅名印を捺した。
 こうして、旅行中のJR職員には好意的に受け入れられる最長片道切符である。が、この駅で発行してくれ、と言ったらどんな顔をするんかね、と思いつつ駅舎を出た。

(つづく)

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第5日

能代~(五能線)~東能代~(奥羽本線)~秋田~(羽越本線)~坂町~(米坂線)~米沢~(奥羽本線)~大曲

前日

 ホテルの向かいがタクシーの営業所なので、フロントに頼んだタクシーは即座に来た。小さなホテルだが、とても温かい応対をするフロント係だったので、気持ちよく出立する。
 タクシーに乗ったわたしは、能代駅、と告げたが、運転手さんはわたしの旅装を見、地理に不案内な者が勘違いしているのだと勘違いして、東能代ですね、と言って走りだそうとする。奥羽本線上にある特急などが停まる主要駅は東能代駅である。しかし、昨日わたしが降りたのは東能代から五能線でひと駅入った能代駅なのだ。ホテルの位置が分からなかったので、とりあえず街の中心に近い駅で降りた。東能代に連れて行かれては、コースが中抜けになってしまう。悪いことに、ホテルから能代駅も東能代駅もほぼ同じ距離であることが、勘違いを誘発している。
 こういうありがた迷惑は旅先でときどき出くわすし、そういう相手には事情説明しても話が通じにくいことが多い。わたしは、能代駅に荷物を預けてあるので、といつも使う方便で切り抜けた。

 能代駅の改札口にいた駅員さんは昨日わたしの最長片道切符に群がったうちの一人で、切符を見て、
「今日もご苦労さまです」
 と送り出してくれる。いよいよ気分がよろしい。7時20分の一輌のワンマン列車で東能代までひと駅進んだ。
 7時40分発普通列車秋田行は、客車を六輌もつないでいる。ひと昔前は、亜幹線の普通列車というと、客車を十輌ほども連ねてラッシュ以外はがら空きで長距離を走るのが主流だったが、昨今は全体に短編成化が進んでいるため、六輌でも長く感じる。さすがに朝ラッシュのピークなので、通学の高校生で満員である。右に八郎潟(はちろうがた)を見て秋田が近づくと、高校生の姿は減り、会社員が多くなる。8時52分秋田着。
 一時間ほど時間がある。今朝は早く、まだ朝食を摂っていないので、駅そばを食べたあと、雪を踏んで街を散策する。

 9時59分発羽越本線の特急「いなほ8号」新潟行が発車する。最長片道切符ルートにしては珍しく、東能代から坂町(さかまち)までけっこうな距離をまっすぐ海沿いに行くことになる。それで、特急でゆっくりしようと思う。酒田までは客はまばらであった。
 酒田からの右窓は山形・新潟県境の峻険な断崖を映す。様似に向かう途中にも見た景色だが、こういう海岸は何度見てもいい。

 「いなほ」は米坂線の連絡駅坂町には停まらないので、手前の村上で降りて普通電車に乗り継ぐ。
 村上から坂町まではルートで初めての直流電化区間となる。大体は、古い時代に電化された線は直流、新しい電化路線は交流となっている。理屈はよく知らないが、交流の方が高速運転には効率がいいそうで、新幹線も全線が交流である。新潟県一帯は、清水(しみず)トンネルが戦前から電化されていた関係で、直流となっている。
 直流と交流の区間にまたがって走る電車は高価につく装備を備えなければならないので、輌数も限られていて、電化区間なのにディーゼルカーで間に合わせていたりするが、村上からの電車は直流用でいいわけだ。

 十一分で坂町に着き、すぐに13時31分発米坂(よねさか)線の米沢(よねざわ)行に乗る。車窓はダムまたダムである。凍てつくダム湖も凄味があっていいが、このあたりは秋なら黄葉が鮮やかな所でもある。

 米坂線は新潟と山形・仙台を最短距離で結んでいるのだが、上越・東北両新幹線の乗継ぎの方が速くなったので、寂れたローカル線でしかなくなった。本数が少ないのでこの線を軸に今日の予定を組んだが、それどころか、今や米沢から先、山形・仙台への直通列車を物理的に走らせられなくなってしまったのである。
 米沢からの奥羽本線は、7月に運転開始予定の山形新幹線を通すため、既にレールの幅が新幹線規格の標準軌に改められている。大方の在来線は狭軌なので、この区間には他の在来線からの列車が直通できないわけである。東京への直通特急を復活したい山形の立場は分かるが、そのためにローカル列車を分断するべきだったのかどうか、疑問だ。この区間を通っていたブルートレインなども、他の線を迂回せざるを得なくなった。
 わたしも米沢で標準軌車輌の普通電車山形行に乗り換えねばならない。山形から先は、狭軌車輌に再び乗り換えることになる。どこか釈然としない。電気方式にせよレールの幅にせよ、鉄道というのは、なんと制約の多い交通機関であろうか。

 山形発16時42分の秋田行は客車五輌で、これも近年にしては長い編成だが、今度は帰りの高校生を多く乗せている。
 新庄(しんじょう)で二十分ほど停まるので、食事を仕入れに出たが、その間に切り離し作業が行われ、秋田行はたった二輌になった。二輌ぽっちを牽くなど機関車はパワーの空回りにほかならず、客車列車と思えぬ敏捷な加速になって、闇の県境を越える。
 秋田県に舞い戻ってきて、21時01分、大曲(おおまがり)着。雄物川(おものがわ)が大きく曲がるところからきた地名だそうだ。今日はここで泊まる。
 列車はわたしを残して秋田に向けて出て行ったが、ここから秋田までの奥羽本線も、やがて秋田新幹線として標準軌車輌が通れるようにする予定だ。

(つづく)

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第6日

大曲~(田沢湖線)~盛岡~(山田線)~釜石~(釜石線)~花巻~(東北本線)~一ノ関~(大船渡線)~気仙沼

前日

 2月15日土曜日、秋田から来た特急「たざわ4号」盛岡行は、ここ大曲で進行方向を換える。ほぼ満席である。
 田沢湖(たざわこ)線は秋田・盛岡県境を越えるので、直通の普通列車は少ない。この先の山田(やまだ)線の列車がいよいよ少ないので、それに合わせようとすると、ここは特急に乗るしかない。途中駅からの乗車なので、指定席を取っておいた。角館(かくのだて)・田沢湖(たざわこ)・小岩井(こいわい)などの観光地を通って8時48分に盛岡着。

 東北本線や東北新幹線には見向きもせず、高架の下に隠れるようにしてある山田線のホームに向かう。
 わたしはそこにいた車輌を見て小躍りした。キハ53形という旧式の準急型気動車で、何がいいといって、運転室のすぐ後に前向きの二人がけシートがあるのだ。車内はけっこう席が埋まっているのに、その席は空いていた。一も二もなく進行右側の二人がけに席を占める。右側なら運転士の後頭部も見なくてよく、トンネルに入る時もブラインドを下ろさないから、ずっと前を見ていられる。こんな特別展望席が空いているのは不思議だが、この席を喜ぶのはマニアだけなのだろう。連れと向かい合って話もできず、一人でも足を伸ばせない席は、最後まで埋まらないとみえる。9時14分に発車。この次の列車は午後になる。
 日本海側ほどの積雪ではないが、やはり雪の上に二本のレールだけが光っている。乗っていた客のほとんどは上米内(かみよない)までに降りてしまい、盛岡の近郊区間をはずれると、車内の人数は一桁になった。宮古(みやこ)方面には便利な急行バスが走り、地方なので渋滞もないのだ。日本のチベットという俗称に違わず、人家もまれな山峡を縫って走り、人影もない駅が現れる。
 退屈なような面白いような時間を過ごして茂市(もいち)に着く。ようやく宮古の近郊に入って、人が乗ってくる。ここからは岩泉(いわいずみ)線が分岐しているが、北海道の深名線と同じく、積雪時の代替道路が整備されていないために廃止を免れた超ローカル線である。廃止の噂は常にあるが、今のところは細々走っている。
 11時39分宮古着。一時間半ほどの待ち合わせだ。中途半端な持ち時間なので、浄土ヶ浜(じょうどがはま)に足を伸ばす余裕はなく、予算の都合で三陸の海の幸を賞味することもできず、スーパーの食堂街でラーメンを啜って昼食とする。

 宮古発13時03分の釜石(かまいし)行は、宮古までとうって変わって転換クロスシートを備えた最新型のディーゼルカーだった。この型は急行用に造られたはずだが、間合いで普通列車にも使われるらしい。釜石からは急行に乗り継ぐ予定だが、もしかするとこの列車がそのまま急行に化けるのかもしれない、とわたしは期待した。
 三陸の海は山田線からはちらちらとしか見えないが、独立国ブームも去って落ち着いた吉里吉里(きりきり)などの駅に一つずつ停まっていき、ゆったりとする。
 釜石に14時23分に着くと、予想は外れ、ホーム向かい側に急行「陸中(りくちゅう)6号」が停まっていた。同じ型の車輌なのだから直通すればよさそうなものだ。よいしょっと荷物をもって移動し、14時36分に発車。さすが新型、エンジンの響きも乾いた高い音で軽快だ。カミンズ製のエンジンを搭載しているのだ。
 と書いているわたしもカミンズの何たるかは全く知らない。新型気動車の紹介文にはカミンズがよく出てくるので、何か分からんがカミンズと言われるといい車なんだな、と思い込まされている。清水義範(しみずよしのり)氏の言う「ジンクピリチオン効果」というやつだ。

 セミループで知られる陸中大橋(りくちゅうおおはし)、「遠野物語」の遠野(とおの)を通り、花巻(はなまき)着16時13分。風が出てきて、外に出る気がしないので、ホームの待合室で過ごし、16時40分の一ノ関(いちのせき)行普通に乗る。四輌の客車は盛岡で休日を過ごした客で込んでいた。東北線で客車の普通列車が走るのは一ノ関から北の区間である。しばらく客車独特の走りくちともお別れになるだろう。心して味わって、一ノ関着17時36分。
 17時54分発大船渡(おおふなと)線のワンマンカーに乗り換える。これも新型のローカル列車用のディーゼルカー二輌の編成だ。もうすっかり日が暮れてしまい、雑誌を読んで過ごす。
 気仙沼(けせんぬま)着19時33分、降りた客は皆迎えのクルマで散り、瞬く間に人気がなくなる。わたしは暗い道を渡り、駅のすぐ向かいにあるビジネスホテルに投宿する。付近には店も人気もなくひっそりと暗い。ホテルのレストランで夕食を摂るしかなさそうだ。

(つづく)

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第7日

気仙沼~(気仙沼線)~前谷地~(石巻線)~石巻~(仙石線)~仙台~(東北本線東北新幹線)~(北)福島~(東北本線)~岩沼~(常磐線)~平~(磐越東線)~(北)郡山

前日

 気仙沼発7時12分、気仙沼線小牛田(こごた)行普通列車が発車した。南気仙沼で多くの客が乗り、座席が半分程度埋まる。わたしのボックスには母娘二人連れが坐った。
 その後も客は増えつづけ、あまり降りる客はいない。どうも皆仙台に買い物に出るらしい。近在はクルマ、仙台には列車と使い分けているのだろうか。気仙沼線は昭和52年開通の比較的新しい線なので、トンネルの連続で直線的に線路が敷いてあり、所要時間は短い。
 気仙沼線の起点で、石巻(いしのまき)線に連絡する前谷地(まえやち)に、8時58分着。ここで降りるべきかどうか、なかなか難しい問題である。

 というのは、ここから仙台までは、二通りのコースを取れるのだ。最長片道切符なのだから、距離の長い方を行けばよい、と思われるだろう。ところが、前谷地~(石巻線)~小牛田~(陸羽東(りくうとう)線)~古川(ふるかわ)~(東北新幹線)~仙台のルートと、前谷地~(石巻線)~石巻~(仙石(せんせき)線)~仙台 のルート、営業キロは偶然だが両方とも同じなのである。唯一無二のはずの「最長」片道切符ルートが二手に分かれるとは面白いが、なにか得心いかない感じもある。
 JR路線の距離にも実キロと営業キロとがある。実キロは文字どおり実際の線路の長さであり、営業キロは運賃のレートを適用するために定めた距離だ。実キロと営業キロとは通常一致する。が、例外的に、運賃計算を簡略化したり適正価格にしたりするため、実キロと異なる営業キロが定められることがある。
 新幹線もその一例である。新幹線は直線的短絡的に線路を敷設しているので、並行する在来線より当然実キロが短い。それでも新幹線の営業キロは並行する在来線に合わせてある。
 いろいろ難しいが、はっきりしているのは、切符の値段を決めるための計算に使うキロ数と、実際に乗るキロ数とは、必ずしも同じでない、ということである。そうなると、最長片道切符の旅の定義もはっきりしておかねば厳密にルートを一本に定められない。
 わたしは熟慮の末、「考え得る最長営業キロのルートの切符で、極力長い実キロの片道ルートに乗る」ことをわたしの最長片道切符の旅とした。「切符の旅」を標榜するからには、まず切符の最長が優先されるべきだと考える。この規定に従い、函館本線が二つに分かれる大沼~森間でも、どちらを通ってもいいし運賃も同じなのだが、距離が長い方の渡島砂原(おしまさわら)廻りで走る「はまなす」に乗ったのだ。真夜中に眠って通るだけだからどっちでもいいようなもんだが。
 となると、実キロが営業キロよりかなり短いはずの東北新幹線を経由するルートより、在来線のみのルートをとる方が、実際に乗車する実キロが長いはずである。

 そういうわけで、仙台から先のルートも新幹線になるのでつながりもいいにもかかわらず、新幹線経由を捨て、前谷地で石巻線の8時03分発下り女川(おながわ)行に乗り換えた。
 2+1の横三列のボックスシートに改造された車輌であった。二人ボックスで乗り合わせたおばさんと向かい合ってしゃべるのも、何か怪態な気分だ。

 石巻(いしのまき)着9時26分、以前はここは改札を出ないと乗り換えられなかった。石巻線と次に乗る仙石線とは同じ石巻駅なのに別の駅舎だったからだ。仙石線は私鉄を国鉄が買収した路線なのでそうなっていた。現在は仙石線の線路を石巻線の方の駅に引き込んで、改札口も統合されている。
 通勤型電車の快速「うみかぜ6号」に五十分乗れば仙台だ。仙台駅のホームも、東北本線などとは少し離れた場所にあり、長い連絡通路で結ばれている。

 仙台からは東北新幹線11時04分発「やまびこ110号」に二駅先の福島まで乗る。
 新幹線には乗らんと言ったばかりだろうが、との声が聞こえるが、お待ちいただきたい。今度は片道切符の規則の問題である。

 原則として、新幹線と並行在来線とはまとめて一本の路線と見なされる。だから片道切符では、並行する区間でどちらか一方を通ってしまうと、いま一方はもう通れなくなる。
 しかしあくまで原則であり、例外がある。並行在来線と離れた所にある新幹線の駅の前後の区間は新幹線と並行在来線とをそれぞれ独立した路線と見なすことができる、と何ゆえにか定められているのだ。
 仙台~福島間には白石蔵王(しろいしざおう)という新幹線独自の駅があるので、この例外規程が適用される。それで、まず新幹線で福島まで行き在来線(東北本線)で戻ってくることで、距離を伸ばすことが可能になるのだ。

 11時28分に福島に着き、逆方向の下り仙台行普通列車でとって返すが、車内は込み合って駅弁も食べられない。このまま仙台まで行っては同じ駅にぶつかるので、岩沼(いわぬま)で降りて常磐(じょうばん)線に抜けることになる。岩沼着12時36分、常磐線は十一分前に出たばかりで、次の列車は五十六分待ちだ。岩沼の町に出てみると、立派な待合室のあるJRバスの停留所があったので、そこで駅弁を食べた。
 13時32分発の平(たいら)行は六輌連結だが、仙台からの買い物帰りの客で込んでいた。そこそこの大きさの町が次々現れ、乗り降りが激しい。
 平に16時05分着、僅か三分待ちで磐越東(ばんえつとう)線の郡山(こおりやま)行に乗り換えると、昨日と同じ新型のディーゼルカーだった。三春駒の里である三春(みはる)を経て、郡山着17時42分。

(つづく)

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