一日め(出発前夜)

  大きな荷物を持って鯖江駅で電車を待っていると、学生に声をかけられた。
「先生、どこへ行くんですか」
「倫敦(London)」
「まじですか? リッチですねー」
「そんなことないって。安ーい航空券で行くんやから」
「Sam先生に会うんですか?」
Sam先生とは、この学生の前の担任にあたる英語教員であり、現在英国での在外研究中である。英国では名前をもじってSamと名乗っているのである。彼はイタリアに対応できる綽名も持っているから、生まれながらの国際人である。
「さあ、会えれば会うけど、お忙しいだろうから、お会いできるかどうか分からないよ」
「いやあ、あの人はきっと暇ですよ」
学生特有の根拠のない判断に励まされ、電車に乗る。今日は成田空港近くのホテルまで行くだけだが。

 英国に行くのは二回めである。
 昨夏に十一日もかけて行ってきたのだが、これは行き帰りは同僚の教員、現地ではSam氏に全く身柄を預けきった恰好で、引率されての旅行であった。初めての海外旅行とあっては止むを得ないことだが、これまで国内をくまなく旅してきたわたしとしては、不本意でもあった。旅とは自分でプランを立て、宿やホテルを手配し、旅の気分を盛り上げつつその日を待ち、また余韻に浸るものである。少なくともわたしはこれまでそうやって旅してきた。
 しかし、前回の旅の意義そのものは多とするが、旅までの日々では初の海外に対する不安しか醸成されなかったし、後味も悪かった。もとよりお二人の引率者には責任のないことで、むしろ感謝の意を表しきれないほどである。それでも、あれはわたしの旅ではなかった、という思いは強く残り、そのことは、後のわたしの精神衛生にもかなり悪影響を及ぼした。それで、何か英国に落とし前をつけなければ次に進めないような漠然たる意地もあり、半年をおかずして再び英国を訪ねることにしたのだ。他人には分かりにくい動機であろうが、旅に行く理由などそんなものである。
 もっとも、もう少し分かりやすい理由もあって、前回持っていくべき現金の額の見当がつきかねた結果、Sam氏に10ポンド(約1960円)借りたままになったので、それを一日も早くお返ししなければならなかった。
 今回の渡英の予定、往きと帰りの便と投宿するホテルを、Sam氏には手紙で伝えてあり、できれば滞在中に一度お会いねがいたい、とも記しておいた。が、それに対する返事は届いていなかった。そんな手紙にかまっていられないほど忙しいのかもしれず、前回わたしの案内をさせられたことに懲りて、今回はパスしようとしているのかもしれない。あるいは、わたしの宛名の書き方が悪くて届いていないのかもしれない。会えるかどうか覚束ないが、もともと独りで旅しなおそうと思って行くのだから、会えなければそれもしかたない、と思っていた。だから、Sam氏の英国での連絡先を記したものも、わたしは敢えて持参していない。どうなることか。

 前回の帰国後は、時差ぼけにも悩まされた。帰国してから半月くらい経っても、変な時間に眠くなったり、夜中に眼が覚めたりした。それで、地道に一日一時間ずつずらして体調を戻したことだ。
 今回はその点も万全の構えで臨んでいる。正月休みを利用して、徐々に就寝・起床時刻を遅らせてきている。今日は22時頃にホテルに入り、早暁6時に就寝予定である。

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二日め(不安定な空路)

 本来13時頃に起床したいところだが、飛行機の時間の都合でそうも行かず、二時間ほど寝ただけで空港に向かった。
 空港でモトローラのケータイを借り、FOMAカードを挿し替える。これで、いつもの番号にかかってきた電話を英国でも受けられるのである。Sam氏への手土産を買ってトランクに詰め込み、搭乗手続をする。前回は国際線に慣れないわたしに配慮して、というかわたしの希望で、寄航便でなるべく安いチケットをとってもらったが、今回はわたし自身マイレージに参加している全日空の直航便に乗ることにした。幾分でも勝手知った航空会社だし、機内で日本語が通じるのも気楽だ。正月休みが終わっているので、運賃も下がっていて、往復で10万を大きく下回る額に収まっている。
 11時35分に成田を出る昼行便だから、と窓側の席を取ったが、これは見込み違いであった。通路側に女性が二人並んで坐り、トイレには行きにくい雰囲気である。乗る直前にトイレは済ませてあるが、わたしは機内でもできるだけ水分を摂らないことにした。機内食も、よく噛めば一口のお茶だけですむものである。
 隣の女性に体をくっつけるわけにいかないし、エコノミーの窮屈な座席で片側が壁では、体を逃がす余地がない。窓側といっても、飛行機の窓からは案外見おろすものはない。恐らくシベリアのアムール川であろう、氷原の中を複雑に枝分かれし、これでもかと蛇行して三日月湖をまき散らしている様は上空から見ても壮観である。が、その後はたとえ昼行でもブラインドを下ろして仮眠する時間の方が長い。たまに窓を遠慮がちに開けてみても、雲海がたちこめるばかりではかばかしくない。見るものは主翼しかないが、よくこんなもので飛行機を支えてるわと思うほどぺらぺらに見えるそれがべこべこと揺れていて、どうも落ち着かない。主翼の先端でピカチュウがこっちを向いて笑っているので、ますます不安である。落ちる時は彼も笑いながら落ちていくのだろう。
 仮眠の時間が終わり、灯が点くと、軽食が配られる。カスタードパイかカップヌードルか、という、何を基準に選んでいいのか分からない二者択一で、わたしはパイを取った。列車の中でカップ麺など食べたら、それこそ顰蹙を一身に集めることだろうが、狭苦しい座席で周囲の人達がカップヌードルを食べても、意外に匂いは気にならない。よほど換気がいいのだろうか。
 わたしは身じろぎもできずに映画を二本続けて見、到着二時間前になったので、水分を解禁した。

 もはや倫敦(London)上空にかかっていて、街並みが見えてくるが、日本にない見え方だ。街路の輪郭が、彫刻刀で装飾を施したかのように太く縁取りされているのが奇妙な眺めである。もう少し高度が下がると、縁取りに見えたのが家であることに気づく。英国の家は、玄関が道に面していて、裏に広い庭があるから、家の建物が道にへばりついて連なっているように見えるのである。道に面した申し訳程度の庭の背後で建物自体が裏同士くっつきあってごちゃごちゃしている日本の住宅地とは異なっている。
 丸っこい地下鉄電車や赤い倫敦バスの形もはっきり見分けられるようになり、ヒースロー空港着15時15分(日本時間翌日0時15分)頃、しかし飛行機は降りてからが長い。ターミナルビルまでの曲折した通路を十分近くも歩いて、入国審査である。初めて英語を話さねばならない緊張の場を何とかクリア、荷物を待つ間、半日分の小用を足し、洗顔と髭剃りと両替を済ませて効率的に過ごしたつもりでも、到着口に出たのは16時を回っていた。
 ヒースローの到着口は、ドアを出てから両側を柵で仕切られた長い通路を進むようになっている。柵には大勢の出迎え客がすずなりで、彼ら数百人がてんでに名前を書いた紙などを掲げて騒然とこちらを注視している、その中を歩くから、外国スターになった気分である。自分の出迎え客を見分けることなど不可能なのだが。
 通路を出はずれて人波を避けたところで荷物を下ろし、さてこれからどうやってホテルに向かうかと思いめぐらしていると、聞き覚えのある声がかかった。
「まるよし先生、お疲れさまです」
Sam氏である。空港まで来ていただけるとは、望外のことであった。

 わたしのトランクを強奪して歩き始めたSam氏の勧めに従い、ターミナル内のカフェで暫し休憩する。早速にも10ポンドをお返しして、訊いてみると、わたしの手紙が着くのに十日もかかっていた。Sam氏は返事を直ちに出したそうだが、それから十日以上あった出発日までにわたしの家に着かなかったのである。英国はクリスマス、日本は年賀状のシーズンと重なり、運が悪かったのだろう。

 地下鉄ピカデリー線で移動し、緑公園(※Green Park)の向かいにあるホテルに旅装を解いた後、二人してすぐ近くの日本大使館の裏手にある日本料理店で食事することにした。店員は全員、客は半数が日本人で、メニューも日本語である。内装、BGMなどは変に日本を演出してはおらず、日本人にも違和感なく過ごせるものであった。料理は国内の料亭と遜色がないどころか、ボリュームはむしろこちらの方が勝っている。そういう店でSam氏と話し込んでいると、時間も忘れ、ここが英国であることも忘れる。窓外を行く救急車のサイレンの音色に、我に返って顔を見合わせる。
 日本式にレジで料金を支払った。安くはなかったが、英国の物価に比して法外な額ではない。剣橋(Cambridge)の家に戻るSam氏と店の前で別れ、ホテルに戻った。

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三日め(足跡をなぞる)

(1)驚きの英国鉄道

 時差調整の都合で、朝5時に起床。早速にも朝食を摂りたいので、ルームサービスに電話する。メニューによると、朝食は6時からで、1時から6時の間はナイトスナックの時間である。そのなかから適当な料理を選んで告げると、相手は、
今は朝食の時間です
と言う。日本なら文句の一つも言うところだが、こういう国だ、ということは、Sam氏からもレクチャーを受け、前回も身に沁みているから、何も言わない。
朝食? それなら、イングリッシュブレックファストをお願いします
今はコンチネンタルしかできません
全く選択の余地が少ない。しかたなくそれを注文する。
 ほどなく運んできたおじさんは電話と同じ声で、日系と見受けた。パンとスコーンだけで相当な分量があり、コーヒーポットは五杯分も入っており、満足した。

 倫敦(London)は緯度も高いので、冬の夜明けは遅い。七時半頃になってようやく薄明くなり、わたしも始動する。
 地下鉄のハイド公園角(※park corner)駅からピカデリー線で二駅進むと、倫敦の中心街ピカデリー円域(※circus)である。ここで二、三の用を足してから、王十字路(※King's Cross)に移動する。
 王十字路は英蘭(England)・蘇格蘭(Scotland)の北東部に向かう列車が出る英国鉄道(Brit rail)のターミナルである。元は国鉄だったが、こちらも1997年(平成9年)に民営化したのである。ハリー・ポッターが9と4分の3番線から汽車に乗ったのはこの駅で、記念撮影用にそのホームが作ってある。わたしがここにやってきたのは、ホグワーツではなく約克(York)に行ってくるためである。
 約克には国立鉄道博物館があり、前回も行ったのだが、閉館間際だったのと、大荷物を転がしていたのとで、十分には見回れずに欲求不満であった。今回は存分に見学しようと思う。
 自動販売機で約克までの往復切符を買おうとすると、4種類の切符が表示された。1等・2等のそれぞれ正規運賃、それに、割引運賃が二種類である。割引にはいろいろ条件があるのだろうし、今は平日の昼間だからどんな割引でもききそうだが、英国の列車は車内精算などは認められず、正当な乗車券を持っていないと有無を言わせず罰金を徴収されるそうだから、正規運賃が無難なようにも思える。が、正規運賃は片道74ポンド(約14500円)もし、往復割引もない。もっとも約克は時速200㎞の列車で二時間半もかかるから、それなりの距離である。英国には特急・急行券という概念がないので、特急料金込みと考えれば日本と比べてそう高くはない。それにしても躊躇する額ではある。考え込んでふと画面を見なおすと、「information」というボタンもある。そこを押すと、割引切符は倫敦発着の列車の時間がラッシュを避けるよう、制限されていることが分かった。わたしの予定は条件をクリアしているから、安い方の割引切符を買った。往復で69ポンド(約13200円)だから、随分得をした、とその時は思った。

 英国鉄道の駅には改札口がないのが普通である。切符を買えばそのままホームに出られる。見送りの客も、入場券を買うことなく列車の側まで行くことができる。頭端式ホームの一つに出ると、以丁堡(Edinburgh)経由阿馬殿(※Aberdeen)行列車が長大な編成で停まっている。阿馬殿は、蘇格蘭の中部にある街なので、英国の端から端まで走るに近い列車で、終点までは6時間ほどかかるが、わたしは半分も乗らない。
 車内は込み合うようで、先頭近くの喫煙車輛にやっと空席を見つける。乗っている人は少ないが、背凭れにカードが挿してある席が多い。これは予約席であることを示す。英国鉄道には指定席車と自由席車の区別はなく、車掌の権限で駅窓口で予約された席数だけこのカードを挿すのである。座席は二人掛けが基本だが、ところどころに四人向かい合わせでテーブルが備えられたボックスも設けられている。日本でいうと特急並みの設備だが、座席は回転やリクライニングはしないので、後ろ向きのまま乗らねばならない席もある。わたしは何とか進行方向に向いた二人掛けに坐れた。
 こういう座席の車輛であっても、運賃だけで乗れ、特急料金は要らないのである。約克までの二時間半、途中一駅にしか停まらないので、日本の感覚ではどう考えても特急なのだが。

 列車は王十字路駅を発車し、しばらくは倫敦近郊の複々線を行くが、たちまちスピードを上げ、時速200㎞に達する。非電化の地方路線に直通する列車だから当然ディーゼルカーだが、けっこう駿足である。それもその速度で、柵も何もないホームをびゅんびゅん掠めて行く。事故が起こったら日本なら安全対策の不備を問われそうだが、思想が違う。

 車掌さんが二人組で検察に来た。この割引切符でいいのかどうか自信があるわけではない。眼光鋭く肌の浅黒い車掌さんなので、余計にたじろぐ。祈る思いで差し出した切符に、車掌さんは「ありがとう」と一言、パンチを入れた。一瞥しただけである。なんだ、ろくに見もしないじゃないか、と思ったが、そんなことはなかった。わたしの後ろに坐っていた女の子が、車掌さんに切符を見咎められたのである。たちまち言い合いが始まる。よくは聴きとれないが、車掌さんは、これは有効な切符ではない、と言い、女の子は、ママがこれでいいって言って買ってくれたんだもの、などと言っているようだ。他の客の改札を中断したまま、次の停車駅の飛多原(※Peterborogh)まで一時間近く議論は続いた。どう決着したかは知らないが。
 
 飛多原からは、空いていた予約席にどっと客が乗った。ここは剣橋(Cambridge)方面からの乗換駅でもあり、途中から乗る人は予約しておかないと不安なのだろう。
 列車は玉蜀黍畑の広がる穀倉地帯に入った。道北の風景に似ている。線路は直線的で、すれ違う列車もほとんどなくなったのに、依然として複線である。土地に余裕があるようだ。また、周囲に何もなく駅でもない所で線路が分岐したりするのが面白い。と、左側の窓に、こちらと同じような複線の線路が、70度くらいの微妙な角度で近づいてきた。このままではこっちとぶつかるじゃないか、と思っていると床下でごとごとっと音がして、件の線路は右窓に移った。複線の線路同士が平野の真っ只中で平面交叉しているのである。そこを列車は大してスピードも落とさず、時速170㎞ほどで通過したのだった。


(2)鉄道の聖地

 長いようで慌ただしい二時間半が過ぎ、列車は約克に到着した。交通博物館は駅の裏手にあり、ホームから陸橋でつながっている。改札口がない、というのは街とホームとを直接連絡できるから、バリアフリーの観点からも好ましい。日本には、無理に改札口を一つに集約したがために乗客をいたずらに歩かせたり階段の上下をさせたりするような構造の駅が、特に高架化や橋上駅化などの改造を施した駅に多い。
 博物館の広大な建物は、駅ホール・大ホール・作業倉庫の三つのエリアに分かれている。駅ホールは、大きなターミナル駅を模していて、何本ものホームに、昔ながらの寝台車など気品のある客車が停めてある。ホームにはレストランもあり、車輛群を眺めながら食事できるようになっている。わたしもここでベーグルを食し、車輛を堪能した。周囲を見わたすと、食事をしたり車輛の間を歩いているのは老若男女さまざまだ。老夫婦や若いカップルなど、日本の鉄道博物館の類では決して見られないような客層も多く見える。
 大ホールには古今東西の名車輛が陳列されている。リノリューム張りの床だが、車輛の載せられている線路が床面に埋め込まれてちょうど路面電車のそれのようになっている。車輛と見学者が同じ平面に立つわけで、車輛の周りに柵などはないので、自在に手を触れることができる。車輛達はぴかぴかに磨きあげられていて、その色艶を目近に見せられると、汚したり壊したりしようという気には却ってならないようだ。英国の文化のなかに、鉄道というものが自然に溶け込みきっていることがうかがえる展示のし方である。日本の新幹線の最初の型である0系の先頭車もまるまる1輌置いてあり、自由に車内に入れる。車内では、新幹線を解説するビデオが上映されていた。懐かしく観て外に出ると、まだ幼稚園くらいの小さな男の子が0系にかなり興味を示している。英語では一応The Bullet Trainという訳語があるようだが、SHINKANSENと銘打った解説板が掲げられている。
シンカンセンってなーに?
中国の速い列車だよ
とパパが答えた。
 作業倉庫には、シリアル番号が紙の札で示してあるだけの雑多な展示物が堆く積み上げられている。目録はあるので、番号と照らし合わせれば、それが何であるのか分かるのだが、とにかく車輛の実物から指の腹に乗るような細かい部品までが、未分類のまま天井近くまで雑然と積まれ、それらを縫うように狭い通路が巡っている。既に壊れたり刻印が磨滅したりしている物もあり、休憩用に置かれた腰掛と思って坐ってみると、それも展示物だったりする。山のてっぺん付近の展示物など、よく見えもしないし、番号札も読みとれない。こんな所で火事でも出たら惨事になるだろうが、わたしは倉庫内の探検を愉しんだ。古い図書館の書庫に入った時のあのわくわく加減である。

 約克駅に戻ると、倫敦方面の列車が遅れている。以丁堡方面からの列車が概ね30分毎に倫敦に向かうのだが、一本前の列車が25分ほど、次の列車が10分ほど遅れるようだ。到着見込み時刻の表示欄があるのは、遅れが日常化しているということでもある。列車が間もなく入るはずのホームに下りると、到着二分前くらいにアナウンスが入り、番線変更が告げられる。客はあたふた移動する。
 王十字路行はやはり込んでいたが、また端の方の車輛に空席を見つけて坐った。この列車は途中四駅に停まるので、急行にあたるのかもしれない。
 


(3)不正乗車疑惑

 恰幅のいい車掌さんが改札に来たので、今度は自信をもって切符を見せる。すると、
この切符は違うよ
と言う。地下鉄の一日乗車券を間違えて出したのか、と思ったが、間違いなく朝買った英国鉄道の切符だ。わたしが首を傾げると、
切符が違うんだよ。もう一枚出して
と語気を荒らげる。
これは往路の切符。復路の切符を出して。もう一枚あるはずだから探して
と人指し指で切符を揺らす。何となく分かってきた。わたしはなぜか、英国の往復切符は一葉である、と思い込んでいた。だから、今朝王十字路の自販機で切符を買ったとき、一枚の切符しか取らなかった。その後もう一枚出ていたのだろう。
すみません。そもそも一枚しかとりませんでした。日本では往復切符は一枚で発行されるので
と言った。「日本では」以下は大いにはったりが含まれているが、福井鉄道のそれは確かに一枚なので、嘘ではない。
じゃあ、切符を改めて正規運賃で買ってもらわないと。いいかね?
はい、買います
これはやはり罰金を取られるのであろうか。現金は100ポンド(19600円)程度しか持っていない。「高専助教授、不正乗車で逮捕」という新聞の見出しが頭を過り、青くなっているわたしをよそに、車掌さんは車内発行の切符を作るのに奮闘している。日本の車内券は発行機で自動的に印字したりパンチで穴を開けたりするものが多いが、英国のはカーボン紙を挟んでの手書きである。揺れる車内に踏ん張って力強くボールペンが動く。
 やがて渡された切符には「£74」と書かれていた。正規の片道運賃で、ほっとした。考えてみれば、往復切符の往路券だけを買うことはできないのだから、往路券を持っている以上、きちんと往復分の運賃を払っていることは確かで、事情不案内な外国人であることも酌量されてか、不正乗車ではない、と判断されたようである。
 しかも、わたしが「カードでいいですか?」と訊くと、「もちろん」というので、ゴールドカードを差し出すと、何とこれで車掌さんの態度ががらりと変わった。全く「お客様」に対する物腰になったのである。国立学校の助教授なら無条件会費無料でゴールドカードになるのであり、自動的に保険が付帯するのが便利なので持っているだけで、分限者なわけでも何でもないのだが。
カードをお返しいたします。今回はまことにお気の毒でございましたが、お気をつけてどうぞよい旅をお続けください
と鄭重に頭を下げると、去って行った。さすがは階級と秩序の国だ。苦笑しつつわたしは、アルファベットの形が単純な分、本当に金釘のように見える文字で書かれた切符を見つめた。思いなおせば、英国で車内精算するなど滅多にない機会なのだから、またとない記念品ではないか。日本の国鉄にしたって、昭和40年代ごろまでは似たようなものだったに違いない。落ち着かない復路となったうえに、途中の駅で後続の「特急」に追い越された。
 終点の王十字路に近づくと、
王十字路駅です。お忘れ物ないようお降りください
とアナウンスが入る。飛多原では、剣橋方面お乗り換え、というのを聞いたし、英国鉄道のアナウンスのあり方も民営化を経て変化の途上にあるようだ。昨夏の時はそんな案内を聞かなかった。終点と主な駅でのみ駅名を一回言うだけであった。

 王十字路から再びピカデリー円域へ行き、ジャパンセンターに立ち寄る。英国ないし倫敦にいる日本人が困った時はここに行けばいい、というくらいの所で、日本の物が何でもある。わたしは地下の食品売場で日本茶のペットボトルと焼魚弁当を買い、書籍コーナーに回ると、日本の週刊誌が1~2週遅れで売られていた。ちょうど買いそびれていた号もあったので、それを買った。
 店員は日本人留学生のアルバイトが多いようであった。現地の人も買い物に来るから、客の顔つきを見て「Hello」と「いらっしゃいませ」を使い分けているが、わたしは二回とも「Hello」と迎えられた。

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四日め(都市の混沌)

(1)倫敦橋を渡って

 今日は4時起床だ。一時間ずつずらして日本時間に近づけていかないと、帰国後の仕事に差し支えるのである。二階建てのロンドンバスは、一部の主要路線が終夜運行しているので、ホテルの前の道にも時折その姿が見えるのだが、わたしの部屋の前に、故障したのか一台が止まったままだ。車内で運転手と車掌が所在なげに話をしている。ミニバーにしまっておいた焼魚弁当を朝食にし、テレビを点ける。JSTVというチャンネルが入っていて、NHKや各民放の番組をごちゃ混ぜにして流している。
 明るくなるのを待ち、地下鉄の緑公園(※Green Park)駅に行く。今日は土曜日で、ガイドブックによると、土日の地下鉄に乗り放題のチケットがあるはずだ。しかし、自動販売機にはそれらしい口座が見あたらない。窓口に声をかけ、
ウィークエンドトラベルチケットはないんですか? 今日と明日の
と訊くと相手は、
ないです
と手を振るのみだ。聞かれたことにしか答えない気なのだろう。サービス業の人にこういう応対をされるとむっとするが、こちらに英語力がないから、今は売るべき時間帯ではないのか、ここでは売っていないが別の駅ならあるのか、そういう切符自体が廃止になったのか、確かめようがない。

 今日はマイバスを予約してある。マイバスとは、倫敦(London)版はとバスのようなもので、日本語でガイドしてくれる定期観光バスである。わたしが乗るのは市内午前半日コースというもので、3時間ほどで主要ポイントを主に車窓から見物して20ポンド(約3920円)である。牛津(Oxford)やシェイクスピアの生家などを一日かけて巡ってくる郊外コースもあり、できればそれに参加したかったが、これは催行曜日が限定されていて、わたしの到着日と出発日の催行だったので、涙を呑んだ。
 三分の二ほどの席を埋めて、バスはピカデリー円域(※circus)を出発した。ガイドの初老の女性は、気さくで分かりやすいガイドをしてくれる。首相官邸・西教会堂(※Westminster)寺院・国会議事堂などが並ぶ市内南部から取って返し、シティと呼ばれる最も古くからの市街を抜け、倫敦橋(London Bridge)を渡る。倫敦橋自体は何の変哲もない道路橋だが、塔橋(※Tower Bridge)が下流に優雅に架かっている姿を見ることができる。倫敦塔の下でしばらく下車休憩となる。テムズ川の堤防の小径を散策する。
 川向こうには奇妙なデザインの建物が見える。横方向の断面は楕円の10階建くらいだが、階が上に行くほどにその面積は狭くなっていき、中心がずれていく。生えたばかりの筍か、蝶の卵のようにもみえる、斬新で近代的なデザインである。これが最近建て替わった倫敦市庁舎なのだそうだ。こんな新たな技術を集めた建物から後ろに目を移すと、王位継承のどすぐろい歴史を背負った倫敦塔、こうした雑然が都市の魅力である。倫敦橋でも塔橋でも渡れば簡単に行き来できる二つの世界のはざまで、わたしは倫敦を訪れてよかった、と感慨にたゆたった。テムズ川の水は冬の満潮をむかえて灰色に淀み揺れていた。
 昨年度は沖縄に行き、国境の虚しさを、文化の融け合いを見た。今年度になって、わたしが海外へ出かける気になったのも、その影響が大きかった。外国というと、写真や映画のなかの美しい街並みを想起して、実際にそこを自分の足で踏むことをためらっていた。しかし来て肉眼で見てみれば、路傍の雑草の生え方、アスファルトのひび割れ方、ガムの跡のこびりつき方、全て日本と変わることはなかった。わたしは気を楽にした。異文化は、多くを共有しつつ、少しの隔たりを主張しているものであるらしい、という理解に至った。そして今、わたしはテムズの向こうを眺めている。未知の文化にときめきながら。



(2)すり切れた日本

 マイバスは、倫敦塔からバッキンガム宮殿に回った。近衛兵交替の時刻が近づいているので、宮殿の周囲は大変な人だかりで、観光バスも詰めかけている。英仏海峡をフェリーで渡ってきたのだろう、左ハンドルのバスも多く、車道側に危なっかしく客を降ろしている。
 バッキンガムの近衛兵といえば、赤い制服で知られているが、今は冬服なのでグレーで、この方が風景に似合っている。つい車道に乗り出して写真を撮ろうとする観光客を、白馬に跨がった騎馬警官が制して回っている。近衛兵やそれに続く器楽隊が行進するのは一般道路であり、行進の合間には自動車が通るのである。古めかしい倫敦タクシーも頻繁に行き交うが、ラッピングというのか、派手な広告を身に纏ったのが多く、純粋に黒いタクシーは稀少だ。そういうタクシーが通ると、やはりストロボが焚かれる。
 バスに戻って五分も走ればピカデリー円域そばのマイバスセンターに戻ってくるが、バスは一方通行の道路の反対側に停車し、客は車道側に降ろされた。そして三越倫敦店のなかに引率され、土産物免税手続の説明を聞く。せっかくてっとり早く倫敦の見どころを回れ、ガイドも懇切で好感をもてたマイバスだが、最後にはこういうしくみに搦め捕られることになっているのか。興ざめしたが、三越はどうせ覗いてみるつもりだったので、まあいいか、と店内を回り、バーバリーのシャツなど買った。今の倫敦はバーゲンのシーズンとはいえ、日本の四分の一ほどの値段であった。
 牛津円域(※Oxford circus)近くにある日本人向けの土産物屋にも立ち寄って、土産を買ってしまう。バッグが重くなったので、一旦緑公園のホテルに戻ることにし、ビクトリア線の地下鉄に一駅乗った。

 ホテルで一憩するため、紅茶とコーヒーのセットをルームサービスに頼む。普通英国のホテルなら、安いB&B(Bed and breakfast)でもそんな物は備えてあるものだと聞いているのに、まともなシティホテルに置いていないのは不可解だ。しかも、持ってきてもらうと6ポンド(約1180円)取るという。そんな物は要らんからその分部屋代を下げろ、という客もいるのだろうか。このセットを持ってきたのは陽気なおばさんで、わたしが伝票にサインする間もずっとしゃべり続けている。緑色のティーバッグをつまみ上げて、
うちは日本茶もご用意してるんですのよ
と自慢する。部屋にあってしかるべきものを持ってきただけだから、チップはやらんぞと決めていたが、感じのいいおばさんなので、ポケットの1ポンド玉を探る。が、おばさんは伝票を受け取ると、
素敵な午後を!
と言い残し、疾風のように去った。
 ミルクティーを味わった後、ホテルから今度は中心部に背を向けて歩き始める。十五分ほどぶらぶら行くと、騎士橋(※Knights Bridge)の商業地域にさしかかる。緩くカーブを描いた広くない道路の両側に張り出すように、古めかしい中層ビルが建ち並んでいる様を見ると、英国の街だな、という感じがする。家といい店といい、建物を道ぎりぎりまで出すのが習性らしい。
 老舗のデパートである「ハロッズ」に入ると、バーゲンだけあって、大変な人波だ。それをかき分けて、フードホールに行ってみる。世界中の食べ物が、ジャンル別に並べられて、いろいろな物の匂いと人いきれで熱気が回る。寿司のカウンターなどもあるが、坐ってつまんでいるのは見事に現地の人ばかりだ。わたしはそこでチーズやら寿司のパックやらを買い込んだ。
 騎士橋駅から地下鉄に乗ってレスター方域(※square)まで行く。この駅の近くに中華街がある。英国から見れば、極東など一絡げだから、中華街の中にベトナム料理や日本料理の店もある。わたしは一軒の日本料理店に入って夕食をとることにした。
 日本語も通じるし、店員が日本人ばかりなのはいいが、店の規模の割に店員が多く、手持ち無沙汰な彼女らが大きな声で私的なおしゃべりに興じている。居場所がないのか、客のいるホールに出てしゃべっており、それでいて客への目配りはできておらず、大声を出さないと注文を取りに来ないし、手は空いているのに茶を継ぎ足しに回ったりはしない。果ては玄関先を掃き掃除した箒と塵取りを腰に持ったままの店員が、食事をしている客のテーブルのすぐ脇を通る。今時場末の一膳飯屋でもこんな下品な店はないだろう。日本文化の何を伝えたくて店を出しているのか、わたしは腹が立ってきた。料理の味もそれに見合ったものであった。

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五日め(熱を帯びた帰還)

(1)蝋人形にうなされて

 今朝は三時に起きる。寝起きは上々なのだが、体調がおかしい。疲れが溜まってきたらしく、体が熱っぽくて頭も喉も痛く、腹具合もすっきりしない。今日はホテルを出て、帰りの飛行機に乗ることになっている。こんな体調で乗りたくはないが、乗らないと帰れないからどうにかするしかない。とりあえずティーセットの電熱ポットで湯を沸かし、日本から持ってきたカップそばを朝食にする。熱に乾いた舌をそばが上滑りするようで、味がない。
 コーヒーを飲んだりベッドに寝そべったりテレビを見たりしながら時間をつぶす。ビジネスセンターに出かけてメールのチェックなどもする。が、気分は芳しくない。
 九時になると、わたしにとっては「昼食」相当だが、ルームサービスのイングリッシュブレックファストが届く。これは、前夜伝票をドアノブに掛けて予約しておいたものである。ボリュームはなかなかのもので、コーンフレーク・牛乳・ヨーグルト・コーヒー・オレンジジュース・パンがワゴンにぎっしり並んでいる。パンはロール・クロワッサン・トーストが籠に盛られていて、これだけでお腹いっぱいになりそうだ。そしてメインディッシュの大皿にはスクランブルエッグ・ハッシュポテト・マッシュルーム炒め・ベーコン・ソーセージ、それにまさにイングリッシュブレックファストの特徴たる温めたトマトが丸ごと、雑然と盛り合わされている。普通はケチャップで煮たビーンズも加わるのだが、わたしは苦手なので抜いてもらった。二人で分ければちょうどいい朝食になりそうな量だ。こんな体調になるとは計算に入れずに頼んだので、持て余す。せめてもとワゴンを写真に撮っておくことにした。
 半分以上残したワゴンにチップを載せて部屋の外に出し、しばらく待っていると、正午前にSam氏が現れた。出発日なので見送りがてらまた荷物を持ちに来てくださったのである。もう寝ていられないので、お茶を勧める。テレビではコロッケと華原朋美が司会のバラエティー番組が流れている。Sam氏は普段こんなものをあまり見ないのか、熱心に見入っている。
 
 飛行機は19時00分発なので、夕方に空港に行けばよい。体調は悪くとも、それまでじっとしているのももったいないので、もう一カ所観光しておくことにする。わたしはマダム・タッソーの館を観てみたいと思っていた。いわゆる蝋人形館である。
 ホテルをチェックアウトし、緑公園(※Green Park)駅に向かう。ここから蝋人形館最寄りのベーカー街(street)までビクトリア線で一本のはずだったが、駅にはビクトリア線は保守工事のため運休、との掲示が出ている。英国の鉄道では工事運休というのによく出くわす。日本の鉄道は、工事や事故があるにしても、運休は最後の手段としてできるだけ避ける傾向があるのだが、国柄の違いだ。工事ならまだしも、運転士の都合がつかないため運休、などという案内も平然とあるそうで、日本なら新聞沙汰である。
 代行バスも運転されているようだが、倫敦の市街地内なら路線が入り組んでいるので、少し迂回すれば目的を達せられる。わたしたちもジュビリー線に一駅乗って牛津円域(※Oxford Circus)へ、そこでベイカルー線に乗り換えて、無事ベーカー街に辿り着いた。ベーカー街は言わずと知れたシャーロック=ホームズゆかりの地だが、そちらは夏に行ったので、眼もくれない。Sam氏は蝋人形館を観たことがあるとのことで、外で荷物番をしてくださる、と言うのでお言葉に甘えた。
 蝋人形もさることながら、途中にお化け屋敷のようになったゾーンがあり、仕掛けではなく生身の役者たちが見物人を脅かすのが面白い。蝋人形も置いてあるし、通路に俯いて坐っているのが人形なのか役者なのか、近づいてみるまで分からない。あまりに刺激が強いので、このゾーンはパスして進む女子供向けの通路も設けられている。
 さらに進むと、倫敦タクシーを模したゴンドラに乗って、倫敦の街の歴史的変遷の展示を見て回るゾーンがあった。これも展開が工夫されていて面白い。途中、「ここを見て笑って」という注意書きがあり、何だろう、と凝視すると、フラッシュが光った。自動的に写真を撮られたようで、タクシーを降りた所にカウンターがあり、後ろのモニターに十枚ほどの写真が表示されている。自分の写真の番号を言うと、プリントアウトしてくれるらしい。わたしの写真は狐に摘まれたような顔なので、写真をもらうのは止めた。


(2)名残の英会話

 蝋人形館を出て、ベーカー街からハマースミス・シティ線でパディントンに降りる。ここは英国鉄道の西のターミナルで、華艶府(※Cardiff)や白鳥海(※Swansea)など、威爾斯(Wales)方面へ向かう列車が主に発着するが、ヒースロー空港へ直結する「ヒースローエクスプレス」も出ている。一度これに乗ってみたいと思っていたし、着いた時は地下鉄だったから、変化もついてよい。Sam氏は地下鉄全線の一日パスを買ってしまっているので、わたしとは別に地下鉄で空港に向かうことにし、荷物を受け取っていったん別れる。「ヒースローエクスプレス」は、僅か15分の運転時間だが、長距離列車のようなゆったりしたシートで滑らかな走行を楽しめてよかった。熱を帯びた体ではもっと乗っていたいくらいである。この後各社の東京便と大阪便が相次いで出る時間帯だからか、車内には日本語が飛び交っていた。

 空港に着き、全日空のカウンターに行ってみると、搭乗手続開始までまだ二時間近くある。そろそろお腹も空いてきているのだが、胸が悪くて食欲が全くない。あっさりざるそばくらいで済ませておきたいが、そういうものが空港にあるとも思えない。レストラン街を一回りしてみたが、メニューに日本食のある店は見当たらない。
 大体英国では、外で食べるものを求めようとしても、買える物のバリエーションに乏しい。例えば、大きな駅の中などに何軒もの飲食店が並んでいる、という場合でも、日本なら、そば屋・ラーメン屋・喫茶店・居酒屋・洋食屋…、という具合になっていて、それぞれテイクアウトも可能であったりする。しかし、英国では何軒も店があっても、すぐに食べられる物と言えばどの店も売っている物は同じで、、サンドイッチ、ホットドッグかハンバーガーあたりと相場が決まっていて、それ以外の物を食べたければ、レストランに入るしかない。飲み物も、スーパーでもコンビニでも、オレンジジュース・コーラ・レモネードあたりの限られた品揃えであり、わたしの好きなトマトジュースの缶などは見かけない。日本のように、軽くそばで済ませておこう、とか、小腹が空いたのでコンビニでおむすびを買って虫抑え、ということはできないのであり、日本の食文化の豊かさというか節操のなさというかがありがたく身に沁みる。
 それはともかく、街中ならともかく空港内であっさりした物は求めるべくもなく、そもそもロビーがごったがえしていて落ち着かない。わたしは比較的空いていると思われる到着ロビーの方に移動し、カフェで口当たりのいいバニラシェイクを飲みながら時間を潰した。

 そろそろSam氏もわたしを探しているころだろうし、出発ロビーに行かねばならない。建物の外に出ると、悪寒が襲ってきて、足元がふらつく。熱がかなり上がっているようだ。これからの長旅に暗くなるばかりだ。しかも、チェックインのあとも、国際線に乗るには煩わしい手続きをいろいろしなければならない。これでも昔よりは簡素化されたそうなのだが、この体調では気が重い。
 Sam氏と落ち合って、またカフェに入り、しばらく話す。依然として固形物は喉を通りそうにないので、思い切りミルクを入れたカフェオレをちびちび吸う。Sam氏は感ずるところあるのか、いつになく口数が少ない。わたしの方はもちろん無口である。話が弾まないこと無類だ。わたしの勝手な英国再訪の動機を説いて、滞在中の案内などは辞退したが、そのため結果的には到着時と出発時の荷物持ちに使ったようなかたちになっていて、かえって失礼なことをしているかも知れず、申し訳ないことである。

 出発一時間半前になったので、お礼を言い名残を惜しんだうえで、出国ゲートに入る。免税店街で若干の土産を買い足して、待合室に入る。重い荷物は預けてしまったから、楽にはなったが、依然喉が腫れて熱っぽい。
 機内に入ってみると、わたしの席は三人掛けの通路側で、窓寄りの二席には、ツアーに参加しているらしい老夫婦が坐った。通路側でよかった。トイレに立つにも乗務員さんに話しかけるにも楽でよい。
 わたしは、水平飛行に移ったら乗務員さんに症状を訴えて薬を貰おう、と思っていた。離陸して機内の態勢が整うまでは、乗務員さんも何かと忙しいはずである。しばらく待つ方がいいだろう。そう思いながらも、頭はがんがんするし、喉はひりひりして咳が止まらない。すると、左隣の老婦人がシートベルト着用サインが消えるやいなや、土産物を買い忘れたとかで、添乗員を通路に呼んで、免税品購入についての相談をはじめた。添乗員は添乗員で、ものはついでとツアーの感想を聞くアンケート用紙を手渡したり、成田到着後の集合場所を説明したり、十分はわたしの前に乗り出して声高の会話が延々続いた。その間、乗務員は遠慮してこの通路を通らない。わたしの病状はどんどん悪化する。

 ようやく通路が空き、飲み物のサービスが後ろから始まった。わたしはその時に薬を頼むことにした。こういう時のために日本の航空会社にしたのであるから、図に当たってはいる。そう思っていたところ、何としたことか、わたしの坐っている一角を担当するのは、若い英国人の男性乗務員ではないか。しかも見ていると、彼は日本語はサービス上の決まり文句以外は片言しかできない様子である。日本人の乗務員は別のブロックでサービスに勤しんでいるし、わたしはしかたなく朦朧とした頭で自分の順番までに急いで英作文を試みた。
「すいません、熱があって、喉が腫れてガサガサするし、頭も痛いんです。薬をいただけますか?
それはいけません。×××××××、アルコールを飲まれますか?
喉が弱くてすぐ腫れ上がるので、sore throatという語句だけは暗記してきた。文を予め組み立ててこっちの意志を伝えるのはいいが、相手の言うことが聞き取れないと会話にならないのが厄介である。相手はこちらが英語をすらすらと言うものだから、自分の言うことも理解できる、と思って話してくる。わたしはmedicineと言った後なので、alcoholと言われると、消毒用に綿に含ませたあれを連想してしまう。何でそれを飲まないといけないのか。
「は?」
ワイン? ジントニック? ビール?
酒を飲んでさっさと寝るか、と言っているらしい。わたしは酒が弱いから、そんなことをしたら余計にしんどくなるし、何やかやサービスなどあるから、寝ていられないだろう。だいたいエコノミークラスではどうせ背凭れもろくに倒せないのだ。こういう客のために、何のサービスも要らないから着くまでほっといて寝かせてくれるリーブアローンクラスという格安の席を作ってはどうか。客が全員飲み食いしたいわけではなかろうし、何か欲しくなったら自分で取りに行くことにしておけばよい。
 やがて、乗務員さんがバファリンとミネラルウォーターを持ってきてくれた。それを飲んで一時間もすると、嘘のように熱が引き、頭と喉の痛みが治まった。今までも持参した痛み止めを飲んでいたのだが、ほとんど効果はなかった。体が慣れてしまったのか。
 ところで、左の老夫婦は、英語どころか、外国人のたどたどしい日本語さえ解さないらしい。再びワゴンを押してきた乗務員さんに「ノミモノ、オカワリ、イカガ?」と問われて、秋田訛りで「鶏肉があったらもらえっかね?」などと言っている。しかも、さきほどのわたしと乗務員さんのやりとりを聞いて、わたしが英語が不自由なく話せるものと勘違いしたようで、わたしを頼る目で見る。
 しかしわたしも症状が改善されてみると、俄然食欲も回復し、朝からろくに食べていないので、極度の空腹が一気に襲ってきた。さっきまでリーブアローンなどと言っていたのに、現金にも夕食が待ち遠しい。機内に香りが漂い始め、いよいよ食事のワゴンが回ってきた。
気分はいかがです?
と訊く乗務員さんに、
かなりよくなりました。ありがとう
と上機嫌で答えた。そのうえ、ワショク? ヨウショク? と訊かれて和食を選ぶと、わたしが空港で夢想した通りの、鮭ご飯とざるそばのセットだった。洋食の方はサーモングラタンらしい。しかるに老婦人はまたも
「鶏肉はねっすか?」
と食い下がり、乗務員さんは当惑して首を傾げ、異国人訛りの片言で、
「サケノ、ワショクカ、ヨウショク、エラベマス」
などと言う。
「サケは洋酒のほうがええよね」
 英語は分からないが、日本語方言相互の通訳なら体調の戻った日本語学者にお任せいただこう。
 ともかくわたしは大喜びで和食の箸をとる。パスタもデザートも付いているが、脂っこい物を口に入れる気にならず、残す。すると、
「ちゃんと食べとかねっと、夜中に腹すいて困るよ。食べなせ」
と老婦人に叱られる。英語が分からなくても日本人ならバファリンを見て察してほしかった。
 成田まではまだ八時間もかかる。
 

(了)

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