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2005年9月19日 (月)

『女王の教室』のルーツ

  四年ほど前に、授業で指名した生徒の答を「ファイナルアンサー?」と確かめる教師が続出したのと全く同じ経由線区を辿って、ここ一月ほどは、居眠りを貪る生徒を「いい加減目醒めなさい!」と起こす教師が増えている。はずだ。
 放送途中でスポンサーがクレジットを外すなど、何かと論議を呼んだドラマ『女王の教室』を最終回が放映された。最終回に向け、悪魔のような教師とみえた天海祐希が、実は深い意図をもって悪魔を演じていた理想の教師である、という方向に誘導がなされてきた。そしてラストシーンで彼女は初めて笑みを見せる。

 しかし、彼女に教師の理想像を重ねるのは危険である。

 『女王の教室』の教師像の下敷きにあるのは、有名な「エリオット先生の差別体験授業」なのだろう。自らを子どもの越えるべき壁として設定し、問題解決能力を触発する、そのためにキャラを作って子どもたちの前に立って演技をしとおす、というコンセプトが共通する。
 わたしは、教師、それも小学校の担任教師が自ら「壁」を演じるのは邪道だと思う。学校で教育するべきことは、問題解決能力だけではないからである。教科担任制ではない小学校で、担任が壁になってしまったら、子どもをフォローすることができない。人格形成自体の途上にある小学生にはフォローの態勢が必要なのだ。徹底的に突き放して奮起を促す、というのは、例えばプロの職業人を養成する過程でなら有効だろうが、小学校には不適切なのだ。
 天海祐希は、フォローをも一人で完璧にやろうとして、徹底的に子どもたちのデータを管理する。それはいいが、女子児童が出会い系サイトで援助交際を誘う書き込みをして、危ないめに遭いかけたところに現れて窮地を救うのだ。夥しい数のサイトを逐一チェックし書き込みが自分のクラスの児童のものだと断定(どうやって?)し、男性数人と格闘して撃退する。いろいろな面で並外れた能力をもっていて初めて成立する学級経営法であり、現実に対する提言とはなり得ない。
 「エリオット先生の差別体験授業」も、僅か三日間の実践だから、まだ許容できるというものではあるものの、わたしはあまり評価しない。子どもに精神的外傷を残す可能性もあるからだ。
 
 わたしが所属校で初めて担任したクラスでは、わたし自身が壁をやるまでもなく、壁となるべき事態がクラスに起こってくれた。それを解決する過程は、クラスをまとめ成長させるのに大いに役立った。わたしがしたのは、学生に議論のヒントを与えることと、学生を外部からの重圧から守るために矢面に立つことだけであった。周囲にあまり相談せずにひとりで問題を囲い込んだ点は天海祐希と似ている。
 ただ、そういう問題がそう都合よくどこのクラスにも起こってくれるわけではない。二回めのクラスでは、問題がなかったわけではないが、クラスで解決するような性格のものではなかったので、学級指導に活かすことはできなかった。現在のクラスはまだあと半年あるが、今のところそういうのはない。
 とすれば、これはやはり演出が必要なのだろうか。教科担任制なのだから、誰か一人の先生に「壁」役をお願いして(最初の授業で「この授業は二十人落とします」とか宣言してもらう)、他の教師たちが学生をフォローする。惜しむらくは、前述の初めての担任の時のごとく、授業を潰して延々クラス討議のための特活をやる、というムードが、今の高専からは失われている点だ。
 むしろ、「エリオット先生の差別体験授業」こそ所属校ならやれるかもしれない。あんな実践を普通の学校でやりだしたら、とたんに管理職が飛んできて同僚に止められるだろうが、他人の授業に対する関心の薄い学校だから、こういう実践が学校で評判になるのに三日はかかるだろう。わたし流の「王子の狂疾」を展開してみてもいいかな。

 「エリオット先生の差別体験授業」はTVなどで紹介されたのみで、本になっていないのが惜しい。『行動科学への招待 現代心理学のアプローチ』(米谷淳・米澤好史 2001 福村出版)という本に概要が紹介されているのだそうだ。

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6.0教育・研究」カテゴリの記事

コメント

自己補足があるのだが、長くなったので、新たな記事「授業の虚構論」として分けます。どっかその辺からリンクしてるはずです(笑)。

投稿: まるよし | 2005年9月21日 (水) 22時53分

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