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2005年10月30日 (日)

翻訳三題

  前々記事「翻訳された小説の表現主体は」に対するトラックバックから。

去年だったか、「The Catcher in the Rye」の翻訳を村上春樹が出した。
僕は楽しめたのだけど、野崎孝の翻訳「ライ麦畑で捕まえて」をすでに読んでいた友達に見せたら、彼は断固と して「野崎孝の方がいい」といって譲らなかった。
野崎孝の翻訳は各所で「名訳」と誉れ高い翻訳である。が、少々年月がたってるせいもあって表現が古い。
村上春樹は今の10代向けに書き直したそうで、意識的に野崎訳とは表現を変えている。
そのため村上訳と野崎訳は作品の雰囲気が大きく異なっている。
そして、どちらにも支持する読者がついているのである。

『∀∀’s daily life 』「翻訳+」
http://arbitrary2.blog22.fc2.com/blog-entry-58.html#more

 これを読んで思い出したこと、補足。

 スコットランド民謡「Comin' threw the Rye」の訳詞は二種類知られている。大和田建樹訳の「故郷の空」となかにし礼訳の「誰かさんと誰かさん」である。
  平成13年のNHK『思い出のメロディー』では、この二つが別々に(つまり、比較しようなどという意図なしに別の曲として)歌われる、という椿事が発生したので、当然ビデオに撮っておいた。それぞれ由紀さおり・安田祥子、及びザ・ドリフターズによる歌唱である。
 わたしはこの二つなら、「誰かさんと誰かさん」の方がよほどよくできた訳詞だと思う。「故郷の空」の方が格調が高いというのが一般の評価だろう。が、意訳が過ぎるし、メロディーと詞の切れ目やアクセントが全く合っていない。大和田は鉄道唱歌を作詞したことでも知られるが、あれも陳腐といえば陳腐な詞である。だからこそ一般うけしたのかもしれないが。「故郷の空」も、言語表現としてそして歌詞として見たとき、わたしはあまり品格を感じない。歌っていて体がかくんかくんしてリズムにものれないのだ。
 明治時代に訳された歌詞は、やっつけ仕事だったわけでもなかろうが、音符と歌詞の文字を適当に(それもそんなに厳密でなく)詰め込めればそれでいい、といった風情の雑なものが多い。とにかく学校で教えるべき西洋風の唱歌が不足していたから、そこら中の大学教授などを動員して欧米の歌を片端から訳したおしていたらしいのだ。津川主一の詞(「金髪のジェニー」など歌唱不能の訳詞だ)は犯罪的な酷さである。が、それらがそのまま学校で教えられて定着してしまっている。
 話は逸れたが、「故郷の空」と「誰かさんと誰かさん」は、結局全く別の曲だ、ということである。

 訳の違いの問題は、外国語の言語作品にとどまらない。
 源氏物語の口語訳も何人もが施している。時代順に、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴が有名どころだろう。谷崎は新訳・新々訳を含め三回にわたる。院生時代、周囲にいた国文学専攻の院生の間では、谷崎新々訳を買い、円地訳をけなす人が多かったように思う(瀬戸内訳はまだ出ていなかった)。
 わたしも谷崎新々訳(家にあった)と円地訳(教科書に紹介されていた)しか読んでいないし、どれがどうだと言えるほど源語の知識があるわけでもないので、評釈は避ける。
 が、いずれにせよ、これらの口語版源氏物語を読んだ時、われわれが文章の向こうに透かし見るのは、紫式部よりも訳者の方ではないだろうか。

 直訳とか、原文に忠実な訳とかいうのには、言葉の壁もあって困難が伴う。
  川端康成の「雪国」の英訳は、この種の議論でよく引き合いに出されるが、分かりやすいので紹介しよう。国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。という冒頭文からして、英語に直訳するのは不可能である。主語がないからだ。省略されているのではない。主語を顕在させなくても文が成立し得る日本語の特質を活かし、主語がどうとでもとれる日本語特有の含蓄ある表現にしているのだから、何を主語にして訳しても間違いになる。
 サイデンステッカー訳はえいとばかり割り切って the train を主語にしている。もちろん批評家からは非難囂々であるが、誰も代案は出せない。その後の「駅長さあん、駅長さあん」という葉子の台詞も英訳不能なので、the girl called to the station master と地の文になっているのが面白い。

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