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2005年12月 5日 (月)

友 遠きにありて

 友達のありがたみというのは、友達がすぐそばにいる学生時代には分からないもののようだ。わたしのような仕事は、職に就いていても新たな友達をつくりやすい(友達を広義にとればである)環境にあるわけだが、学生時代から付き合っている友達が、今になって価値を増してくる実感が体の奥から湧き上がる気がする。
 

 今回の中国地方行では、まず岡山でまるよしくらぶの卒業生に会った。まるよしくらぶというのも、どこまでが会員なのか判然としないいい加減な組織だが、その最もコアなメンバーであることは間違いない。そういう組織ができたこと自体が感謝に堪えないのであるが、彼とは個人的なつきあいを重ねて、わたしにとっては教え子というより既に若き友人という感じである。こちらが得るものも大きいからだ。住んでいる場所は離れているものの、ネットワークを通じて日常的に対話している。とはいえ、やはり直接対面して話すに勝ることはない。

 広島に場所を移して、高校時代からの親友にも会った。高校に入って初めてのクラスで知り合って、同じ友達グループ(まあだいたいクラスで三つぐらいに大まかに分かれるものである)に属して一緒に遊んだりなんかしていたわけだが、そういう中から特に親しさが抜きんでて、卒業してからも何や彼や交流がある。大学では全く畑の違う専攻だったのに、不思議な縁で、今は似たような職場に勤めているので、共通の話題には事欠かない。
 この歳になれば、もちろん日常一緒に遊んだり語り合ったりするわけではない。それでもお互いが離れた所で頑張っているという思いが、励みになっているのを感じる。日頃会わないし、男同士であるがゆえに、そこに何の形も契約も打算もないのに、そういう信頼感が保てているのも、共に過ごした時間を通じて醸成された尊敬の念があるからだと思う。 こういう親友を一人でももてるのは、恵まれたことだと思う。こうしてたまに会って語り合うと、交友が現在進行中であることに気づく。「旧交を温める」のとは違っているのだ。

 二人はどちらも大切な友人であり、そのつきあいの次元が違うけれども優劣や親疎の差はない。遠きにあってなお将来にわたる計画が存し得るところが、どちらも生きて血の流れた交友であることの証である。どっちもぜひ実現いたしましょう。

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