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2005年12月16日 (金)

英語のテキストで授業を受けること

東京高専専攻科では、工学系の講義でも英語の資料・
教科書を使う講義があります。

当然、一般的な英語の素養もテクニカルタームの素養も
不十分な僕らでは、独学で読もうったってムリがあります。
(中略)
教科書理解する前に、概念の理解をしておかないと
無理だなぁと思う今日この頃でした。つまり、まず日本語なり
なんなり僕のわかる言葉で説明してください、と。

「教科書が英語だときつい」  
http://arbitrary2.blog22.fc2.com/blog-entry-72.html#comments

 大学院のときには、心理学専攻の授業に押しかけて、発達心理学の英語テキストの輪読に参加した。わたしを含め三人の院生が受講していたが、一人が心理学、一人が英語教育学、そして国語学のわたし、という陣容である。ピアジェとフロイトの心理学を比較しつつ考察する文献である。心理学の人は内容の正確さ、英語教育学の人は英文把握の的確さ、わたしは訳した日本語の美しさ、でそれぞれ勝負して、丹念にテキストを訳していった。

 その作業を通じて感じたのは、たとえ未知の理論であっても、やはり訳で読むより、原文を理解する方がいい、ということである。
 英語で書かれた文章だからといって、訳した日本語を理解するのではなく、英語そのものを理解することに努めるのである。著者は当然英語で思考して書いているわけで、構文や文章構成のメカニズムが日本語と違う以上、著者の考えを辿りなおすには、原語でないとならない。そうはいっても、原語は難しい。

 そんなわけで、わたしは、「セオリーどおりの訳ではなく、語順を崩さない訳」を作ることを心がけていた。

  I guess that ”discription” is the most important concept in analyzing texts.

という文を、普通の訳し方をすると、

  「描写」は、文章を分析するにあたって最も重要な概念であろう。

となろうが、これでは言葉が著者の頭を過った順序と違うわけだ。構文にしても、「私が推測する」という意味の成分は、日本語の文では単なる文末表現として、述語にぶら下がったただの付け足し()に成り下がっている。が、原文ではまさにそれは堂々たる文の中枢たる主文の主題と述語動詞(I guess)である。文の組み立て方の思想が全く異なる。
 そこで、輪読の時には、

  蓋し、「描写」を最も重要な概念に据えて分析されるのが文章である。

というふうに、なるべく原文の語順を崩さないように訳したのだ。関係詞や前置詞で後ろから係ってくる場合も、できるだけ前から訳す。
 学問のための読書はこんな感じでいいのではないか。

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