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2005年12月21日 (水)

英語初期教育の脱場面

  カフェのカウンターでコーヒーを飲んでいると、後ろのテーブル席から妙な会話が聞こえてきた。母子のようである。子供は小学校2年くらいの男の子とみえた。

  Are you a boy ? はい、答えは?」
  「んー。アー…?」
  「主語がyouの時は、とかですを表すのがareになるの」
  「
うん」
  「じゃ、どうなる? Are you a boy ?
 
 「You are…」
  「何でよ。あなたはって訊かれたんだから、答は私はになるでしょ。じゃ、主語は何?」
 
 「I
  「Iのときはは~ですは何?」
  「I am…」
  「そう」
  「I am a boy

 英語塾テキストの宿題を一緒にやっているようだ。そういうやりとりを聞きながら、いろいろ考えさせられた。

 まあよく言われることではあるのだが、あなたは少年ですか? はい、私は少年です。という会話は、いったいどういう場面であり得るのか、想像もつかない。
 わたしが中学で使っていた一年生の英語の教科書lesson1の最初の文は、This is Japan.であった。この文もどんな文脈で発せられるのか、さっぱり分からない。と言ったら、当時の級友は、多分地図を見ながら指さしているのだろう、と解説してくれた。それならそれでいいのだが、ならばそれに続くThat is America.は何だ。わけがわからんぞ。体育館いっぱいに敷きつめた巨大な地図なのか。あるいは場面はがらっと変わって、水平線の向こうにかすかに目的地を見いだした咸臨丸の船上の会話か。何でもいいのだが、問題は、そういう場面設定に関する説明は一切されていなかった。
 初心者であるほど、あるいは学習者の年齢が低いほど、学習内容は場面的であるべきである。小学校の算数でも、たろう君が市場に買い物に行くわけであり、これが高校の数学になると、点Pが辺AB上を秒速2㎝で往復しているだけになるのだ(もっとも、わたしは精神が幼いので、点Pは何の用があって一所懸命往復しているのかが気になってしようがなかった)。学習内容そのものがまだほとんど頭に蓄積されていない段階では、新たな知識を受け入れるための器をその学習内容自体で形成することができない。学習者の既に親しんでいる状況(日常の生活など)を器として設定し、こそに学習内容を注ぎ込むことで、習得を促すほかないからである(だから、英語の授業を英語でする英語教師がいるが、わたしはこれには否定的である。まあ、これはまた記事を改めよう)。

 そんなことを考えていると、また母子の会話が聞こえてくる。

Takesi is my friend
「たけしは私の友達です」
「そうね。次の文は? He likes soccer
「彼はサッカーが好きです」


 小学生の男の子の一人称が私であったり、友達のことを彼と言ったりするのが不自然だとは思わないのだろうか。これでは、学習内容である英会話が、日常の生活場面から乖離するばかりである。
 わたしが中学時代に通っていた塾は、英語の指導に関してもかなり柔軟で、日本語訳にも関西弁を採り入れたりして生徒の興味を惹いていた。が、例えばheをあの人・そいつ・あの子・あの先生などと訳したり、言わなくても分かっている主語を省略したりすることにはあまり寛容でなかった。わたしはそういうところで抵抗しては玉砕していたように思う。そういう形での訳出法をたたき込まれたせいで、高校に入っても、わたしは英文解釈(Reader)の時間に小説の訳を指名されて、

 何と私はあなたにいらいらすることでしょう。あなたはもっと早くバターを持ってこなければなりません。このうすのろめ。あなたはそのパンを食べてはいけません。あなたはあなたの部屋にすぐにもどりなさい。

などというような訳を答えていて、また先生もそれでよしとしたのである。
このうすのろめ。だけは教科書の脚注に訳が載っていたのをそのまま読んだのである。
 逐語訳と逐構文訳(なんて言葉があるのかどうか)にこだわるのも、英文法を理解するためにはそれなりに意義があるのだろうが、それを自然な表現にもういちど和文和訳するのも必要な力だろう。しかし、これは日本語力になるので、わたしたち国語教師が頑張らねばならない、ということか。

 母子の会話はまだ続いている。

 「
彼女は一人の先生です
 「はい、よくできました。これで今日の宿題は全部できたね。じゃ、行こうか」
 

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