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2006年4月26日 (水)

乱れ初めにし似てるっく

※サーバ不具合の影響により、この記事はコメントを含め、いったん削除して投稿しなおしたものです。

 先日、電車の中で中学生の女の子たちの会話が聞こえてきた。

ねえ、C子の妹って、すげーC子に似てるっくない

 ああ、これはもう、似てくない? もしくは似くない? の出現は時間の問題だろう、とわたしは思った。
 と言うのも、わたしは平成6年に研究室に質問に来た女子学生の口から

あれ、これの答え、活用表と違うっくない

 という表現を聞いたのを覚えているからだ。なんじゃそれは、と思ったが、それから二年を経ずして、違くない? という表現が話題になりはじめた。そして、それから類推されて、違かった が蔓延するのにも長い時間はかからなかった。あたかも 違い という形容詞であるかのように運用されはじめたわけだ。

 違う にしても 似るにしても、品詞は動詞であるが、多分に状態性を帯びており、意味としては形容詞に近い。そういう意味の言葉に ない という 補助形容詞 を下接しようとする時、形容詞の活用語尾である を思わず付けたくなるのであろう。が入るのは、何となくおかしい、という躊躇からであろうか。その躊躇がなくなると、堂々と が挟まれる。

 それだけ状態性を帯びているなら、なぜ初めから形容詞にならなかったか、という疑問がでてくるが、これは、古典語の形容詞というのは、現代語のそれよりも、ずっと即主観性が高かったことによると思われる。
 違う 似る のように、二つの物をひいた立場で比較して判断を下す、という意味では、客観性が高すぎて形容詞になり得なかったわけである。ある事象からどうしようもなく感じさせられてしまう感覚や心情だけが形容詞になったものと思われる。私は嬉しい とは言えても、彼は嬉しい とは言いにくいところに、日本語の形容詞が本来もっていた即主観性の名残が窺える。
 近代以後、恐らくは英語の訳の影響で、形容詞の即主観性は弱まり、すなわち品詞の境界線がずれたということである。こういう流れは止めることはできないようだ。

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5.6  言葉の動向」カテゴリの記事

コメント

形容詞と動詞からの「似てるっくない」の考察,ううむ・なるほど!と拝見しました。

ところで,私は別のアプローチで「似てるっくない」を捉えてます。それは,自分の
感想を表した断定の文章に「くない?」を加えて,(1)表現を婉曲にする・(2)会話を
続けるために疑問文にする・(3)誤った語法をわざと使ってズレ感覚を楽しむ,
『くない話法』(仮称)というべきものではないか?ということです。

例えば「これ,良くない?」というのを「これ,良くな・くない?」と婉曲にしたり
「これ,美味しい!」→「これ,美味しい・くない?」と相手に軽く返事を求めるよ
うな例です。

エントリ冒頭の例文も「ねえ、C子の妹って、すげーC子に似てる」と言いきっても
良いんだけど,それだと会話にならないから「くない?」がついた。で,相手は「う
ん・思う思う!」とか「え゛~・似てないよ~」とか応えるわけですね。

面白がって使ってるうちはいいんですが,世代が変わって先生の予言される「似てく
ない?」がでてきたら,なんだかいやですね。。。

(元投稿日 2006/04/27 12:36:32)

投稿: Hyaru | 2006年4月28日 (金) 08時03分

 なるほど、「くない話法」ですか。ある意味で、「くない」が一つの連語と意識されている、という面はあるかもしれませんね。
 ただ、(1)(2)の表現機能については、この形に限ったことではなく、もっと動作性の高い動詞では、「思わない?」「行くんじゃない?」と通常の接続が使われており、「思うっくない?」や「行くっくない?」は今のところ聞いたことがありませんから、やはり状態性の高い動詞特有の現象かと思います。もっとも、「行くっぽい」などの表現はありますから、そういうのもいずれ出現するのかもしれません。
 (3)のズレ感覚は、そうと分かったうえで楽しんでくれるならいいんですが、「違かった」などは堂々と作文に書かれたりするので、その感覚が薄れてきているようですね。

 まあ、ことばというのは変化していくのが宿命で、本来「あらたしい」と訓むべき「新しい」なんてのも、変わりはじめの頃は顰蹙をかったのでしょう。
 動詞「むずかる」を形容詞化した「むずかしい」も、若い世代は「むずい」と縮めますから、「違う」から「違い」が生まれるのも自然な流れかもしれません。

(元投稿日 2006/04/27 17:56:24)

投稿: まるよし | 2006年4月28日 (金) 08時05分

レスありがとうございます。
「くない話法」は今のところ,形容詞で終わる文が主ですが,まるよし先生が
指摘された形容詞的性格を持つ動詞に適用が進むと,一気に堰が崩れるのでは・
という「危惧」を感じます。
実は先日,動詞の場合の用例を採取しました。福井市の県立K高校の男子生徒
によるものです。
「これ,喰いて~! くね?」

(元投稿日 2006/04/28 0:59:49)

投稿: Hyaru | 2006年4月28日 (金) 08時06分

> 「これ,喰いて~! くね?」

 いやいや、これも実質的には形容詞の用例ですよ。希望の助動詞「たい」は、活用も形容詞型で、助動詞というよりもほとんど形容詞化接尾語と言った方がいいふるまいを見せます。動詞だけの時は「AがBを喰う」という文型ですが、「たい」が付くと「AはBが喰いたい」という形容詞文の文型がとれますからね。
 ただ、こういう例から動詞へと用法が拡がる可能性はありますね。

 むしろ、先に形容動詞文に適用されるかもしれません。「好きくない」という表現が漫才ブームの頃にギャグとして流行りましたが、復活しても不思議でないですね。

投稿: まるよし | 2006年4月28日 (金) 08時07分

喰いたかろう・喰いたかった・喰いたい・・・,確かに語尾は形容詞的ですね! 動詞に直に付けなかったのは,進学校生としての矜持でしょうか(笑)。

投稿: Hyaru | 2006年4月28日 (金) 09時02分

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