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2006年4月 5日 (水)

「蛍の光」が照らす先

> でも、日本ローカライズ版があまりに優秀で、卒業式を代表にあちこちで使われて
> いるために「日本の民謡」だと誤認している日本人は多いと思う。
> 私がそうだったし。

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 唱歌のたぐいの訳詞には大変ウルサイ方なので、出て行かざるを得ない。

 訳詞が優秀というより、原詞と似ても似つかぬ歌になっているのだから、歌詞を見る限り英国の歌と思えないのも当然だ。
 わたしは、たまたま中学の時に聴いていたNHKラジオ『基礎英語』で、最後の「今月の歌」がこれの原曲だったので、外国曲であることを知っており、無知の誹りを免れたわけだが、そこで習って、なかなかいい歌だな、と思って、英語の歌詞を一気に覚え、歌いまくった。覚えた、と胸を張れるほど難しい歌詞ではない。繰返しばっかりだからだ。原題は「Auld Lang Syne」 である。「auld」は「old」、「lang」は「long」、「syne」は「since」の方言形なのだそうで、「遠い昔」というような意味らしい。 下にその歌詞を掲げる。数世紀も前の歌詞だから、著作権問題なし。

  Should auld acquaintance be forgot,
  And never brought to mind?
  Should auld acquaintance be forgot,
  And days of auld lang syne?
       And days of auld lang syne, my dear,
       And days of auld lang syne,
    Should auld acquaintance be forgot,
  And days of auld lang syne?

 民謡のこととて、歌詞のバリエーションはかずかずあるようで、どれが正調かは知らない。が、これがわたしが覚えているとおりだ。『基礎英語』のテキストには二番の歌詞も載っていたが、番組で流れたのは一番だけ(歌唱は宮前ユキ氏)だったので、これしか覚えていない。
 いずれにせよ、これは親友との長く続く友情を讃える歌なのであり、歌詞を見る限り別れの歌ではない。しかし、日本のみならず船の出航に際してはこの曲が流される。ワルツに変奏すると、もの悲しさが際立ち、別れを惜しむに相応しいメロディになるからであろうか。
 日本でこの歌が親しまれる事情は、日本語詞のアクセントと字数が、メロディにかなりよく合っており、メロディ自体も日本の唱歌や民謡の類に多く見られるヨナ抜き音階になっていることにより、どこか懐かしく感じさせるからであろう(サッコの「乙女のワルツ」もヨナ抜き音階だから… 誰も訊いてません)。なかでも、(相対音階で歌った場合の)ラソミという旋律は特に唱歌や童謡に必ずと言っていいほど含まれており、日本人の郷愁を誘う、という音楽心理学の研究があることを聞いた。「蛍の光」にも、ラソミが1コーラスに四回も畳みかけられている(「書よむ」「いつしか」「杉ーの」「明けてぞ」の部分がラソミミである)から、日本人はもうしてやられるわけである。

 さて、日本語詞は、この「別れ」に、「卒業」のイメージを重ねたわけである。学業を修めたことを表現するのに「蛍雪の功」という現中国から伝わった故事を持ってきたので、これはまた和洋中折衷の歌ということになる。
 ただ、嘆かわしいのは、元々四番まであった日本語歌詞を、現在は二番でぶったぎって音楽の教科書に載せていることである。これでは、歌全体の趣旨が分からない。卒業生が今後どう育ってほしくて歌っているのかがうやむやになっている。
 そこで、三番と四番の歌詞を掲げておく。明治の小学唱歌で、作詞者不詳なので、これも著作権はセーフだ(『日本の唱歌(上)』(金田一春彦・安西愛子編 1977 講談社文庫)を参照します)

  筑紫のきわみ、みちのおく、
  海山とおく、へだつとも、
  その真心は、へだてなく、
  ひとつに尽せ、国のため。

  千島のおくも、沖縄も
  八洲のうちの、守りなり。
  至らんくにに、いさおしく。
  つとめよ、わがせ、つつがなく。

 これを現代の教科書に載せられない事情は分かる。
 四番の一行めは、時代(領土拡大)に伴い、時期により「千島のおくも、台湾も」とか、「台湾のおくも、樺太も」とか替えられたらしく、これもまた滑稽である。ただ、戦後三番と四番をばっさり切り捨てたことが最も滑稽であり、あり得べからざる愚挙なのだ。時代に妥協して都合のいいところだけ残す、という姿勢にわたしは身震いするほどの嫌悪を覚える。
 「お山の杉の子」は軍国少年を励ます歌であり、「われは海の子」は海軍兵士の海への想いを表した歌なのだが、そういう主題が覆い隠され、都合のいいところだけが教科書に載り、テレビで歌われている。
 そういう時代にそういう歌が歌われたことは歴史の事実であり、こういう歌を懐かしむ人がいることも、記録として残すことも、いけないとは思わない。しかし、元の趣旨を曲げてまで現代の子供に教える必要はない。歌に失礼ではないか。

 しかし、今となっては「蛍の光」は(単なる)別れの歌、というのはしっかり定着しきっているわけで、これはもうどうしようもないだろう。
 わたしの職場の宴会はけっこう行儀が悪くて、幹事が閉宴を宣言した後も、会場に居残ってだらだらしゃべっている人が多い。呑み話し足りなければさっさと二次会に出かければいいと思うが、尻をついたまま幹事や店の人を困らせつづける。わたしが幹事の時、この事態に一計を案じ、カラオケで「蛍の光」を流してみた。すると、何とみんな一斉に席を立ってくれたのである。音楽の力は侮りがたい。

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