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2006年5月23日 (火)

生命を全うするとは

 昨日、知り合いの方の訃報に接した。わたしと一つしか違わない同世代の方である。特にわたしが懇意にしていただいていたわけではない。ほんの少しご縁があって存じあげたのみである。

 脳腫瘍とのことで、あまり防ぎようもないような病気なので、自分の身にも映して考えてしまう。
 昨年から体調を崩され、入院して手術を繰り返したとのことだ。繰り返すということは、難しい病状なのだろう、と話を聞いて心配はしていた。眼球を片方ずつ結局は両方摘出され、最後は視力を失われたわけである。
 こういうのを聞くと、そういう手術というものに疑問を感じてしまう。何しろ最後の手術から僅か二か月ほどで亡くなったからである。その手術をすれば快方に向かう可能性があったのだろうか。
 その手術の時点で、この結果は予測できていたのではないか、という疑いを禁じ得ないのである。視力を失うということは精神的にもなかなか辛いことである。手術自体身体的な負担にもなろう。余命幾ばくもない重篤な病にある人に、そのような重圧を強いる必要があるのだろうか。その方が手術に向かった時の心もちを思うと、わたしは慄然たるおののきを覚えてしまう。わたしなどとても正気を保てないのではないか、と。
 病に冒された体にさらにハンディキャップを課して何週間か生きながらえさせるのと、最期まで自分の眼にこの世界を映したまま斃れる途を選ばせてあげるのと、どちらが病人のためなのだろうか。
 わたしにも確とした答があるわけではない。今、健康な状態で考えると、後者の方がいいような気がするが、病気になってみれば、とりあえず痛みや苦しみから逃れたいとか、一日でも長く生きたいとかいう気持ちが優先するのかもしれない。その方にしても、もし進んで手術にお臨みになったのだとすれば、ギャラリーがとやかく言うこともない。
 ただ、自分がそういう立場になった時、手術の意義や効果に関して、正しい情報を伝えてもらえるのか。伝えられたとしても、適切な判断ができるのか。そこに不安を感じてしまう。

 いろいろなことを考えさせられる訃報である。
 合掌。
 

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