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2006年5月10日 (水)

新しいメディアのマナー形成過程

 ことばと情報のやりとりをするのがメディアだが、人と人との関わりである以上、そこにはマナーが生じる。新しいメディアができる時には、やはり既成のメディアからの類推を基本とし、そこに新たなメディアの特性を考えて肉付けしていくのであろう。

 電話のマナーなどもいろいろ言われるが、これも対面しての対話に譬えて説かれたりする。
 相手が話しつづけている時も、声を出して相槌をうちながら聴け、と言われるが、これは対面の時でも同じである。ただ、対面なら顔が見えているから、頷くだけでも相槌をうっているのと同じことになるが、電話だから声に出さないと分からない、という具合である。
 電話を切るのは目上の方、同等の者同士であれば掛けた方、というのも、暗黙のマナーというか申し合わせとしてあるわけで、これも対面の対話で話を打ち切るのは目上であるところからきているが、電話の場合に暗黙ながら特に申し合わせられているのは、どっちかに決めておかないと、目配せなどもできない電話では、極端に言うと永久に切ることができなくなりかねないこともあるのだろう。
 関連して、電話を切る時は受話器をフックに置いて切ってはならない、指でフックを押して切れ、というのも基本的なマナーである。この場合、受話器をフックに置く音が、あたかも襖をぴしゃりと閉めて出て行く音と同じ不愉快さを相手に与える、という類推が介在し、それゆえにこそ説得力をもつ。だからわたしもそういう説明を学生時代に聞いて納得して以来、受話器で電話を切ったことはない。まあこのマナーには、切り際に相手が言い忘れたことを「あっ、それからね!」などと言うのを聞き逃さなくて済む、という実用的なメリットもある。

 電子メールの場合は、当然ながら手紙のマナーを基本にしていることが多い。
 メールをもらったら極力早く返信を送る、というマナーも手紙と同様だ。ただ、封入も切手も投函も要らず手軽に送ることができる分、より迅速さが要求されるのは、メディアの特性から致し方ないだろう。
 開封確認を要求する、という機能が付いているメールソフトがある。わたしは、この開封確認は手紙で言う「内容証明」に相当する、という感覚があり、内容証明というのは大抵相手に不信感をもち敵対する時に使うものであろうから、開封確認を要求されると不快である。受け取ったという返信を送ればそれで用が済むのだから、開封確認を送ったことはない。もっとも、開封確認を要求してくるのは、真面目で几帳面な人が多いことからすると、メールを送っているのに返信がいっこうに返って来ず読んだのかどうなのか分からず苛々という経験が度重なって業を煮やしたのであろう、と想像され、ちょっと同情はする。自分がやる気にはならないが。
 メールの初期の頃は、相手が読みやすいよう、70字程度で改行を入れる、というマナーもあったが、これはメールソフトやブラウザの発達により、意味をなさなくなって自然消滅したようだ。

 メッセンジャーの場合、電子メールと電話と対面の対話が合体する感じになるだろうか。
 わたしの場合、自分がオンラインになった途端に他メンバーに「退席中」「取り込み中」表示にされたりオフラインにされたりすると、極めて不愉快である。特にそのメンバーにメッセージを送ろうと思っていなくてもだ。これは、譬えて言えば、友人が机に向かっている研究室か何かに黙礼して入って行っているのに、相手が(こちらを認識したにも関わらず)挨拶どころか目を合わせようともせずそそくさと部屋を出て行く、ということに相当するからだ。不愉快どころか、それで人間関係が終わってもしかたがないほどの失礼であろう。話しかけられて困る状態なら、予めそういう表示にしておけばよいのであって、相手の顔を見て慌てて、というのはマナー違反ではないのか。
 ところが、これを割と平気でやる人もいるのである。わたしの感じ方がおかしいのか、と思って、メッセンジャーを使っている周囲の者何人かに訊いてみたら、やっぱりそれをやられるとめちゃムカツく、自分がそれをやる時は、相手に喧嘩を売る時だ、という者が多かったので、ほっとした。わたしは、自分がオンラインの時に他のメンバーがオンラインになったら、もう退席するつもりであったとしても、そのメンバーが話しかけてこないか数分待ってから退席するようにしている。この配慮についても、周囲の者たちも同じということだったので、やはり暗黙のマナーとして成立していると言っていいだろう。
 メッセンジャーのオンライン状態表示変更は、十分前行動を励行しよう。

 ソーシャルネットワークサイトの場合、学校や趣味のサークルに近くなる。
 「あなたのプロフィールを見て関心を持ったので、友達になりたい」と言ってきた人を、友達に加える。ところが、向こうからそう言ってきたのに、それ以降全くコンタクトがない。メッセージも送ってこないし、日記として登録しているブログにも書き込みがない。気後れしてるのかと思って、誘い水に相手の日記にコメントを二、三回書き込んでみても、それに返事も書いてくれない。やがてアクセスさえされなくなる。馬鹿馬鹿しくなって放置していると、ある日突然友達リストから消えている。こんな経験がある人は多いのではないか。
 事情あって友達から外したり彩図の登録自体を抹消したりはやむを得ないと思う。が、突然消すと、相手は、こっちが怒らせでもしたのか、と思わず考え込んでしまうのではないか。一言挨拶するのが礼儀だろう(「せっかくですが、あまりおつきあいできませんでしたね」とか)。何百人も友達を作っている人は、いちいちそんなことをしていられない、と言うかもしれないが、そういう処理ができないほどの数にするのが間違っているのではないだろうか。
 退部届も出さずにサークルを脱ける奴の始末の悪さと共通している。

 ブログになると、コメントやトラックバックというかたちでのつきあいがあるが、ブログというのが比較的新しいメディアなので、まだマナーもあまり確立していないようだ。
 コメントについては、ある程度電子掲示板と共通するところがある。ブログの主にとって、コメントをもらうのはありがたいことなのだが、そのコメント内容は元の記事の趣旨を崩さぬ範囲に留めるべきだろう。コメントで、元の記事からどんどん遊離して自分の話題や事情を長々展開したりするのはマナー違反だろう。費用と労力を注ぎ込んで管理しているブログの主に礼を失するからである。わたしは、迷惑なコメントには反応せずにおき、間をおいて削除するようにしているが、そういうコメントをたて続けにやられて、精神的に負担となったため、しばらくブログの更新を休んだこともあるほどだ(つまり、わたしがちゃんと返事を書いたり後でリアクションを返しているコメントは、全く迷惑ではない、ということなので、ご安心を)。
 トラックバックも、先方の記事のなかにわたしのブログないし記事へのリンクもなく、わたしの記事の引用はおろか言及すらしていないのに、単に話題が共通しているというだけでトラックバックを打ってくる、という見ず知らずの人の意図がわたしは理解できない。わたしのブログから、どこの誰かよく分からぬ人のブログへのリンクが勝手に張られてしまうことになるのも、得心いかない。論文や雑誌記事などの中の先行文献検討に相当するのがトラックバックだと思うからである。先方がわたしと現世で面識のある人であるとか、後でわたしのブログへのコメントやわたしへのメールで何か言ってくる、とかいうのなら構わないのだが、しばらく待ってそういうコンタクトがなければ、削除することにしている。

 新しいメディアに即したマナーの形成過程を論じるつもりが、わたしの愚痴になってきた(笑)。この記事自体がだんだんマナー違反になってきそうなので、この辺で止めよう。ただ要は、既存のメディアなり情報交換の方法になぞらえて想像する感性をもつことで、新たなメディアにも妥当なマナーが定着していく、と言いたいわけである。

※ このカテゴリーの記事のように、まるよしの楽しい日本語の話を満載した本、ぜひお手に取ってお読みくださいね。

 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
ISBN: 978-4-906485-09-3 
 (桐島周は、まるよしのペンネームです)

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