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2006年7月 1日 (土)

何を教育するのか

 あんまり深刻な問題を真面目に扱う記事はこのブログには馴染まないのであるが、今回の大学生リンチ事件は、なんともやりきれない。

 失礼ながら、わたしはこの加害者や被害者の多くが所属する大学の名を知らなかった。と思ったら、数年前に改称したようで、まあしかたがないだろう。こども学部、という学部名も初めて聞いた。もう既にさんざん突っ込まれていることだろうが、学んでる学生がこどもという意味か、と揶揄したくもなる。
 大学が最高学府であるなんていうのはギャグにしかならない時代になっていることは承知している。そして、大学生が犯罪に手を染める、というのは何も最近になって始まったことではないだろう。しかし、かつては大学生とか大学関係者とか、そういう人が起こす事件にはどこか知性らしきものが覗いていたように思う。この頃の事件にはそういうものをあまり感じない。
 彼女に振られようが他人の彼女に手を出そうが、そんなことは勝手であり、当事者のみで解決すればいいことであろう。なぜそれが集団リンチという形になるのか、さっぱり分からない。それも、暴力団が絡んでいる、などという嘘で脅してみたり、郷里の餓鬼大将に応援を頼んだり、と自分の甲斐性で勝負しようとはしない。
 そしてこういう色恋に絡んで刃傷沙汰などが起きた時、最も傷つくのは当の彼女ではないのか。彼女に人格があり、意志もある。彼女がどちらの男を選ぼうと、それは彼女の気持ち次第ではないか。そういうことをほっぽっておいて、勝手に殴りあっている、という構図がそもそも子供なのである。女を取った取られた、という男の面子がぶつかり合っているだけでは。二人の男子学生は、果たして彼女のことを信頼し尊敬し愛していたのであろうか。そして、愛の何たるか、自分という存在の何たるかを冷徹に見つめてみたことがあるのだろうか。そういう思考は、子どもの教育について学ぶ者には不可欠なものであると思うが。
 学校の成績と知性とは必ずしも比例しない、というのは、わたしだって日頃身に沁みているところである。しかし、学校の現場は次第に教科をこなすことに精一杯、知性を身につけさせるような、そんな形として結果が出てこないような働きかけをする余裕がなくなってきている。学校が全ての責任を負うわけでもないが、学校の教育も少し考えなおさないと、こういう事件は止まらないように思う。

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