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2006年9月18日 (月)

高専の事件

 例の殺人事件に関しては、なぜ殺さねばならなかったか、という細かい事情については、分からなくなってしまった。
 ともあれ、亡くなった両学生のご冥福をお祈りする。

 高専教員としては、高専としてあの事件を防止できなかったか、ということを考えてしまうのだが、どう考えても無理だ。敢えて防止しようとすると、自由な学問の雰囲気を壊してしまうことになる。
 大学では、研究室等の鍵の開閉を学生にもさせるなど、普通のことであろうし、わたしも学生時代はそうしていた覚えがある。今のわたしは、卒業研究などのゼミ学生をもたないから、(まるよしくらぶ生は別として…笑)常時研究室に出入りする学生というのは公式にはいないわけで、鍵の開閉をするのもわたし一人だから気が楽である。学級担任をしたときなど、クラスの学生の出入りはかなりあるので、秘密の場所に合鍵を置いておいて自由に、ということも考えないではなかったが、やはり高校生の年齢である低学年学生にはちょっと無理だろう。
 しかし、卒業研究を指導している教員は、そんなことは言っていられない。学生が研究をしている間、ずっと教員がついているわけにもいかないし、教員が出張などで不在でも学生は自主的に研究を続けねばならないから、学生が鍵を開閉する場面は必然として出てくる。これは規則類に照らせばよろしくないのであろうが、それはもうやむを得ない。それをいけないと言われると、学生も教員も研究活動など成立しない(もちろん学生と教員それぞれに広大な研究スペースが提供されるのなら別だが)。
 結局、防止策として具体的にこうする、という形は示し得ない。人間教育を低学年から強化するくらいの観念的なことでしかないだろう。

 もう一点、この事件で問題になったのは、19歳の容疑者学生に関する実名報道の是非である。間もなく成人に達するのだからとか、殺人事件なんだからとか、逃亡しているのだからとか、本人が死んだのだからとか、実名報道を許容させるいろんな要素が主張されてきた。
 わたしは、最後まで実名報道するべきではなかった、と考える。未成年の犯罪を報道する時に名前や顔を伏せるのは、単に本人の更生に配慮してのことではない、と思うからだ。
 未成年者が犯罪を犯して罰せられることによって生じる不利益は、本人だけのものではないだろう。未成年だからこそ、親や先生はどういう教育をしたのだ、ということも問われるし、そうした関係者は好奇と非難の目に晒されて相当辛い思いをしなければならない。それに追い討ちをかけることはないだろう。成人の犯罪なら、親も「あんな奴とは縁を切った。親でも子でもない」などと突き放すこともできようが、未成年ではそれも許されないのである。
 逃亡している容疑者を誰もがすぐ見つけられるように、ということはあるだろうが、これも名前や顔写真まで出すことはなく、身長・着衣・所持品などの特徴だけでも、似顔絵か何かとともに出せばよかったのである。本名を問いかけたところで、本気で逃げているなら認めないだろう。
 自分で責任を取りきれない未成年を、わたしたちの社会は20歳未満と定めたのである。個人差があることは承知のうえで。それなら、いろいろな条件があるからといって、その基準をふらつかせてはならない。19歳11カ月でも、未成年は未成年だ。どこかで線を引かねばならないのだから。

 いずれにせよ、こういう事件を再発させないための、大きな責任を感じている。即効の手段はないだけに、真剣に慎重にことを進めないといけない。

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コメント

>最後まで実名報道するべきではなかった、と考える。

 容疑者として追うのではなく、「今回の事件でまだ所在不明の学生が1人いる」という段階で、行方不明者として探すべきだったと思います。

 逆に指名手配の段階で氏名を公表して、発見できた段階で匿名にしてもよかったのではないかとも思います。

投稿: kanegon | 2006年9月18日 (月) 20時05分

 指名手配をするには、容疑者でないといけないので、ちょっと難しいでしょうね。単に一人の学生が数日間連絡が取れない、というだけで行方不明者扱いで大々的に捜索することもありえないし。
 そういう意味で、氏名・顔写真非公開の原則は貫かざるを得ないと思います。公開してもいい、という報道側の意見の論拠がいま一つ決め手に欠けているように感じています。

投稿: まるよし | 2006年9月18日 (月) 20時18分

まずはブログ再開されたのですね。これからも楽しませていただきます。
実名報道の件ですが、私が思うには20歳で線を引くのはあまりにも遅いと感じています。義務教育が終わればいいと思います。しっかりした考えを持った若者も多いですが、もっと責任感を持たせるためにも厳しく改定してもらいたいです。最近ではマナーや常識をわからない若者が多すぎる気がします。そういう若者を作った我々にも責任があるのでしょうけど・・。

投稿: プリンゼ幸夫 | 2006年9月19日 (火) 04時59分

●プリンゼ幸夫さん
 早速のコメント、ありがとうございます。
 確かに、われわれの世代から若者をみると、もの足りない部分はいろいろありますね。われわれも学生時代には大人にそう言われていましたが(笑)。でも、以前に比べても、想像力のもてない子が多くなった気はします。こういうことをしたら、自分はどんな立場におかれるか、周囲の人はどんな思いをするか、と想像することが、軽はずみな行動を抑止するものなのですが。
 厳しく臨むことは必要でしょうが、マスコミの力というのはあまりにも大きく、実名報道をすることは、法律上の扱いを超えて、彼の立ち直りを阻んでしまうおそれがあり、酷に過ぎるように思います。それよりも、刑罰を重くしたり、更生のための教育を手厚くしたり、という対策を強めることが必要だと考えています。
 

投稿: まるよし | 2006年9月19日 (火) 07時32分

 容疑者の遺体が発見されてから,実名報道がなされましたが,あれはどうかと思いますね.
 彼が生きていて,何年かしたら娑婆に戻ってくるというのであれば,捜査の段階から実名報道をしてもかまわないともいます.殺人犯が社会的に抹殺されず,何年かしたら静かに我々の社会に戻ってくるというのは怖いですから.罪を償った,更生したといわれても,アタマでは理解しても怖いものは怖い.
 しかし今回彼は自殺してしまったわけで,彼が今後社会に対してなにか直接的に影響をおよぼすことはなくなったわけですよね.であれば,実名をさらすことによって受ける関係者の苦痛を考えて,実名報道はすべきでなかったと思います.

投稿: 真面目な軟派師 | 2006年9月19日 (火) 12時19分

 鍵の件ですが,鍵の管理云々はこの事件の本質的問題ではないですよね.容疑者が死んでしまって何が問題だったのかがわからなくなってしまい,現状でいちばん目に見えて問題にしやすいことを晒しあげているだけに思えます.

投稿: 真面目な軟派師 | 2006年9月19日 (火) 12時25分

●真面目な軟派師さん
 少年法をみても、守られるべき少年の人権と名誉に関して、その生死は関係ありません。本人が死んだから実名報道をよしとする考え方には根拠がありません。そういう意味では、行方不明の段階から実名報道をした『週刊新潮』はそれなりに筋がとおっていますが、それ以外はどうも。
 鍵の問題は、だから高専の教員の個室を止めた方がいい、という変な方向に議論がいくことを危惧しています。

投稿: まるよし | 2006年9月19日 (火) 18時20分

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