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2006年9月30日 (土)

『キップをなくして』

 池澤夏樹の『キップをなくして』を読んだ。
 『ターミナル』という映画があった。これはアメリカにやってきた東欧のとある国の男が、入国しようとした途端に祖国がクーデターで消滅し、パスポートが無効となったため、空港で足止めをくってそこで生活することになる、という不条理ものであった。
 『キップをなくして』は、その鉄道版ということになるだろうか。電車に乗っている間に切符をなくしてしまって、改札を出ることができない子供たち。彼らは、実は東京駅の構内にある秘密の部屋で共同生活をしていたのである。 

 これは懐かしい感覚である。子供には、精算窓口に申し出る、という知恵はないから、親と一緒でない限り、切符をなくしたりしたら途方にくれるしかない。それが恐ろしいから、子供の頃はしっかと切符を握りしめていた。万一なくしたときは、もう二度と娑婆に出られないのでは、なくした子はどこに連れて行かれどんなに叱られるのだろう、そんな妄想を巧ましくしたこともあった。その答としてのこの作品世界なのである。

 「詰所」と呼ばれるその部屋にいる子供たちは、「駅の子」と呼ばれる。改札の外には出られないかわり、改札内での生活は自由である。電車にはただで乗れ、その気になれば日本中どこにでも行って来られる。駅の中の食堂や売店も無料で利用できる。『ターミナル』の主人公と違って、生活費を自分で稼いだりする必要はないのである。そして詰所で勉強を教えあったりもする。
 主人公の少年イタルも、有楽町に切手を買いに行こうとして切符をなくし、そこで迎えに来た年上の女の子に「詰所」に連れて来られる。イタルが切符をなくすことは、予め分かっていたのである。初めはこのおかしな共同生活にとまどうイタルだが、だんだんと要領をつかみ、馴染んでいく。家で両親が心配しているだろう、と気になるものの、両親にはきちんと連絡がいっているのだという。
 やがてイタルは、「駅の子」たちがただ改札内でぶらぶらしているのではなく、重要な使命を帯びていること、その使命を果たすために特殊な能力を与えられていることを知る。また、「駅の子」のなかにちょっと不思議な女の子がいることにも気づく。いったい誰が、なぜこんな「駅の子」というしくみを作り、運用しているのか。女の子はどういう立場なのか。そして自分はいつここから出られるのか、あるいは出られないのか。イタルの疑問は尽きないが、誰もはっきりしたことは教えてくれない。しかし、そこで暮らすうちに次第に糸がほぐれていく。

 異界、それも現世と隔離されず、空間と制度が重なり合い触れ合いつつ存在する異界、という設定がユニークである。そういう異界であっても、そこへ行くことで何らかの成長がもたらされる、物語の基本構造はきちんと成立している。どこか懐かしさをかんじさせる「駅の子」の世界、こんな世界があるのなら、子供の時に体験したかった、と思う。鉄道が舞台なので、鉄の関心をくすぐるような記述も散りばめられ、その点も楽しく読める。終盤で一気に全ての謎が解明されてあっけなく終結したあとも、物足りなさも冗長さも感じることはなく、何か納得できる、ほっとした読後感が残る。あり得ないながらほんとうにありそうな世界への旅をぜひ楽しんでいただきたい。

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キップをなくして

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