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2006年10月 4日 (水)

ずれ気味の術語

※ 諸事情により、一部の方に予告していたのと記事投稿の順序を変えることにしました。あしからず。

 先日鑑賞したライブは、「まだ純愛はあるか?」というテーマだった。
 その中のトークで、MCの人が、
反語 ってあるじゃない? 〈純愛〉の反語って何だと思う?」
 と歌手に、ひいては客席にも問いかけた。
 わたしは即座に、〈純愛〉の対義語なら〈打算〉だろうけどな、反語 ってどう答えりゃいいんじゃ、と思った。同じテーブルの人たちは、わたしが日本語学者だと知っているもので、答を求める眼でわたしの顔を見る。が、わたしは質問の意味が分からないので、首を捻るしかない。ややあってMC氏が模範解答? として言った。

「僕は、〈純愛〉の 反語 は〈打算〉、だと思うんだよね」
 なんじゃそりゃ。結局対義語を訊いてたんかい、なら最初に言ったらよかった。もちろん、反語 対義語(反対語)とは全く異なる概念だ。表現法を指す用語であって、単語のことではない。〈純愛〉の 反語、などと問われて誰が答えられるのか(←こういうのが 反語)。

 こんなふうに、日本語学の術語が日常用語として使われる時に、意味がずれてしまう、という例はけっこうある。いくつか思いつくままに挙げてみよう。
 

形容詞
 ビジネスライクな文章などを書く時の注意として、主観的な表現で先入観を与えるな、というようなことを言う時に、「 形容詞を入れるな 」などと言われることが多い。
 しかし、それに続いて挙げられる(悪い)例をみると、成熟した(思想)美しく(整理)愚かな(行為)たった(二年) などと雑多に挙げられている。確かにある種の文章でそういう表現を避けるべきであることは分かるが、形容詞であるのは二番めだけである(最初のは動詞+助動詞、三番めは形容動詞、最後のは連体詞)。これを言うなら修飾語でなければならないが、そんな用語はなかなか日常使ってもらえない。
 こういう品詞文の成分との混交は、日本語学の用語の混乱を映している(品詞とは単語の種類なのだから、○○語と名づければいいのに、なぜか○○詞である。そして、文の成分の各種が○○語と呼ばれる。○○成分と呼べばいいのに)。そして、英文法が中途半端に日本語に適用されたりすることも影響している。その英文法は英文法で用語に別の混乱がみられる。整理した方がいいのだが、それぞれここまで定着していると、今更難しい。
 

代名詞
「プレステは家庭用ゲーム機の代名詞だ」
「ひまわりはサッコさんの代名詞だ」
 といった文を、わたし自身も一般的な語感に妥協して使ってしまったことがあり、痛恨である。まあそう言うと上手く伝わるので、止むを得ない。
 代名詞というのは英文法で言う I だの it だのというやつである。John とか desk とか具体的な名前がある物を、個性を捨象して普遍的な語で言い換えるのが代名詞であり、ゲーム機プレステ という言い換えは、具体化されているのだから、代名詞とは全く逆である。サッコさんひまわり も、抽象化されているように見えるが、一人の歌手の存在を、誰でもが知っていて思い浮かべることのできる花のイメージ(映像)で言い換えるのだから、やはり具体化である。
 日本語のスタンダードな文法に代名詞という品詞はない。それ がそうじゃないのか、と思うだろうが、これらは名詞の下位分類としての代名詞であり、品詞はあくまで名詞だ。英語で人称代名詞の活用を覚えさせられて印象が強烈なため、代名詞の語がすっと出てくるのであろう。
 例文の代名詞を本来の意味に合致する語に置き換えるとすれば、前者は〈代表格〉、後者は〈象徴〉であろう。
 

過去形
「おばあちゃん、おじいちゃんのどこが好きなんですか」
「この人はねえ、とっても優しかっんですよ、へへへ」
「あのぅ、おばあちゃん、過去形ですが」
 こんなやりとりをしばしばTVなどで耳にする。
 これはもう、完全に英文法の日本語への過剰な適用である。現代の日本語では、過去 表すことはできないのだ。
 え? じゃあ は? と言う人も多いだろうが、完了 の助動詞であって 過去 ではない(明日雨が降っ場合は、遠足は中止です。というときの を考えれば、明らかに 完了 だとわかる)。古典語の 完了 の助動詞 たり の「り」が落ちたものだ。古典語の 過去 の助動詞 けり はともに消滅した。
 英語を訳す時、過去時制 の指標を で代用しているからこの現象が起きるわけだ。まして、過去形は英語の動詞の活用形の一つだから、日本語に過去形という概念はない。

 

 これは単純な誤りで、短歌を数える時になぜかを単位にする人が多い。俳句ならでよいが、短歌はもちろんである。第5シリーズの金八先生も間違っていた。

 
標準語
 方言の対義語は? と尋ねると、なぜか、日本人の99パーセントが標準語と答える。
 日本語学者によっていろいろ立場の違いはあるのだが、一応日本語学界の通説としては、日本語に標準語と呼び得るものは存在しない、ということになっている。そのため、国語の検定教科書にも、標準語という用語は使われていない。それなのに、この定着ぶりは驚くばかりである。
 正解は共通語である。当然わたしは日常会話でも共通語と言うし、それでもちゃんと意味は相手に通じているから、意識の奥底には皆残っているに違いない。

 
 いくつかの例を挙げてきたが、こういうのは恐らく日本語学に限らないだろう。専門の立場から見たら、一般に流布しているその用語法はヘンだぞ、というのは学問・業界・趣味などいかなる領域にもあるのではないか。そんな例があったら、是非教えていただきたい。

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 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
ISBN: 978-4-906485-09-3 
 (桐島周は、まるよしのペンネームです)

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5.6  言葉の動向」カテゴリの記事

コメント

これは面白いですね。少なくとも高等学校の教育を受けていれば,おかしいと判断できるものです。私も日常ではその語のもつ雰囲気で,つい慣用的に使ってしまいます。(反語は反対語のつもりだったんでしょうか)
やはり立場によって許容度は変わるものでしょうね。

例はというと・・・とりあえず「マイナスイオン」をあげておきます。化学では,例えば水酸イオンを「OH-」とマイナスの記号つけて表すものの,「負イオン」あるいは「陰イオン」と言い,決してマイナスイオンとは言いません。それに「イオン」だけでは片手落ちで,塩素イオンとか硫酸イオンみたいに,元となる原子あるいは原子団を明らかにしないと何のイオンだかさっぱりわかりません。
ゆえに世の「マイナスイオン」なるものは怪しげなものです。

投稿: Hyaru | 2006年10月 4日 (水) 22時22分

 多分、周囲の方たちは、すっと「反対語」の意味で解釈してたんだろうな、と思います。専門的な知識がかえって理解の邪魔をしてしまう、という皮肉な例ですね。

 「マイナスイオン」も、言われてみればなるほど、と思います。大学受験などで勉強した時の用語は確かに「負イオン」でした。滝などで出ていると言われる「マイナスイオン」は、水酸イオンのことなのでしょうか。

投稿: まるよし | 2006年10月 4日 (水) 22時44分

> 滝などで出ていると言われる「マイナスイオン」は
おそらく存在するとすれば,静電気を帯びた細かな水滴ではないでしょうか。いわゆるイオン的なものは無いと思うんですが。

投稿: Hyaru | 2006年10月 5日 (木) 21時06分

 なるほど。電気を帯びた粒子なら、何でもイオンと呼んでしまう、大雑把な語用感覚ですね。わたしの挙げた日本語学の例とも似ています。

投稿: まるよし | 2006年10月 6日 (金) 21時02分

このエントリの話題がなんだかずっと頭に残っています。。。
専門用語になってずれてしまった言葉というのもありますね。先日「矮惑星」という言葉がでてきました。植物学では「矮化」とか「矮性」などの用語があります。「矮」には劣ったというか,何か悪い性質の意味を含んでいると思うのですが,専門用語では単に「比べて小さい」という性質しか意味していません。
また気象学では「卓越風」なんていうのがあります。卓越というと普通は優れたもののような気がしますがそんな意味は無く,単に頻度や傾向が高い事だけを表しています。
「発達した低気圧」というのも,決して良い状態になるわけでもないので,考えると違和感があります。

投稿: Hyaru | 2006年10月16日 (月) 21時15分

 (学)術(用)語と日常語と、どっちが先にあったかはいろんなケースがあると思うのです。術語が日常語に下りてくる場合と、日常語が術語に採り入れられる場合。日本語では前者、英語では後者が多いように思います。挙げられた例はどうか知りませんが。
 日本語では、術語は漢語が使われることが多いのですが、術語としてはもちろん価値の色付けは避ける。しかし、それが日常語に下りてくると、場面に依存して、生々しい価値づけが生じる、という傾向があるのだと思います。

 変形文法にも「分裂文」という術語がありますが、文の構造が分裂していると言っているだけで、そういう構造がいいわけでも悪いわけでもないのですが、この術語を知らない人が聞くと、よくない文を指しているかに誤解されがちです。
 「差別」はいけないもの、と学校で教え込まれますが、だったら戦時中の「無差別爆撃」はよい爆撃のし方だったのか、というと、そんなわけでもありません。言葉の色づけは、時代や価値観にも依存します。

投稿: まるよし | 2006年10月16日 (月) 21時34分

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