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2007年1月30日 (火)

半ドン

 半ドンという言葉も死語になりつつあるのであろう。かつて午前中だけ会社や学校がある土曜日を半ドンと呼んでいた。ドンはオランダ語で休日をあらわすドンタク(博多どんたくもこれが語源)から来ている、との説が有力だそうだ。

 今日は、授業が午前中で終了する、という異例の日であった。こういう経験はもう何年ぶりであろうか。行事の都合での半日休講はいつものことである。体育祭の前日など。そういう日は、授業はないものの、体育祭の練習や会場設営で学生は忙しく動いている。しかし、そんなのがなくてぽんと半日純粋な休みになる感覚は久しぶりなのだ。

 もちろんわれわれ教職員は勤務日なのであるが、午後は学生の姿もぐっと少なくなり、三時頃ともなれば、今日一日の営みは終わった、というムードがキャンパスに漂っている。このどことなくけだるい土曜日感が、懐かしかった。

 高校時代、土曜日は友人と学校の図書館で勉強するのが常であった。図書館も土曜日は二時で閉まってしまうので、その後は校内でちょっと話をしてから、駅前に出ておやつを食べてゆっくり帰る、という感じであった。そんなふうに、休日ではないのに、一仕事してからのんびりできるのが、半ドンの魅力だったように思う。いつもと違う時間帯のバスや電車の便で帰宅するのもちょっと痛快に思えた。大学の時は、わたしの学科の授業は既に土曜には行われておらず、落とした一般教養の必修単位を取りに行く日に充てていた。1コマだけ授業を受けて、後はやっぱり友人とだべったり街を歩いたりしていた。

 大学を出てから就職するまでのフリーター期間は、土曜日の午後は小学校教師が集まって国語の授業に関する議論をする勉強会の書記を務めていた。業務ではないにしても、仕事に関わる内容を考える機会である、というどっちつかずが、半ドンにふさわしいような気がした。

 週休二日制になって久しくなると、平日は平日、休日は休日、と劃然と分かれてしまい、気分的に仕事に向かう日と職場に背を向ける日とが乖離してしまった気がする。その方が健全なのかもしれないが、休みが半日分増えた分楽になったかというと、そうでもなくて、平日がますます忙しなくなっている気がする。
 今日の半ドンも、実は世知辛さの副産物であったりする。授業の回数をきっちり一学期15回とするため、高専祭後始末の日の午前休講分を補う、という名目で半ドンが出現するに至ったのだ。従来は授業回数もけっこうアバウトで、大体予定の内容が進むのであれば1回や2回の多少は目をつぶっていたのであるが。
 二つの異質なもののあわいにある、混沌としてしかし可能性に満ちた時間と空間。わたしたちは、そんな大切なものを、見かけの効率化・合理化の向こうに置き忘れてきてしまったのではないか。そんなことを思わされる、突然変異のように生まれた半ドンの日であった。
 

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コメント

 土曜日は学校で友達とあそぶ約束して昼食後に校庭集合って言うのが小学校のときのトレンドでした.
 下校~昼食~再び校庭っていうあのワクワク感は土曜日ならではでしたね.
 1日まるまる休みだとかえってみんながそろわない.

投稿: 真面目な軟派師 | 2007年2月 1日 (木) 16時02分

 部活などでも、土曜日は時間がたっぷりあるので、週の計画の遅れを取り戻したりする調整に充てていたように思う。今は土曜日がまるまる使えるけれど、部活だけのために学校に行くのがちょっと面倒だったりするでしょうね。

投稿: まるよし | 2007年2月 1日 (木) 18時45分

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