« 平成19年まるよしくらぶ総会 | トップページ | JR神戸線快速臨時停車 »

2007年3月20日 (火)

華麗なる神戸市電 上

 豪華キャストで人気の『華麗なる一族』というドラマも終了した。ドラマ自体には格別の興味がなかった。しかし、このドラマに登場する神戸市電がヒドい、という噂を鉄関係の彩図で目にし、鉄的興味(あ、製鉄会社が舞台の話だが、この鉄はもちろん鉄道のこと)で観てみることにした。
 福井は田舎ゆえ、テレビ局がクロスネットとなっていて、キー局よりも放送が遅れている。このドラマも、TBSの日曜劇場の枠であるにも関わらず、福井では水曜日の夕方に約十日遅れで放送されており、福井ではこのドラマは未だ終了していない(従って、福井の人にはラストのどんでん返しをまだバラしてはならない)。世間の噂についていけず困ることもあるのだが、こういうふうに、噂を確かめたい、という時には便利である。

 観てみると、なるほどこれは、マニアならつっこみたくなるだろうな(笑)。

 神戸市電には愛着と誇りをもっている。それは、神戸出身のマニアだから、ということももちろんあるが、伯父(正確には母の従兄になるのだが、母と兄弟同然に祖父母に育てられた人なので、事実上の伯父)が市電の車掌をしていたことも大きい。この伯父は石屋川線廃止の時に最終電車の車掌を務めたほどの人だから、現場でも一目置かれていたのであろう。その後は市バスの車掌に配転されたのち数年で病気のため他界した。その葬儀にあたっても、お寺から斎場へ随行するわたしたち親族のために、運輸事務所が市バスを一台出してくれたのだから、職場での信望の厚さがうかがわれる。この伯父もまたわたしの誇りでもある。
 神戸市電が廃止されたのは、わたしがやっと小学校にあがった頃だから、乗った記憶もあやふやではある。しかし、最終日、父に連れられて、最後の営業区間ほぼ全てである板宿~吉田町~神戸駅~栄町~三宮阪神前を所々で下車しつつ乗りとおしたのは覚えている。子供心に市電最後の日を頭に凝着させねばと目も耳も感度を一杯に拡げて覚えられるかぎりのものごとを覚えたのである。
 もちろん、それ以前に乗ったことは何度もあるはずだが、断片的にしか覚えていない。それらの記憶と後から調べた資料や写真とを重ね合わせて、市電の印象が頭の中につくられている。伯父が死んでから特にわたしの市電に対する関心と誇りがつのったから、なにかがのりうつっているのかもしれないが、いろいろ市電の話を聞いておけばよかった、と思い惜しまれる。
 何が誇りといって、神戸の電車は、路線規模では東京や大阪などの電車に及ばなかったが、いろいろな面で、時代を牽引する役目を果たしていたのである。

 明治43年に神戸電気鉄道という民間の会社(現在の神戸電鉄とは全く別物)によって開業した時点から、既に当時の最新鋭の車輌であった。当時はまだ市内電車は運転台を含めたデッキは、吹きっさらしのオープンデッキが当たり前であったのに、神戸の電車は初めから出入口に扉が付いた、ちょっと高級感あるものだった。
 市に買収された後の大正10年には日本初の低床ボギー(台車が前後二つに付いている大型車。現在の電車は全てこれである)車を導入、大量輸送に力を発揮する。
 大正12年にやはり日本初の半鋼製車を導入した。それまでの電車は木造ばかりだったのだから、大胆なことである。その後鉄道車輌は各社とも鋼鉄製が当たり前になっていく。
 このように、神戸市電は鉄道技術史に輝かしいいくつもの名を刻んだわけである。

 先んじていたのはハード面だけではなく、接客の設備やサービスにも及ぶ。
 昭和8年に、車体色を緑色に塗り替えた。それまで鉄道車輌と言えば黒か茶色に決まっていたのを打ち破り、電車を親しみやすいものにし、街を明るくもしたのである。当時の人々に与えた印象は強烈であったらしく、その後も「みどり」が市電の愛称となったほどである。鉄道車輌のカラフルな色付けがその後全国に拡がったのは言うまでもない。特に市内電車は神戸に追随して緑に塗る所が少なくなかった。
 昭和10年に登場したのはロマンスカーと呼ばれる、市電としては日本初の転換クロスシート車である。そしてこれの前部車掌に、やはり日本で初めて女子を採用した。今でこそ女性の鉄道乗務員も珍しくなくなったが、当時としては画期的なことだ。また、このロマンスカーはそれまでの電車の無骨なイメージを裏切り、優美な曲線に縁取られたボディに大きな窓という欧風スタイルで鋲を露出させないスマートな姿であった。この基本スタイルは廃止までその後の車輌においても貫かれた。このロマンスカーこそ、神戸市電が「東洋一の市電」の異名をとるようになる端緒であった。
 また、先に述べた低床ボギー車は三扉車で、前半分は男性客、後ろ半分は女性客と区分がなされていたというから、現在の女性専用車の先駆けとも言える。

 このように神戸市電は、お役所仕事とは思えない先駆的かつ自由な発想で、次々と新機軸を打ち出し続けたのである。これはそのまま神戸という街のムード、神戸っ子の気風にも通じている。だからこそ市民は市電を愛したのである。

 次記事では、いよいよ同ドラマと実際の神戸市電とを比較検討しよう(笑)。

(つづく)

|

« 平成19年まるよしくらぶ総会 | トップページ | JR神戸線快速臨時停車 »

3.3.3.6   鉄道追憶」カテゴリの記事

7.2.5.0  TVドラマ」カテゴリの記事

コメント

いい話に心打たれます。気概のある力強い内容で、先駆的役割を果たした市電があったから自分も港町神戸に憧れたのかもしれません。異国情緒と潮風の香り、後ろには緑溢れる六甲山と町並みとマッチしていたことも魅力ですね。
実は自分の叔父も阪急電車の運転手だったのですが、それは時計で刻んだような生活だったと、亡くなってからお聞きしたのですが、お話の内容と重なりますね。

投稿: はっちゃん | 2007年9月15日 (土) 14時50分

 そうですねえ。もう十年でも早く生まれていたら、もっと市電の元気よかった頃の姿を、いろいろな関心をもって見ることができたのになあ、と思います。まあこればかりはしようがないですね。
 阪急電車も、とても高級感のある電車ですが、神戸市電とは逆にマルーンの塗色を守りとおす頑固さもありますね。沿線の人にとっては、やはり誇りをもって見られる電車なのだと思います。
 

投稿: まるよし | 2007年9月15日 (土) 20時18分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/129332/14252969

この記事へのトラックバック一覧です: 華麗なる神戸市電 上:

« 平成19年まるよしくらぶ総会 | トップページ | JR神戸線快速臨時停車 »