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2007年4月 8日 (日)

高校での教職科目

 やっぱり同じことを考える人はいるものだ。
 わたしは、教師教育はもっと早期に始めるべきだ、と考えてきた。教師という仕事に特別な適性というのはないと思うが、やはり目に見える部分と裏の部分とのギャップも大きいし、何よりも、数十人の子どもを前に数十分も一人で間をもたせる、という、お笑い芸人も顔負けの技術を必要とする。それでいて何かを学ばせないといけないのである。授業だけならまだしも、人間形成にまでつきあい、責任をもたねばならないのだから、なかなかハードな仕事なのだ。肉体的にも精神的にも。
 そういう仕事に臨むのには、早くから自覚と覚悟をもっておいた方がいいし、思ったような仕事でないのなら、早めに別の途を考えた方がいい。教師というのはそういう種類の仕事だと思う。大学の教育学部に入ってから、あるいは、教職に就いてから、これは違うぞ、と思っても、ツブシが利きにくいので、結局やる気を見いだせないまま、ずるずると教師稼業を続けてしまったりする。
 だから、わたしは「教育高専」を作るべきだ、などと冗談半分本気半分で主張してきたのだが、兵庫県立夢野台高校が、今年度から面白いことを始めた。 

 独自科目として「教育入門」を開設したのである。教育理論だけでなく、模擬授業や行事立案などの実践的な学習もし、気の早いことに、教員採用試験に備えた面接の練習までするのだという。

 夢野台は学区内二番手の学校なので、教師志望の生徒も多いと思われ、適切な措置であろう。
 わたしも、大学に入るのを待たずに、高校でもっと授業論などを学びたかったと思っているので、同校の生徒が羨ましい。何しろ、わたしは普通科から教育学部に進学したのだが、四回生の教育実習まで指導案の一枚も書いたことがなかったのである。これはちょっと遅すぎるだろう。普通科から工学部に進んだ学生が高校時代全く製図をしないのと相似だ。こういう科目を用意している高校が自分の進学できる範囲の学区に当時あったとしたら、迷わずその学校を志望していたにちがいない。
 「教育入門」で扱ったものは実際の学校運営に即活かすこともできるので、学校としてもメリットがあるだろう。教師にとっても、自分達も学んできたことなので、新教科だからといって格別の準備をする必要もないし、労少なくして功多そうである。
 ただ、そういう志望の生徒は当然授業に対する批評眼が厳しくなるので、同校の教師はなかなかのプレッシャーを感じるであろう(笑)。しかしそれは授業の質を向上することにつなげればいいし、逆に、生徒が実際に体験することで、授業というものが端で見ているほど簡単なことではない、ということが分かり、改めて尊敬を集めるかもしれない。
 学校や教室という空気が自分に合うかどうかが、教師を一生の仕事としてやっていけるかどうかの結局はいちばん重要な要素だと思う。ろくに教師教育を受けてなくても、教員免許をもっていなくても、現場で天性の教師魂を開花する人もいる。高校生にもそういう才能があるかもしれない。委細構わず、模擬授業でもなんでもいいから、おだてて教壇に放り上げてやれば、何か授業らしいことをするもんである。そこから徐々に磨いていけばよろしかろう。

 願わくは、授業や生徒指導の技術にとどまらず、教師という商売がどういうものか、という精神や生きざままで説く取り組みであってほしいと思う。それを説けるのが、まさに現役教師が指導することの意味であるはずだ。高校生に舞台裏をバラすのは少々早いかもしれないが、真剣に教職を目指す生徒にはそれくらいは応えていいだろう。
 今後の成果に期待して見守りたい。

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