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2007年5月 8日 (火)

大人の嘘

 嘘は悪いことらしいんだね。隠しごとをしてはいけなくて、全部さらけ出さんと、おじさんがテレビカメラに向かって並んで謝らんといかんらしい。ま、これは、子どもの教育としては正しいんだろうな。

 大学時代の後輩に、聞く度にお父さんの職業が違う奴がおった。ある時はファッションデザイナー、ある時はブルース歌手、ある時はマンションオーナー、という具合で。その後輩のクラスメートはそれを怒っていたもんだ。いい加減な口先だけの奴だ、と。
 しかしわたしは、そんなことで嘘を言って何が悪いんじゃ、と思うのみだった。何か真剣な人生相談でも受けている時にこんなことを言われたらそりゃ腹も立とうが、しょせんコンパかなんかの雑談のうえの話だ。そいつの話術を愉しんだらいいじゃないか。

 なんか、変なとこで真面目な人が多いんだよね。今の世の中。もう少し肩の力抜こうよ。

 わたしだって、それほど深いとこで信頼しあってるわけでもない知り合いとのくだけた席で、例えば好きな異性のタイプだの恋愛体験だの意中の人だのいう話で、馬鹿正直にありのままを話したことなんぞほとんどない。何でほんとのことを言わにゃならんか分からん(水野真紀が好きなのはほんとよ)。
 信頼関係が成立してる相手やら真面目な話の時やら仕事上相談を受ける時やら、そんな時は率直にありのままを言いますよ。でもそれだって、学生と個人的に対話するときはありのままでも、授業とかで語る時は、大なり小なりの脚色はあるもんだ。それを嘘と言われりゃそれまで。でも、伝えたいことをスムーズに伝えるために虚構があるんだよ。

 先日のニュースで、立食そば店で出していたカレーの鍋の底から、ネズミの死骸が出てきた、というのがあった。ここんとこ、食べ物屋関係の不祥事が多いためなんだろう、それを誰も訊いてないのに、発表して謝罪しちゃったね。
 わたしは、こういうのは発表しないのがモラルじゃないかと思うわけよ。少なくとも、わたしがカレー食べた客だったとしたら、絶対言ってほしくない。毒物でも混入していて、食べた人の健康に影響があるとか言うなら別だが、ネズミだから特に良くないわけでもない(イメージは悪いけど)し、煮込まれて殺菌されてるだろうし。却って、聞かされた方が吐き気がするってもので、知らぬが花よ。こんなことは口を噤んで棺桶まで持ってくのがむしろプロの飲食業者の仁義だろう。パートやバイト店員が増えて、その辺のプライドのレベルが落ち、箝口令が徹底する自信がなくなってきてるんだろうか。
 実際、こんなの氷山の一角で、実際にはそんなふうに考えて、公表されていないミスがこの何十倍かはあるんだろうと思う。食べ物屋で一度でも働いたら外食はできない、てなこと言うもんね(わたしはしてるが)。それでも、何事もなく過ぎてる方が多いわけで。

 さて、わたしの先日の体験である。

 あるホテルに泊まった時、夜十時前に部屋の電話からルームサービスで遅めの夕食にとアラカルト料理を一品頼んだ。電話に出たのはいかにもアルバイトっぽい若い女性の声。注文を復誦することもなく、「ご予約ありがとうございました」と言う。ルームサービスなのに「ご予約」とは変だな、とちょっと気にはなったが、そのまま電話を切った。
 ところが、待っても待っても料理が来ない。四十分経っても来ない。このホテルでもそうだし、だいたいどこのホテルでも、早ければ十五分、遅くても三十分ほどで来るものである。こういう時、何分で催促の電話をするか、難しいところだ。一生懸命作っているのなら悪い。しかし、十一時が通常メニューのラストオーダーで、その後はレトルト中心の夜食メニューに移行してしまう。調理場を片づけられてしまってはどうしようもない。そこで、十時五十分頃に、督促しようとまさに電話に手を伸ばした時、電話が鳴った。
「ルームサービスをご注文いただいたんでございますが、お待たせしてしまいまして、大変申しわけございません…。ただ今たいっへん込み合っておりまして、あと十五分ほどでお届けできると存じますが、今暫くお待ちいただけますでしょうか」
 これ以上はないというくらい、すまなそうな口調で言うのは、責任者らしい男性である。分かった旨答えて電話を切る。
 考えてみると、この男性スタッフの言は恐らく嘘であろう。シーズンオフの平日であり、通常の三倍もの時間をかけないとルームサービスを持ってこられないほどの異常な混雑というのは、99パーセントあり得ないことである。大方、先の女性スタッフは、レストランの席の予約と勘違いし、わたしの到着を待ちぼうけしていたのだろう。ラストオーダーに際して注文伝票を点検し、よくスタッフから話を聞いた責任者が、ルームサービスの注文だったことに気づき、慌てて電話してきた、と思われる。十五分というのは、ちょうど通常の所要時間だ。
 やがて、料理が運ばれてきた。運んできた男性スタッフは、さっきの電話と同じ声で再び平身低頭の態度で詫びを述べる。テーブルを見ると、わたしが頼んだ料理の他に、デザートのケーキとフルーツの盛り合わせの皿が載っていて、コーヒーまで添えられている。
「こちらはサービスでございます。よろしければ、どうぞお召し上がりください」
 これは、先の電話での説明が嘘だと自白しているようなものである。混雑していたために注文を順番にこなした結果遅くなったというのなら、客を待たせたとはいっても、正当な理由である。責任者が自ら料理を運んで、これほど丁重に謝罪し、お詫びの品まで付けるのは、明らかに過剰だ。店側にミスがあったと認めるからこれだけのことをするのだろう。
 さて、ここでわたしは以上の判断に基づいて、「そうじゃないだろう。注文を忘れていたのだろう。ルームサービスボタンを押して注文したものを、勝手に店の予約と思って放置したのだろう。そして二回目の電話の後やっと作りはじめたのだろう」と追及することもできたし、そうすれば男性スタッフは嘘を認めただろう。
 しかし、わたしはそれをしなかった。既に実質的に自白している相手に、改めて言葉でそれを言わせることが、このホテルステイにそぐわない行動だ、と思ったからだ。店がこの嘘を認めるというのは、客をないがしろにしたという、ホテルとして致命的なミスを自分の言葉で言うことになる。それは彼自身の屈辱にもなる。そしてわたしは自分が無視されたことを再確認して怒りが増幅する。こんなことは全く生産的ではない。
 「あなたのご注文を忘れるような失礼なことはしておりません」という嘘をつきとおすことがホテルマンのプライドなのだ。わたしはそのプライドはすばらしいと思うし、これはつくべき嘘だと思う。たとえ見え見えであってもこの嘘はつくべきである。客だからといって、半ば認めている嘘を曝くことで、プロのプライドを崩してまで優位に立つのは、単なる悪趣味である。こんなとこに情報公開なんか要らん。
 わたしは、一言の文句も言わない替わり、終始憮然とした顔で無愛想に対応した。そして、
「込んでいたとは意外でしたけど、いいものを付けていただいて」
とにこりともせず言った。これで、嘘をついていることは分かっているぞ、でも謝罪の気持ちは受け入れるぞ、というわたしの裏の言葉は恐らく伝わったはずだ。
 これでよいのだ。わたしはこの件をブルーレターに書いたりフロントに報告したりも一切しなかった。これからもこのホテルは利用するつもりだし、こうして表面上許されたことで、店側は反省を新たにし、二度と同じミスがないよう努めるだろう。それが客としてホテルを育てることになる。

 大人の嘘の機微を解さずに、何でもありのまま、本当のことを述べるのがいい、という風潮。よろしくないなあと思う。世の中全体が小学校の道徳の時間になってきてるんじゃないかと危惧する。
 日航機墜落事故の時、客室乗務員は最後まで冷静に「地上との連絡はとれております」などと放送し、乗客を落ち着かせていた。こういうのも、そのうち「当機はあと十分ほどで墜落いたします」なんてコントみたいな放送をしないといけなくなるんだろうかね。

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 『まるごと とれたて 日本語談義 -ラジオ番組『高専ライブ』で語ることばの話-』
 桐島周 2016 勝木書店 定価1500円(税込)
 
ISBN: 978-4-906485-09-3 
 (桐島周は、まるよしのペンネームです)

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