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2007年7月17日 (火)

エコバッグ騒動

 有名なファッションブランドが作った布製のエコバッグが、世界中でなかなかの騒ぎになっているそうである。

 こういうニュースを聞くと、どうも胡散臭さが鼻についてしかたがない。

 有名ブランドがエコバッグを作るのも、それを有名女優が持つのもいいだろう。それが環境について皆がきっかけになるなら。しかし、こうなると、商売でしかなくなる。件のブランドの本質をよく見据えねばならないだろう。
 ほんとうにエコに関する問題意識をもって発売するなら、なぜ点数限定などして出し惜しむのか。銀座や新宿に長蛇の列をなして混乱を呈することで、ビジュアル的にブランドの人気をアピールすることを狙っているとしか思えない。それがちょっと予想以上の騒ぎになったので、制御しきれなくなった、というところだろう。買う人一人ひとりがクルマや電車に乗って店まで足を運ぶこと、さらに警備や群衆整理に必要な労力、もろもろを勘定すれば、例えばインターネットで先着順に予約受付して通信販売する、といったやり方の方がはるかにエコに貢献することは明らかである。

 ブランドの価値というのは、商品一個一個について、こだわりに裏打ちされた手をかけること、素材の厳選と加工の濃やかさに対する信頼であろう。そこに納得して客は高い対価を負担する。そしてそれを負担できる限られた立場があるからステイタスになるのである。バブルの馬鹿騒ぎを思い出させる繁華街の行列は、ブランドのステイタスとは逆方向にある。
 しかるに、件のブランドは普通ならバッグが何万もするのだが、このエコバッグは二千円ほどなのだという。いくら同じ会社が作っていてブランドのロゴが入っていたとしても、二千円で売っていたのでは、その品に限ってはブランドものの範疇に入らない。譬えて言えば、電鉄会社の経営する遊園地にその会社の看板特急を模した遊戯用豆電車が走っていたりすることがある。いかに同じ会社(の系列)が運営していて同じ塗色・同じマークを掲げていたとしても、その豆電車に乗ったからといって、看板特急そのものに乗ったことにはならないだろう。二千円で売ってペイするバッグを作ろうと考えること自体、ブランドであることを放棄している(無論、採算を度外視するなどという殊勝な動機がないことは上記の売り方を見れば明らかである)。そこが分からずに群がる人々と、それをあてこんで商売するブランド。
 こういうところに真のブランドとしての資格があるのかどうか、疑問である。このバッグは「私はビニールバッグではありません」と英語で大書してある。まさに有名女優が持つのであれば、逆説的な意味での粋はあるのだろうが、そんなバッグに品やセンスがあるとはわたしにはどうしても思えない。少なくとも正攻法のお洒落もしくはエコロジーとは言えないであろう。

 結局、こういう物に飛びつこうとする人は、真剣にエコを考えるのではなく、「エコ免罪符」が欲しいのであろう。
 冷静に考えれば分かるが、個人が布製バッグを持ってレジ袋を年に百枚がとこ節約したり、ペットボトルをリサイクルに出したり、割箸を塗箸にしたりしたところで、工場が消費する化石燃料の莫大な量に比べれば、誤差の範囲でしかない程度の成果があがるのみなのである。
 消費者個人でできる、有意といえるだけのエコ効果を得る手段は、一つしかない。クルマに乗るのを止めること。これが唯一にして最大の方策なのだ。今更クルマの利便を捨てたくないから、そこに誰も触れないだけである。アイドリングストップなんて、バスやダンプカーならともかく、乗用車がやってもエンジンをかけなおす時のエネルギー消費で相殺されてしまうそうだ。乗らないことでしか貢献はできない。
 エコに関係ありそうなことを何かやっているから、いいことをしてススんでいる気分にはなれても、事実何かしていることにはならない。いい加減で気づかねばならない。

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