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2007年7月30日 (月)

舞台「モンテンルパの夜はふけて」鑑賞 上

 以前、 「歌の力」という記事で、渡辺はま子さんの「あヽモンテンルパの夜は更けて」に纏わる話を紹介した。
 今年の夏、この話が音楽劇として舞台にかかると聞いて、さっそく観劇に行くことにした。せっかく東京へ行くのだから、関東の大学に通っているまるよしくらぶの卒業生と食事でもしようと思って連絡をとり、この劇の話をすると、彼も観たいと言うので、ペアチケットを取りなおした。四日間一日二回公演で、千秋楽は白山丸入港日に合わせて7月22日となっている。

 実際観てみると、これは内容の感動もさることながら、なかなかいろんなことを考えさせられるものであり、またどこか異様な感じさえあった。

※ここから出演者名や役名などについて、文体の冗長を避けるため、敬称を略させていただきます

 緞帳が上がると、麻倉未稀が一人で舞台に立ち、「蘇州夜曲」2コーラスを艶やかに歌う。これで分かるように、麻倉が渡辺はま子役で主演なのである。
 麻倉と言えば、「HERO -Holding Out For a Hero-」 (あの超ヒットドラマ『スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~』(TBS系放映 大映テレビ制作 山口和彦他監督 山下真司主演)の主題歌。以下、「HERO」とだけ記す)で知られる、実力派シンガーであり、わたしの前後の世代には馴染みがあるが、これくらいしかヒットがないため、その他の世代の人はぴんと来ないかもしれない。
 「HERO」を歌っていた頃に比べてやや顔がふっくらした感のある麻倉は、その体格のためもあるのか、また渡辺を意識してのことか、麻倉のイメージと少々異なる、かなり柔らかく丸みのある美声で歌い上げる。
 ここでわたしの最初の違和感が訪れる。普通なら主演の麻倉が現れたところ、あるいは歌い終えたところで拍手であろう。わたしも手の用意をしていたのに、全く拍手が起きない。見渡したところ、当然ながら客の年齢層はかなり高い。モンテンルパをリアルタイムで知っている層が多い。それで覇気がないのかと思ったら、次の場面で、この「蘇州夜曲」は巣鴨プリズン慰問で歌った場面として演じられたのだ、ということが科白の間接的な説明で明かされる。ならば確かに拍手が似合う場面ではない。それにしても、何でみんなそんなことを予め知ってるんだろう、とこの時は気になった。

 復員局職員の植木信良(鈴木正勝)との懇談から渡辺がモンテンルパ収容所のことを初めて知る場面に続き、舞台はモンテンルパに移る。ストーリー上の実質的な主人公と言ってもいい加賀尾秀忍教誨師(春海四方)がここで登場する。
 二年以上も死刑執行がなかったため何となく楽観的になっていたモンテンルパの虜囚のもとに、突如十四人もの死刑執行を命じる通達が届き、虜囚たちも加賀尾も奈落に突き落とされる。
 そして舞台では死刑執行の場面が繰り返される。かなりの時間が割かれた。一人の処刑であっても見るに堪えないやりきれなさがあるのに、執行人が次々と死刑囚の名を呼ぶ。二人めが呼ばれて、わたしはまだやるのか、と驚き、三人めが呼ばれた時は、もう止めてくれ、と耳を塞ぎたくなった。
 ストーリー的にも、三人は微妙なリアクションの違いはあるものの、取り乱すこともなく最期の言葉を述べ、加賀尾の読経のなか敢然と十三階段を上り、天皇陛下万歳とともに目隠しをされ、足場が外れる… 大きな懸隔はない流れが延々と続くのだ。なんでまたこんなやるせない場面を執拗に繰り返すのだ、とこの時は気になった。
 そして、後で件のくらぶ生が語ったところでは、このあたりの春海の過剰な演技が気になった、と。
 しかし、わたしは舞台としては特に大げさなものではなかったと思う。TVや映画ならアップにして微妙な表情の変化や涙がつつーと流れるところを見せることもできるが、舞台では地べたに身を投げだして泣き叫ぶしか、悲しみを表現する術はない。これは舞台という表現の限界であり、リアリティとの妥協だ。しかし臨場感というか、役者と観客とで世界を共有しつつ創出していく一体感では、TVや映画は舞台にはるか及ばない。虚構である以上、いかなる表現手段でも何かが犠牲になるのはいたしかたない。
 春海以外でも、登場人物はみんな滑舌よく、ほとんど怒鳴り声というべきボリュームで会話するのが不自然ではある。が、これが演劇の文法というものであろう。

 加賀尾とキリノ大統領(神太郎※)との一度めの会見では、大統領と秘書でもある娘(月見恭子)とが、家族を日本軍に惨殺された恨みを断ち切れず、加賀尾に辛く当たる。もちろん後半に二人は心を開くことになっている。主要登場人物が全て実在であることに起因するこの種のノンフィクション虚構(矛盾しとるが)の特徴として、「悪玉がいない」ことがある。分からず屋も必ず改心していい人になる。
※ 神太郎さんは、サッコさんの「いい娘に逢ったらドキッ」のラップ調ナレーションの主である。こんなところでも縁があるとは。

 歌が完成したところが前半最後の場面である。収容所で文学同好会に属していた代田銀太郎死刑囚(根本泰彦)が書いた詞に、音楽に関してはど素人の伊藤正康死刑囚(米山望文)が収容所のオルガンと格闘してどうにか曲をつけた。
 伊藤が無骨にしかし素朴に調子外れの歌を歌う場面、わたしはここで最初の涙が溢れたのだが、なんと会場からは笑いが漏れたのである。おいおいここは笑うところか。確かに拙劣な歌ではあるが、そうだからこそ悲しさが募るではないか。さっきの拍手といい、今日の観客は感性が鈍いのではないか、とこの時は気になった。

 それにしても、前半はやたらに説明的な科白や場面が多く、感情移入を阻害されるところがあった。あの処刑場面の繰り返しといい、こんな間延びした脚本で、どうなることかとこの時は気になった。
 こうやっていろいろ「この時は気になった」ことごとに、全て理由があったことが後で分かり、浅慮であったとこの後わたしは思い知らされることになるのだが、それは次回の記事で。

(つづく)

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