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2007年8月 2日 (木)

舞台「モンテンルパの夜はふけて」鑑賞 下

 この劇のことを知ったのは偶然で、先々月放送された、サッコさんの出演する『夏祭り にっぽんの歌』(テレビ東京系)という番組を当然に観ていたところ、麻倉未稀さんが「HERO」を披露(シャレじゃないよ)した。この曲紹介で、司会者が「今も幅広く活躍する麻倉さん、19日からは東京芸術劇場でのミュージカル『モンテンルパの夜はふけて』に主演が決まっています」とコメントしたのをわたしは聞き逃さなかった。「HERO」を歌っても疲労を見せない(もういい)麻倉さんを見ながら、ネット検索してチケット予約したのだった。
 わたしとモンテンルパに何のゆかりがあるわけもないのに、「歌の力」でのブログ更新再開といい、何かこの歌に呼ばれている気がする。

 では、前回に続いて、客席にご案内しよう。

 休憩となったところで、わたしは席を替わることにした。左隣の老婦人が始終喉をごろごろと鳴らしているのである。何か病気なんだろうが、それに邪魔されて劇に没入できない。右隣の青年のさらに右は空席でそこがこの列の右端だ。わたしは右の青年に一つ席を詰めてもらい、わたしも右に移った。これで左の喉から解放された、と思いきや、後半は右の青年の鼾に悩まされることになる。
 老婦人を含めた多くの客はモンテンルパの逸話をリアルタイムで知っている世代。わたしは母から聞いて渡辺はま子を懐メロ番組で見た世代。そして隣の青年は恐らく渡辺はま子が歌う姿を映像ですら見たことがない世代。それぞれに見方も退屈のし方もあるのであろう。

 後半の冒頭場面では、加賀尾からの手紙が渡辺に届いたのがきっかけで、渡辺が「あヽモンテンルパの夜は更けて」をレコーディングする話がとんとん拍子にまとまる。

 渡辺がモンテンルパのことを知って以来の悲願だった、モンテンルパ収容所への慰問がやっと実現し、収容所で虜囚たちを聴衆にしてライブを行う場面になる。「シナの夜」など代表的な戦前のヒット曲三曲の後、もちろん「あヽモンテンルパの夜は更けて」が歌われる(ただしこのときは2番まで)のだが、この場面にわたしは奇妙な感覚をおぼえざるを得なかった。
 舞台手前に虜囚たちが地べたに(つまり舞台に)坐り、その奥で渡辺がこっちを向いて歌う。つまり、虜囚役の役者たちは、観客にお尻を向けているのだ。これは一般的には演劇のタブーであろう。麻倉の視線は虜囚役にも向けば観客にも向く。「あヽモンテンルパの夜は更けて」の間奏で、渡辺が虜囚たちに「ここからは皆さんもご一緒に歌いましょう」と言う科白があるのだが、わたしには、わたしたち観客に麻倉が呼びかけることを兼ねた科白に聞こえて、歌う心の準備をしたのだが、周囲の観客は皆、舞台の上のことは芝居、とばかり押し黙って観ている。涙で声が出ない、ということもあるのだろうが。わたしだって歌ったとしても声がかすれくぐもって歌にならなかったろう。でも舞台上の虜囚たちの声も震えているではないか。
 〈【虜囚たちが渡辺はま子の歌を聴いている】ところを麻倉と役者たちが演じている〉のを観ているわたしたち観客。わたしたちは、渡辺はま子をカバーしている麻倉未稀の歌を聴いている。これだけでも複雑な入れ子なのだが、ここまで芝居を観てきたわたしたちは、既に虜囚たちに感情移入している。ともすれば虜囚たちと同化して渡辺はま子を聴いている自分に気づく。括弧記号で示した壁を、演じる者と受け止める者と双方の心情がいとも簡単に透過し、視点が多次元の虚構世界を行き来するうちに、自分が何者で今がいつでどこにいるのか、よく分からなくなる稀有な浮遊感覚に襲われたのだ。この感覚を喚起するにはなるほど虜囚たちはお尻を向ける必要がある。しかもこの場面で伴奏者(役)を務めているのは、プロのアコーディオン奏者(土生英彦)である。
 しかし、特に実験的な演劇というわけでもないシリアスな芝居で、なんでまたこんな込み入った演出をする必然があるのだろうか、とわたしは首を捻った。この理由も、後で明らかになる。

 加賀尾とキリノの和解は、前記事に書いたごとく「あヽモンテンルパの夜は更けて」のオルゴールが端緒となり、ほぼ本に記された史実どおり進行する。知っている話のはずなのに、こうして時間芸術として見せられると改めて感動するから不思議だ。この曲のメロディが内包した力のせいだろうか。日本での署名活動、キリノの英断による虜囚全員の帰国へと話は進んでいく。

 ラストシーンは、横浜に白山丸が入港する場面だ。多くの群衆が、元虜囚たちが船から降りてくるのを今や遅しと待ち受ける中、待ちきれぬ渡辺は同行者の制止を振り切ってタラップを駆け昇っていく。こういう渡辺のせっかちさに客席の笑いが起きる。渡辺の性格をよく知っていて、相変わらずしようのない人だなあ、というかのような笑い方である。
 上段の通路を駆け寄ってきたのは加賀尾、続いて元虜囚が日の丸の小旗が乱舞するなか戦友の遺骨を抱いて次々船を下りてき、舞台手前に並ぶ。

 渡辺がタラップ中段に立ち、上段の通路にはキリノを含めこの場にいないはずの人物も並ぶ。フィナーレの態勢が整ったところで、出演者全員で「あヽモンテンルパの夜は更けて」の合唱となる。群衆と見えた人たちは、実はボランティア出演のアマチュア合唱団だったのだ。ここまで出し惜しみしてきた3番までをフルに、ラストはオクターブ上げて大きく歌い上げ、緞帳が下りる。今度こそ大きな拍手が贈られる。

 カーテンコールで全出演者を背に麻倉の挨拶。ここで、客席中央に陣取っている招待客が「モンテンルパの会」の人たちであることが紹介される。つまり当時モンテンルパに収容されていた人々とその家族・関係者なのである。そして、その会員でもある、植木信良・伊藤正康両氏(本人)が紹介され、ステージに招き上げられて挨拶。「代田さんと加賀尾さんに冥土の土産ができた」などと笑わせてくれ、もちろん万雷の拍手である。
 とにかく、これでここまでの全ての疑問が氷解した。不可解に見えた演出も、最初から「モンテンルパの会」の人々を主たる受け手と意識したものだったのだ。そして観客の不自然なリアクションも全て得心がいく。八回に及ぶ公演に毎回植木さんや伊藤さんが招待されるわけではないだろうから、直接お二人にも拍手を贈れたこと、そして、この芝居の奥義を知り得たこと、二つの意味で、いい回を観られた幸運に感謝する。
 願わくばこのあともう一度観客と出演者一緒に「あヽモンテンルパの夜は更けて」を歌う演出も欲しかったが、それはもはや瑕瑾、もしくはないものねだりというものだろう。

 くらぶ生とこの演劇を肴にして暫し懇談と反省会をした後、わたしは大いに充実した気持ちで東京を後にした。

(了) 

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