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2007年10月11日 (木)

どこから送る仮名 上

 研究室で学生と勉強していたところ、学生同士が送り仮名に関して口論になった。おこなう という動詞を漢字仮名まじりで書くとき、どこから送り仮名にするべきか、について。すなわち、行う なのか、行なう なのか、ということである。レポートを書いていてふと悩んだところから話が始まった。
 読者諸氏も試してみれば分かるが、大抵の日本語入力システムで変換してみても、どちらの変換もできるはずである。
 行なう 派の学生の言い分は、 から送らないと、行った とか 行って とかの形に活用したとき、いった と訓むのか おこなった と訓むのか、分からないではないか、というもの。行った おこなった と訓むのには、どうも違和感がある、と学生は言う。
 一方、行う 派の学生は、送り仮名は活用語尾から送ることに決まっているのだから、それに従うべきだ、というもの。確かにそれが原則である。

 暫く言い争っても決着がつかないため、わたしに「どっちが正しいんですか」と訊いてきた。
 もちろんわたしも作文指導に携わる人間であるし、個人としてもこれは前々から興味ある問題でもある。国語教師としてこういう質問には即座に明確な答えを与える義務がある。
 そこで、わたしはすかさず彼らにはっきりとこう言いきった。

「どっちでも好きなようにしてよろしい」
と。

 ちょっと今回はこの 行う を入口に、この送り仮名と訓み分けの問題を、考えよう。

 実際、文科省としても、原則を 行う と定めているが、行なう も許容している。どっちが間違いということはない。
 文科省のお墨付きをもらうまでもなく、送り仮名などというものは、もともと漢文を日本語に書き下すときの便宜から生まれたものであって、こうでないといかんというもんではない。読めればよいのだ。

 ただ、好みというものはある。わたしは、送り仮名は少ない方がカッコいい、と感じる質であり、わたし自身は間違っても 行なう と送ったりはしない。

 学生だけでなく、研究の世界でも、こういうことにこだわる人はいる。例えば、化学の領域の研究論文では、 行なう と送る習慣というかほとんど不文律になっている。故に、物質工学科(化学を扱う学科)の学生の(専門科目の)レポートに 行う と書いてあると、ことごとく赤ペンで 行なう に直されている。また、教員が分担して書いた高専の内部文書の表現チェックをしたりする機会も多いが、物質工学科の先生がどこを担当したかは、行なう という送り仮名ですぐ分かる。他の学科の先生は 行う だからだ。わたしは、表記を統一するため、を全部取り除いてまわる。
 行った に二通りの訓みがあり得る、というのは、別に化学の領域に限ったことではない。化学だけがそんな送り仮名を採用せねばならない特別な事情など、あるはずもない。察するに、化学の大家か何かが 行なう と書くべし、と学会ででもテキトーなことを言ったので、皆さん平服しているのであろう。

 わたしは、こういう妙な習慣はナンセンスだと思う。行った 行って の訓み方が紛らわしい、という理由は、一見もっともらしく聞こえるが、実は全く意味をなさないからである。

 まず、送り仮名のない訓み方というのも漢字にはたくさんある。そして、そういう訓み方を複数もっている漢字もたくさんある。それをどう訓むかは、文脈で適切に判断できる場合がほとんどであるし、判断できるように文脈を作るものである。
 例えば、さきほどわたしは、

(1)送り仮名は少ない方がカッコいい、と感じるであり、

と書いたが、このを読者諸氏は何と訓んだか。しつ/しち/たち/もと のうちどれか。もちろん、たち と訓んだであろう。われわれは送り仮名に頼らなくても、訓み方をみさだめることは普通にやってのけているのである。
 授業アンケートで、試験問題について 訳が分からず難しかった と書かれ、勉強不足を棚に上げて、ひとの作った問題を わけが分からない とは失礼な、と頭に血が上りかけたが、やくが分からない と言っていることに気づいた、なんてこともあった。漢文の問題だったのだ。考えれば分かるもんである。

 おこなういく の場合に戻ろう。
 確かに、行った または 行って と文節単体で目の前に放り出されたら、何と訓むか迷うであろう。しかし、そんなことは、こういう言語論議をやっているような時くらいしか起こり得ない。言葉は実用的な文章や談話の中で使われるものである。
 実際の文章中に、行った または 行って と書いてあって、これをどっちの訓み方をしていいか迷う、という人がいるとしたら、その人は基本的な(小学生レベルの)日本語能力に欠けている。とても論文やレポートなど書くような日本語能力はないので、然るべき段階から勉強しなおしていただかねばならない。
 (2)の例文をご覧いただく。

(2)僕は昨日学校行って化学の実験行った

 (2)の 行って 行った を何と訓むか迷ったか。そんな人はいないはずだ。行く は当然その前に 〈場所を示す名詞〉に もしくは 〈場所を示す名詞〉へ という連用修飾語を伴うし、行う は当然 〈行為を示す名詞〉を という連用修飾語を伴う。それぞれの動詞が前に要求する格成分が全く異なるのだから、一目瞭然、訓み分けられるのである。行く がニ格かヘ格、行う が ヲ格 をとる、という形式上の規則は原則であって、(3)のような例外もないわけではない。

(3)首相は群衆の拍手のなか参道行って、靖国参拝を公約どおり行った

けれど、(3)にしたって訓みに迷うことはないはずである。
 いずれにせよ、「活用語尾から送る」という原則を崩してまで から送る、という必然性やメリットがないわけである。従って、わたしは 行う としか書かないのだ。

 こういう議論をしていると、他の語との整合性はどうなのであろうか、と気になってくる。次回は他の動詞に類例を求めてみよう。

(つづく)

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