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2007年10月19日 (金)

どこから送る仮名 中

 前回行う の類例を考えていて、思い出したのが、以前聞いたわたしと同世代の数学の先生の愚痴である。
 証明問題の板書をしている時、~を…と表わす と書いたところ、すかさず学生からつっこみが入ったのだという。その は要らないでしょう、というわけである。
 これも、行う の場合と同様、現在では 表す が標準で、表わす も許容する、という扱いになっているはずだ。ただ、確かにわたしは小学校で 表わす と書け、と習った覚えがある。今の学生は、表す で習っているので、こういうやりとりになるのだが、これもどっちでもいいのである。
 が、この語の場合、どっちでもいいと言ってしまうと、別の問題も起きてくるのだ。

 単体でみると あらわす なのか ひょうす なのか、訓みが二通りあり得る、という点だ。(4)と(5)で使い分けてみる。

(4)アットマークで所属するドメインを表すのが普通である。
(5)見事な改革を成し遂げた宮崎県知事に敬意を表したい。

まず迷うことはないだろう。微妙な場合もある。

(6)保険の受取人を君に変更するのは、これまでの君の心遣いに対する感謝を表すためだ。

(6)は迷うかもしれないが、ただこれは あらわす と訓んでも ひょうす と訓んでも、意味は同じで、多少文全体のニュアンスや格調が変わるだけなので、大して支障はないだろう。
 かくして、やっぱり 表す という送り方で問題なし、となるわけだ。

 他にこうした例はないか、と考えてみると、どんどん思いつくものである。例文を挙げていこう。

(7)決勝戦では、守備力に勝っているチームが勝って当然だ。
(8)願掛けで酒を断っているので、呑み会へのお誘いは断っている。
(9)落語家なんかになるのは止めるよう、彼を止めるべきだ。
(10)彼は旧国道を通って学校に通っているそうだ。
(11)会議を覆っていた悲観的な見通しからくるムードは、彼の斬新な提言で一気に覆ってしまった。

 (7)~(11)いずれも、見た目は同じだが、訓み方が異なり、かつどっちの訓みかを迷わないものであろう。特に 行う行く の場合と同じく、もともと行が異なる五段活用なのに、ともに撥音便が起きてしまうので、連用形の見た目が同じになってしまう、という例を集めた(念のため、それぞれの訓みを示しておく。(7)は まさって/かって 、(8)は たって/ことわって 、(9)は やめる/とめる、(10)は とおって/かよって 、(11)は おおって/くつがえって

 同様に複数の五段活用の訓みをもちながら、行によって音便の種類が異なるため、上記のような事態が回避されている字もある。歩いて(あるいて) / 歩んで(あゆんで) などがその例である。結いて(ゆわいて)/結って(ゆって)/結んで(むすんで) は三つもあるのにちゃんと回避されているのが面白い。

 さてその一方で、トイレで(12)のような文を見て驚いたことがある。名の通った便器メーカーが規格的に表示しているよく見る貼紙なのだが。

(12)チリ紙以外の物を流すと便器が詰りますからご注意ください。

 この便器は、しゃべることができるのか! しかも、使い方の悪い使用者を非難するのか。そう驚いたわけだが、よく考えると 詰りつまり と訓むんだ、と気づいた。ただ、つまり と訓ませたいなら、やはり 詰まり と送るべきだろう。詰り では なじり と訓んでしまう。
 詰まる という送り方は、活用語尾を送る、という原則からは外れる。つまるつま が語幹だからだ。なのに通常  詰まる という送り方をするのは、詰める という動詞との区別を明確にするためである。このように、いわゆる自動詞と他動詞(わたしは日本語においてこの区別はあまり意味がないと考えるが、一応一般的な用語で言っておく)とが対応して存在する時に、原則を外して一音前から送る、という習慣になっている。
 つまるなじる とが同じ表記に(本来)ならないのは、このことによって偶然ながら回避されているのである。
 同様に、集まって(あつまって)/集って(つどって) も、集まる 集める とを区別する例外的な送り方によって、混淆が回避されている。

 なーんだ、さすが日本語、うまくできてるじゃないか、と安心してはいけない。ここまではたまたまうまくいっている例である。(4)(5)と同様、別の訓みが同じ表記になってしまう例もまた少なくないのである。

 表す(あらわす/ひょうす) のように、もともと古典語で音読みにサ変の活用語尾が付いて動詞化したものが現代語では五段活用に変化したために、訓読みと同じ表記になってしまった、という例はいくつかある。
 記す(きす/しるす)・圧す(あっす/おす)などがそれである。が、これらもどっちの訓み方をしても、そんなに意味が変わらないので、そんなに支障はない。帰す の場合、きすかえす とでは意味が違ってくるが、使う文脈があんまり重なりそうにないので、これも支障ないだろう。
 わたしが首を捻ったことがあるのは、シューベルトの楽曲のタイトルで「楽に寄す」というものである。大好きで愛唱歌の一つであるのはいいが、このタイトルの 寄すきす と訓むのか よす と訓むのか、未だに正確に知らない。これ、意味が違ってくるんだけどね。きす と訓むと、全く音楽というものを心の支えにして暮らしていることからくる音楽への礼讃だし、よす と訓むと、音楽という芸術に関して思うところを綴ってみた、という叙情詩になる。歌詞をみても、どっちともとれるので困っている。

 こういう、音読みと訓読みとがたまたま同じ表記になったものばかりかと思ったら、同じ字の訓読み同士でも全く同じ活用になる、というものも、意外に多くあるのだ。
 単に、音声や音韻の問題で訓みが二通り(以上)に分かれた結果であると、意味は同じながら、やはり微妙なニュアンスが違ってくるから、ややこしい。例えば、尖る(とがる/とんがる)・瞑る(つぶる/つむる)・違う(たがう/ちがう)・屈まる(かがまる/こごまる) といったあたり。抱く(だく/いだく)・擦る(する/なする)・描く(かく/えがく)・解く(とく/ほどく) は元々あった訓みに、習慣的にかかる連用修飾部分までが訓みとして取り込まれたり、元々の訓みの最初の音節がだんだん発音されなくなった変化の結果か。文章を音読する時は、ルビがないとどっちの訓みをするか、迷うケースだが、送り仮名では解決しにくい。

 さらに、同じ活用で意味が異なる訓みが二つあるような字がある。これなら意味の違いから、送り仮名も同じであっても、迷うことはなく訓めそうである。

(13)今にインドが日本を脅かす存在になるぞ、と少し脅かす
(14)弦を弾いている指の動きが、ギターを弾いている時の彼女の魅力だ。
(15)娘に宛てて、結婚を認める旨の手紙を認める
(16)代議士の職を退いたので、議員宿舎から立ち退いた
(17)喧嘩相手に悪態を吐いたばかりか唾まで吐いた
(18)運動不足で体が鈍って、腕の感覚が鈍っている。
(19)山門を落書きで汚すとは、寺の品格を汚す行為だ。

といろいろあり得る(念のため、(13)は おびやかす/おどかす、(14)は はじいて/ひいて、(15)は みとめる/したためる、(16)は ひいたorしりぞいたのいた、(17)は ついた/はいた、(18)は なまって/にぶって(19)は よごす/けがす。(16)の 退いた は文脈によっては どいた とも訓み得る。
 他にも、過る(あやまる/よぎる) なんていうのも、全く意味が違うので、文脈や修飾語で訓み分けられよう。来る(くる/きたる) は、きたる の方はほとんど連体修飾語としてしか使わないので、これもあまり問題なかろう。選る(える/すぐる)・止す(よす/さす)・弛む(たるむ/たゆむ)・凝る(こる/しこる)・接ぐ(つぐ/はぐ)などは、いずれも、後者の訓み方は特殊な文脈上や特定の活用形でしか使われなかったり、平仮名で書くのが普通になったりしているものなので、実用上の問題が起きないものだろう。
 抉る などは、大きな辞書を引いてみると、えぐる/くじる/こじる/さくる/しゃくる と五通りも訓み方があるので驚いたが、これも文脈上何となく分かるのだろうと思う。 

 しかし、そう簡単に片づかない例もあるのだ。次回はそこから。

(つづく)

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