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2008年4月30日 (水)

前記事へのコメント

 当ブログにいただくコメントやトラックバックは、、タイトル下にある註記のとおり、かなり厳しい基準で公開するか否かを判断させていただいている。これは、このブログのムードやコンセプトを守るためである。

 昨日、以前の記事「『ちりとてちん』解題」に対していただいたコメントは、残念ながら、内容・表現・様式とも、お示ししている削除対象となる基準に該当するものであったため、公開はできない。
 しかし、考えてみると、当該コメントは、当ブログを閲覧している多くの学生たちのいい勉強になるものである。そこで、当該コメントの主旨だけでもと思い、以下にわたしの言葉で箇条書きにまとめなおし、教材としてご紹介する。学生、特に3年生でわたしの授業を受けている学生は、しっかりと元記事と当記事とを読みくらべて学んでいただきたい(3年の授業には、「反論・批判のルールとマナー」という単元を設けている)。

(1) 『ちりとてちん』に異常な人気などない。
(2) 『ちりとてちん』は関西人に受けただけである。
(3) 自分は、脚本のつまらなさと、主人公の不自然なオーバーアクションが不快で、見るのをやめた。そういう人が多かったから視聴率が低かったのではないか。
(4) もし本当に『ちりとてちん』が面白かったとすれば、視聴率にあらわれたはずだ。
(5) あなたが『瞳』を観ないのはよほど『ちりとてちん』中毒なのであろう。中毒からさめるべきだ。
(6) 『ちりとてちん』をすばらしいと思うことこそが異常である。
(7) 『瞳』を見ないのは損である。

 要するに、このコメント主氏は、わたしの元記事の文章が全く読解できていないのである。ご自身のブログなり何なりでこのような主張をされるのは自由だが、コメント、それも批判的な内容のものを他人のブログに書きこもうというのなら、まず元記事を熟読して内容を理解するのは最低限のマナーである。
 一つずつ丁寧に潰していこう。

(1) 『ちりとてちん』は異常な人気などない。
 元記事に、『ちりとてちん』が従来の朝ドラに例をみない人気を得た、と言える根拠となる事実を列挙している(5月1日追記・今週号の『ステラ』の綴じ込み付録冊子『〈ちりとてちん〉めいっぱい!』2頁では、わたしが列挙したような事態が紹介されたうえで、「朝ドラ史上空前のムーブメント」と評している。つまり、NHK自身が認めているのであり、単なる下馬評ではない)。わたしの見解が間違っていると言いたければ、わたしが挙げた根拠が不適切であることを示す、もしくはそれらを覆すだけの量と質を具えた反例を掲げて主張しなければ、反論として成立しない。印象批評を言い合っても、不毛な水掛け論にしかならず、読者は当否を判断できない。

(2) 『ちりとてちん』は関西人に受けただけである。
 後の(3)を見ると、このコメント主氏は「視聴率」という数字に信頼をおいているようなので(わたしは元記事に記したとおり、おいていない)、それに寄り添った反批判をする。既に発表されている『ちりとてちん』の視聴率を見ると、全編通しての平均視聴率は、関東で15.9%、関西で17.0%で、確かに関東と関西で差がある。しかし、そもそも福井と大阪が舞台のドラマが、地元での視聴率が高くなるのはあたりまえであり、それを加味したとき、1.1%の差が有意差と言えるかどうかは甚だ疑問である。また、週別の視聴率をみても、関東の視聴率が関西のそれを上回った週が複数ある。
 また、公式彩図におけるスタッフ日記によると、ファン感謝祭の参加応募は、北海道から沖縄まで全国にわたっていた、ということである。もちろん地元関西からの応募がほとんどであろうが、当日NHK大阪に足を運べる人となると、地元が多くなるのが自然であろう。
 これらをもって、『ちりとてちん』の人気が関西のみであった、と断じることには無理がある。

(3) 自分は、脚本のつまらなさと、主人公の不自然なオーバーアクションが不快で、見るのをやめた。そういう人が多かったから視聴率が低かったのではないか。
 『ちりとてちん』の脚本がどういう点でよくできているか、については、元記事に簡単に述べている。そうでない、と主張したいのであれば、わたしの示した端的な根拠くらいは否定するだけの論理を示すべきである。また、今後の私的解題のシリーズの記事では、細部の実例を挙げながら述べていくことになる。もちろん、コメント主氏の好みに合わなかったのなら、それはしかたがない。が、それと『ちりとてちん』の質の高低とは別問題である。
 「主人公のオーバーアクション」も、作品全体の構想上必然性のあるものである。これも人によって好みはさまざまなので、合わなければ、いたしかたない。このようなヒロインの演技が、わたしは好きだし、コメント主氏は嫌いだった、それだけのことである。その間に優劣や正誤の差はない。
 「そういう人が多かった」のだとすれば、前半の視聴率が高く、後半にいくほど落ちるはずである。しかるに、週別の視聴率をみると、むしろ後半の方が上がっており、最高の視聴率をマークしたのは、関東では第17週、関西では第22週であり、いずれも後半である。従って、この指摘は当たらない。

(4) もし本当に『ちりとてちん』が面白かったとすれば、視聴率にあらわれたはずだ。
 現在の視聴率のカウント方法は、実際の視聴数を反映するものにはなっていない。この問題は、もう二十年前頃から指摘されていることである。そしてその齟齬は、NHKの朝ドラ・大河・紅白など、複数のチャンネルで放送されたり、本放送から時をおかずに再放送が流される番組において最も顕著であると考えられる。理由は元記事に述べた。従って、この見解も誤りである。

(5) あなたが『瞳』を観ないのはよほど『ちりとてちん』中毒なのであろう。中毒からさめるべきだ。
 そのとおり、『ちりとてちん』中毒である。好きなものにハマってはなぜいけないのか。また、まだ関連番組の放送が予定されている今、なぜ醒めなければならないのか。さっぱり分からない。

(6) 『ちりとてちん』をすばらしいと思うことこそが異常である。
 理屈にも何にもならぬ言いがかりで、言うべき言葉がない。『ちりとてちん』は、確かにアクの強いドラマであるから、好かれ嫌われが激しいことは、よく分かる。しかし、それを評価する人が「異常」と言われなければならないほどの要因がこのドラマのどこにあるのか。こんな失礼なことを述べるのなら、よほど明確な根拠を示すべきである。
 わたしの文章に対するコメントとして書かれている以上、この項目はわたしの人格を批判していると解釈されてもしかたがない。もちろん、議論において人格批判は明白かつ悪質なルール違反である。

(7) 『瞳』を見ないのは損である。
 コメント主氏は、『瞳』がお好きなようである。好きなドラマを他人に勧めたい気持ちは、よく分かる。わたしも『ちりとてちん』を多くの人に勧め、そのうちの何人かはわたし同様(あるいはわたし以上)にハマってくださった。嬉しいことである。しかしそれは、日常の付き合いの中でわたしという人間の感性を信頼してくださっている皆さんだったからこそ、わたしの進言に耳を傾けてくださったのであり、見ず知らずのコメント主氏に(6)のごときことを言われながら勧められても、観る気が起きるはずがない(コメント主氏とわたしの感性や嗜好に大きな懸隔があることはここまでのコメント内容から明らかであるから、コメント主氏がこのように考えているなら、わたしはなおのこと観ないのが正解、と考える方がむしろ論理的に自然である)。
 わたしが『瞳』を観ない理由も元記事に書いてある。『瞳』が嫌いで観ないわけではないのだ。そのような理由で観ない人間にこんなことを言っても、無効である。だいたい、『瞳』のどういう点がすばらしいのかさえコメント主氏は示しておらず、説得力がない。
 勧めるなら、もう少し相手の立場や感情を考えた方策をとるべきである。

 何にしても、コメントをくださることは歓迎なのだが、少なくとも元記事をきちんと読んで正確に理解していただくこと、そして、公の場に相応しい内容と表現にしていただくことを、望む次第である。

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