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2008年5月19日 (月)

迷走ロボコン

 高専ロボコン、今年のテーマは「生命大進化」ということで、二足歩行に挑戦することになる。このテーマはなかなかよいと思う。
 今年の募集開始を控えて、ちょっと昨年の大会について批判的な意見を書いておくことにする。昨年のごときテーマに二度と戻ってほしくないからである。

 昨年は、担任した麺類部メンバーも正規メンバーとして出場し、サポートメンバーとしても参加したということで、その労をねぎらいたい。ただ、彼らが参加していなければTV番組を観なかったかもしれない。「勝った方がええんですかね」「素直に応援しよういう気にはならんな」(『ちりとてちん』の科白より)という気分で観ていたのだ。武生サッコライブのご縁でひまわり隊メンバーにも、観てやってくださいね、と言った手前、わたしも観なければならない。

 ここ何年かのロボコンがおかしくなっていることを、前からいろんなところで指摘しているが、去年はその極にあった。
 NHKの大河ドラマとのタイアップという点も、そこまできたか、というマイナスの感慨を抱くのであるが、それよりも嘆かわしいのは、テーマである。「ロボット騎馬戦」…。

 例えば、箱を運んだり積み上げたり、という課題は、人に代わって重いものを正確かつ効率的に扱う仕事をしてくれる、介護ロボットなどの雛型かと連想できる。障害物を乗り越えて行く、という課題は、人が歩きにくいような所にも入って仕事をしてくれる、災害救助ロボットなどの雛型か、と思う。
 しかし、ロボット同士がぶつかり合って旗を奪い合う、という課題に、どんな機能のアナロジーを見ればいいのだろうか。敵味方に分かれて争い合うロボット。そんなものは人類が最も作ってはならないロボットである。
 一校くらい、こんなテーマには応じられない、と出場を拒否する高専があってもいい、とわたしは思うが、そんなのがあるはずもない。「ロボコンに出ること」自体がもはや目的化して、テーマの本質を批評する目を失っているのではないか。高専も、ロボコンに興じる学生たちも。
 わたしは、以前も述べたとおり、教育の場に極力勝ち負けの概念を持ち込むべきではない、と思っている。ある程度の動機づけや盛り上げのために競争の要素が入るのは止むを得ないとは思うが、ロボットが直接喧嘩して勝ちを競い合う、というのは、許容限度を超えている。
 その意味で、福井のロボットが押し合いの揚句煙を吹いたのは、問題提起としてはよかったのではないか。ロボットがやるべきでないことをやって壊れた結果、負けたのであるから、福井はまだしも真っ当なロボット作りをしているのかもしれない。
 ロボコンの関係者のごく一部ではあろうが、これが教育の一環である、という意識をもっていない人もいるのだろう。

 もう一つ気になったのは、昨年のロボコンの番組内や予告編などで、「高等専門学校の若きエンジニア達」と連呼していたことである。
 冗談ではない。あんなコンテストのための非実用的な機械を作ったくらいでエンジニア呼ばわりしては、世間のエンジニア諸氏に失礼である。高専生なんて、まだ内弟子修業の身だ(教育学部の学生を「若き教師」とは呼ばないし、看護学生を「若き看護師」とは呼ばない。真っ当な言葉遣いをするべきだ)。
 以前のロボコンでは、擬人化した卵がロボコンのキャラクターとして使われていた。「エンジニアの卵」の大会、ということであろう。高専生は雛鳥に孵る以前の卵でしかない、という正しい認識が主催者側にもあったのである。しかし近年、そのキャラクターが使われなくなった。
 そして、わたしのロボコンに対する関心も薄れていったのである。 

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