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2008年8月25日 (月)

工学部の危機と学制再編 上

 『日経ビジネス』誌の8月18日号に、「さらば工学部 「6・3・3・4制」を突き破れ」という特集がなされていた。このタイトルからして、どう考えても高専の話が出てくる、と思い、頁をめくってみた。

 はたして、その特集の中に、興味深い記事があった。ただ、その記事のタイトルは、首を傾げざるを得ない、こういうものだった。

  「鉄は熱いうちに打て 12歳からの英才教育」

というのがそれである。15歳から、の間違いではないのか? 12歳では熱いうちどころかまだ加熱しきってないのではないか、と思いながら記事を読んでいく。予想どおり、高専の話が多い。

 弓削商船高専がプロコンで華々しい活躍をしたことがきっかけとなり、マイクロソフトがIT技術者支援に乗り出したこと、東大の特任助教授だった著名な工学の研究者が、周囲の反対を押し切って阿南高専に着任したことなどが紹介されている。
 阿南高専のこの教員が東大教員のポストを敢えて放棄して地方の高専に着任したのは、何といっても高専生の熱意と実動力を買ってのことだそうだ。そして教員自身が、高専生は東大の大学院生に負けない能力をもっている、と太鼓判を捺す談話も書かれている。
 全ての高専生についてそう言えるのかどうかは疑わしいが、少なくとも当該教員についている学生はそうなのだろう。能力というのは、意欲や知的好奇心なども含んでいて、単に学力や知識のことでもないのだろう。

 囲み記事では、高専が有名大学に送り込む学生の数が飛躍的に増えていることが紹介されている。特に進学に力を入れている高専として、群馬高専の名が挙がっている。これは高専関係者にはよく知られたことである。超難関八大学(旧帝大+東工大)への編入学生数は、高専全体で十年前の倍、また、高専出身の大学院生数に至っては、14倍にまで増えた、というデータがグラフで示されている。
 これには、高専出身かどうかに限らず、工学部はどうせ行くなら修士課程まで、という風潮が定着しつつあることや、専攻科が全高専に完備したことなども影響しているのだろうから、このデータをもって、高専の教育力が高まった、とストレートに解釈するのは早計ではあろう。

 しかしまあ、全体に、高専に対して好意的な記事であることは、安心した。この記事の前には、大学の工学部生の学力や研究意欲が著しい低下を見せていることが散々嘆かれていたので、返す刀で高専も斬られるのか、と不安になりながら記事を読みはじめたのだ。むろん、高専の内部にいると、高専教育のいろいろな問題点も目につくのだが、産業界からみれば、いちおうの結果は出せている、ということだろうか。

 学部は異なるけれど、わたしは母校の大学教育学部の主に二回生(関西なので、●回生と呼ぶ。学部二年生のこと)の前で、教師としての実践を報告するシンポジウムのパネラーを数年前に務めた。その時に、大学に比べて高専の教育も悪くないな、と感じた。
 というのも、聴衆である後輩学生たちの中には、最前列で机に伏せて寝ている者、机の上に漫画を出して読んでいる者など、話していて苛立つような態度をとる者が、少数ではあるが、いたのである。それ以前に、真夏ということもあり、学生たちのほとんどが、上はTシャツか酷いのはタンクトップやノースリーブ、下はジーンズや酷いのは短パン。
 大学二回生といえば、高専五年生にあたる。高専五年生で考えてみると、現場に出ているOBをゲストに招いて実務に関する話を聴く、となった時に、たとえ真夏であっても、このような態度はまずないであろう。特に指示をしなくても、それなりの服装と態度になるであろう。普段の授業ならともかく、こういう機会に相応しいふるまいくらいは弁えている。いつもは闊達に、しかしいざやるときは気をひきしめてやる、という切り換えがきくのが、高専生のいいところである。
 後輩学生たちは、高校普通科から上がってきて、実社会に触れる機会も乏しかっただろうし、どうやら単位やゼミ選択の優先順位をちらつかされて強制動員されたらしい、と漏れ聞くので、そこは割り引くにしても、いやしくも教師になろうという学生たちである。それを考えると、わが後輩たちながら、情けない。そう思ったので、わたしは率直にそのとおりに言ったが、多分彼らは、何を言われているのか、三回生になって教育実習に行くまで理解できなかったことであろう。

 このように、社会性という面では、高専は他校種に一歩先んじている。そういうところを、教員も特に気を配って指導しているからでもある。オープンキャンパスなどでも、こういう点をもっとアピールしてよい(言わずとも気づいてくれる保護者もいるが)。
 低学年で二年間担任したクラスが、今年度は五年生になっている。彼らのなかには、わたしの所に、進路相談に来たり、自己推薦書・志望動機書・履歴書その他いろいろな文章の書き方のアドバイスを求めたり、添削を依頼したりしに来る学生も多い。
 感心したのは、それらの学生たちが皆、進路が決定次第、きちんとわたしの所に結果報告と感謝の意を伝えるために、再度研究室に足を運んでくれたことである。もちろんこれは当然の礼儀といえばいえるのだが、昨今の大学生にそういうことがあたりまえにできるであろうか。そればかりか、進路決定に際してわたしがとりたてて何もしていない学生までが、何人か報告に来たのである。自分が今あるのも、低学年の時のご指導のおかげなので、と。
 こういう、挨拶や報告の類を厭わない、人との間のコミュニケーションを大切に考えるところは、高専のよさであり、社会に出て大いに役立つ資質である。

 さて、高専をもち上げてもらい、やや面映い気分でさらに記事を読み進める。

 記事は、高専に続いて、日立製作所の企業内学校である日立工業専修学校を紹介する。これは正式の学校教育法に基づく正式の学校ではないわけだが、高専と同様、中学を卒業した生徒を受け入れる。全寮制で、厳しい技能訓練と体力トレーニングが、日曜を除く週六日みっちり行われる。高専以上に詰め込み型カリキュラムで、自由なムードも少ないようである。もちろんその分学習の時間数も多い。
 記事では、一日の生活スケジュール表で授業の部分が「実習」としか書かれていないから、坐学もやらずに実習ばっかりなのかと心配になり、同校の彩図を見てみると、ちゃんと一般教養や専門の坐学もやっているらしい。記事を読んだだけではちょっと誤解するかもしれない。なぜか国語は二時間連続でやっているから、テクニカルライティングを中心とした作文実習が主なのだろう。
 こういう、若年からエリート養成するような学校は各職種にあるが、高専と比べて学力レベルはどうなのか、またリタイアする者の割合はいかほどなのか、など、気になることも多い。こんな管理がちがちの学校に入りたがる生徒がいるのか、とも思うが、日立のネームバリューもあるのか、入試における人気ぶりは高専と同じかそれ以上のものらしい。

 そう言えば、この前、高専を三年生修了(つまり高校卒業相当)で退学し、某有名自動車メーカーの愛知県豊田市にある企業内学校に通っている者が、訪ねてきてくれた。
 この学校は高卒者対象のものであるが、高専以上に実習のウェイトが高く、従って低学年から実習の授業に慣れている高専出身者は有利に学習できる、ということだった。また、工学のなかでも、クルマに関する部分を中心に、領域を横断的に学習できるので、進路をクルマ関連に絞っているのであれば、とても効率的に勉強できる、とも。
 高専では決して優秀な部類ではなく、留年も経験した学生だが、いきいきと楽しく生活している様子で、高専をリタイアした者が行く学校として非常に適切だと思う、と語ってくれた。
 企業内学校も悪くないものだ、と感心した。

 記事で最後に紹介されている横手清陵学院は、現在増えている中高一貫教育の公立校のなかでも、唯一工業分野を専攻できる学校なのだそうだ。中学2年生から早くも本格的に旋盤を使ったりしている様子が、写真入りで紹介されている。安全性にさえ配慮すれば、中学生でも使えなくはないのだろう。やっと記事タイトルの「12歳から」が出てきた。
 ただ、中学生に課される木工や金工などの課題をよく見てみると、一年で本棚、二年で文鎮、などとなっていて、これは、わたしの、つまり、中学校の技術・家庭科が男女別に授業されていて、しかも時間数も現在の三割増(現在は家庭科部分を含んだ時間数なのであり、「技術」の部分も情報処理関連の内容はなかったから、純粋な「技術」、つまり、製図・木工・金工・栽培の部分だけをとれば、時間数は五倍ほどであったはず)だった世代の男子が、全員こなしてきたような内容であり、驚くほどのものではない。つまり、その時代への回帰を志向した、ということだろう。
 だから、当然ながら、中学課程でそういうものづくり関連の授業を選択した生徒も、高校課程で普通科に進むことも可能で、ツブシはきくようになっている。実際はほとんどが「総合技術科」に進むそうではあるが。

 ただ、ここまでの話を読んで、やはり現行の学制について、宿命的な矛盾を感じる。次回はそれを論じて新学制を大胆に提案しよう。

につづく)

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6.0教育・研究」カテゴリの記事

コメント

高専→専攻科→大学院という世間的にどマイナーな経歴の僕ですが,結局大事なのは目的意識をどの段階で持つかなのではないかと思います.学生のうちに,社会に出た後の自分をどれだけイメージできるかが大事なんじゃないでしょうか.
その点高専は15歳で半ば人生を決める選択をした人が集まりますし,カリキュラムも低学年次から専門科目に触れるので否応なしに将来の自分を想像することになります.企業内学校ではそれがさらにダイレクトになるわけですし.

先日大学の情報系科目TAで,1年生がパワーポイントで発表するのを採点する仕事をしました.テーマのひとつに「岐阜大学や社会基盤工学科に進学を決めた理由」というのがあったのですが,誰も彼も「ヘンサチ的にいける国立大学,学科がここだったから」というものでした.このへんがこの大学の限界ですね.
で,入ったときのモチベーションがこの程度で,1,2年次はスカスカのカリキュラムで3年次にちょろっと専門科目をやった程度で秋から就職活動.4年の春には就職活動が終わってあとは適当に卒論書いて卒業,という状況では,とても社会に出た後の自分は想像できないでしょう.マスターまで進んでやっと高専5年生くらいの意識に追いつく感じではないでしょうか.

ただあまり極端にして就職予備校化してしまうのも考え物ですね.いちおう大学は学問の府ですから,世俗を離れてまったりと好きな学問できる,というのが大学のいいところです.就職のことばかり考えてたらまともな学問はできません.その辺のバランスが難しいですね.
と考えると結局は大学の数が多すぎるのかな,という感じがします.
ネコも杓子も大学へとなると,全体の質が下がるのは仕方ないですね.

投稿: 真面目な軟派師 | 2008年8月28日 (木) 16時18分

 鉄は熱いうちに、と言っても、実のところ、15歳というのが進路というか将来希望の職業を定めるのに、決して早すぎる年齢とは思わないんですね、わたしは。まあ世の中をよく知らない、ということはあるので、そういう知識は与えてあげないといけないですが。
 わたしだって、15歳の時には教師になることを決めてましたけど、15歳で教職を学ぶ学校なんてなかったから、しかたなく普通科に行ったんでね。無駄なことだと思います。
 もちろん、選び間違いということはあり得るので、修正する道筋は許容せねばなりません。わたしも教師から研究者に軌道修正しましたしね。

 それと、中高で三年毎に学校が変わったり(高専生は卒業後二年毎に)進路を考えたりしないといけないのは慌ただしい。一つの学校にじっくり腰を据え、教員とのコミュニケーションもしっかりとれた状態で勉強するのがいいと思います。

 そういうことを踏まえ、ご指摘のような問題をも解決する新学制を次回記事で提案するつもりなので、ご期待ください。

投稿: まるよし | 2008年8月28日 (木) 19時42分

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