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2008年9月23日 (火)

紙ジャケ版『乙女のワルツ』

 さて、前の前の記事「くらぶ福井支部例会 '2008」でも、かずかずのサッコナンバーにカラオケで挑戦したわたしの自滅ぶりを最後にお示ししたが、ことほどさようにサッコナンバーというのは歌唱力を要求される。難しいからこそ意欲をかきたてられる。
 わたしなどとレベルは全く異なるものの、このアルバムを録音した時のサッコさんも、そんな心境ではなかったかと思う。

 サッコの新盤、といってもアルバムレコードをCDにして復刻したものだが、紙ジャケ版『乙女のワルツ』が先月発売になった。何日も前に届いてはいたのだが、なかなか聴く時間がなく、やっと聴き終えたところである。

 元の版は昭和50年の発売で、まさに標題曲「乙女のワルツ」がヒットしている時である。アイドルサッコがのりにのっているところであったろう。
 わたしはと言えばまだ小学生、アルバムなど買えるはずもなく、興味も他の歌手の方々にも分散していたので、当然リアルタイムで聴いてはいない。

 それが、今回何と紙ジャケ仕様での復刻というから嬉しいではないか。紙ジャケと言われてもぴんとこない人もいると思う。紙のように薄いスモークサーモンのことではない。以下のようなものである。

 今の学生の世代は実感が湧かないかもしれないが、昔のレコードというのは外側のケースが厚紙だったのである。CDのようにプラスチックケースなどではなかった。今から思えばそれがいかにもアナログな感じではあったのだが、当時はそれが当たり前だったから、そんなもんかと思っていた。
 サッコを含めて、昔のアイドルのレコードをCD化することはこれまでも珍しくはなかったが、手触りも含めて昔どおりにしよう、ということであろう。それにしても、CDは(ぱちんと嵌まるような)ケースに入れて売らないといけない、という規制でもあるのだろう、と漠然と思っていたが、そうでもないらしい。コロンブスの卵なら、これを思いついた人はえらい。
 いや、何といっても、懐かしさもあるのだが、実際的な意味でも、ジャケットを含めた厚みがないのは。収納に場所を取らないので助かる。CDのプラスチックケースも、出はじめた頃に比べれば、かなり薄い物が出てきてはいるけれど、流石に紙ジャケの薄さには勝てない。環境にはどっちが優しいのか知らないが、あらゆるCDを全部紙ジャケにしてほしいくらいだ(写真右。手に持ってもこんなに薄い)8976464
 何より、CDのあのいまいましい外装を剥がす時の、どこから剥がしはじめたらいいのか分からず、やっと破り口を発見しても、途中で必ず切れてしまって失敗するあの苛々から解放されるのがまたよい。

 早速開けてみると、これまた昔のレコードのように、薄いセロハン、でもないな、何ていうのかな、このシャリシャリしたビニール。あれにCDが入っているのだ(写真左)
 この辺もわくわくさせるではないか。897167

 さて、この紙ジャケットに映っているサッコ、これもまた当時のジャケットの写真そのままなのだが、いかにもそのへんにいそうな(実際はいないが)素朴な女の子、という感じである。髪形や服装には時代を感じるが、屈託なく愛らしい笑顔がいい。
 ラベルには、レコードの時と同じく、A面とB面に分けて、縦二行で収録曲名が並べられている。この感じも懐かしい。もちろん実際にはAB面の区別はなく、連続して録音されている。

 このCDとともに、インナー、つまり歌詞などが記されている紙も、当時のものをそのまま、アルバムレコードのサイズだったのをCDサイズに縮小して印刷されている(写真右。CDのサイズと合わせると、小ささが分かる)8972926
 これもまあ雰囲気としては分かるけれど、アイドル時代のサッコファン世代にとって、この縮小された字は、眼に悪いのではなかろうか。インナーは実物大として折り畳んで入れてほしかった。
 流石に、欄外の取扱注意(手入れ方法など)の部分だけは、レコード向きからCD向きに書き換えられている。

 さて、曲を順番に聴いていくと、明確なテーマと流れがあることが分かる。最初と最後に二度入っている標題曲「乙女のワルツ」は別として、女の子から乙女への端境期の成長を、恋を通して語っていくような配列になっているのである。
 これまで私的解題カテゴリーでもとりあげなかった曲を中心に、簡単に曲の感想などを(全ての曲が、作詞:阿久悠 作曲:三木たかし)

 「青い麦」で恋の芽生えを感じさせて、次が「とどかぬ思い」である。これは、「乙女のワルツ」に負けず劣らずゴージャスな感じのアレンジでがんがん盛り上げていく。最後のメロディのせりあがりとサッコさんの切ない声は、いかにも「とどかぬ」感じが出ている。
 「紅い花」は、寂しげな歌詞の印象からは意外なことに、けっこうアップテンポの伴奏がついた曲である。が、歌詞の符割りそのものはゆったりしている。失恋を自分のなかで咀嚼して、
  私は泣かない もう大丈夫
と歌い上げるのだが、前後の歌詞や声の調子からいって、全然大丈夫な感じがしない。意地を張って前向きになろうとしている感じが可愛い。
 「17才の秋の日を」は、一転して和風叙情派フォークといった感じの曲になる。牧歌的な金管がサポートするなかを、ぽつりぽつりと語るようにシンプルなメロディが続く、結構面白い曲だ。続いて「木枯しの二人」で、思い切った逃避行に出たところでA面が終わる。

 B面は逃避行つながりか、「乙女の夢」から始まる。わたしは、ストーリー的には「乙女の夢」から「木枯しの二人」につながるのかと思っていたが(『なんてったってアイドルポップ』ではそういうつなげ方になっていたはず)。
 「私の胸がいたいのです」は、恋を恋と自覚する乙女の歌。タイトルも分かりやすいが、静かで素直なメロディ運びなので、ゆったりと聴ける曲である。
 「絵葉書」になると、アイドル時代の歌唱とは思えないほど、深みと幅のある声で始まる。だんだんと音質は細く切なくなっていき、
  そんな 迷わせないで
でまさに迷っている不安定感ある臨時記号付きのメロディとアレンジになる。このアルバムで唯一「癖のある」部分と言ってもいい。それくらい、アルバム全体にシンプルさがあるのである。
 「恋人」は、やっぱりフォーク調の曲で、ささやくような歌いだしである。この曲くらいになると、もう恋というか愛というか、ようやく安定感がでてくる。 
  灯をともす家の窓 あたたかく感じ
  私はしあわせ とてもしあわせ

という歌詞が繰り返されながらフェイドアウトしたのかと思ったら、フィルインしてまた繰り返し。恋の昂揚感がたっぷり表現されている。「家の窓」の「」のフラット気味な音程に、恋にのめり込んでいる心模様をあらわしている。
 「二人」も、語るような静かな、しかし弾むような、というか、ボートかブランコに乗って揺れるようなメロディだ。二番の「みんなで行ったピクニック」と三番の「音楽会」とは、同じ「夏のこと」なのだろうか。でも、この流れでみてくると、なんとなく遠距離恋愛になっても、愛情は揺るがないように思える。
 「くちびるの色」になると、シャンソン風のアレンジになるワルツである。次の最終曲「乙女のワルツ」につなげる意図かもしれない。もうこの曲までくると、
  その時はくちびるも
  紅く熟れる

と、何とも官能的な歌詞になる。
  このままそっとくちづけされたいの
  今ならいいわ そうよ今よ

恋に翻弄されるのを止め、自分から愛を求めていく。後の「木陰でもやもや」にも続いていく世界であろうか。

 全て聴きとおしてみて、阿久悠先生は、恋心を花のイメージに重ねて描くのがお好きなのだなあ、とつくづくかんじる。この間の『歌謡コンサート』で「乙女のワルツ」と「嫁に来ないか」(新沼謙治さん)を続けて聴いたときも、そう思った。あるいは、そういう曲こそが時代に受け容れられた、ということか。

 バラエティに富んだ曲調を、それぞれにきちんと歌っているサッコは、実力派アイドルの名に恥じない。サッコ自身のこのアルバムに対するコメントは、公式彩図のディスコグラフィーに書かれているので、参照あれ。

 なお、アイドル時代にサッコさんと噂だった、と言うか、ご本人同士も認めているが、交際していた相手である城みちるさんとの最新ツーショット写真がサッコさんのブログに載っている。ずいぶんと大胆なことと思われる方もあろうが、今でもいい友達なのだそうだ。

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