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2008年10月 6日 (月)

スポーツの「しきたり」(YOSHIKI氏問題)

 いずれこういうことは問題になるのだろうな、と思っていたのであるが、よりによってYOSHIKI氏の身に起きるとは。なんかすごくいいところにヒットしてくれた。問題提起にこれほど適した人物はいないだろう。

 まあ、ことの経過は報道されているから読者もひととおりご存じであると思う。例えば下のごとくである。

 『朝日新聞』より
  http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200809300007.html

 で、YOSHIKI氏であるからこそ公に抗議もでき、話題にもなるわけだが、これに類することは、恐らく日常日本中のあちこちで発生しているのだと思う。わたしの体験だけでもいくつもあるからだ。
 いろいろな見解があると思うが、わたしは議論するまでもないと思っている。

 全面的にYOSHIKI氏が正しいに決まっているではないか。YOSHIKI氏は靴のままで畳に上がったこと自体を否定しているが、仮に上がったのが事実であっても、わたしはYOSHIKI氏を支持する。

 またYOSHIKI氏は、客をこのように扱うのはおかしい、という主旨の苦言を呈してもいる。これには二面の意味がある。
 まず、YOSHIKI氏のように幅広い世代に影響力のある人が関わってくれることは、大相撲にとっても大いなるイメージアップだ。逆境にある大相撲に強い追い風となってくれるはずである。どのような経緯でこの記念撮影が企図されたか知らないが、いずれにせよそのような大切な客人、しかもYOSHIKI氏ほどの有名人をぞんざいに扱えば、騒ぎになることくらい予想がつこうというもので、大相撲側の自爆自滅(今作った四字熟語である。気に入ったので今後も使用しよう)だ。
 しかし、もう一面の問題の方が深刻だ。仮にYOSHIKI氏ではなく無名の庶民が同じ目に遭ったとしても、わたしはその人を支持する。

 「しきたり」をもつ文化領域はスポーツだけではないが、わけてもスポーツ界で特に、それを厳しく守らせようとするのは、分かる。
 スポーツが、他人と勝ち負けを争う、というそれ自体人間の醜さと紙一重であるような目的をもって行われるものである以上、ルールやマナーを遵守する習慣をつけさせなければ、ただの争いに堕してしまいかねない。スポーツを文化たらしめる要素として、マナーというのは技量と同じかそれ以上に重きがおかれるべきものである。

 しかし、それらのしきたりは、あくまでそのスポーツに携わる人々にとってこそ価値のあるものであり、そうでない人にそうしたしきたりに対する知識や関心がないからといって、責めることはできない。宗教の教義がその宗教の信者にとっては絶対のものであっても、信者以外にはどうでもいいことであるのと相似である。まあこれはちょっと極端な例だが。
 といって、わたしも、自分が属していないからといって、他人が大事に守っていこうとしている文化を無闇に損なってよいとは思わない。そこには土足で上がってはいけないことになっている、と聞けば、もちろんわたしは従う。

 例えばこれは聞いた話だが、地域の高校の体育大会におけるある種目の会場で、まさに土足で上がってはならない所に靴のまま上がろうとした紳士がいた。それを見た、ある校のクラブの指導に協力しているその種目の師匠が、目の色を変えて、
「ちょっとあんた! 上履きに履き換えんか! 何考えとるんや!」
と怒鳴りつけたという。紳士はそのクラブの種目に関しては素人である。
 まったく滑稽な話だ。師匠には、自分の教え子とそれ以外、自分の種目の関係者とそうでない人との区別もつかないのか。部外者・初対面の人に対する礼儀も知らないのか。そんな師匠に、しきたりを云々する資格があるか。その種目の文化の中ではエライ人なのだろうが、ならその種目の枠内だけでエラそうにするべきだ。部外者が入ってくる場では、世間一般のマナーが優先する。
 自分より年下の師匠に怒鳴られた紳士は、むっとした顔をしながらも、穏やかに、
「そんなにきつく言わなくてもよろしい」
と言って、おもむろに上履きに換えたという。紳士のほうがずっと大人である。
 この話にはオチがあって、この紳士は大会を主催する高校の校長、つまり大会委員長であり、その種目の表彰式で賞状を授与するために招かれてそこを訪れた方だったのだ。もちろん件の師匠よりも、大会組織上はずっと格上である。

 わたしもやられたことがある。
 前任校にいる頃、関係者に頼まれて、さる地域の陸上競技大会を手伝いに行った時のことである。もちろん、わたしは普段陸上に関わってはいない。
 わたしは、得意分野である(?)アナウンスを担当することになり、ワイヤレスマイクを持たされた。各種競技が並行して行われ、それぞれがいろいろな距離・クラス・性別に分かれている。そして、一つの競技が終わって結果が集計されて順位が確定し、賞状に名が入り次第、どんどん表彰を行う。だから、わたしは時程表と審査席の状況、競技の進行をそれぞれに見ながら、出場選手の招集、表彰対象選手の呼び出しをひっきりなしに行わねばならなかった。陸上に関する知識のないわたしには、なかなか神経を遣うことであった。
 それでも何とか要領をつかんだ頃、ある競技の表彰をするのでこれこれの三名を呼び出してほしい、という依頼が告げられた。わたしは直ちにマイクを取り、選手の名前を読み上げて本部前に集合するよう告げた。その時である。遠くから怒鳴り声がとんできた。
「おい、何やってるんだ! こんな時にマイク入れるな!」
 グランドを見ると、トラック競技の選手がスタート地点でスタートを待っているところであった。なるほど。そういう時には放送を入れてはいけなかったのだな。わたしはその声の主に(ずいぶん離れた所におられたので)、どうもすいません、という口の動きをみせながら頭を下げた。
 しかしそれだけでは気が済まなかったらしく、件の人は、つかつかとわたしの真ん前にやってきて、憤懣やる方ないという赤鬼のような顔で、
「選手が位置についてやってる時に放送するって何だ!」
と怒鳴りつける。その種目の協会の幹事氏、つまり大会の主催者側の方である。結構な年輩だ。しかたなくわたしはいま一度、
「すみません、存じませんでしたので」
と謝った。氏は、
「全く、そんなことも分からずに放送やるんじゃない!」
と吐き捨てて去った。
 わたしは、腹が立つというより、心底可笑しかった。繰り返すが、わたしは頼まれて手伝いに来た部外者である。そして、当日主催者側に頼まれたから放送を担当しているのである。
 この閉鎖性、非論理性、幼児性。わたしはこれだからスポーツが大嫌いなのである。確かにミスを冒したのはわたしである。しかしそうだとしても、手伝ってくれている人に対する態度や言葉遣いには、それなりの礼儀があるだろう。なぜもっと婉曲に丁寧な言葉遣いで、この種目のしきたりを、部外者に説明・教示することができないのか。わたしは氏の教え子でも部下でもない。

 わたしだって、自分が属する文化の習慣やしきたりを部外者とはいえなおざりにされては、腹が立つ。立つけれど、その気持ちは、相手の立場、自分と相手との関係を見きわめて、変形したりオブラートに包んだりして相手に届ける。あたりまえのコミュニケーションである。そんなこともできないで、何が指導者だ。何が師匠だ。

 学生時代、同級生の家の通夜に、友人らと出かけた。もちろん仏教のそれである。留学生の友人には、わたしたちと同じようにすればいいから、と言い含めておいたのだが、それでもよく分からなかったのであろう。焼香の時、留学生は祭壇の前で、あろうことかイスラム式の祈りをしたのである。わたしは蒼くなって、後で僧侶に一言謝罪した。が、僧侶は、
「神仏に対する敬虔な心と、死にゆくものを惜しむ心とがあれば、祈りの形式など、大した問題ではありません」
と仰有った。
 あるいは、「フィンガーボールの水を飲んだ客」についての有名な逸話。これはあまりに美談に過ぎるとしても、客人への配慮を忘れてはいけないだろう。

 断っておくが、例外はもちろんある。生命や安全はたまた人権に関わるような危険な行動を、それと知らずにとろうとしている人がいたら、部外者であれ誰であれ、厳しく制止する。緊急性のあるような場合には止むを得ない(例えば、オープンキャンパスを見に来た中学生が、シャツをズボンから出したまま実習工場の動いている機械にふらふらと近寄っている、てな場合なら、お客さんといえども、わたしはきつい声を出すだろう)。しかし、ここに挙げた三つの例は、そんな場合か。

 自分の文化の内側と外側の自覚、自分のもっている「常識」がどこまで蓋然性をもつのか、という自覚。それに基づく行動選択の意識。こういうものが特に稀薄であり、稀薄な人であっても指導者たり得てしまうのがスポーツ界である(もちろん全ての指導者がそうなのではない。わたしの現在の同僚である体育科教員は、スポーツの指導者としても教師としても立派な方ばかりである)。今回のYOSHIKI氏の件は、そういうスポーツの弱点が象徴的に現れた、と言えよう。
 一応相撲協会は謝罪の意を伝えたというが、たとえ怒鳴った人がYOSHIKI氏が何者なのか知らなかったとしても、それは言い訳にはならない。そして、年齢さえ非公表のYOSHIKI氏が、自分のイメージにも関わるような「呉服屋の息子」という出自を前面に出してまで抗議していることに現れている怒りの激しさ。わたしにはよく分かる。

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コメント

こんばんは!
なかなか皆さん大人ですよね。
TOSHIKI氏のケース、たぶん自分だったら喧嘩は避けられないでしょう。なかなか大人にはなれません。
たとえば障害者にもきつく言い返すこともありました。
以前歩道上で作業せざるを得ない時、嫌がらせのように車椅子のおじさんが「こんなところで作業していたら車椅子が通れん!」と怒鳴ってきたんです。はじめはすみませんと謝っていたのですが、用もなく何度も通ってその度に怒るので、最後には「文句があったら歩けや!」と怒鳴り返したんです。おじさんはおとなしく帰ってしまいました。
ということもありました。
いい大人がこんなのでは子供たちに示しががつきませんね。
相手の立場にたった言葉使いをするよう心がけていきたいです。

投稿: プリンゼ幸夫 | 2008年10月 7日 (火) 23時01分

> TOSHIKI氏のケース、

 いやそれ、Xの二人が合体してますがな(笑)。YOSHIKI氏ね。

 車椅子のおじさんは、人恋しかったんじゃないですかね。会話のきっかけを求めていたのだと思いますね。学生にもそういう感じで教員に絡んでくるタイプがよくいますし。

投稿: まるよし | 2008年10月 8日 (水) 06時40分

本当に間違えてましたね。
自分でも笑ってしまいました。

投稿: プリンゼ幸夫 | 2008年10月 8日 (水) 21時42分

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