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2008年10月31日 (金)

みつめなおす時間

※ 11月は、定例更新休止月間といたします。新たな記事の投稿は12月1日まで休ませていただきます。また、この間いただいたコメント・トラックバックなどは、お預かりしておき、12月1日以降公開させていただきます。ご了承ください。

 昭和戦後を代表する偉大な落語家の娘でもある女性歌手の言動がワイドショーを賑わせているようである。特に興味もなかったので、報道を斜め読みするばかりであったが、さきごろ、クリニックの診察待ちの間流れていたTVで、詳細な経過を図らずも知らされてしまった。
 報道するならもう少し本質を衝いてほしい、というか、適切な対応をするべきだ、と腹が立ってきた。

 女性歌手が自身のブログに元夫を中傷する記事を公開し、「炎上」状態となって閉鎖された。その後はマスコミにファックスを送りつけて言いたいことを言っているようである。そういうこと自体、彼女自身が歌手復帰への話題作りとして意図的に騒ぎを起こして自分に注目を集めようとしている売名行為だろう、また甘やかされて育ったお嬢さんのビョーキだ、とわたしは冷やかに見ていた。この歌手は結婚前にも、いかにもお嬢さんぽい傍若無人ぶりが一つの魅力であったからだ(わたしの好みではなかったが)。
 が、そのTV番組で、彼女の二本めのファックスの全文をパネルに表示し、臨床心理士がそれを分析する、という酷いことをやっていたのである。その文章を見て、わたしはあっと声をあげそうなほど戦いた。どう考えてもほんものの病気、すなわちメンタルな疾患の域、もしくはそれとの境界域に達しているのではないか、と思ったからである。
 元夫に対する評価や言葉遣いが一文章のなかでころころと翻り、内容も矛盾だらけである。あり得るはずもないことを並べて自分を被害者にしたてている。
 臨床心理士や芸能レポーターは、彼女のしたたかな計算がみえる、などともっともらしく分析していたが、計算であれだけ破綻した文章を書けるとしたら、ある意味で、一流の小説家になれるほどの天才的な文章力と言えよう。番組としては、どうしても計算であることにしたいのだろう。そうでないと、病人を笑いものにしているという罪悪感を背負うことになってしまうからだ。
 わたしも現在の病気の発症前後は、あれに類する(あれよりはまとまった文章だったとは思うが)毒舌と弱気が入り乱れたようなメールを周囲に送りつけていた。今読み返すと恥ずかしい。彼女が精神の健康をとり戻した時、このような報道に自らの言動の痕跡を見いだしてどのような感情をもつか、想像しただけでも慄然とする。
 ファックスの最後には、判断する力を失っている、という趣旨の文言があった。これは彼女のSOSだ。女性歌手に必要なのは、興味本位のまつりあげではなく、救いであり、休養だ。そうなるように周囲も配慮するべきなのだ。これ以上騒ぐべきではない。女性歌手に曲を提供したシンガーソングライターは、この件について訊かれ、「彼女をおもちゃにするのはやめなさい」と報道陣を一喝したとかだ。まともな感覚である。

 もう一つ、時事問題をとり上げると、神奈川県の高校で、服装などを理由に試験で合格点に達していた受験生を不合格扱いした、ということが問題になっており、教育委員会によって校長が更迭された。
 これにも賛否両論あるようであるが、わたしは校長の更迭は妥当だと考える。
 ただし、外見を理由に不合格にしたこと自体が間違っていると思っているのではない。当然、外見には人柄があらわれる。その人柄が学校の指導方針に合致しないのであれば、不合格としても構わない。
 こう言うと、「外見で人を判断するべきではない」という「正論」を掲げた批判があることだろう。ニュースでもそういう意見がとり上げられていたが、それはこのケースとは関係ないのである。
 「外見で人を判断するべきではない」と言う時の「外見」とは、持って生まれた本人にはどうしようもない容姿、あるいは、経済的など止むを得ない事情によっていでたちを選べない事態、といったことを指すのだ。今回当該学校が問題にしたのは、外見のなかでも自分の意志で選択できる部分についてである。そのような外見を選択したことによってどのような評価を受けるかについて、選択した本人及び指導監督する親は、自分で責任をもたねばならない。
 それに、この合否基準の是非そのものがこの件の論点ではない。人権を侵すようなものでない限り、どんな合否基準を立てても自由なのだ。あまりに酷い基準を立てている高校には、受験生が集まらなくなり、閉校の憂き目を見るか、基準の見直しを迫られるか、いずれかになるだけなのである。
 今回の件で問題なのは、外見を理由に不合格にする場合があることを、公言していなかったことである。公表された判定基準以外の基準で合否を判定したのでは、学校教育全体が社会から不信感をもたれてしまう。この責任は重大だ。校長は責任をとるべきである。よって、教育委員会の処置は妥当である。

 ものごとをゆっくりみつめなおす時間というのはほんとうに大事。

 というわけで、まるよしも一カ月間英気を養いまして、12月からの更新再開に備えたいと思います。

 思えば、昨年10月からの約半年、諸事情による更新休止がありましたので、またか、と思われる方もあるかもしれません。あの時は、まるよしとしては更新したくてうずうずしていたのですが、外的要因により休止せざるを得ませんでした。
 この11月という月は、毎年わたしの疲れが溜まってくる時期で、学生時代というか、子供の頃から調子が悪かったのです(その後、六星占術に照らすと、月運大殺界であることが分かり、納得しました)。
 前身掲示板の時代から、11月になると、なぜか更新を休止せざるを得なかったり、更新する気が萎えたりすることが毎年のように起きました。それで、いっそのこと、一年に一月くらい、ブログを忘れて過ごすのもよかろう、と定例更新休止月間を設けた次第です。

 実は、アクセス数なども、4月の更新再開後、回復基調にはあるものの、昨年10月の更新休止前のレベルまでは達していません。こまめに更新することで多くの方に見ていただけることも分かっていますが、適度な休みも必要だと思いますので、お許しください。20081025112256

 では、12月にお互い元気にお会いいたしましょう(写真右は最近の本館の様子です)

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