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2009年2月 9日 (月)

事故と負傷の経過 II

 それは、大変なことになった、という恐慌にありながら、片方では救急車という非日常をどこかで愉しんでいる、という心理状態が自覚できたことである。

 信号も無視して最優先で走るなんて、一生に何度もない体験だ。ちょっとこの状況に身を浸そう、と枕に凭れて目を閉じ溜息をつくと、看護師さんが慌てて、
「どうしました!?」
と訊く。わたしも慌てて目を開け、
「大丈夫」
と応える(が、ずっと後になって電子カルテを盗み見ると、「搬送中出血性ショックの兆候」などと書かれていた)。
 しかし、窓もない車室に後ろ向きに寝て運ばれていると、どこをどう走っているのか分からない。右に左にハンドルが切られているのは感じるが、右なのか左なのか、判然としない。国道なのか旧国道なのか分からぬまま、時々救急隊員さんが通過地点を教えてくれたりする。
「あと五分ほどで着きます」
と言われ、幹線道路をそれた様子だ。

 後に見舞に来てくださった同僚が冗談半分で、
「たらい回しにならなくてよかったですね」
などと言ったが、当県で形成外科が緊急手術に対応できる態勢を備えている病院は片手に満たないらしい。それで、病院ごとに休診日をずらして、いつでも救急搬送を受け入れられるようにしているようである(救急隊員さんが「○○病院に向かいます」と言うと、看護師さんが「□□先生ですか?」といきなり個人名で訊き返したほどだ)。だから否が応でも自分の所が受け取らないと、患者が路頭に迷う、という自覚があるものと想像する。
 病院の数が多い都市部の方が、却って「うちが断ってもどこかが…」という心理が働くのであろう。こういう時は地方の小規模さがありがたい。もっとも、職場からも自宅からも最寄りの病院は非番だったそうで、次善の病院となった。が、そこまで望むのは贅沢というものだ。
 居住性がいいとは言えない救急車のベッドで何時間も過ごすのは、確かに病人にとって酷に過ぎる。都市部でも積極的に救急患者を受け入れてほしいものだ。

 さて、二十分ほどの搬送で、県都にある総合病院の救急救命室に担ぎ込まれた。救急救命室といえば、ドラマ『ER』を思い出すわけだが、なるほどドラマと同じ手順である。
 救急隊員から手早く患者のプロフィールに既往症、今回の症状・処置が伝言される。「1・2・3!」の合図で病院のベッドに移されるのかと思ったが、動けるということで、自力で隣のベッドに移るよう言われ、もぞもぞお尻をずらす。そして、
「研修医の△△です」
と自己紹介されて、処置に移る。病人を前にして自分たちは世間話で笑いあったりしているところもドラマどおりだ。そんなことにちょっと感動する。
 しかし、病院のガウンに着替える段になって、地獄が待っていた。ズボンはいいとしても、セーターを脱がねばならないのだ。ガーゼで肥大した患部を袖口に通すことになる。カッターシャツならボタンを外せばいいが、セーターは袖口のゴムが締めつけている。どうせ安物のセーターだし、血だらけでもう着られそうにないから、『ER』のように鋏で切ってくれてもよかったのだが、親切なのか何なのか、セーターを傷めぬようにゆっくり脱がせてくれる。その間、わたしは流石に辛抱できず苦痛の悲鳴をあげ続けた。
 血圧や体温を計ったり、手のレントゲンを撮られたりもする。血糖値が低い(朝食が少なめだったからか)ので直ちに点滴が立てられ、左手に針が刺される。

 しかし、専門医、すなわち形成外科のスタッフドクターは、午前中は外来の診察にあたっているため、このままで一時間弱待たなければならないという。やれやれと思う反面、平気で待たせるということは、深刻な病状でないということか、とも思う。
 待っている間も、職場の看護師さんが側に就いて安心させる言葉をかけてくださる。

 昼になり、ようやく形成外科の先生が下りてきた。
 先生からすれば、指の切断など軽微な部類の患者なのだろう。または、安心させるためもあるのだろうか、ごく気さくな軽い口調で話してくれる。
「これは事故でいいんですか?」
「は?」
「自分の不注意ですね? 誰かに切られたとかじゃありませんね?」
何のいじめやねんそれは。でも、人為的なものなら、警察に届ける義務があるのだろう。

 なお、その頃所属校では、印刷室を閉鎖して警察の現場検証が行われていたそうである。当然、事件性はない、ということで、すぐに解除された。わたしの血で汚れた印刷室も、どなたかが掃除してくださったのだろう。申し訳ないことだ。ただし、件の裁断機は、その後も使用禁止となってカバーがかけられた。現在はメーカーが調査のため持ち帰ったらしく、印刷室から消えている。

 先生は、右手のガーゼを外して傷口を確認する。当然激痛が来て呻く。すぐに先生は、発泡スチロールの箱に移しかえられた切断指の方を見に行く。
「繋ぐんですか?」
と職場の看護師さんが訊ねている。先生は、ごにょごにょと答えている。気になる。
 先生がベッドの側に戻り、手術に備えた本格的な処置を施す。「ガーゼ」「油紙」と先生が出す指示に応じて、病院の看護師よりも早くそれらを差し出しているのは、職場の看護師さんである。どこまでデキル看護師だ、とわたしは感心し、先生は恐縮している。
 その職場の看護師さんは、報告のため一旦職場に戻ることとなり、ERから去った。

 先生が、指の状態と今後の処置について、説明してくださる。が、当の指はガーゼでくるまれている。あろうことか先生が、
「切れた指の方、見ますか?」
と言う。思わず、
「いや、見たくないです!」
と答えると、
「じゃあ、レントゲンの方を見ながら。歩いても大丈夫ですから、こちらへ」
とパソコンの前に招じられた。
 人指し指・薬指は切れた所が先過ぎて、神経や血管が細かく、接合手術は不可能、中指は手術可能だが、成功率は50%程度、成功しても関節は曲がらずその先の感覚も元通りにはならないので、却って邪魔になる可能性もある、接合するなら、八時間程度の大手術になり、三週間の入院を要する、傷を塞ぐだけなら、手術は三時間程度、入院は数日、と説明される。
 まだ時間はあるからよく考えてください、と言われたが、これならあまり迷わない。接合手術は中指だけしかできないのだから、外見上のメリットもほとんどない。成功率の低い手術に長時間耐えるほどのメリットが見当たらない。わたしは五分も考えることなく、
「繋がなくて結構です」
と答えた。
 が、事故の時の、最近は切れた指も繋げるんだから、と自分を落ち着かせたのが、あまりに甘い期待だったことを知り、落胆も大きい。根元の方がいろんな物が大きいから繋がりやすい、と聞かされ、それならあの時手を引かずに根元を切ればよかった、と思うが、詮ないことだ。 

 このあと、入院などの手続に入るが、手術同意のサインは本人が自筆せねばならない。左手でボールペンを持ち、字にならぬ字でサインする。右手と左手とでは、こんなに機能のレベルが異なるのか。つづいて、万一の場合の意志決定をしていただく方を指定してください、と不気味なことも言われる。
 病室のベッドが準備されたとの連絡が来て、車椅子に乗り換えて、エレベーターに乗る。
 案内されたのは四人部屋、と言っても、昨今は一人ずつのスペースがカーテンで仕切られ、プライバシーは確保されている。ベッド脇にはテーブルと棚や金庫もセットされた抽斗、それにTVが一体となった調度品が置かれている。随分近代的な病室だ。最近建て替えられたことを後で聞いた。
 点滴が抜かれる。結局この日の昼食は点滴となった。どうせ食欲などない。

 手術室から迎えが来た。わたしはトイレに行っておくことにした。看護師さんが補助してくれる。あちらは慣れているのだろうが、異性の看護師さんの前で局部まで露出するのは、緊張する。
 再び車椅子に乗る。あの発泡スチロールの箱を、膝の上に置くよう言われて、受け取る。自分の凍りついた一部を手に抱えているのは、何ともシュールな気分で、自分が生き物でなくなったような気さえする。
 繋ぐのは止めたのに、なぜ切断指を持っていくのかも不可解だ。あるいは、形を整えて傷口を塞ぐ際に、組織や皮膚が余分に必要な時、これらから取るのだろうか。

 初めて乗った車椅子というもの、乗っている者には押してくれている人が見えないから、先行きがおぼつかぬ乗り物だということを知る。
 何とも言えぬ気分のなか、車椅子は容赦なく手術室に向かって転がっていく。

(つづく)

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コメント

 老師の記事を読んでいると、中一の時のバカなこと(亡き親父に申し訳ない:もう33回忌だ)を思い出します。
 私は家業の手伝い中、右手中指と薬指及び間の股の部分を削った。老師と同じで、削られている最中と搬送中(親父の車で本家になる親戚の医者)痛みは感じなかった。木材加工の機械なので消毒が大変だったが、治療室で親戚の医者にどやされたことの方が痛かった。
 ついでに医者にならんかと言われたが、地球や音楽に興味があり、時間(何年も)をかけて断った。吹奏楽部のみんなにも迷惑をかけ、急遽左でバルブを押して出場した。
 悲鳴を上げたのが3ヶ月後から始まったリハビリで、お袋が、一生懸命指を毎日屈伸させてくれた。でも、痛かった。現在も、中指はその機能が半減している(第二関節が異様に太いし、長さが短い)。・・、すみません自分事を書いてしまって、まあ、心の痛みを共感できればと思って。
 老師、リハビリが大変ですぞ。どうぞ、ガス抜きにしゃべりに来てください。痛さを一人で耐えるのは大変だ。
 でも不思議ですね、ケガした時は周りの人の方が悲壮感を持っていた気がしますね。本人は、動転しているようで何故か冷静に分析を開始するんですよね。だから、大会にも出れたんですもの。老師の救急車の中や、ドクターとの会話、分かる様な気がします。
 取り急ぎ。

投稿: Namaz-Coordinator | 2009年2月11日 (水) 12時57分

●Namaz-Coordinatorさん
 コメントありがとうございます。が、わたしもいろいろな読者のことを考え、部分的に表現を抑えて記事を書いておりますので、コメント中、一部を削除のうえ、語句を修正させていただきました。どうかご諒承ください。

 仰有るとおり、怪我をした本人は、されるがままであるため、意外に落ち着いてものを考える時間があったりしますね。新たな発見でした。
 リハビリがどういうかたちであるのかないのかは分かりませんが、なるべく早くみなさんにご迷惑をかけなくて済むよう、努力したいと考えています。

投稿: まるよし | 2009年2月11日 (水) 20時36分

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