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2009年2月25日 (水)

事故と負傷の経過 VI

 1月8日も右手のガーゼ交換をしてもらった。
 この時、わたしは先生に、
「来週あたりから授業に復帰したいと考えてるんですが」
と言うと、先生は心外そうに、
「今すぐでもいいですよ。ガーゼの上からチョークを持ってもらってもかまいませんから」
と言う。
「まあ、それはちょっと練習してみないと」
と応えたが、先生は、なにをそんなに慎重になってるのか、という表情で、
「ガーゼが取れるのはいつになるか分かりませんよ」
と言う。
 診断書は、三週間から四週間の間右手を安静にする必要あり、となっているから、当然今時分にガーゼが取れるものとわたしは思い込んでいた。

 帰宅してから、そう言うなら、と少し板書の練習をしてみようと思った。家にチョークは置いていないし、まして黒板などないから、印鑑を持って襖に字を書いてみる。

 冗談ではない。確かに印鑑を「持つ」ことはできた。どれか二本の指に挟んでおけば、落ちはしない。しかし、字を書くには人指し指で力を加減しないといけないのだ。その人指し指は包帯で巻かれ、テープで固定されている。曲げようと、あるいは力を込めようとしたら、激痛が来た。印鑑を取り落とす。
 要するにこの当時、右手でグーもチョキもできなかったのである。その手で板書などどうやって。それは、左手を添えるなどして、いつもの三倍の時間をかけたら、書けなくもないが。
 やっぱりこれは、「授業をする」ということのイメージ自体が、先生とわたしとの間で大きく異なるのだろう。
 「授業をする」というのは、授業時間中に口でしゃべりながらテキトーに板書する、ということではない。
 教材プリントを作り(内容にもよるが、もちろん手書きが望ましい)、印刷し、授業中に配布し(この時枚数を数えるのは右手)、板書しつつ語り、レポートを収集し、赤ペンを(右手に)持って朱を入れて、あるいは試験を赤ペンで採点して、閻魔帳に得点を(右手のペンで)記録し、返却する。
 この一連の流れが完璧にできて初めて「授業をした」ことになる。
 しかも、わたしは国語の教員である以上、板書などの文字は、学生の模範となるものでなければならない。何でもいいから書けばいいのではない。
 いつもの三倍もの時間をかけて板書などしていたら、授業のリズムはまる潰れである。学生との真剣勝負にはとても臨めない。各レポートは、後のレポートの教訓となって積み上げられるわけだから、次のレポートの提出期限までに前のレポートを返さねばならない。添削・採点に時間をかけていては、授業を先に進められない。
 プロの授業とはこういうものなのだ。わたしはプロの名に値しない授業などする気はない。そういうことを含めて、いつ授業に復帰できるかを案じていたのだ。
 板書その他を別の方法(例えば、予め紙に書いておいた物を黒板に掲示する、など)で代用することは、もちろん可能である。が、それを準備する(しかも片手で)には、相応の時間もかかる。この日から始めても、次週後半に間に合うかどうか、というところである。 

 医師は、自分の体調が悪い時に、患者に対する治療のレベルを落とすのだろうか。そんなことはないと思う。レベルを落とさずに治療にあたれないほどの健康状態に陥れば、潔く診療を休むのではなかろうか。そんなことは滅多にないだろうが。
 わたしは今、その滅多にない状態にあるのではないのか。プロ同士通じ合えるかと思ったら、領域が違うと、温度差が出る。
 あるいは、学生諸君も、書類提出などの手続のため時折出校しているわたしの姿を見て、来てるんなら授業すればいいのに、と思っていたのかもしれない。授業しなかったのは、以上の事情である。一回くらいならいい加減な授業をすることはできる。が、それは次につながらず、即時に行き詰まるのだ。

 この日、注文していたゴルファー用の右手ミトン型手袋が届く。これの親指部分の先を鋏でちょんぎり、内部のゴムも一部切り開いた。さらに、小指を出せるように穴を開けた。こう改造することで、見栄えもよく、うまく怪我した指を守れる。暫く愛用することになる。

 ところが、10日くらいになって、精神的に参ってきた。
 主にWebでひととつながっていたのだが、相手にもいろいろ都合があることであり、暇をもてあまして家にいるわたしとはリズムも違うのはあたりまえなのだが、ちょっと反応がないだけで、その人との縁が永遠に切れてしまいそうな、ものすごい不安に襲われる。そのくせ、リアクションが返ってくると、掌を返したように幸せになる。
 これは、主婦がよくかかるというWeb中毒に近い状態ではなかろうか。アル中を治すのに酒を断つしかないように、Web中毒はWebを止めるしか治す方法はないだろう。わたしは暫くWebを通じた他人との交流を休むことにした。
 授業への復帰を控えて、潜在的な不安が募ってきたのかもしれない。
 ふと右手を見ると、さほど元と変わらずに爪も揃った状態、よかったとほっとした一瞬後、そんなわけないだろう、と気づいて眼が醒め、現実の指を見てがっかり。そんな悪夢をこの時期何度も見た。事故時に見てしまった光景も脳裏に突然よみがえったりした。
 そして、周囲の人の励ましやお見舞いの言葉、あるいは、どう接していいか困っているのがありあり分かる態度、そんなものもプレッシャーとなってきます。また、ひと前で明るく振る舞う無理も溜まってきていたのだろう。
 痛みはかなりひいてきたが、ここからは心の闘いになっていくのだなあ、と実感した。

 それでも、授業復帰の日は近づいてくる。一人ではできないことも多いので、休業日に出勤、5年生の学生を四名集めて、小テストの採点・板書代わりに用いるマグネットシートの裁断・クラス文集作りの基礎作業を手伝ってもらう。TAのバイトとしてである。
 自分の研究室前にある黒板で、板書の練習をしてみる。試行錯誤の結果、左手でチョークを持ち、右手を軽く添えて感覚を伝えれば、何とか読めなくもない字が書けることが分かった。しかしこの書き方は時間がかかるので、やはり代替手段を併用しないといけないな、と思う。通りかかった同僚が、私の右手の字よりきれいですよ、などと慰めてくれる。

 いよいよ授業初日。時間ぎりぎりまでマグネットシートを切ったりそれに文字を書いたり、教具作りに追われ、何とか間に合う。
 最初の授業は、心配した同僚二名が、後ろで参観してくださる。何かあれば助けてもらえるので、心強い。ヤミ研究授業として批評いただけるのもありがたい。結果は、教具の運搬や撤収を多少手伝っていただいた以外は、何とかスムーズに授業をこなすことができた。初日は1コマだけである。
 二日めは朝一番に受診して、3限にすべりこんで、そこから3コマ4時限の授業と、けっこうハードになる。プリントも印刷しなければならず、印刷室でカバーを掛けられた裁断機に向かって、手袋の先を口にくわえ、「私の手をこんなにしたのはあなたよ!」と言っておく(このギャグが分かるのは、35歳以上)。会う同僚も多くなり、皆口々に、大丈夫ですか、などと訊く。大丈夫なわけなかろう、と心の中で呟きながら、曖昧な返事をする。

 次の週もハードな日々が続く。通院の時間を空けなければならないので、その分授業が詰まるのである。そのうえ、一か月休んでいた分の教材づくり・採点などの作業が溜まっているし、一つ一つの作業に健常時よりもかなり時間と手間がかかるため、時間がよめず、スケジュールの目算が狂いつづける。無理をしてはいけない、と思いながら、連日深夜までの仕事が続く。しんどい。

 1月21日の診察で、遂に傷自体の処置が終わった。これ以後は通院の頻度も下がる。それはいいのだが、これで終わりなの? と不安が残る。
 事故から二か月あまり経って、全てのガーゼと包帯が取れ、じっと動かさなければ痛むことはなくなった。神経をぶった切ったことによるぴりぴり感はずっと残る、と医師に言われているので、これは覚悟している。
 ただ、まだまだ違和感がある。縫った所がしこりのようになり、触れたり押したりすると痛む。皮膚の突っ張った感じもある。指先にビーズ玉でも埋め込んだような感覚、と言うか、指に何かぶら下がっているような感触が常にあるのだ。こういうのがいつまで続くのか、あにいはもう治らないのか、と思うと、ちょっと不安なのだ。
 パソコンを打ったりしていると、だんだん痛みが強くなり、皮膚が擦れて破れそうな気がするので、指先に綿で偽指を継ぎ足し、どうにか頑張っている。

 昨日は初めてお箸だけで食事を完遂することができた。そんなあたりまえのことがとても嬉しかった。そして、今日の受診で、とうとう通院治療が完了となった。これからは自分で自分に慣れるだけである。これからこれが自分の指なのだから。
 闘いは長く続きそうである。 

(了)

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