« 看板つっこみ(8)~ 爆走せよ正直者 | トップページ | 0系新幹線おなごり乗車 上 »

2009年2月13日 (金)

事故と負傷の経過 III

 手術室のベッドに寝かされ、右手を施術台の上に出す。先生の他、研修医の方が一緒に手術に加わり、ここでも自己紹介を聞く。ここはティーチングホスピタルなのだ。看護師さんも二名アシストする。
 施術台とベッドの間には小ぶりなカーテンが引かれ、目隠しとなる。モニターに接続され、心電図をとり、また5分おきに自動的に血圧が測られるよう、セットされる。わたしの心拍が電子音で聞こえはじめる。

 局部麻酔のための注射を指の付け根に十本ほども打たれる。細い針だからちくりとする程度だし、先生がその度に予告してくれるので、どうということはないのだが、やはりそのたびに心拍音が早くなり、恥ずかしい。
 ややあって手の感覚が薄らいでくると、手術が始まった。何やら触られているのは分かるが、何をされているのか触覚では判然としない。先生が研修医に説明しながら進めているので、大体の行程は分かる。もちろん痛みはないが、ドリルのような器具の回転音が聞こえはじめた時は、流石に心拍音が乱れる。断端の形を整えるため、骨を削るのだろう。
 お尻が痛くなってもぞもぞしはじめた頃、看護師さんが、もう少しですよ、と言う。カーテンの向こうから先生が頻りに、手を反対に向けて、とか、パーにして、とかいう指示をわたしに出しはじめる。縫合しているらしい。やがて、感覚のある手首にも包帯が巻かれる感触がして、処置が終わったと分かる。
「はい、終わりましたよ」
とカーテンが開けられると、右手は手首から先がぐるぐるまきに固定されている。
 夜になったら麻酔が切れて痛みだすので、眠れないようなら看護師を呼んで痛み止めをもらうよう、指示される。伝言された慢性疾患の薬を持っているか、と訊かれたので持っていない旨答えると、すぐに関連する科に連絡して緊急処方の手続をとってくれる。これはありがたい。総合病院でないとこれはできない。
「指先は持って帰られますか?」
とこれまたシュールなことを訊かれる。わたしは、深く考えずに、
「要りません」
と答えた。
 後で思えば、これは一生の不覚だった。人肉食には関心があり、カニバリズムをモチーフとした小説など書いていながら、何という迂闊な答をしたことか。合法的に人肉食を経験する千載一遇のチャンスではないか。もらって唐揚げにでもすればよかった。が、その時はそんなことと考えが結びつかなかった。自分の体の一部を捨ててしまうなんて、損をした気分だ。自分で消化して体に取り戻したかった。自分で自分を食っても、やっぱりプリオン病などの虞れはあるのだろうか。
 とにかく、そう答えてしまったので、淋しくも、指先とはこの手術室でお別れとなった。ああいうのはあのあとどうなるのだろう。燃えるゴミにだすんだろうか。それとも病院で焼却するのか。焼くんならお骨だけでも欲しかった。

 病室に戻ると、既にベッドのテーブルに夕食がセットされている。右手から各種薬の匂いが生々しいし、食欲も感じないが、食べないと治るものも治らない。それに空腹は空腹である。
 看護師さんが来て、お箸と湯呑みはお持ちですか、と訊く。着の身着のままで搬送されてきたのだから、そんな物持ってない。じゃあすぐ持ってきます、と出て行こうとする看護師さんを慌てて呼び止め、スプーンかフォークを所望する。箸など持てるわけがない。
 当然ながら、栄養のバランスをよく考えた取り合わせである。メニューの紙が添えられていて、ご飯は100%こしひかり、と註が付いている。ここの病院食の、これがウリらしい。
 それにしても、右手首が固定され、しかも傷口が開かないよう、常に心臓より上に上げていないといけない、という条件下で、食事するにはどうすればいいか。何かパズルを出題されている気分である。一つ一つ考えながら食事をする。通常は食事が済んだら自分で部屋の入口に出すことになっているが、わたしのようにお盆を両手で持てない者は、看護師さんが下げに来てくれる。一人一人に対応が違うので、大変だろう。
 食後直ちに点滴が立ち、今度は傷口付近の血管が詰まらないよう、血の凝固を防ぐ薬を入れることになる。

 盆が下げられた頃、職場の看護師さんが再び訪ねてきてくださる。何やら大荷物を抱えている。聞けば、マスターキーでわたしの研究室に入り、必要と思われる物をいろいろ持ってきてくださったのである。財布や筆記用具・システム手帳が入っているショルダーバッグ。ポケットにケータイの入ったコート。そして研究室にあったマグカップやポット、それに歯ブラシなど。これだけあれば、いろいろなことができる。保健室に常備のタオルやティッシュなども譲ってくれた。ありがたいことである。
 早速メールチェックすると、現役学生のまるよしくらぶ会員の一人から、体調を案じるメールがあった。彼のクラスのためにプリントを印刷していたのであり、突然休講にしたので、心配してくれているのだろう。

 看護師さんの帰った後、ケータイで各所に報告や連絡の電話やメールを送信する。左手の親指一本で操作できるケータイは、こういう時にこそ便利だ。が、このケータイの電池が切れたら、外部への連絡手段がなくなる。公衆電話はあるが、電話帳はケータイに入っているのだ。
 それで、左手親指で日記に顚末を書き、誰か充電器を買ってきてくれ、との指令を出す。あてにはすまい。バッグの小銭入れを取り出し、早速自販機でミネラルウォーターを購入。

 消灯した後、父が訪ねてきた。職場から連絡がいって駆けつけてくれたのだ。病院に問い合わせたら、ぜひ来てあげてください、と言われたとか。一般論としてはそうだろうが、後期高齢者の父にこんな所までひょこひょこ来られる方が心配である。この時間になれば、付近に泊まるしかないが、まだ宿もとっていないと言うから、ケータイで予約してやる。実家から下着をもってきてくれたので、それはありがたく受け取る。

 そろそろ寝ようかと思ったら、また訪問者。まるよしくらぶの准会員である。ここから家が近いわけでもないのに、わざわざ自転車で来てくれたのである。充電器を手にしている。こんなに反応が早いとは思わなかった。感謝。

 麻酔が切れだしたか、右手がむずむずしてきた気がするが、あまりにいろいろあった一日なので、横になったら委細かまわず寝入った。手を凭せ掛けるため、特別に枕が余分に支給されている。寝ている間も手を心臓より上げておくためである。

 事故翌日の朝、目覚めてみると、さすがに右手がずきんずきんしている。見回りに来た看護師さんに痛み止めを所望。執刀の先生も様子を見に来られた。看護師さんが蒸しタオルを二本持ってきてくれ、背中などを拭いてくれる。前や顔は自分で拭く。
 朝食では紙パックの牛乳が出た。これのストローを本体から外し袋を破って取り出し、伸ばして本体に刺す、というなかなかアクロバティックな動作を左手と口を駆使して行う。
 次に、歯を磨こうと思うが、これがまた悩ましい。歯ブラシを洗面所の淵の適当な所に置いて浮かし、口で歯磨き粉の蓋を開け、ゆっくりとブラシに付ける。ブラシのバランスが崩れて落ちる前に素早くチューブを置いて、ブラシを取り口に銜える。そうしておいてチューブの蓋を閉じる。もう少しいいやり方はないか。
 父がまた来て、もう帰るが、必要ならいつでも来るから連絡せよ、と言い置く。

 10時頃になると、ガーゼ交換です、と呼びに来られる。
 処置室に赴き、先生に包帯を取ってもらう。わたしは右手を差し出したまま顔は余所を向いておく。先生が、
「見ますか?」
と訊くが、
「いえ、見なくていいです」
と強く言う。が、敷いた新聞紙にぼたぼたと液体の滴が落ちる音がする。薬かと思ってちらと見ると、血である。思わず息を飲むが、
「大丈夫ですよ、まだ手術の傷がふさがってないだけです」
と先生が言う。ガーゼを剥がし指を拭いて薬を付けるが、この時の痛みがまた途轍もない。呻き声を漏らす。
「痛いですねー。ごめんなさいね」
と先生。手当ての過程だからしかたない。
 元どおり包帯が巻かれ、処置が終わる。点滴をからから転がしながら歩くというのは、ドラマや漫画では見慣れていたが、こういう仕組みなのか、と感心する。ついでに病棟内を探険して回る。

(つづく)

|

« 看板つっこみ(8)~ 爆走せよ正直者 | トップページ | 0系新幹線おなごり乗車 上 »

9.6  傷病と生き方」カテゴリの記事

コメント

 こんばんは、お久しぶりです。
 まるよしさんの身に何かが起きたってことは、うすうす感じてはおりました。ブログを読ませていただき、かなり動揺しました。
 ・・・というのは、負傷された日というのは、実は前回、まるよしさんのブログにコメントさせていただき、お返事をいただいた、まさに当日だったんですね。
 傷のお具合はいかがですか?気持ちの面でも少々心配ですが、ブログ再開されたことは、とてもうれしく思っています。
 いろんなことがあると思います。しかししんどい時こそ、いつも希望を持ち続けることを忘れないで、頑張ってくださいね。
 お身体、くれぐれもご自愛ください。

投稿: しーちゃん | 2009年2月14日 (土) 19時20分

 ご心配おかけしております。驚かせてしまい、申し訳ありません。怪我が怪我なので、完全に元通りにはなりませんが、できるだけ機能を回復するよう、頑張っていきます。
 サッコさんにも励ましの言葉をいただきましたので、力になります。

投稿: まるよし | 2009年2月14日 (土) 19時34分

 こんにちは。正直励ましの言葉が見つかりません。相手の気持ちに寄り添えるよう自分に置き換えて想像してみる、ということはよくやってみることなんですが、まるよしさんの事故は想像でもこわくて身に置き換えられません。それだけに何と言ってよいか悩みますが、『なにが僕に起こったか』なんてまるよし節が聞けて、なんだか私のほうが癒されたように思います。
 年明けから私の職場の裁断機も隙間に紙を差し込んで、水平に取っ手を前後させると切れるものに変わりました。若い先生の中に事務用具マニアの子がいて、その子の働きで毎年少しずつ買い替えられています。マークシートなら採点をコピー機にさせるのも若い子たちのPC知識のおかげです。
 歌人の俵万智さんが、「失恋したときは、どっぷり失恋した気持ちに浸らないともったいない」とおっしゃってたのを聞いたことがありますが、まるよしさんの記事にもそのたくましさに通ずるものを感じています。気持ちをたて直していらっしゃるのでしょう。けど、我慢しないで泣きたいときにはサッコちゃんはじめ、みんなの胸を借りて泣いてもかまわないですよ。

投稿: KAZUKO | 2009年2月15日 (日) 17時15分

お久しぶりです、以前「光より速いものを考えよ」に参加させて頂いたものです。
虫の知らせと言いますか、しばらく振りにお邪魔したら、大変な事に。
実は我が家は昨年の春に交通事故に会いました。軽症のはずが息子が長引いて、先月まで整形外科や接骨院に中学生の息子の付き添いで行ってました。
おかげで、リハビリやマッサージ方法には詳しくなりました。

投稿: kagehiro | 2009年2月15日 (日) 19時52分

●KAZUKOさん
 わたし自身も、こんなことが自分の身に起きるなんてこと、想像もしなかったですからね。なった者でないと、なかなか分からないだろうな、と思います。
 辛い時は、ひまわり隊の皆さんに甘えに行きますよ!

> 年明けから私の職場の裁断機も隙間に紙を
> 差し込んで、水平に取っ手を前後させると切れる
> ものに変わりました。

 へえ。それは便利でいいですね。実はわたしの事故のせいで、裁断機が引き上げられてしまって、わたし自身も困っております(笑)。メーカーさんが新機種に取り替えてくれないかなあ。

●kagehiroさん
 本当にお久しゅうございます。ご心配いただきまして、恐縮です。そちらもお大事に。 

投稿: まるよし | 2009年2月15日 (日) 20時25分

昨日は痛そうな所はとばして読んだので、改めて全文を読み直しました。
片手で歯磨きは困りますね。それ用の介護コップもあるようです。http://www.paralym.com/shouhin.html
我が家が試したのが、紙(薄いプラ)コップを裏返して中央に穴を開け歯ブラシスタンドにして、立てたまま歯磨き粉をつける方法です。
元々左利きですが、子どもの時矯正されて両手が使えるので、その時は不幸中の幸いでした。

投稿: kagehiro | 2009年2月16日 (月) 17時51分

●kagehiroさん
 便利な器具のご紹介、ありがとうございます。
 でも、片手歯磨きは、次回記事で解決しますので、お楽しみに(笑)。

投稿: まるよし | 2009年2月16日 (月) 19時02分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/129332/43915530

この記事へのトラックバック一覧です: 事故と負傷の経過 III:

« 看板つっこみ(8)~ 爆走せよ正直者 | トップページ | 0系新幹線おなごり乗車 上 »