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2009年2月17日 (火)

事故と負傷の経過 IV

 病室に戻ると、昨日にひき続き、メールなどを送る。ひまわり隊員からのメールに返事がてら事故報告、同僚教員にも経過報告。そろそろ髪がヘルメットのようになってきたので、ケータイで水の要らないシャンプーを所望。
 先輩教員から、続いて卒業生のくらぶ生から、見舞いの架電。
 この日は格別のことはなく、痛みに耐えながら就寝。暗い中独りになると、急に今後が不安になり、涙がこぼれる。授業などにちゃんと復帰できるのだろうか。生活を自力でちゃんとやっていけるのだろうか。

 三日めは日曜である。同室の方たちは、一時帰宅されているようで、今日はわたし一人だ。
 今朝は蒸しタオルが一本置いて行かれただけである。看護師によって判断に差があるようだ。しかたなく自分でガウンを脱いで体を拭く。そして、歯磨きに新技をあみだす。歯磨き粉を付ける時は、歯ブラシの持ち手を右の腋に挟めばいいことに気づいたのである。普段片手でやっているつもりのことでも、無意識にもう一方の手で押さえたり、バランスをとったりしているものだなあ、と思い知る。

 麺類部学生二人が来院。水の要らないシャンプーと花を持ってきてくれる。ついでに体を拭いた時に解いたままだったガウンの紐を結んでもらう。こんなことひとつができない。
「どうせやから、三本の指に思いっきり派手なスパンコール付けた付け爪付けたろと思ってるんや」
と言うと、
「どこまで前向きなんですか」
とつっこまれる。
 でも、嘆いても元には戻らない以上、前向きに考えるしかないではないか。

 早速水の要らないシャンプーで頭を洗い、昼食をたいらげたところへ、同僚教員一名来院。学校の様子や、どの程度噂が広まっているかなど、お聞きする。
 さらに夕方、同僚教員二名来院。やはりいろいろ談笑したが、帰り際に二人とも熨斗袋に包んだ現金をお見舞いとしてお渡しくださったので、戸惑う。考えもしないことだったからだ。当地ではそういう習慣らしい。さきほどの教員はわたしと同じ地方の出身なので、当然手ぶらであった。ありがたくいただく。
 ちょっと不安になって、先輩教員にメールし、当地では執刀医やナースステーションに礼金や菓子折りを持っていく習慣があるのかどうか、訊ねる。父がそれを気にしていたので、今どきそんなもの要るかいな、とわたしは答えたのだが、自信がなくなったのである。すぐに返信があり、流石に当地でも現在はそういうことはしない、とのことだった。
 続いて、明日からの授業に関する連絡を、関係教員宛にメールで送っておく。

 この日も、痛み止めを飲めば二時間後くらいに激痛から解放され、切れると何もする気がなくなる、という繰り返し。もう一人くらい誰か来るかと思ったが、もう来ることはなく、就寝。

 四日目の朝。この日の検査で回復が順調なら、退院となる。朝、看護師さんが何やら注射してくれる。
 そこへ、おばさん係員が、
「頭洗ったげようか」
とだしぬけに現れた。昨日、頭が気持ち悪くなってきた、と雑談で看護師さんに漏らしたため、気を利かせて頼んでくれたらしいが、そういうシステムがあること自体を知らなかった。それならシャンプーを買ってきてもらわなくてもよかったのだが。
 タオルとともに浴室に連行され、怪我のことなどを話しながら洗ってもらう。洗濯機やシュレッダーで指を切断する人が最近は増えているとかだ。かなり気持ちよくなった。
 髪が乾ききらないが、ガーゼ交換のお呼びが来た。点滴を転がして処置室の前に坐り、順番を待つ。ちょうど点滴が終わったので、針を抜いてくれ、さっきの注射の後ともども、血が止まったら剥がしてください、とガーゼを貼られた。

 ガーゼ交換と処置をしてもらった結果、化膿などの悪い兆候はなかったので、退院許可が出た。暫くは手を心臓から上げ、酒は飲まない、なるべく安静に、などの注意を受ける。
 ベッドに戻り、着替えて荷物をまとめる。片手で着替えるのも曲芸だし、血塗られたズボンを穿くのも嫌だが、それしかないから仕方がない。ベルトや腕時計はホックをしめられないので、バッグに放り込む。花瓶・タオルなど荷物が来たときより増えているので、かなり限界まで詰め込み、どうしても入らない分は廊下のごみ箱に捨てる。
 ナースステーションに挨拶に行き、支払いについて訊ねると、労災扱いになっているので結構です、と言われる。これは手回しがよろしい。血を固めないための粉薬と、それによる胃の荒れを防ぐ整腸剤、それに痛み止めを退院処方してもらい、病院の玄関を出る。ERから入ったので、正面玄関は初めて見る。ホテルのフロントのように広々として綺麗だ。
 客待ちしていたタクシーに乗ると、これまた運転手さんの奥さんが、指を切断したことがある、と言う。パート先で機械に巻き込まれたのだそうだ。こうして聞いていると、指の切断というのも、けっこうあちこちで頻繁に起きていることなのかもしれない。とにかく、おかげで自宅までの四十分ほどを、指談義で退屈せずにドライブできた。

 三日ぶりの自宅に戻り、ほっと息をつく。上げ膳下げ膳の入院生活も悪くないが、やはりマイペースでいろんなことができる自宅は、気が楽だ。
 コートを脱いで、左手の点滴の痕にガーゼが貼られたままなのに気づく。剥がせと言われたが…、どないして剥がすねん! 放置するほかなし。
 左手だけで工夫しながら生活することになるが、どうしてもできないこともある。
 まずは洗い物。右手を上げたままで、しかも濡らしてはいけない、という条件ではいかんともしがたい。事故の日の朝、帰ってから洗おうと思って出たものがそのままシンクにある。
 あるいは、ごみ袋の口を結ぶ。ひもなどを結ぶ時は、片方を右の腋に挟むか、口でくわえるかしているが、ごみ袋はビニールなので、腋に挟んでもすべるし、さすがに口に入れるのはちょっと。空いた段ボール箱を潰したり、それを十字に縛ったりもできない。

 同僚教員にメールを送り、退院の報告。 まるよしくらぶは年末に総会、年始にシニア部門ミーティングが予定されているので、それらについて、開催はするが、一部変更の旨連絡。
 そうしていると、先輩教員三名が、仕事の帰りに立ち寄ってくださり、お見舞いを頂戴する。わざわざありがたいことである。 

 右手がうまく動かない場合に備え、左で字を書く練習をしてみようと、思い立ってレポート用紙を広げてみた。すると、最初の二頁に、事故直前に図書館で調べものをした時のメモがびっしり書いてあった。
 不覚にも泣いた。こんな長時間号泣しつづけたのは大人になって初めてだ。わたしの五指満足な右手で書いた最後の文字なのだ。
 涙を拭き拭き、字の練習をする。自分の名前を左手で五十回くらい書いていると、ゆっくりなら何とか読める字になってきた。もちろん元の右の字にはほど遠い。『枕草子』第一段なども書いてみる。苛々する。

 自宅の布団に枕は一つしかないので、枕に手を載せ、座布団を二つ折りにしたのを枕代わりに寝る。

 翌日は天皇誕生日である。
 朝からまた先輩教員がお見舞い。出張に出かける途中とはいえ、わざわざありがたい。
 続いて麺類部の学生三名が来た。Webを通じての要請に応じ、手伝いに来てくれたのである。洗い物その他をやってもらった後、お茶会。卒業生のくらぶ生も、所望していたシャワーキャップを買ってきてくれる。風呂に入る時、これを右手に被せようと思う。

 クリスマスイブは朝から初めての通院となる。こんな日にと思うが、こんな日に朝から仕事をしているお医者さんや看護師さんは偉大だ。
 今日の診察は、研修医の先生である。ガーゼを交換し、傷口を診てもらうが、もう血は止まっているとのこと。 再び包帯を巻かれるが、今度は無傷のはずの小指まで一緒にまかれてしまった。こんなものにも人によって流儀の違いがあるのか。小指に物(キーホルダーなど)を引っかけられるかどうかでも、使い勝手がかなり違ってくるんだが。
 この日の帰宅後は、一人で過ごしたが、独りだとどうも考え方がどんどんネガティブになってしまう。不安ばかりが先行するのである。
 そういう時に、心を和ませてくれるものがあった。

(つづく)

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