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2009年2月 5日 (木)

事故と負傷の経過 I

 暫くお休みをいただきました。記事投稿を再開します。
 ご心配いただいていた読者もいらっしゃると思います。何がわたしに起こったか。概略を以下にご説明しましょう。自分のためにも記録しておきたいですし。

 昨年12月19日1限終了後、所属校の印刷室で次の授業のプリントを作成していたわたし。印刷室にはわたし一人しかいない。B5のプリントなので、いつものように輪転機でB4用紙に二面連写で印刷して、裁断機で半分に切る。もう十年以上も慣れた手順であり、機械である。
 裁断機は何十枚もの紙を一気に切断できる便利な機械だが、それだけに鋭く強力な刃が付いていて危険である。だから何重にもフェイルセーフがかかっている。
 まず、刃が下りてくる部分には透明なプラスチックカバーを被せるようになっている。カバーが被さっていないと刃は下りない。紙をセットしてカバーを閉める。これでもまだ切ることはできない。切る準備ができたところで、確認ボタンを押す。すると、切断可能を示すランプが点く(ここでカバーを上げたりしたらランプは消え、刃は下りない)。このランプが点いた状態で、機械の両側にある二つの起動ボタンを両手で同時に押すと、初めて刃が下りて紙が切れるのである。
 何ともめんどくさい手順であるが、まあ安全のためとあればしかたない。わたしもこの手順を守って何百回となくこの裁断機を使ってきた。
 この日も、カバーの中でプリントが切れ終わり、刃が上がっていったことを視認し、プリントを取るために右手を入れた。これもいつもどおりである。

 この時、信じがたいことが起きたのである。

 刃が動く音がこのへんでいつも止むはずなのだが、この日はいつまでも止まない。変だな、と思ってふと見ると、刃が再び下りてきている(ような感じ)ではないか。
 この時、カバーがかかっていたかは覚えていない。もう慣れきった一連の動作なので、いちいち意識していないのだ。ただ、いつもの手順だと、当然カバーを上げてから手を入れるし、手を守るためのカバーだと分かっているから、この日もカバーを上げてから手を入れたと思う。
 ともかく、刃が下りてきたので、慌てて手を引いた。が、間に合わなかった。再び紙が切れるときの音がし、右手の指先に金属が触れる感触があった。

 一瞬何が起きたか分からなかった。指先に電気が走ったような感覚。刃が上がっていった後の光景に、目が点になる。いやいや、そりゃ紙を切る所に三本の指があったんだから、それらは紙と同じ運命を辿るわけである。シュールな映像。
 あんまり簡単な経過なので、「元に戻す」をクリックしたらなかったことになるのでは、と瞬時思ったほどである。しかしもちろんそんなボタンはどこにもない。でも、最近は繋ぐ手術もできるそうだし、先っちょだから大したことはないかもしれない、と自分を安心させたりする。
 で、わたしは何をすればいいのだ。

 こういうふうに書くと、むちゃくちゃ痛いのではないか、と思うだろうが、想像するほど痛いわけではない。痛点というのは体の表面にしかないから、要するに、指の皮膚を一周カッターナイフか何かで傷つけたのと同程度である。もちろんそれもそれなりには痛いが。
 それに、引きちぎられたのでなく、すぱっと切れたわけだから、当座の痛みという点では恵まれていた。痛いというよりも、すうすうとする冷たさを心細く感じた。

 えらいことになった、という思いと、意外と痛くないし何とかなるよね、という根拠のない安堵を自分に言い聞かせる思いとが交錯する。ドラマ『ER』などでも、切断した足や指を接合する手術の場面があったのを思い出す。
 が、その場合、切れた部分を氷漬けにして保存しなければならないのではなかったか。そんなこと自分ではできないぞ。
 そしてふと見ると、プリントが紅に染まっているではないか。それが自分の血によるものだと気づいた時、思わず、
「なんじゃこりゃ!」
と自然に口をついて出た。あの有名な科白は、意外にリアルなものだったのだ。それはともかく、これは危険だ。助けを呼ばねば。しかし、動けない。
 いや、自分で人を呼びに動こうと思えば動けたのかもしれない。が、下手に動かぬ方がいい気がした。呼びに来られた方も、ウルトラ水流ではあるまいし、指先から血を撒き散らしながら入って来られても、怖すぎるだろう。それに、傷口が変な所に触れて細菌に冒されてはあとあと大変なのではなかろうか。そして、何より、指先から指を離すことが、切断事故を現実と認めきってしまうことになるような気がしてためらわれた。まだ、嘘であってほしいという気持ちが諦めきれなかった。何にしろ、ぴたっとそのままくっつけて、アロンアルファでも垂らしておけば、そのままつながりそうなほど、潔い切れ方だったのだ。

 それで、大声をあげた。
「誰かー! 誰か来てくださーい! すいませーん」
左隣は事務部の部屋で、多くの事務職員が仕事をしているはずだ。できれば左側の壁を左手で叩きたいが、届かない。なかなか誰も来てはくれない。折しも校舎は工事中で、あたりは騒がしい。工事の人が呼ばわり合う声も交錯している。そんな声だと思われているのか。この印刷室にしても、常勤非常勤合わせて百人以上の教員が入れかわり立ちかわり来るはずなのに、なかなか誰も来ない。
 暫く叫んで、叫ぶことで体力を消耗するよりも、誰かが来るのを静かに待つ方がいいのでは、と考えて、叫ぶのを止める。しかし、時間が経つほど指先が傷んで接合できなくなる、とも考えて再び叫ぶ。その繰り返しを何回か。不思議と、出血多量でどうにかなるのでは、という恐怖は浮かばなかった。
 思いついて、従前の言葉に加え、なりふりかまわず、
「助けてー!」
と泣き声のように声を潰して叫ぶのを入れてみる。と、反応があった。
 右隣の非常勤講師控室から、「何や?」という声が聞こえ、誰かが廊下に出た気配。チャンスだ! 印刷室の前に人影、「どこや?」と呟いている。
「印刷室です! 助けて!」
 顔見知りの非常勤の先生が、ドアを開けて入ってきてくれた。地獄に仏。事故発生から五分ほど経っている。
「どうしたんですか?」
「裁断機で指を…」
後は言葉にできない。床の血溜まりを見て、件の先生は大いに驚き、こりゃ大変だ、と固まる。せっかくの仏に固まられては困る。わたしは左を指さし、
「誰か呼んでください!」
と。あたふたと先生が出て行く。

 ほどなく事務職員の皆さんがどやどやと小走りに入ってきてくれる。
「救急車呼びますか?」
「お願いします」
 流石のわたしも、これは救急車ものだと分かってきた。
 皆さんが口々に励ましてくださる。どこかへケータイを架けたりしてくださる。わたしの右手をとって、心臓より上に上げてくださる。そのへんにあったタオルをわたしの腕に巻き付け縛ってくださる。
 何でこんなに早く、と驚くほど間もなく、保健室の看護師さんが駆けつけてくださり、わたしの手首を摑んでくれ、指先の氷漬けを指示、冷蔵庫へ走る方もある。
「これは捨てたらいかんのかな?」
と真っ赤になったプリントを手にとる方もある。
「ああ、プリントはいくらでもプリントアウトできますから、捨ててもらっていいです」
とわたしは答える。こんな時に間の抜けたことを訊くものだ、と笑うなかれ。こういう問答が、日常に心を引き戻し、意外と落ち着かせてくれるのだ。
「使い慣れてる機械なのに、何でこんなことに…」
とぼやくわたしを、看護師さんが、
「事故はそういうもんですから」
と宥めてくれる。

 数分で救急隊が到着した。
「●歳男性、右手第二指・第三指・第四指の切断、…」
 看護師さんがてきぱきと救急隊に告げる。きちんとした止血がなされる。
 印刷室が手狭で、担架は入らないので、救急隊員にちょうど騎馬戦でもやるように持ち上げられ、廊下に出る。そこに置いてあった担架に寝かされ、階段を下り、寝たまま玄関前の救急車に運び込まれる。急を聞いた同僚の先生が様子を見に来てくださっているが、こちらから言葉をかける余裕はない。女性の事務職員が、わたしの保険証番号を記したメモを持ってきて救急隊員に渡す。看護師さんが同乗してくれ、扉がばんと閉まる。サイレンが鳴りはじめ、発車する。
 この時は校舎が工事中であることが幸いした。工事中でなかったら、校舎から好奇の眼が集中し、また学生にも心配させることになったろう。しかし後で聞けば、教室にはサイレンが聞こえなかったとのことだ。

 看護師さんは現場から救急車の中までずっと、自身の手が赤く染まることも厭わず、わたしの手をずっと握ってくださっている。その温もりが、安心感となって体を癒してくれる。男性の看護師が増えているとはいえ、こういう包容力は女性の独壇場だろうなあ。後で人伝てに聞いたところでは、職場の看護師さんの応急処置が完璧だった、と救急隊員さんが舌を巻いておられたそうだ。

 さて、深刻な事態であるはずのこの時の心理を思い返すと、不思議なことに、何か可笑しさを覚えるのである。

(つづく)

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コメント

え~~、Σ(゚д゚lll)アブナッ !そんなことがあったんですか。
休止されてたんで心配していました。大丈夫でしょうか?

こんな入りでいいですか?

投稿: プリンゼ幸夫 | 2009年2月 6日 (金) 09時06分

 ちょっとしらじらしいですが(笑)、ご心配ありがとうございます。

投稿: まるよし | 2009年2月 6日 (金) 19時14分

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