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2009年3月25日 (水)

師は誤りやすく 上

 以前にも少し触れたことがあるのだが、『先生とわたし』(2007 四方田犬彦 新潮社) を読みかけてはやめ、読みかけてはやめ、何か月もかかって読み終えたものである。病気の時に読むべき本ではなかったかもしれない。

 学問上の師弟関係について、師の立場も弟子の立場も身につまされるものがあって、どうも読むほどにふさぎ込んでいくのである。どんな世界でも師弟というのは微妙なバランスの上にしか成り立たない関係なのだろうが、学問の世界というのは、知性とそれに基づくプライドが邪魔をするから、なおさらである。 

 わたしには学問上の師匠は少なくとも二人いる。学部の卒論の指導教官と、大学院で修論の主査教官と。実際には、大学院に入ってからもずっと卒論指導教官のゼミに参加して指導を受けていた。当時卒論指導教官は助教授だったため、修論の主査はできなかった。それで、同じ専修(講座)の教授に書類上主査教官になっていただいた。
 さらにこれがまたややこしいことに、この主査教官は、指導教官の学生時代の指導教官でもあった。つまり、わたしは主査教官の弟子であり孫弟子でもあった、ということになる。わたしが所属していた指導教官のゼミも、元を質せば主査教官のゼミから分離独立したものであったそうだ。

 親と子の関係に似て、師と弟子の関係も、初めは、弟子は師の庇護と寵愛を受け師に全面の信頼と尊敬をおき、師にとりこまれたかたちで推移することが多いが、やがて弟子の方が自覚と自意識を持ちはじめると、師と全く同じ方向に歩く、ということがまずあり得ないため、そこに微妙な角度と距離とをもった分かれ道が現れる。またなぜか多くの場合、師と弟子とは性格がこれまた微妙な異なり方をする。正反対でもなければ全く同じでもない。
 学問というのは創発の世界である。他人が既にやったことをなぞっても、意味がない。師とも異なる方法論や観点を自分のものにしないと、プロの研究者として独り立ちしたことにはならない。一子相伝の職人技と違うのはそこであり、だからこそ厄介なのだ。そして学問上の異なりが、人間の異なりに重なってくる。
 思想的にも指導教員とわたしの間はずれがある。と言っても、学生時代に運動の闘士であった指導教員に対して、わたしに思想らしい思想などあるわけではない。まあどちらかと言うと、古来の神とそれを祀る皇室を軸に成り立っているこの国の形を守っていきたいと思っているわたしは、指導教官ととりたててそんな話はしないようにしている。子どもを豊かな心に育てるためのことばについて考えていきたい、という熱情、そして子どもの幸せとは何か、という点についての認識は同じだからだ(と対等に比較するのもおこがましい。そういう子ども像や教育観はもちろん指導教官の薫陶により形成されているのだから。それがわたしが下地としてもっている思想らしきものの上にも、不思議に矛盾なく乗っかったのである)。

 だからといっても、わたしは、これまでどれほど指導教官の愛情を裏切ってきたことだろうか。大学院以降、二人の師を持っているのをいいことに、二人の間を要領よく渡り歩いて楽をしていた唾棄すべきわたしがいたことは確かである。
 主査教官は主導する方だった。指導教官は示唆する方だった。そしてわたしはその二つがくい違う時、主査教官の主導には盲従し、指導教官の示唆には気づいていながら鈍感なふりをした。指導教官の心を逆撫でしていただろう、と思う。
 だが、四方田氏の師である由良君美氏とは違い、わたしの指導教官は、わたしを叱責したり、無理難題を吹っ掛けたり、酔って絡んだりはなさらなかった(指導教官は下戸である)。わたしの無礼にじっと黙って堪えてくださった。それは指導教官の人徳でもあり、また学会活動よりも地域・同和に関わったり教師教育を施すことにエネルギーと時間を割いていた指導教官にとって、学問上の弟子であるわたしのウェイトが低いせいもあったのかもしれない。
 いずれにしても、記事の題に反し、少なくともわたしの指導教官は誤りやすい師ではなかった。

 わたしが大学院に進学しようと決意したのは、何よりも指導教官に心酔していて、指導教官からもっと学びたい、盗みたい、という気持ちが、教師として現場に出たいという気持ちに勝ったからであった。そして、大学院を修了して教師になる道もあったのに、敢えて研究者を志したのも、指導教官のような研究者になりたい、と思ってのことであった。
 しかしやがて、「指導教官のようになりたい」と思ってるうちは駄目なんだ、とわたしは気づく。指導教官のやることなすこと何でもすばらしい、と思わなくなったのはそれからである。もちろん、尊敬の念は変わることがない。
 それにしても、指導教官の博学と発想の鋭さとには、今だってわたしは遠く追いついていないのであるが、それでも指導教官の理解が届かないような観点からの研究をするようにもなっていった。それを報告する時の指導教官は、苛々しつつ寂しがっているようにも見えた。

 指導教官に対して、わたしが意見らしい意見をしたのは、多分オーバーマスターの時期のゼミ合宿が最初であったと思う。
 その夜のことは今でもよく覚えている。

(つづく)

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