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2009年4月14日 (火)

真の授業改善に向けて

 今まで、自分の学校でやっていることだから、としぶしぶつきあってきたが、今年度からはとうとう怒りと笑いをもってホンネで語ることに決めた。授業アンケートに代表される、「教育改善にとり組んでいるポーズをとるための似非データづくり」(もちろんJABEE対応などの多くの部分も含まれる)に対してである。

 以下のデータは、いずれ所属校の彩図で公表されるものであるから、別にここで公開しても支障はないはずだ。

 以下、3年のあるクラスにおけるアンケート結果から抜粋する。

Q2 強く思う12  やや思う15  あまり思わない8 全く思わない3  無回答1

 Q2は、自分はこの授業の予習復習を十分に行った という問だ。わたしのこの授業は、作文(論理的文章)の演習が中心である。予習など必要はない、というより予習されては困る。復習も、確かに一つの作文課題は、前の作文課題に積み重ねるように配置しているから、いちいち前の学習内容を反芻することになる。が、それを「復習」と認識するかどうかは、個人差がある。試験勉強も一種の復習だが、これをもまた、「復習」と認識する者とそうでない者とがいる。
 こんな数値の集計に、学校当局はどういう意味を見いだそうというのか、訊いてみたいものだ。ついでに、非常に思う やや思う の合計27名に、一体どんな予習復習をしたのか教えてほしい。

Q4 強く思う29  やや思う8 あまり思わない2  全く思わない0  無回答1 

 Q4は、黒板やOHPは見やすかった である。これに あまり思わない と答えている奴の気がしれない。わたしほど工夫して見やすくしている教員はいないだろう。これ以上の何を求めるのか。こんなことは、理由を書かないと、こっちは改善のしようがないのだ。

Q7  強く思う19  やや思う16 あまり思わない3 全く思わない0  無回答1

 Q4は、試験の難易度や量は適切だった だが、高専のカリキュラムも終えていない一介の学生に、三年生の試験問題はどの程度のレベルが適切か分かるなんて(わたしたちさえ常に苦吟しているのに)みんなスーパー学生たちだ。ぜひその判定基準をわたしに教えていただきたい。まさか、「自分にとって難しい」とか「自分にとって多い」とかいう基準ではつけてないよね? それは「適切さ」とは別問題だからね。
 そして、あまり思わない の3名は、試験の「難易度」について判定しているのか。それとも、「量」についてか。前者だとすれば、難しすぎるのか、易しすぎるのか。後者だとすれば、多すぎるのか少なすぎるのか。理由も書いてないし、わたしには判断する材料がないから、改善の参考には全くならない。

Q14  強く思う24 やや思う14   あまり思わない0  全く思わない0  無回答1

 Q14は、教員の準備はよくなされていた である。教員が授業に関してどのような準備をどの程度するのか、そして、どれだけされていたら、「よく」なされていた、と見なせるのか、学生はいったいどこで学んだのだろう。わたしが教育実習で体にたたき込まれたことをである。もちろん、授業に来る時に忘れ物をするかどうか、なんてことは、瑣末な問題でしかない。うちの学生は、何でも知っているらしい。
 アドリブで授業をしているかのように感じさせる授業の展開をみせて学生の緊張感・臨場感を高めるのは、授業のひとつのテクニックであるが、そういう授業を行うには、かなり周到な準備が必要である。そして、周到な準備をしてきたことを、学生に悟られてはならないのである。
 ところでさっきからきまって「無回答」の学生が1名いるのはどういうことか。「こんなアンケートは意味がない」として回答を拒否しているのか。それならすばらしく洞察力に満ちた学生である。もし、学校やわたしに対して何らかの抗議の意味を込めているのだとしたら、愚かな学生である。その抗議の内容を具体的に書かないと改善はされない。具体的に書く能力・意志・度胸のない者には抗議する資格はない。そういうことを一年かけて教えてきたのだ。あるいは、この学生がアンケート回答に用いた情報センターの端末が不調だったとか、この学生の操作が誤っていたとかいう可能性もある。いずれにしても理由が分からないから、わたしは痛くも痒くもない。

Q16 強く思う26  やや思う9  あまり思わない3 全く思わない無回答1

 こんな問に答える学生はどうかしている。Q16は 教員は授業に熱心だった という問だ。他人の心の中に土足で入り込むような設問には答えてはならない。それは論理的な営みではない。そう教えたはずだ。事実を評価することはできるが、人間の内面を評価することは、よほど専門的な訓練を受けた者でないと無理だ。
 1年から3年まで続けて受け持った学生のなかには、1年の時は あまり思わない と答えていたのに、3年で 強く思う に変わっている者もいる。わたしの授業に対するスタンスは、その間いささかも変わっていない。恐らく当該学生は、教員が大声を張り上げたり汗をかいて教室内を動き回ったりすることが「熱心」さをあらわすのではない、とどこかで気づいたのであろう。全く基準があやふやな評価である。
 それに、教員が「熱心」だったかどうかなど、大きな問題ではない。「料理の鉄人」とは、「熱心」な料理人ではなく、美味しい料理を作る人のことだ。「名医」とは、「熱心」な医者ではなく、患者の病気を治す医者のことだ。プロの仕事を評価する観点は、事実としての経過や結果であるべきである。
 この設問は、無回答 が正解である。答えるべきではない。

 Q19は、唯一記述式で「意見」を書かせる設問である。ここには僅か2名の回答しかない。Q18までに散々 あまり思わない 全く思わない と答えておいて、その理由をここで書くのかと思いきや、書いていないのである。理由や代案も書かずに批判してはいけない、とわたしは教えたはずだ。
 とりあえず「意見」を読んでみる。一つめ。

楽しい授業でした。

 そうですか。よかったです。でもこれ、「意見」じゃなくて「感想」だよね。
 二つめ。

3年間お世話になりました。先生のおかげで国語が少し好きになりました。

 こんなことは、アンケートに書く暇にわたしに直接言いに来てほしかった。そうすればわたしはもっと嬉しい。だいたい、これは「意見」でもなく「感想」ですらない。ただの挨拶である。内容は喜ばしいが、アンケートは挨拶を書く場所ではない。

 で、この結果についてどう受けとめ、今後どう授業を改善するかをコメントとして書け、と学校当局から言ってきた。コメントも含めてアンケート結果をまとめて冊子にして、学生に「フィードバック」しているという形をとるため、配布するらしい。そこでわたしは、以下のように書いた。

 Q1~11,13及び15~18に否定的な評価があるが、理由が不明である。Q19の「意見」も、単なる感想や挨拶で、授業改善の参考にはなるような意見ではない。従って、基本的には従来どおりの授業を今後も続けるしかない。
 しかし、この授業では、批判のマナーとして、根拠と代案を示すことが必要であると学ばせたはずである。しかるに、このように理由も書かずに否定的な評価がなされている、という事態は、学習内容の理解が徹底していない、ということを示している。今後は、このようなマナーをさらに厳しく指導しなければならない。
 殊に、Q16は、担当教員の「人間」を評価するものである。「人間」を評価することは批判のルールとマナーに反することで、故に排除するべきであることも、授業で学ばせたはずである。3名の学生が同設問で否定的な評価をなしているが、失礼きわまりないとともに、学習内容が理解できていない。もちろん肯定的な評価であっても望ましいとは言えない。妥当な態度を示しているのは、無回答のわずか1名だけである。この点も、今後厳格に指導したい。

 とにかく、もうこれ以上茶番につきあうのは、うんざりである。わたしのこのコメントに、ふざけたことを書くな、と学校当局が言うのなら、ふざけたアンケートをするな、と言い返すだけである。
 誤解しないでいただきたいが、わたしは授業アンケートそのものを否定しているのではない。学生が自分の授業に、現にどのような「印象」をもっているかを知ることは、それなりに有益だからである。しかしそれには、有益な情報を抽出し得る設問の内容と形式が必要なのである。文章の面白みのためにシニカルな書き方はしているけれど、設問に問題があるのであって、学生に罪があるのではない。
 まして、こんなアンケートを点数化して無意味な数値を算出し、それを教員の評価とすることは、大きな誤りである。せっかく手間をかけてやるのなら、実のある方法をとろうではないか(なお、当記事と同じ主旨の内容は、学校当局に対して、もっときちんとした文書として伝えてある)。

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