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2009年4月21日 (火)

鉄道文化財の不思議

 昨秋、弥生文化博物館で鉄道関連のイベントがある、と聞いて、出かけてみることにした。弥生時代に鉄道があったわけではないし、なぜそういう場所でそういうイベントがあるのかは、おいおい明らかになる。

 しかしこの博物館は、クルマで行くのにはいいが、電車で行こうとすると往生する。ただ、わたしには強い味方がある。おかげで何とか辿り着けた。

 そもそも、最寄り駅がJR阪和線の信太山なのだが、地元の人でもない限り、阪和線のどの辺にあるのか、駅名だけではもひとつはっきりしないだろう。鉄道マニアのわたしでさえ、どういうわけか、信太山は和泉府中の一つ和歌山寄り、と勘違いしていた。それで関空・紀州路快速を和泉府中で降りたのだが、駅名標をよく見ると、天王寺寄りの隣駅が「しのだやま」となっている。
 逆方向のホームに移ろうか、と思ったが、確か博物館は、信太山駅から西方、つまり和泉府中方向に歩くことになっていたはずだ。阪和線は私鉄を買収した線だから、駅間距離は短い。なら、和泉府中からも歩けるのではないか。わたしは余命僅かなJスルーカードを通してそのまま改札を出た(註・現在はJスルーカードを改札機に直接投入することはできなくなった)。Jスルーであれイコカであれ、こういう時、いちいち乗り越しの手続きをしなくていいのは、便利である。
 そして、そこからはケータイにインストールしてある「ナビタイム」というソフトを起動し、音声案内に従って歩いていく。カーナビの徒歩版があればいいのに、と電機会社でカーナビの開発に携わっている卒業生に漏らしたら、そんなもん今の技術ではとても無理です、と笑われたのがわずか五年前である。まさに日進月歩だ。電池をくいまくるソフトであるのが難点だが。

 博物館に入ると、ちょうど講演会が始まるところだった。柏原市教育委員会の職員の方で、近代化遺産がご専門のようだ。主に南海・近鉄線にまつわる文化財を紹介してくださった。
 明治時代のトンネル・橋梁には、煉瓦積みのものが多い。トンネルは坑口のアーチなど、橋梁は橋脚や橋台に使われている。
 この積み方にもいろいろ種類がある、ということを初めて知った。わたしなど、煉瓦といえば、同じ方向に向けたのをどんどん積んでいく、という発想しかなかったが、それはせいぜい一列や二列の奥行きしかない一般家屋の塀などしか身近に見ていないからだろう。鉄道の設備のように、三次元各方向に何列も積まれる場合はそうではないのだ。
 わたしの知っているその積み方は、「長手積み」というのだそうで、縦に並べる段と横に並べる段とを交互にする「イギリス積み」というのが当時の鉄道設備では一般的だったという。つまり、表面は、長手の面が出ている段と小口の面が連なる段とが交互になるわけである。日本の鉄道は煉瓦の積み方まで英国をお手本にしたのだろう。その他に、同じ段で長手と小口を交互にした「フランス積み」というのもあり、これはまた見た目が美しいのだが、煉瓦の組み方が面倒なせいか、あまり採用されていないそうだ。
 この他、最上段の煉瓦だけを斜めに積む、というのもある。こうすると、表面はぎざぎざの縁飾りが施されたように見えるわけで、これまたちょっとお洒落である。また、煉瓦の色も、焼き加減によってあの赤銅色の濃さが変わるのだそうで、濃い色の煉瓦と薄い色の煉瓦を互い違いにしたり、段ごとに変えたり、グラデーションしたり、いろいろとデザインする要素がある。
 面白いことに、工事の図面には、こういう煉瓦の積み方までは指定されていないのだそうだ。どんな積み方をしても、それほど強度に差がないのだろう。従ってどのように積んでどのような見た目にするかは、多分に現場で作業する職人の裁量とセンスに委ねられていたのである。
 こういう知識は、今まで鉄道と長くつきあってきたわたしにも、ないことであり、勉強になった。

 この他、現在は使われていないトンネルの内部の、待避所などの設備を映したスライド写真も面白かった。
 橋梁だと、JR関西本線が大和川を渡る橋、これは昭和初期に架けかえられたそうだが、当時としては珍しい、川を斜めに渡るものである。設計者もとまどったのか、橋自体は斜めなのに、橋脚は全て川筋に平行または直交する方向にしか並んでいない。いよいよ川の流れを跨ぐ部分は、橋脚が橋からはみ出してしまうので、わざわざ対岸の橋脚とトラスで結んで支えている。現在なら何の躊躇もなく斜めに橋脚を並べるところだが、当時はそういう発想ができなかったのだろう。
 また、当時のさまざまな橋梁の下側に当たる部分の鉄製のトラスもまた、強度と美観とを両方満足するよう、凝ったデザインが施されている。列車に乗っていては絶対に見えない部分である。

 興味深く講演を聴き終え、特別展示室を観る。ここには、昔の鉄道のさまざまなグッズや模型が展示されている。鉄道の切符のいわゆる硬券(厚紙のもの)を模した入場券に、ここではきちんと鋏を入れてくれる。どこから借りてきた鋏だろうか。8320472

 高野鉄道と山陽鉄道とが連携して、金比羅詣での客を誘致しようとするポスターが面白かった。89211572
 高野鉄道は南海高野線の、山陽鉄道はJR山陽本線の、それぞれ前身である。山陽鉄道と高野鉄道とは、直接路線が接しているわけではなく、大阪と神戸との間は「官線」つまり国鉄に乗らねばならないのだが、山陽鉄道の列車自体は官線に乗り入れて京都まで直通していた。しかし自社の営業エリアが神戸以西なので、何とか大阪以東の客を呼び込もうとして、この提携となったのであろう。金比羅詣でというのは、当時かなり人気のある旅行だったようで、四国側にもそのための鉄軌道が何本も敷かれていた。
 何といっても、「半ちん」という表記にインパクトがある。「賃」が訓めない人も多かったのであろうか。この表記では何か別の概念を連想してしまって、可笑しい。
 もっと新しい時代のものもある。わたしが懐かしいと感じたのは、壁にかけられていたサボ(サイドボードの略。列車の側面に付ける行先などを示した板のこと)類である。
 黄色地に緑字のサボは、わたしの子供の頃には、80系や113系の快速電車に必ず付けられていたものである。どこ行かだけでなく、どこから来たかまで分かるので、子供心に愉しく見ていた覚えがある。快速の発着駅は、東側西側とも多数あるから、いろんな組み合わせが考えられ、このようなサボはどれほどの種類があったのか、よく分からない。
 青地に白抜き字赤矢印のサボは、153・165系時代の新快速(ブルーライナー)のものである。これも懐かしい。「宇野←→新大阪」は急行「鷲羽」のものだろうか。
 サボはやがて電動幕に、さらにLEDにと変化してきたが、やはり一番読みやすいのはアナログなサボである。89211591

 さて、常設展示室も見てみる。館名どおり、弥生時代の人々の暮らしを中心とした展示だ。有名な「漢委奴国王」の金印の実物大レプリカもある。実はこの数日前にたまたま福岡市博物館で本物を見てきたばかりなのだが、見た感じ全く同じに見える。
 レプリカであれ本物であれ、見たことのない方はぜひ一度ご覧になるとよい。何より、こんなに小さいものなのか、と思われると思う。判子だからあんまり大きくても困るのだろうが、教科書で写真を見ているだけでは違うイメージをもってしまうだろう。持ち手の装飾も見事である。
 何でこんな物が志賀島で土に埋もれていたのかはよく分からない。真偽を疑う声もあるそうだが、ともあれ見る価値はある。

 館の学芸員さんのお話では、この大阪府立の施設は、あの知事さんに目を付けられているとかである。そして実績を示さねばならないので、鉄道関連のイベントを入れている、との本音も漏らされた。鉄道をテーマにした催しをやると来館者数が増えるのだそうだ。
 そういう生臭い背景はあるにせよ、竪穴式住居も、トンネル跡も、人々の文化的な暮らしの名残という意味で、敢えて同列に見ようとしている。例えば大規模な操車場の跡地も、竜華遺跡とか吹田遺跡とか、古代の遺構のような名前を付けて解説されていた。なかなか新鮮である。
 こういう扱いは、鉄道文化が大切な、語り継ぐべきものと見なされることにつながるので、わたしも歓迎である。

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