鉄道博物館の充実ぶり
久しぶりに東京に滞在することになり、くらぶ卒業生と待ち合わせて、大宮の鉄道博物館に出かけることにした。
わたしは一度、開館間もない頃に覗いたことはあるのだが、何度行っても飽きることはなさそうだ。卒業生の方は初めてということだった。
東京からは、贅沢にも新幹線で往復するための割引きっぷがあり、それを利用することができる。
東京~大宮(おおみや)間の往復新幹線自由席と大宮~鉄道博物館(てつどうはくぶつかん)間の新交通システム「ニューシャトル」の往復運賃、鉄道博物館の入場料金まで込みで、3500円である。なかなか得である。
これを携えて、朝の新幹線に乗る。大宮までは、東北・秋田・山形・上越・長野のどの新幹線も利用できるから、どれに乗ろうか、目移りする。これも電車好きに向けての演出だろう。
ニューシャトルの鉄道博物館駅で降りると、異様なさまが目に入った。まだ入館が始まっていないのに、もうつづら折りに行列ができている。ガードマンが数人出て整理と案内をしている。万博のようだ。夏休み最初の週末とはいえ、大変なものだ。
時が来て入館した時には、もう館内はごった返し、イベントの予約機の前には列ができている。開場十分ほどで、午前分の整理券が売り切れとなったイベントもある。
人波を分けて、とりあえず車輌が多く展示してあるヒストリーゾーンへ進んでみる。その入口で、ボランティアの案内役おじさんが、いろいろな趣向を教えてくれる。相手を見て案内の内容を選んでいるようだ。
歴代の御料車(皇室用の客車)の実物がガラスに収まっている。よくこれだけ車輌を取ってあったものである。戦争中はどこに保管していたのだろう。
交流電気機関車には、また凝ったヘッドマークが飾られていたりする。ここは「北斗星」か「はつかり」あたりが常道のところ、「エルム」とは、なかなか狙いどころがよい。単に、もう走らなくなった臨時特急なので、ヘッドマークが余っていたのかもしれない。
交直流特急型・急行型電車も展示されているが、北陸本線ではいずれも同タイプの車輌が現役であるのがやや哀しい。
前身である交通博物館以来の、日本のJRを代表する会社である、という自負、そして硬派の姿勢も、受け継いでいる。
ちゃんと貨物列車などの地味な車輌も展示されている。
初期の冷蔵車に付いていた車掌室の内部も覗くことができる。貨物列車の車掌にどれだけの業務があったのかは知らないが、それなりに快適に過ごせそうな個室である。もちろん規程では禁止されていたはずだが、内職くらいはできたかもしれない。そして、コンテナの一番オーソドックスなグリーンのタイプ、そういえばこの頃見かけなくなったので、懐かしい。
運転シミュレータの類も多数設けられているが、それ以外にも、コントローラのノッチを入れたら台車が回り、ブレーキハンドルで止まるようになっている地味な設備もあり、そこには人がいなかった。ぱっと見てもどういう設備かよく分からないからだろう。それで、二人で遊んでみたりしていると、後ろに列ができた。
懐かしい、と言えば、戦前型の通勤型電車であるクモハ40も展示されている。わたしも流石にこの型には乗ったことがない。しかし、小学生の頃までいつも乗っていた旧型国電も、基本的な構造は似ている。木の内装に記憶が甦る。卒業生の方にとっては、珍しい未知の車輌である。
床下にモーターやスピーカーが仕込んであって(この電車のものではないだろう)、当時の乗り心地や、釣懸モーターの響きが再現されている。
さらに、以前は地方線区に行けばどこの駅にでもあった手動の転轍機(ポイント切り換えのためのテコ)も、改めて見ると懐かしい。
東北新幹線の最初の型である200系電車の前では、電車に内蔵されている連結器を引き出して、学芸員さんが解説する、というミニイベントがある、というので、参加してみることにした。
いろいろな年齢層の客がいるなか、どこをターゲットにすればいいか、学芸員さんもはかりかねている様子であった。ずいぶん専門的な用語も出てくるので、子供はあまり熱心には聴いていない。しかし、それはそれでいいのだろう。「超音波」だの何だのという言葉が何か分からなくても、かっこよさそうな世界に触れられればいいのだ。
連結器がとびだすさまは、まさに宇宙船かロボットかの合体シーンのようで、なかなかSF的である。車輌の下にもぐり込めるように、検査ピットのようなスペースも設けられていて、普段なかなか見られない床下も見られる。200系の裏側は、雪をはね上げて車体を傷つけないよう、線路ぎりぎりを平らな面が通るようにしてある。それを流線型の先端に向かって見上げると、船の舳先のようでもある。
また、ヒストリーゾーン中央の転車台上に、C57型蒸気機関車が展示されているのだが、この転車台を一日に二回ほど回転させる、という。
200系にしても、C57にしても、以前来たときは、こういう演出はしていなかったと思う。おそらく、博物館側も、客の反応など見ながら、何をすればウけるのか、研究してきたのだろう。
転車台回転は、全貌を見た方が面白そうなので、二階の通路から見下ろすことにした。予定の時刻が近づくと、ヒストリーゾーンに緊張感が漲る。お目当ての列車が近づいてきた時の撮影地の、あのムードに似ている。転車台を回すにはいろいろ準備が必要なようで、中央部分の人通りをせき止めたり、周囲の柵を動かしたり、かなりの係員が出ている。それだけの手を割いても、やる価値があるのだろう。
回転スピードはゆっくりなので、ただ回すだけでは間がもたないようで、学芸員のお姐さんがずっとしゃべり続けている。また、一回転する間に三回ほど汽笛を吹鳴し、そのために機関士さんも「乗務」している。そして、前後のはっきりした蒸気機関車だけに、周囲の車輌といちいち顔を見合わせて、どうもどうも、と挨拶などしているようにも見える。
イベントが終わってから、改めて近くで見てみると、神戸造船所の銘板が取り付けられていた。あんな所で、SLのカマも造っていたのか、と感心する。
ヒストリーゾーンだけでも、書き足らないことがいっぱいあるし、まあ文章で魅力を伝えようというのが間違っているわけである。きりがないのでこのへんにしておくが、もう一つだけ、確と味わっておかねばならないことがあるので、それだけを次の記事に書いて終わりにする。
他のゾーンについては、また何度か訪れては書いていこうと思う。大阪の交通科学博物館が半日つぶせる場所とすれば、ここは一日いても大丈夫。そんな施設である。
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